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第四話


エドに続きラームたちは西地区でも最大の神殿へと足を運んだ。広場からほど近い神殿とあって、常にそこそこの客入りでにぎわいを見せている。

もちろんエドは錦の御旗があるので、もし何か問題が起きても父上にフォローしてもらえ、程度に考えて神殿前で馬を降りた。


「ラーム。我々の馬を管理しておいてくれ。話が終わったらすぐに戻る」


「はい」


ラームはエドに初めて頼られて、馬を見張っておくというしょうもない仕事でも満面の笑みで引き受けた。

皇帝は、隣国アザンクール王国の元王子であったラームを、その王国を帝国が支配したあかつきには国王にしてやると約束している。

むろん王とは名ばかりの操り人形だが、それでもよかった。ラームが王となるとき、皇帝はもう年だから帝国の支配者は早晩エドへと移り変わる。

その時のためラームがエドと仲良くしておくことはラームにとっても皇帝にとっても重要なことだった。

もちろん皇帝の娘であるはずのアデライドを含め、ほかのメンバーはこの事を知らない。


エドは中年オヤジのコンラートと若い医者のキミッヒを引き連れ、堂々と正面から神殿へ乗り込んだ。

神殿の参道には石碑が並んでいる。神殿に寄付をしてくれたお金持ちへの感謝のしるしとして寄付者の名前と寄付の日付が入った石碑を建てるのだが、これが金持ちにとっては名誉なことだ。

エドはこの石碑を眺め、あることに気が付いた。二年ほど前から急激に寄付金額が増えているのだ。

石碑の数も増大の一途をたどっている。しかも石碑を見るにその寄付はすべて”ニコ・マイアー”などという人物によるものであるようだ。

エドは胸騒ぎを覚えつつも神殿内部へと足を踏み入れた。むろんすぐに巫女の一人が血相を変え、エドの前へとすっとんできた。

巫女はみな、やけに胸の谷間や太ももを露出したエロい恰好をしている。

日本の巫女さんは全く露出しないものだが、古代ローマやギリシャの女神像などを思い浮かべてもらえれば、神殿の巫女の妙にセクシーな格好によく似ているだろうと筆者は期待する。



