第三章 ミッドウェー海戦
日本の艦隊は、アメリカのB29部隊に撃沈されつつあった。
海中に撃ち込まれた爆弾は、爆発して水柱を上げ、軍艦の船底に大穴を開ける。船体が海水を吸ってどんどん重くなる感覚が、乗員たちを焦らせる。蚊のように空を覆うB29のパイロットは自嘲を浮かべ、遊べとばかりに海中に爆弾を撃ち込む。ある軍艦は片方に水が溜まって重心が傾き転倒、そのまま、中で苦しむ兵士のように泡を吹きながら、黒い海の中に沈んでいく。
兵士の肉を求めて鮫が集まってくる。
B29は、無限にあるかのような爆雷を、まだまだ落とし込んでくる。連続して水柱が上がる。船底に穴が開く。船体が傾く。泡を吹き上げて沈んでいく。同じ展開が、数十隻の戦艦において繰り返される。日本兵たちは待った。独立した繰り返しの終わりを、逆転を、奇跡を、神風を………!!!!
そしてそれは海の中から現れる。
海面をクラゲの皮膚のように突き破り、浮上した全長200メートルの巨大な潜水艦………普通の軍艦よりも動きの鈍い潜水艦は、軍艦より軽く、小さく造るのが常識なのに、この潜水艦は、アメリカの戦艦の二倍以上の長さがある。重量も間違いなく四倍以上…。
「はははっ!!馬鹿め、潜水艦の砲撃など、動きの速い戦闘機に当たるとおもっているのか!!!!」
パイロットたちは笑いを高める。その声が宇宙まで突き抜けそうな程に………。だが、彼らの笑いは、一瞬にして冷凍された。顔が青ざめ、口元が引き吊る。
その潜水艦は、空中に向けて魚雷を放ってきたのだ。
「嘘だ!!魚雷が空を飛ぶなんて!!!!」
嘘だと?今起こっているではないか………。
高速で撃ち出された魚雷は、動転して動きが鈍った戦闘機の一つに激突し、その機体を押し潰しながら、自爆する。
その後、二発、三発…………八発、九発、十発と、次々に魚雷が撃ち出され、黒光りする蠅たちを撃ち落としていく。効率のいいときは、一ヶ所に固まっていた二、三機を爆発に巻き込む。
「ローレライだ!!!!」
一人のパイロットが叫び、それを無線で聞いた戦闘機達が、一斉に機体の尾をローレライに向けて逃げ出す。
ここぞとばかりに、ローレライは、B29の群れの中の、一番密度の高い部分に魚雷を一発撃ち込む。
魚雷は中央の一機に命中し、炎は燃え広がって群れ全体を包み込む。
こうして、たった一隻の戦艦の功績によって、日本海軍はミッドウェー海戦に勝利したのである。
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大日本帝国の徴兵年齢は、数年前から十五歳に引き下げられている。
枢木征人は、数カ月前に帝国海軍に徴兵され、潜水艦船員としての訓練を受けた。慎重が百六十センチに満たない坊主頭の少年は、若者特有の小さなニキビがまばらにある、母親譲りの整った顔立ちをしている。彼は運動に向いた能力はなく、唯一の取り柄は天才的な機械いじりの才能、それを認められての、ローレライのレーダーオペレーターへの配属。
彼は少しわくわくしていた。というのも、戦場に出て戦うのが楽しみなのではなく、レーダーとたわむれるのが楽しみなのだ。
機械さえ弄れれば、彼は戦場にも、海の果てにも行くのである。
「これが潜水艦の性能か、すげぇな…」
「こら、私語は慎め、征人」
横から友人の倉木旗康にいさめられる。身長百七十二センチの引き締まった肉体。旗康も征人と同じ十五歳だ。
また、乗員の男たちの髪型は、皆坊主頭である。
二人を含む兵士たちは、上官の注意もむなしく、口々に戦艦の設備や指令室の広さを称賛している。その原因の一つには、最初の戦闘が勝利に終わった安堵もあった。
「でも、立体映像のレーダーなんて初めて見たよ、大佐、このレーダーの仕組みはどうなっているんですか?」
征人は隣の席に居る旗康の忠告も聞かず、近くに立っていた上官に尋ねる。
「レーダーの仕組みなど、わしは知らん。それより、仕事に専念したまえ、さっきのアメリカ軍が報復してこぬとも限らんからな…」
「は〜い……」
征人は舌打ちして、再びレーダーに向き合う。そして、周囲を取り囲む六つの機影を確認する。
「半径四〇〇〇メートル以内に六つの機影を確認、アメリカ艦と思われます!!!!」
「よし、戦闘開始だ!!!!レーダーの超音波を拡大せよ、返り討ちにしてやれ!!!!」
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イリアス・パーラーは、再び起動したレーダーに生気を吸い取られ、さらに衰弱を加速させていた。背中に植え込まれたプラグを引き抜こうと、必死に手を伸ばすが、戦艦の揺れによって、その指は何度も遠ざけられる。
「なんで届かないの!?解放戦線にいたときはあんなに訓練したのにっ!!!!」
理由は簡単、彼女の手足は、鎖で縛り上げられているからだ。
