第五話
「何事も経験だな。コンラート。私はお前のおかげで成長している。
このような状況、実際に経験しなければ知らなかったことだからな」
「アンタ、身分の高い人なんだろ。金持ちなんだろ。それでシスターを買おうってんだな!?」
「ふん、下らん。覚えておけ、身分の高い人間には許嫁がいるものだとな。
その女が欲しければくれてやる、好きにするがいい」
「え……?」
「どうした? 欲しかったのではないのか?」
コンラートは、意を決して後ろを振り返り、フレデリカにこう告げた。
「一目惚れでした、シスター。私と一緒になってください」
エドも、ここでプロポーズされてフレデリカがどう答えるかは面白そうだったので興味があった。
断れば、今、敵は二人となる。エドを始末する機会はもう二度とあるまい。
もちろんフレデリカが今日あったばかりのコンラートを本心から受け入れるとは到底思われないので、口では受諾したとしても後でなんとかする必要が出てくる。
「コンラートさん、いけません。私はシスターで、子供たちの世話がありますから」
エドはフレデリカの悪辣さに舌を巻いた。カマトトぶるという言葉があるがこれ以上この状況にふさわしい言葉もあるまい。
フレデリカはコンラートを騙して味方につけようというのである。
自分が邪教の教祖に仕える女だなどとは毛ほども見せようとしない。
この期に及んで子供にやさしいシスターのふりをしながらフレデリカは続ける。
「私、あの人に殺されます!」
「シスター。神殿で聞いたのですが、悪い噂があるようですね……?」
「あの子たちは誤解してます。私だって本当ならお金持ちの方々に媚びを売るような真似したくないんです」
「そうでしょうとも。もう安心してくださいシスター。奴を殺せばいいんですね!」
「ええ、でも子供たちが……」
「子供たちさえ手がかからなくなれば、結婚してくれるんですね!」
「も、もちろんですコンラートさん! 頼りにしてます!」
エドは胸騒ぎを覚えた。コンラートは常軌を逸し始めていると。
今朝会った時でもすでに危険な領域ではあったが、今はもう超えてはならない一線を越えているのではないかと。
エドは冷や汗をかきながら剣を抜いた。
「私に勝った気でいるようだな、私もそれなりの腕だぞ」
「お坊ちゃんを料理するのは簡単だ……やってみせよう」
コンラートは無造作にエドとの距離を詰め始めた。エドは剣を習った通りの型で構えたまま微動だにしない。
先に仕掛けたのはコンラートだった。彼はおもむろに持っていた剣を担ぐと、エドに向かって放り投げた。
そうフレデリカに見えたが実際にコンラートが狙ったのはエドではなく馬だった。
王侯貴族と平民を隔てるのは文化の壁である。平民にとって馬は乗るものではない。
田舎の農民ならば畑を耕すなどして労働してくれる家族の一員だ。
コンラートのような都市在住の平民にとっては馬など触ったこともない、というところだ。
だが王侯貴族にとっては馬は力の象徴であり、必要不可欠な相棒でもある。
そして大きな財産だ。天下一の名馬を持っているというだけで持ち主に箔がつくというもの。
エドにとって愛馬は父親からもらった数少ないプレゼントであり、無くてはならないものだ。
その弱点をコンラートは抜け目なくついた。エドの愛馬が狙われ、これに即座に反応して投げつけられた剣を弾いた。
一瞬の金属音の次に驚いた馬の響くいななき。高く舞い上がった剣が回転し、馬が立ち上がって主人に背を向ける。
この間に剣を投げつけたコンラートは距離を詰めていた。剣を弾いた右手の剣を、もう一度コンラートへ振り下ろすのにかかる時間は一秒。
エドはもう間に合わないことを悟った。手足を捕まえられ、体格で劣るエドは地面に組み敷かれて剣を取り上げられた。
万事休す。エドはこんな下らない事で死ぬ自分を心の底から情けなく思い、天を仰いだ。
初夏の真昼の太陽が直上から照り付け、まぶしくて目を閉じたその時である。
