第二話
皇子に率いられた死神騎士団の二人は終始無言であったが、西地区の貧民街へ差し掛かったところでラームが口を開いた。
「殿下。私はラームと申します」
馬をごくゆるやかな速度でエドの斜め後ろに歩かせながらラームが言った。
「知っている。どうした?」
「二人で話したいことが。キミッヒ卿。二手に分かれませんか」
「随分嫌われたものですね。まあ良いですけど。僕は言いつけ通り情報収集をしておきます。
話とやらが終わったら声をかけてくださると助かります。では失礼」
キミッヒは馬を歩かせ、住宅街の影の中に消えていった。彼は学者肌で色白、かつ細身。
血なまぐさい処刑人の部隊にはあまり似つかわしくないが、それもそのはず。
キミッヒ家だけはこの死神騎士団の中にワクを持っており、彼の父も先代の団員として所属経験がある。
何故かというとキミッヒ家は医術を修めることが義務付けられた特殊な家系なのだ。
処刑に医者が必要というのも奇妙な話だが、死亡を診断するのに医者が必要なのだ。
先代も先々代も、この死神騎士団を経験後、皇帝に取り立てられて高級役人になっている。
何を隠そう、先ほど謁見の間に居た役人は当代のキミッヒの兄であり、死神騎士団経験後、取り立てられた。
どうも汚れ仕事で、軍隊にいるのに戦場で功績も立てられない損な仕事なので皇帝も気を使ってあげているようだ。
そのおかげかキミッヒ家は貴族でない者としては帝国で最も成功している一族の一つでもある。
そのことに関する話題をラームはエドに対して話し始める。
「団長、いえ副長は大貴族出身。キミッヒさんは医者の家系。そして僕も帝国貴族ではありません」
「ではなんだと言うのだ?」
「そもそもラームというのも偽名です。僕はさる事情で外国から陛下に保護して頂いている身なのです。
言ってみれば殿下と陛下のためになら命も惜しみはしない立場ということです」
「父上に保護だと。外国の貴族か」
「はい。僕はあなたの役に立ちたい。事情は存じています。殿下は命を狙われる身の上。
初代皇帝陛下がもっとお口添えをしてくださればよいのですが」
「おじいさまは寝たきりだ。もう九十近いお年だからな。意見など……もう何年もお住まいから出てこられない。
私はそんなことを期待していてはいかんのだ。自分の力で周囲を変えねばならぬ。
父上が、低い身分から皇帝にまでなられたようにな。ラーム、卿のことは信用している。
国を追われたのならいずれ私が皇帝となった卿を王にしてやろう。それまでは一緒に仕事だ」
「殿下、ご自分の意見を表に出されたのはもしかして初めてでは?
殿下にその気がなかったらどうしようと思っていたところなのです、実をいうと!」
ラームは目を輝かせて叫んだ。
「行動なくば私に待っているのは死だけだ。お前たち死神騎士団によってのな」
ラームは事もなげにそう言うエドに対して憐れむことはなかったが、ただただ深い悲しみを抱いた。
隣国の王子であったラームは王族でなくなった今、その負の側面からは解放されている。
エドは、高い身分にもかかわらず高貴な血が一滴も流れていないと周囲からみなされている。
血を与えぬなら、身分も与えねばよいのに。身分を与えるなら、血も与えればよいのに。
ラームが今感じたことくらいエドもとっくの昔に考え、飲み下している。
エドはあくまで前向きに言った。
「私はこの国に必要な存在であると証明する。まず手始めにあれを始末するか」
「どれです?」
ラームはエドが指さす方を見てみた。ここは貧しいながらもそれなりに活気のある西地区の商店街。
野良犬が吠え、猫が小魚を加えて崩れたレンガの上をはねる。そして商店に並ぶ食料に集まる小虫とそれを狙う小鳥の群れ。
無秩序で野蛮な喧騒が、そして生命と死がそこに氾濫していた。
分けても、食べ物を出す小汚い屋台のそばでは元気に跳ね回る貧しい子供たちがぼろを着たまま万引きした食料をほおばり、一番背の高い男の子を中心に群れている。
彼ら貧民街の孤児たちですら不快そうな顔をして遠巻きに見つめているのがエドが指さすお店の前であった。
何かを売る屋台で数人のガラの悪い男たちが屋台の主人であろう夫婦に絡んでいる。
「見てわからねぇのかよ。俺たちゃあの死神騎士団だぜ!」