「くそっ、このプラグさえ引き抜ければ、すぐに苦しみから解放されるのにっ!!!!」
少女は数十分前に思ったことを叫ぶ。しかし、その声さえ、水槽から出はしない……。
「げふっ…………う…………!!」
苦痛に歪む声が響く。そして少女は、機体に響いた魚雷の着弾音で、戦闘の始まりを知った。
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「我が相棒キラーホエールを撃沈した報復、必ずここで果たす!!!!」
ボーンフィッシュの指令室で、トーマス・ウィッティングトン艦長は指示を下した。
六隻の潜水艦で編成された報復アメリカ艦隊の首艦、ボーンフィッシュは、船体の正面についた二つの魚雷発車管から、ローレライの横っ腹に魚雷を撃ち込む。ただの魚雷ではない、それは機体の先にドリルを持ち、敵の船体に穴を開け、めり込んでから起爆する最新鋭の魚雷。着弾した魚雷は、ゆっくりと鋼鉄の鯨の皮膚をヤスリのように削り取る。
これと同じものを周囲の艦も持っているのだから、さすがの深海の魔女も歯が立たないだろう。
ウィッティングトン艦長はほくそ笑んだ。
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「周囲から魚雷多数被弾、ダメージ大、敵は新型魚雷を使用している模様です!!艦内にめり込んでから起爆しています!!!!」
黒い闇に、地形が黄色、本艦の現在地が緑、敵は赤の光で示された立体のレーダーを見ながら、征人は艦長に報告する。
「深度五〇〇〇まで潜り、一反行方を眩ます。その後、海中から雷撃を仕掛ける!!!!!!」
ローレライの藤堂正毅艦長は、四十歳の、当時にしては年配でありながら、百八十五センチの長身の上から声を放つ。
「深度五〇〇〇まで潜航、機会を見て雷撃!!!!」
征人の隣にいる旗康が叫び、全船員は数秒後、船首が大きく下に傾くのを感じる。
「現在深度一五〇〇、一五一〇、二〇、三〇…………」
潜っていく鋼鉄の塊。一分半経つ頃には、深度は五〇〇〇に達した。
装甲に開いた穴を修復が終わるまでは、戦場には戻れないという……。残った酸素は3日と2時間、修理にかかる時間は2日と20時間、ギリギリである。
「倉木少尉は枢木少尉の代わりに戦況レーダーと深度レーダーの二つを担当、枢木少尉は機関室に行ってレーダーエンジンの整備を行え!!!!」
藤堂艦長の命令に従い、旗康はもともと請け負っていた深度レーダーと、征人の代わりに請け負う戦況レーダーを監視し始め、征人は艦中央の機関室に向かった。
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イリアスは苦痛から逃れようと、背中に刺さったプラグに手を伸ばしていた。
プラグを抜いても死にはしない。ただ脊椎に異物の刺さった苦痛から解放され、その後平凡な暮らしに戻れるか、殺されるかは運任せだ。
そして、イカのように身体をくねらせ、やっと鎖から右手を外す。自由になった右手を頸椎のプラグに伸ばす。そして、一本を引き抜く。鮮血が噴き出す。
その時、彼女の残りの脊椎を、高圧電流が走り抜けた。
「うぐっ……………!!」
魚雷が船体に当たって、その衝撃が来たのだ。彼女は苦痛に顔を歪める。
バランスを崩した彼女は水槽の壁に前のめりになる。
重心が傾いた円筒形の水槽は階段を転げ落ち、機関室の床に追突して、割れる。プラグが抜け落ち、少女は半日ぶりに、その肌で外界に触れる。
床に倒れ伏し、イリアスの意識は遠退く。その時彼女は、自分とさほど背丈の変わらない男の兵士が、機関室のハッチを開けて入って来るのを見た。
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艦の中央を背骨のように突き抜ける通路を走り、枢木征人は艦の中心部、機関室に到着した。
ハッチを開き、無意識に訓練で教え込まれた動作で室内に突入する。
そこで彼が見た、この世のものとは思えない、地獄絵図のような赤い液の真ん中に、少女が横たわっていた。黒い髪に茶色の瞳、白い肌、バランスのいい体系、背はおそらく、征人と変わらない。胸と腰に包帯を巻いただけのほとんど下着姿のような格好で、手足や、うつ伏せになった背中には、浮き出た脊椎の線に沿って、直径数ミリほどの穴が空いている。
少女は一瞬顔を上げ、征人を見た。そして、すぐに眼が虚ろになり、再び倒れ込む。
征人は数秒間、現在の状況を把握できなかった。しかし、一反理解すると、すぐに判断できた。
「いむっ……医務室に運ばないとっ…………!!!!」
少年は少女に駆け寄り、それを抱き抱えて去っていった。
あとに残されたのは、セミの脱け殻よろしく取り残された、粉々のガラスケースと、飛び散った培養液だけだった。
次回、ローレライは最初のピンチに立たされる!!!!!