第六章 イリアスの決断
次回あたりローレライが勝利しますが、ウィッティングトン艦長は死にません。
「アメリカ艦隊、洞窟に雷撃しています!!!!」
旗康は朦朧とする意識の中、潰れた喉で必死に叫ぶ。
ローレライの艦内は赤い照明に染まり、鼓膜を裂くサイレンが響きわたる。ただでさえ熱気が充満していた艦内には、蒸籠の中のように膨張した空気が立ち込め、兵士たちの士気を奪い、何人かは病室に運び込まれている。今頃軍医の天津慶造医師は、病室前の廊下まで溢れ返った病人の治療に終われていることだろう。イリアスと征人もどうなっているか分からない。藤堂正毅艦長は、暑さの余り激しい頭痛を起こし、左手で頭を抱えながら、兵士が倒れて空いた席に掛け、デスクに上半身を預けている。もはや軍務よりも自分の命を優先すべき状況だが、今の大日本帝国の軍政が、それを許さないだろう。どう勝つかから、どう生き残るかに変わっていた藤堂艦長の思考は、遂に最終段階に入っていった。
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「ウィッティングトン艦長、敵は弱っている模様です。このまま岩礁ごと突き崩してしまってはいかがでしょう」
彼に一番近いところに居た、大柄で片目に切傷を負って開かなくなっている兵士に告げる。
「いや、敢えてすぐには殺さん。ゆっくりと時間を掛けて、地獄さえ愛しくなるような苦しみを味わわせてやる!!!!!!」
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「戦う覚悟はあるのかい?」
「はい…………そうしなければ、私も、この艦に居る皆さんも死んでしまいますから……」
征人とイリアスは、修理された水槽に続く階段の真ん中あたりに腰掛け、少し冷たい感じのする会話をしている。
「でも、またあのプラグに繋がれなくちゃならないんだろう?痛くないのか?」
「そりゃ注射針の何倍も太さのあるプラグを背中に突き刺しているんですから、痛いですよ?最初ほどじゃないけど、痛みが和らいでも拒絶反応は起きますから、結局痛いです。それでも、戦わなくてはいけません。皆殺しになるのに比べれば、その方がいいんです…」
「ここも酸素が無くなってきたな、旗康とか艦長とか、大丈夫だろうか?」
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「艦長、何処に行かれるのですか?」
旗康は藤堂艦長に尋ねる。
「いや、天津に直接来てもらうのもあれなので、こちらから病室に出向こうと思うのだ」
「身体に気を付けて下さい、艦長に死なれては何もかも終わりですから…」
そんなやり取りを終えて、藤堂艦長は指令室から出るために鉄の扉を開ける。
そのまま、魚雷発射管のある部屋に、艦長は歩いて向かう。病室に行くというのは、嘘だ。
いくつかの交差する通路を曲がり、彼は目的地に近づいていく。
彼は、自らの手で、自分の最期を選ぼうといていた。
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「ローレライが自爆する恐れがあるから、少し距離を置こう」
ボーンフィッシュの艦内に、ウィッティングトン艦長が言った。
ローレライが自爆してくれれば戦闘のリスクは減るが、それはボーナスの半減と昇格の機会を逃すことに繋がるから、命の危険が大きくても、あの潜水艦は自らの手で仕止めたい。それが今の、ウィッティングトン艦長の望みだった。
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ローレライの無線係、十六歳の少年兵、霧島正則の眼前の無線機に、ある男の声が届いた。旧世代の無線機なので音の質が悪いが、それがこの戦艦の艦長、藤堂正毅の肉声であることは解った。
「はい、こちら無線機担当霧島正則少尉、どうぞ」
「霧島か………お前に私の最後の命令を託す。俺は今、特攻魚雷のコクピットにいる。間もなく魚雷は発射され、外に居るアメリカ艦のうち一隻を鉄の骸に変える。そして、お前たちは6分の5になったアメリカ艦隊の戦力を全滅させる。その作戦概要は………」
藤堂艦長は正則に作戦の内容を伝える。大まかなものだが、正則にとって、作戦の全貌を知るにはそれだけで十分だった。
「五秒後、無線を切る。外で魚雷が爆発する音が聞こえたら、それが反撃の合図だ。幸運を祈る…」
プツ。一瞬の雑音とともに通信は切れる。
「解りました、艦長………」
既に聞こえないものと知りながら、霧島正則は唇を噛み締めて返事をする。涙も出そうだが、堪えている。
十数秒ののち、外で、ローレライ以外の艦に魚雷が命中する爆音が響き、その後一秒も経たないうちに、岩礁を突き崩す、風船が割れる音を十の七条倍したような爆音が、地割れのような振動とともに、ローレライを包み込んだ。
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「本当に、行くんだね?」
「はい。後悔はしません。絶対に……」
少女は少年の手で、再び修理された水槽に入れられ、プラグに繋ぎ止められる。その整った顔は苦痛に歪んでおり、時折小さく悲鳴を漏らしているが、強固な決意も見られる。
「終わったよ。本当に、死なないでくれよ…」
「わかっています。世間では国のために死ねと言いますが、本当はこの戦争を、国のために生き抜く戦争に変えるべきだと思っています。それを実現するために、私は戦場に向かいます。もちろん、生きて帰って来ます…」
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同じ頃、指導者を失った艦内では、霧島正則が指令室に、肺に溜まった空気を一気に吐き出し、藤堂正毅艦長が下した最後の命令を叫ぶ。
「敵の周囲の岩礁に向けて、魚雷を五発発射、折れて倒れてきた岩礁で、アメリカ艦隊を押し潰す……………!!!!」
海底に針のように切り立った岩礁。その地形を利用した、今回切り有効な戦術だった。