1話
大学を卒業し、新たな春がやってきた。
初春の桜と共に運ばれてきたのは、甘酸っぱい青春劇でも刺激的な日常でも何でもない。
待っていたのは社会の歯車として働く、奴隷のような日々。ただそれだけだと、新卒の俺は痛感している。
大学四年生の時、就職活動をサボりまくっていた俺は、案の定大した企業に入る事は出来なかった。
ろくに面接対策もせず、自己分析もせず、業界分析もしていなかったのだから当然の結果だ。
ただ、やりたい事が無かったのだから仕方ないとも思っている。
俺の大学はほぼFランと言われるほど落ちぶれた大学だ。
どうせどう足掻いても低賃金で働くことになるんだから、もはや働けさえすればなんでも良いかなと思い、就活はほぼ適当だった。
適当なので、当然内定を貰えることなんて無かった。
とはいえ、流石に当時は周りが次々と内定を貰っているのを側から見ていたため、人並みに焦りを感じていた。
それ故に、初めての『内定のお知らせ』というメールのタイトルを見た時、少しばかりは嬉しかった。
ちゃんと調べて面接に赴いた企業でも何でも無いのに、俺は迷わず内定を承諾した。
しかし、いざもう少しで社会人という時期になると、俺は急にこれから働く会社の事を調べ始めた。
YouTubeやらニュースやらでブラック企業やらホワイト企業やらの動画や記事がよく回ってくるようになったからだ。
だから自分の会社がどんな物なのか急に知りたくなった。
普通はこんな事、面接受ける前に調べるもんなのにな。
調べた結果、ちゃんとブラックだった。
少なくともネットでの口コミサイトではかなりの低評価を付けられていた。
こういうサイトは不満がある奴しかコメントしないって言うからある程度は仕方ないものの、ここまで評価が下がる事あるか?
同期の会社はここまでではなかったぞ。
ちなみに低評価の理由は、『給料は平均だが、残業が多すぎて割に合わない』や『残業代は固定残業の1日1時間しか出ない』はもちろん『休日出勤は当たり前。事業は時代遅れでやりがいも感じにくい』
『みんな自分の仕事で余裕が無く、常に現場はピリピリしている』と言った物だった。
初めのうちは、こんなの働く人間によるだろうと思うようにしていたが、自分の会社がここまで酷い言われようなのを見ると、期待は出来なかった。
俺はその絵に描いたようなブラック企業にこれから勤める事になる事実に絶望し、初出勤の2日くらい前から、布団の中でずっと過ごしてたっけ・・・
そしてその日はやってきた。
俺は憂鬱な気持ちで慣れないスーツに袖を通し、大学時代では乗る事を避けていた満員電車に乗り込む。もうこの時点で帰りたい。
スーツ姿の成人達に埋もれていると、人生の夏休みが終わった事を痛感させられる。
なんとか会社の最寄駅に到着する。
満員電車で既に気疲れした気持ちに鞭を打ち、俺は会社へと向かった。
昨日会社の人事から送られてきたメールには、初日から1ヶ月ほど、本社で研修を行うとの事だった。
まず出勤日の前日にメールをする時点でどうかと思うのだが、これはそういうもんなのか?
本社はまあ、大きくも無く小さくも無くといった感じだろうか。どこにでもありそうな普通の縦長の建物だった。
疑心暗鬼になりつつも、なんだかんだで研修を受けてみると、本社の人はみんな良い人で思ったよりも雰囲気が良かった。
俺が疑問に思っていた質問にも悪態付く事もなく、最初から最後まで優しかった。
聞いてる限り残業するかしないかは自由だし、マニュアル本のスケジュール表を見る限り、一日のノルマというか、『目標』さえ達成すれば残業の心配は無さそうだった。いざという時には固定残業代があるとの事だったので、むしろラッキーと言える。残業せずに残業代が貰えるんだからな。
なんだ。やっぱりあの口コミサイトの内容は嘘っぱちじゃないか。どうやら俺の心配は杞憂だったようだ。
と、思っていたのも1ヶ月間の研修期間だけだった。
現場に配属され、俺は一日目で絶望した。
先ほど話した『目標』を達成するのに、夜の22時まで掛かってしまった。
ちなみに出社時間は8時半である。
あろう事か配属された事務所の上司達も、同じような時間まで働いていた。慣れたらこなせる業務の量というわけでも無いらしい。
ちなみに先輩からのアドバイスで『朝の7時に出社すればその分早く帰れるよ』との事だった。
こいつはアホか?それだと働いている時間が一緒だし、何も変わらないじゃないか。
それから1ヶ月程過ぎたが、労働時間はその日から何も変わらない。むしろどんどん帰る時間は遅くなっていく。俺の仕事の効率が悪いと、最初は甘かった上司からも注意されるようになった。
なんだよ。お前だって終わってねえだろ。
そんな事言えるはずも無く、俺は心身ともにヘトヘトになりながら家に帰った。
最近帰ってきたら寝るだけの生活だ。土日休みだと聞いていたのに、土曜日は当たり前のように出勤させられる。週一の休みじゃ疲れも取れるわけがない。
ある日、上司に弱音を吐いたら『世の中もっとしんどい会社だってある。甘えるな』と言い返された。
他なんて知るか。俺は今、この会社がしんどいんだ。
上司に対する不満を抱えながら、その日も家に帰ってざっとシャワーを浴びる。風呂なんて浸かってる時間が勿体無い。
手早くシャワーを済ませると、母の手料理を食べる。
実家暮らしだから、この辺は助かっている。あの会社で一人暮らしなんてしたら、ご飯なんて俺は食べられないかもしれない。
自分の部屋に向かうために廊下を歩く。
すると、俺が嫌いな奴が目の前の部屋からのそっと出てきた。
「おっ、お帰り。遅かったな」
疲労困憊の俺に、飄々とした声を掛けてくる。
彼はいつも満面の良い笑顔で笑う。
そんな彼の顔が、俺は嫌いだった。
20代なのに中年太りした体型に、不潔感満載の髪と髭。仕事が終わってお風呂に入ったであろうにも関わらず、寝癖のような物まで付いている。
どうせ夕方ごろに家に帰ってきて風呂上がり早々に昼寝でもしていたのだろう。
そう。俺の兄である辰馬だ。
とはいえ、俺はこいつを兄だと思った事はない。正しくは、兄として尊敬した事はない。
辰馬は働いてはいるが、訳あって普通の仕事ではない。ぶっちゃけ小学生でも出来てしまうのではないかと思うような簡単な事務作業だけして給料を貰っている。
挙げ句の果てには、国から援助金まで貰っているので、下手したら汗水垂らして働いている俺よりも金銭を受け取っている。
辰馬はいつもそうだ。
大して頑張ってもいないのに、何かしらの手助けがあって楽な道を歩んでいける。
だから俺は辰馬が嫌いだ。
「優馬?」
何も言わない俺に対して不思議がっている辰馬を、俺は無視して部屋に入った。
なんて事ない。いつもこんな感じだ。俺は毎回のように無視してるのに、辰馬は懲りずに話しかけてくる。
イライラする気持ちを抑え込みながら、俺はベッドに寝転がった。
チッ明日も仕事かよ。
あーあ。良いなぁ。あいつは俺よりも遅く寝て、遅く起きるんだろうな。
あーあ。羨ましい限りだよ。
────俺も白痴に生まれたら良かったな!
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