「困ります! どちら様かは存じませんが、ここは聖域でございます!」


多分新人であろう。十二、三歳くらいの若い巫女が応対してきて、エドはすぐにこう答えた。


「失礼。私はエドアルド・フォン・エルダーガルム。皇帝陛下の名を受けて参上しました」


「ええっ!?」


「巫女様。お尋ねしますが、こちらに絶世の美女はおられませんか? ぜひ私の妻にしたいのです」


「こ、困ります。いくら皇子様とはいえ巫女を俗世に引き戻すにはそれなりの手続きがいるのです、神様に許しを得る……」


「やはり居るのですね。何も今結婚させろと言ってるわけじゃありません。一目会うだけでも」


「はい、それなら……」


エドは表情こそ丁重そのものだったが、内心では巫女のこの反応にニヤリと笑っていた。

巫女は絶世の美女と聞き、即座に身近な特定の人物を思い浮かべていた。でなければ上のような態度はとらない。

つまり、他と比べても明らかに図抜けて美しい巫女がここにいるということで間違いない。

コンラートの証言は曖昧で情報量に欠けるものではあったが、副長とエドの分析力と少しばかりの幸運があれば存外役に立つものである。

巫女は男たちを引率し、神殿の奥へと案内した。神殿の構造はこうだ。


まず賽銭箱やおみくじ売り場、お守り売り場、日本でいうところの縁日のような屋台の並ぶ参道が百メートル近くに渡って続く。

その参道を突き進むと神殿内部で、一般の参拝客は中までは入ることができないが、エドは平気で突入した。

神殿内部はさほど広くはなく、入口の正面にいくつかの部屋がある程度で、二階も大体同じ構造だ。

神殿とはいえ、実質巫女と孤児たちの住宅だと言ってよく、一応女神像や神話を題材にした絵画などが展示されているが、申し訳程度でしかない。

この辺りは大抵の日本人が神社の奥の奥までは別に入ろうと思わないのと似ている。

日本人にとっては信仰に、さほど場所は重要ではないのだ。


荘厳な音楽やステンドグラスや絵画で来訪者を圧倒し、信仰を教会と強く結びつけるキリスト教やイスラム教のような宗教観は、この国にはない。

割と質素な神殿の中を五人で歩き、階段を上がって、先頭の巫女はある部屋を閉ざしている簡素な木製の扉を叩いてこう言った。


「シスター。シスターフレデリカ。お客様が見えています。いらっしゃいますか?」


「今出ます!」


シスターフレデリカ、と呼ばれた女性はすぐに部屋から出てきて、エドと目が合った。

初めて彼女を見たコンラートを除く男たちは、これまでハードルを上げに上げられてきたが、それでもそれを飛び越えてくるほどの美女である、と納得した。

エドはシスターを一目見てこう思った。


”シスターは今まで自分が見てきた現実の、あるいは絵画の美女たちの全てと似ている。

今思えば彼女らはそれぞれ大なり小なり美しい顔のパーツや、あるいは美しいパーツの組み合わせを持っていたのであろう。

だが、恐らくそれらは完全ではなかった。そしてシスターは、無限にある正解の中で完璧に最も近い模範解答なのだろう。

だから、美しさという一種の極限の点へと近づいていたあの美女たちの全てと、どこかしら似ていて当然なのだ。

自分には、彼女の外見を改善する案が見つからない。これ以上どうしようもないと思われる。

結婚を申し込みに来たと嘘をついたが、巫女の身であると知って彼女に求婚しにきた人間は私のほかにも居たかも知れないな”