男が見せているのは胸に付けたドクロをモチーフとした安っぽい金色のブローチ。
しかしこれには屋台の夫婦は震えあがり、店の商品をタダで持っていくことを黙過した。
もちろんエドたちは、本当に持っていかれては困る。ただちに馬で彼らに追いつくと、警告なしに剣を抜いた。
「ラーム。仕事だ」
「は!」
ラームは剣を抜き、馬で男たちのそばを駆け抜けながら全員の首をはねた。
エドは血で汚れる前に商品を回収し、一足先に夫婦のもとへと駆けた。
夫婦は驚きと恐怖のあまりエドが騎馬で近づいてくると顔を伏せて地面に縮こまってしまった。
エドは気にせず馬上から二人を見下ろして言った。
「礼を言う。そなたらのお陰でよい案が浮かんだ。しかし気の毒な連中だ。よりにもよってこの私の前で悪事を働くとはな」
エドはこの店で売っている肉類が詰め込まれた、死んだ男たちの荷物を夫婦の目の前に捨てた。
「商品は返還する。一つ聞かせてもらおう。アルダシール教なるものを知っているか?」
これには夫の方が顔を上げて答えた。
「そのような名前かは存じませんが、この間、飲み屋で妙な客の話を聞きました」
「ほう。聞かせてもらおう」
エドは屋台の主人が首を痛めないように、上から見下ろすのはもうやめて馬から降りた。
平民に対してそのような気さくな態度をとるエドに驚きつつも、主人は続ける。
「帝都を縦断するエルベ川の橋の下に、洞穴を掘って集会所にしている怪しい連中がいると。
その話をしてくれたのは、うちの常連の男だったのですが」
「興味深い話だ。それで?」
「彼はこの間、そこで連中が何をしているのかを確かめに行ったんだそうです。
彼は宿なしなので橋の下はよく利用するらしく、連中の動向は死活問題になりかねなかったからです。
行ってみると気分をひどく害したのだとか。洞穴の奥には凄まじく美しい女性がいて、彼女の姿を焚き火の光が照らします。
その前では年齢のバラバラな男女がとっかえひっかえに乱交していたのだそうです」
「ふむ。乱交とな」
とここで、憲兵に連絡して首無し死体どもを掃除するよう命令を出してラームが戻ってきた。
「殿下、情報を聞き出せたのですか?」
エドは振り返りもせずに言った。
「ご苦労だったラーム。少し待て、いい所なのだ。乱交、乱倫と言えば邪教らしさ満点であるな。
主人、その話をしてくれた友人の名を教えてくれるか?」
「コンラートというその日暮らしの男です。だいたいいつも、食料の配給の列に並んでいます」
「配給のことは一応知っているが……月末だったかラーム?」
ラームはすでに馬を降りてエドのそばに立っていた。主人を見下ろすのは無礼だからである。
「ええ。月末というと二週後ですが、その日暮らしの男だというのなら日雇い仕事のあっせん所にいつでもいるでしょう。
さっきキミッヒさんと合流しました。三人で行きましょう」
「わかった。主人、情報に感謝する。行くぞ」
エドはラームとともにさっさと馬に乗って砂ぼこりと血痕で薄汚い商店街から消え、西地区でもエドたちが担当することになっていた南側を抜け、キミッヒと合流した。
帝国では食料配給所のごく近い場所に仕事のあっせん所がある。むろん、仕事が欲しい人たちが配給の列に並ぶからである。
その仕事をするためにも食べて元気をつけなければどうにもらないので、帝国では貧民への食糧支給は何があっても必ず予定通りに行われてきた。
帝国は貧民を救わない。だが殺しもしない。優しさはないが、踏み付けにもさせない。
皇帝の人となりが見て取れる。キミッヒは都心暮らしなので初めてくるのであろう下層市民の街を珍しそうに見まわしながらエドに聞いた。
「ラームくんと何を話してたのかは聞きませんが、一体どこへ向かうんですか団長?」
「これからコンラートという男を探しに行く。手掛かりはほとんどないが、日雇いの仕事をするその日暮らしだそうだ。
あっせん所へよく行く者たちならば、あっせん所だけでなく仕事でも一緒になることもあっただろう。
探すのは容易いはずだ。その男が邪教徒のことを知っているのだ」
「なるほど。初日としては大収穫ですね。副長らも同じくらい収穫があるといいのですが」
「そうだな。では仕事へ戻ろう」
「ハイ団長。しかし、何故陛下は急に邪教徒を追い出そうとなどなさったのでしょうね?