「きゃ! 教祖様!」
などと言って後ろのフレデリカがうずくまった。これにはコンラートもエドなど放っておいて彼女に駆け寄る。
”どういうことだ。教祖などここに来るはずがないが”
と不思議に思ったエドは体を起こして土ぼこりを払い、フレデリカのほうを観察してみる。
「どうしましたシスター!?」
「すみません、すみません、あなたの役に立ちたくて!」
どういうわけかフレデリカは遠隔地にいると思われる教祖と会話、というか怒られているようである。
「コンラートさん、皇子様は傷つけないよう捕らえて下さい。私が教祖様にお渡ししますので」
まるで二重人格とでも話していたかのように虚空に向けて汗びっしょりの焦った顔で喋っていたフレデリカはけろりと平気な顔に戻った。
「は、はい……」
コンラートはフレデリカに髪留めを渡された。
かなり大きくて太い布製の髪留めでエドごとき、これでも手を拘束できそうな代物だった。
エドは奪われた自らの剣のつかで頭を殴りつけられ、気絶させられると、髪留めで手を縛られた。
全くもってエドの酷い失態である。自ら部下を遠ざけて独りになり、結果として弱点を突かれて敗北し、連れ去られることとなったのだから。
弁護の言葉もない。部下たちはとっくに全員集合し、神殿を捜索している最中でエドの不在には誰も疑問を持たなかった。
少し時間を進めてみよう。コンラートは帝都に戻る前にフレデリカに買い物に行かせた。
ちょっとした大き目の木樽があればよかったのだ。もちろんエドを中に隠して運ぶためだ。
エドを気絶させ木に縛り付けたコンラートはその間に大急ぎでエドの愛馬を回収に向かった。
エドの愛馬は人懐っこく従順な性格になるよう調教師がそれはそれは手塩にかけて育てている。
なんか怖いおっさんだな、程度にはコンラートに悪印象を持っていたであろうエドの愛馬は(名をアルベルタと言う)結局コンラートのそばに寄り、後をついていくことにした。
従順で人懐っこい代わりにとても甘えん坊で独りが耐えられないタイプの馬なのである。
そうこうしているうちにフレデリカは木樽と台車を買って、帝都城門の門外まで出てきてコンラートと合流。
馬で樽を乗せた台車を引き、悠々と町中を歩くコンラート。今後のフレデリカとの結婚生活に胸をはせているに違いない。
フレデリカは目立つので顔をベールで隠しながらコンラートとは他人のふりをし、彼の前を歩き続け道を案内する。
フレデリカはどういう理屈なのか、教祖と離れていても交信できるようで教祖に指定された場所に迷いなく向かっていく。
日も少しずつ落ちてきたころ、三人はついに西地区のとある廃屋に静かに入っていった。
一方その頃、ラームは死神騎士団らの醸し出す家宅捜索をしても中々思うような成果が出ないイラついた空気が神殿中を覆う中、一人だけ違うことを考えていた。
エドがいくら何でも遅いと思っていたのである。
そして、もしエドに何かがあったとしても時すでに遅し、である可能性が高いと考えた。
何よりエドは馬に乗ってどこへ行くのかすら部下に教えなかった。万事休すである。
ここまで考え至って冷や汗の出てきたラームはすぐさま副長に話をもちかけた。
「副長!」
「しかし巫女さんはあのドレスの下はノーパンなんだなぁ……ラーム、どうした?」
振り返った副長にラームは一方的に告げた。
「前半は聞かなかったことにします。僕は団長を探してきます、いくらなんでも遅いですから!」
「まったく、あのカワイ子ちゃんと何やってんだか……うらやまけしからんな」
「違いますよ! 団長は何かの罠にかけられたのかもしれません!」
「やれやれ、世話かけさせやがって。皇子じゃなかったら俺がぶっ殺してるところだ」
「ふ、副長には忠誠心というものがないんですか!?」
「帝国にはあるぜ。お国のためならってやつだ。だが誰か一人の個人に忠誠を誓った覚えはない。