エドは正直、フレデリカの美しさには度肝を抜かれた思いがしたが、彼は仕事人間である。

それに結婚も控えている身。コンラートのようにその美しさに酔いはしなかった。

少し好奇心を出してエドは部下たちを盗み見た。、キミッヒはコンラートと同じく雷にでも打たれたように微動だにせず、フレデリカを凝視している。

そしてエドが自分を見ていると気づける程度には我に返ったところで、彼はすぐに咳ばらいをし、床ばかり見てフレデリカに全く興味ない風を装いはじめた。


エドはこれを気にしないこととし、フレデリカにこう言った。


「私はエドアルド・フォン・エルダーガルム。この国の皇子をやっています。いや皇子は職業ではないな。

失敬、私は帝都の近衛兵団の第十三騎士団の団長をしております」


「は、はあ、それは……その……お会いできて光栄です」


フレデリカは気のない返事をした。エドは気にせず続ける。


「どこか……二人で食事でもどうかな。いくら巫女様でも食事くらいならよいでしょう?」


「はい、お誘い頂いて光栄です。私などでよければ」


意外なほど従順なフレデリカ。エドは、”恐らくこちらの狙いには気づいているが、逃れられぬと知って観念したのだろう”と考えて気をよくした。

やっと会えたと思ったらフレデリカはエドに持っていかれた、そんなコンラートの心境はいかばかりであろうか。


「者ども行くぞ。巫女様をお連れする」


「はい……」


キミッヒは汗をかき、かなり神経質そうにしながらうなずくと、同じく発狂しそうな様子のコンラートと共に神殿をあとにし、参道で馬を看ていたラームと合流した。

エドはラームに全ては説明せず、まずは自分の馬にシスターが乗るよう促した。

そして自分がその前に乗り、二人乗りする形になると、部下にこう命じた。


「ラーム、ご苦労だったな。私はシスターと少し出かける。副長たちと合流しておけ。

それからコンラート、貴様はまだ役目がある。待機だ。いいな?」


「は、はい……」


コンラートはギリギリのところで理性を保ち、うなずいた。

エドはすぐさま馬を駆って西地区の西門を出て、帝都の外にまで出てきてしまった。

帝都はベルンシュタインベルクという名だ。帝国語で”琥珀の城”を意味する。

その名は帝都をぐるりと囲む城壁の外に、琥珀色に染まる麦畑が一面に広がるところから名付けられた。


帝都の壁を一歩でも出るとそこら中が全て麦畑で、百万以上の人口を抱えるこの都市が多少孤立したとしても周辺の農地の収穫で十分に生きていけるようになっている。

時期は初夏。青々とした麦畑が見渡す限りの大平原に所狭しと広がる目に優しい光景だ。

西門を出てきてこの光景を目の当たりにしたシスターは言った。


「あの、食事に行くのでは?」


「シスター。馬を降りよう」


エドはこのままでは話をしづらいので二人で馬を降り、馬には自由にさせている間にエドが話を切り出した。


「シスター。私はエドアルド・フォン・エルダーガルム。この帝国の皇子である。

そう名乗ったことに嘘はない。が、結婚を申し込みに来たというのは嘘だ。食事に誘ったのも嘘だ」


「では、一体……」


「私も貴様に会うまでは半信半疑だったがな。会ってみて確信した。コンラートの言っていた女は貴様で間違いないな。

本人に確認をとるまでもない。七日ほど前、西地区の橋の下でいかがわしい集会を行ったと私は情報を得たのだ」


「いかがわしい集会? 御冗談を、私は巫女ですよ。夜な夜な橋の下なんかに行って宴を開いたと言うんですか?」


「夜だとは一言も言っていないが、まあよい。聞けフレデリカ。貴様を殺すのは簡単だ。

だがお前は教祖の役に立つために生きねばならない。違うか?」


と聞かれても表情を崩さないフレデリカ。エドは続ける。


「命だけは助けてやる。信者の情報を吐け。そしてこれからは心を入れ替えて神殿の巫女として帝国に仕えよ」


「そんな、私は既に巫女として帝国に仕えております! 帝国にこの身をささげています!」


「しらを切っても無駄だ。今部下たちが神殿を包囲している。家宅捜索も行わせているのでな。

お前の情報はすぐに出てくるだろう。それだけ美しいのだ。金持ちにお前を欲しがる者も多かろう。

参道を通ってきた私が気づいていないと思うのか? 二年ほど前から急激に寄付金が増えている」


「それは……皆さん熱心だからで……」


フレデリカのごまかし手札もいよいよ品切れてきたようで、声にも迷いがある。

嘘をついている証拠だ。エドは続ける。


「この世には究極の疑問があるのだ。なぜ、を辿っていくとそこへたどり着く。

わが帝国が、なぜ大陸の支配者足りえるのか貴様にわかるか?」


「な、何の話ですか」


「人口が多く、人口が多いゆえに経済や学問が発達しやすかったからだ。

人口が多いのはなぜか。それはひとえに、この周辺の土地が豊かであるからだ。何故この土地が豊かなのか。

土地が肥えていて、温暖で、水も豊富にあるからだ。ではなぜそれほどこの土地が恵まれているのか?

北方の山脈が雨を吸収し、山肌を雨が削って川となり、土地を潤しながら山の養分を下流へ届ける。

その養分が積もったのがこのあたりの土地だ。川のおかげで水も豊富だ。

気候が温暖なのは、太陽の光が丁度よく射す位置にこの土地そのものが位置しているからだ。わかるな?

私は気になることは分析して突き詰める質なのだ。それもとことんまで妥協なく、だ」


エドはさらに脅しを強める。


「私に目をつけられた以上、逃れることは出来ない。もうわかっているのだ、お前の悪事はな。

お前は金持ちを色気で誘惑し、多額の寄付をさせたうえ、その金はほとんど神殿に残らず、教祖に送っているな?