正直な話、我々も存在すらほとんど知らなかったわけじゃないですか?」
「うむ……正直言うとそうだな」
ここにラームが割って入った。
「違いますよお二人とも。これは近隣のアザンクール王国の話です。王国では王は神そのものでした。
ところが連中の考えでは神は唯一絶対で不可知のモノなので、王が神であることを認めず従わなかったんです。
もちろん我らが帝国内でもそうでしょう。陛下はアウステルリッツの丘に住まう神々の世界の住人である、と連中は認めないからです」
「なるほど。そんなの適当に調子を合わせていればいいのに、融通の利かない連中のようだねラーム君」
キミッヒの認識は、まあこんなものである。皇帝のそれとも大差あるまい。
しかし現実の歴史上にはこれと全く異なる認識を持っていたがためにその後の歴史に多大なる影響を与えた人物が存在する。
古代ローマ帝国のコンスタンティヌス大帝だ。
彼の若いころまではキリスト教がローマ帝国内で迫害されていた。
キリスト教では唯一絶対の神以外は認めず、神と同一視される皇帝にすらキリスト教徒は度々従わないことがあった。
だから歴代皇帝にはキリスト教徒を迫害するものがしばしば見られた。
今回のお話の舞台の帝国とその皇帝にそっくりである。
ところが大帝は全く正反対のことを考え、しかもそれを実行に移したのである。
唯一絶対の神の代理人という立場の聖職者を皇帝一族の味方につけることで、その代理人に自らの権力の正当性を支持させる。
そうすれば権力の正当性は、もはや理屈を超える。偉い聖職者さまが神に権力を授かったと保証しているのだから、誰も逆らえないのだ。
ゆえに権力の固定化、身分制度の固定化、社会の停滞を生む。それがコンスタンティヌス以降に始まった中世のヨーロッパという世界だ。
中世ヨーロッパはおおむねローマ帝国崩壊後、蛮族たちの王国の乱立によって開始するのだが、それ以降にはもう殆ど、古代ローマ時代のような下剋上が見られない。
豊臣秀吉などのように、低い身分から成りあがる人物が本当に極めて少なく、血筋ばかりがモノを言う世界が千年以上も続いた。
そのような世界を作ったコンスタンティヌス大帝自身はただの農民出身だというのだから皮肉なものである。
少し話が長くなったが、要するにずば抜けた政治センスをもち、思った通りの世界をヨーロッパに千年以上にわたって築くことができたコンスタンティヌス大帝の考えの方がおかしいのであって、むしろこういった権力に反抗的な宗教に対し迫害しようとするこの国の皇帝の方が自然な態度だ。
皇帝のことを残虐だとか臆病だとか、政治センスがないと責めるのは酷であると筆者は弁護しておく。
歴史の長い話はウケないだろうな、と思いつつもつい入れちゃう。