でもまあ、死なれると俺らも評価が落ちるかもだし、探しに行くとするか。おーい集合だ」
副長の一声で集まった死神騎士団員たち。だが、神殿で家宅捜索を手伝っているはずであったコンラートがどこにもいないのである。
副長はこれを見て、大体のことは見当がついた。コンラートがエドとフレデリカの二人でいるところに襲撃をかけに向かったのだと。
その推察は当たっていた。副長によってエドがいないと知らされた死神騎士団たち。
そのうちアデライドはこう意見した。
「コンラートとかいうオッサンが見当たりませんね副長。団長を攻撃する意図があったのでしょうか」
「状況からみてそうだな。探しに行くぞ。まったく、これでもしカワイ子ちゃんとよろしくやってたらぶっ殺す……」
これにラームが反論した。
「あの方に限ってそんなはずありませんよ。ただ、殺すことは考えられません。
弾圧をかけようと決めておられる陛下の感情を逆なでするなど。
過去、陛下の怒りに触れた一族がどうなったか帝国中で知らないものは居ないでしょうし」
「確かに俺が教祖ならむしろ権力にすり寄るね。ともかく者ども、優先は団長だ。
団長が怪しいと睨んだこの神殿の巫女と二人で出かけたところ戻ってこられない。
恐らく女に情報を吐かせれば一向に見つからない邪教に関する情報も出てくるだろう。
捜査開始二日でここまで来られたのは幸運もあったが、間違いなく団長の頭脳のおかげでもある。
ラームの言う通り、敵が団長を殺さぬとなればどこかに運んで閉じ込めるはずだ……人目につかないところにな。
西地区の廃屋を重点的に探すぞ。あと少しで日が暮れる……」
などと言って副長は急にやる気を出し始めたのである。
「時間との勝負ですね。頑張りましょう!」
「元気だなラーム君。じゃあ行くぞ」
死神騎士団らは騎士団の名に恥じず、馬を駆って日の落ちてきた夕方の帝都西地区を駆けずり回り、廃屋という廃屋を探した。
とはいえ西地区は貧民街ということもあり、廃屋には宿無しの男が住んでいるケースが多く、何度かトラブルにも発展した。
しかしそこは死神騎士団。名前を出しただけで皆が恐れた。死神騎士団は確かに皇帝直属の配下の処刑部隊であるためか、恐れられている。
だが死神騎士団自体が怖がられているというより、一度殺すと決めたら絶対に皆殺しにする冷酷無比な二代目皇帝が恐れられていると言ったほうが正しいだろう。
さて、死神騎士団らが廃屋を捜索し、エドのいる廃屋をアデライドが発見したのが午後二十二時ごろのことであった。
それから少しだけ時間をさかのぼり、エドの話をしてみよう。エドは樽に入れられて廃屋に運び込まれた。
西地区の奥地の、城壁の陰になって薄暗い小さな廃屋には誰もおらず、エドとコンラート、そしてフレデリカのみだ。
コンラートは樽の乗った例の台車を廃屋の中に運び込み、馬を中に入れてつないだ後は、廃屋の古びた椅子に渋々腰かけて休んでいるフレデリカにこう声をかけた。
「これで済んだんですよね、仕事は……」
「私のほうからあの方には連絡することができないんです。今あの方の連絡を待っている段階で。
コンラートさん、いくらなんでも無関係の人をこれ以上巻き込めませんわ。
皇子暴行誘拐なんて帝国中から目の敵にされる犯罪を犯してしまったんですから」
「それでもかまいません! シスターのためなら!」
もちろんフレデリカの本心はコンラートが邪魔なので消えてほしい、というところにある。
どう追い払おうかと頭を悩ませていると、教祖から通信が入った。
「はい、サラ様!?」
教祖はフレデリカの脳内に遠隔から指示を出した。
「そろそろ到着する。皇子以外に誰かいる場合は人払いしておけ」
「はい、わかりました。コンラートさん、教祖様が来ますのでお引き取りを。
今日はご苦労様でした。また今度会いましょうね」
なんか最近モチベが戻ってきた。次回作もすでに構想している。
なお、相変わらず人気はゼロに等しい模様。