質素な神殿、増える寄付金。全員同じニコ・マイアー名義の寄付。

最初から疑ってかかっている私でなくてもおかしいと思うだろう。

寄付をした人物とその額はどこかにリストとして保管しているはずだ」


「それは……」


「それを辿れば教祖までたどり着ける。そうでなくても教団の資金源を押さえることが出来るだろうからな。

とはいえ、だ。私も鬼ではないし、父上から命じられたのはあくまで帝都を守ることである。

資金源を断てばこれ以上の増長もないであろう。リストを渡し、邪教の教えを捨てよ。

さすれば命は保証する。父上には私から言って助けてやろう」


「ありがとうございます。皇子さま。わたしは先ほどからあなたのお話を聞きっぱなしでしたし、私の話をしてもいいですか?」


「ん? ああ構わない」


「感謝します。私は十五歳です」


「……年下だったのか」


エドはてっきりフレデリカは成人かと思っていた。十五と言ったらまだ全てにおいて未完成の年頃。

教祖のために色仕掛けまで行って金を集め、貢いでいるこの女がまさかまだそんな年の少女だとは、エドは悲しかった。

判断力のある大人の女が教祖に心酔しているというのならエドはどうでもよかったが、十五だというのなら、心酔しているというよりマインドコントロールされている、に近い。


こんな女が孤児たちの面倒を見ている巫女であるという事実はエドの瞳を暗く濁らせた。


「十三年間はあのお方の、教祖様のもとで育ちました。親はいません。ですがもちろんあの方は私にとって実の親以上です。

あの方のために私は生きていますし、死ぬつもりです。邪教の教えを捨てろとおっしゃいましたね?」


「言ったな」


「別に教えなんて興味ありません。私が信じているのも大切なのもあの方だけです。

あの方も私に、教えを信じろとは言いませんでしたし。わかりますか、私の言いたいことが」


「まあ、大体はな」


「私の命はあのお方が前提なんです。私はあのお方の役に立てないのなら生きていなくていい。

あんな宴……出るんじゃなかったです。こうして見つかってしまったわけですから」


「まったくだな。何で出たのだ?」


「月に一度、満月の夜に神に踊りを捧げる決まりになっています。でもあの人たちは怪しげな薬を使い……欲望を発散して獣になりました。

でもあの快楽の宴の虜になった人が信者になるんです。あのコンラートという人も興味を持って輪に入っていたら、今頃どうなっていたことか」


「今こうなっていないのは確かであろうな……」


と言っていると、エドがフレデリカの肩越しに何かを凝視し、棒立ちになった。

彼の驚愕の表情に気が付いたフレデリカが後ろを振り返ると、西門から出てきたコンラートを彼女は認めた。


「おいコンラート。待機していろと言っていたはずだぞ、雇い主の命令に違反するな!」


エドが叫ぶと、コンラートは彼らから十メートルほど離れたところから叫び返した。


「シスター、私です。助けに来ました!」


「なんだと? 冗談もいい加減にしておけよ」


エドが言っている間に、フレデリカはエドのそばから駆け出し、コンラートの胸に飛び込んでいた。

コンラートは女にモテた事はないし、女を買うなどという贅沢も滅多にしない。

だが、どんな妓楼に行っても買えないような極上の美少女が彼の助けを求めて胸に頭をおしつけてきたのだ。

彼は永遠にこのまま立ち尽くし、一生を終えてもいいとさえ考えた。


「コンラートさん、助けて下さい! あの人が! あの人が私を脅すんです!」


「ええ、そう思って参上しました。私のうしろに隠れていて!」


などとコンラートは水を得た魚のように精一杯のキメ顔で言った。

エドは行動には慎重な方であるが、人間には損得以外での行動原理があるということを失念していた。

それ故、これで実にマズい状況へと自分を追い込んでしまったのだ。

相手は日々肉体労働で体を自然と鍛錬している中年の男。エドは十六、若い肉体は帝王教育の一環として厳しく鍛えられているが、エドは攻撃性というものに著しく欠ける。


飢えを知らない。足りないということを知らない。

奪うということを知らない。がむしゃらに必死になるということを知らない。温室育ちだ。

そして信義というのをとても大切に思っている男でもある。

それゆえ、コンラートが金をもらったのにここで裏切ってくる、などとは全く思いもよらなかった。

彼の飢えを、渇望を見抜けなかったのである。

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