空席の仲
最寄り駅の改札前、三つある青いベンチに吉備野と鵜久森はその両端に座って、互いに沈黙を貫いたままでいた。
その一幕は、今日が初対面の高校生男女だとしたら然程も珍しくもない、一般的な光景かもしれない。
「……」
「……」
吉備野が自覚なしに作り出した空間。
そこに足を踏み入れた正体不明の術者。
そしてこの重苦な状況。
駅構内は都心部を少し外れた立地にある事を垣間見ればとても上等な内装だ。
四つの筐体が並ぶ窓口、水彩色の淡い壁面、駅員さんが応対する受付まであるから無論、普段なら無人駅ではない。
吉備野は利用した経験がないため知識がないが、二つの乗り場があり、平均して十五分に一本の片道電車が運行している。
つまりは一時間に四本、往復で八本の電車が行き交う。
他駅の恩恵とはいえ、幾分優秀な類だ。
しかし現在、切符を購入する列はおろか、駅員もおらず、電車も走ってはいない。
ただただいたたまれない時間が過ぎ去る。
「「あの……」」
吉備野と鵜久森はほぼ同時に、同じ言葉を発し、それに言いながらに気付いて、双方がベンチの一座席分の距離から見合わせている。
「なに?」
「鵜久森こそ」
お互いに意見を譲り合うのは不毛だと感じる。
下手をすれば命の危険だってあるこの状況では、些かそれが切迫していた。
「私のはくだらない推論だからそっちから話して」
「いやいや、推論ってこの空間のことに関してだろ? それなら――」
「いいから」
簡素に鵜久森が言うと、そのまま額を抑えて瞳を閉じて溜息を吐く。
吉備野が想定している以上に、鵜久森の疲労が蓄積している様子だった。
「じゃあ僭越ながら。ここって普段、中央町高校の生徒がよく利用している駅なんだけど、俺一度も利用したことなかったんだよ、地元なのにな。
だからみんなが定期券をスクールバッグや財布に入れて、あの改札を通過しているんだなって思うと、なんかこの辺の事を俺、詳しい自負はあったんだけどちょっと自信無くしたっていうか。
そういえば隣の駅の名称も知らないなって。
だからこんな空間に連れてこられ……いや俺のせいなのか……それはそれとして。そういうのを改めて知ることが出来たなって思った、はい」
「長いしくどいし含蓄がない」
「酷いな、いや事実だけどさ」
詰め合わせの言葉を一頻り話して、変わらず浮かない表情の鵜久森に吉備野は託す。
元々淀んだ雰囲気を少しでも澄ますことが目的だったので、鵜久森からの返事が来たことを考慮すれば、これはこれで及第点といえるだろう。
「次は鵜久森の番な」
「……少し話が長くなるかもだけどいい?」
吉備野は迷うことなく首肯する。
自分は良くて相手はしてはいけないという身勝手な理論を振りかざすつもりは心情的になかった。
「うん。寧ろ俺も長ったらしかったし」
「そうね、微塵の興味もない蛙が、大海を知らない話をね」
「うるさいな。もう二度と長々と語ったりしないから、そっちの推論? を頼む」
「はいはい」
吉備野をあしらうと、先ほどまで倦怠が漂っていた鵜久森は咳払いをして仕切り直し、背筋を伸ばして正面の改札を直視しながら話始める。
「さっき術者のことが気掛かりだと思うけど、その前に私が使っていた武具について。あれははっきり言って無意味なモノだったの」
「無意味?」
当惑して吉備野は訊き返す。
鵜久森はばつの悪い憂げな眦で、駅中にいない余所者を非難するように正面を睥睨する。
「そう。遊びで使ったって言ったでしょ? その程度のモノをわざわざこんな所で使用する必要は本来ならない。
だって範囲を調べたいだけなら私の術で網を張る、吉備野を置き去りにして奔走する、射程にもよるけどその方が幾分効率がいい。
なのに何故、私がそれをせず、あんな玩具紛いなモノを選択したと思う?」
「さ、さあ……。というか、その武具って何処にしまったんだ? あと、拳銃とかも――」
鵜久森は簡単に答える。
「――それを手のひらサイズに圧縮収納する道具が別にある」
「へー。未来の多次元のポケットみたいなもんか?」
「一応現代だけど、そんな所だね」
「ふーん」
吉備野はその現物がどんなものなのかと興味津々の視線を鵜久森に送っていたけど、相変わらず周囲を見ていない、少し息が整わない鵜久森には届かない。
「話を戻すよ。答えとしては、この空間の距離が不明なこともあるし、私の膂力をなるべく温存しておきたかったから。あれなら石ころに微弱な術を込めて武具で飛ばすだけでいいし。
……だからあんな、他人からすれば屑みたいな石ころを、術者が私達に気付かれる事を承知で破壊に至ったのか本当に分からない、定石をまるで踏んでいないしね」
鵜久森は気を休めるように大きく息を吐きながら、そのまま俯いている。
今後の展望を思案しているとも、疲労で虚勢を張る事が煩わしくなったとも受け取れる格好だ。
吉備野は大丈夫か訊ねようとしたけど辞める。
この短期間の付き合いでしかないが、あまり他人から心配される事を好まない性分の娘だと思ってしまったからだ。
その代替として吉備野が自ら、次の目標を先んじて宣言する。
「ということは鵜久森……と俺は、そいつを追えばいんだな?」
なるべく語勢を強めて、拳を作って雄弁に述べる。
だがそんな決意表明とは裏腹に、鵜久森はかぶりを振る。
「追わない」
「いや、なんでだよ。大体の居場所も分かってるのに?」
溜息を吐きながらやれやれと答える。
「理由は何個かあるけど、まずは単純におかしいし怪しい。普通に考えて、私たちがその術者に挑発されていると受け取るべきだと思う……そもそもこんなところにいる時点で不可解だし」
「……」
吉備野は静観している。
鵜久森が一息をついて、話の続きをする。
「他にはその術者が元凶だった場合――でもこれに関しては吉備野だから外していい。
あとは、その術者を追って戦闘になった場合。
いまの私には吉備野に配慮しつつ、術者をいなすことは正直難しい。温存もしておきたい。
そもそも相手の術者の力量が測れていない。
その状態で私たちから飛び込むのは無謀、愚策と言われても反論できない。
帰結、この空間世界に関わりの希薄な術者に接触するなんて時間の無駄。なんせその術者に頼らなくとも、ここにそれ以上の人材がいるでしょ?」
鵜久森は吉備野を流し見る。
張本人が一座席開けてそこに鎮座しているのだから、他の術者など不要だと、鵜久森は暗にそれを示していた。
お互いの苦笑が、駅構内を乾燥させるようにして反響する。
「それに多分、その術者をどうにかする当てならあるし、心配しなくても大丈夫だよ」
「当て?」
「私達に加勢してくれる戦力も居るってこと。吉備野ももう会ってるはずだけどね?」
「……鵜久森以外でって、そんなの居るか?」
「……」
鵜久森は無言を貫いていた。
やがてそれを誤魔化すようにブレザーの袖口を直しながら、本音を漏らす。
「今の私は身体的疲労を極力避けたいのが本音なんだよね。また少し長くなるけどいい?」
「おお、もう話せるだけ話してくれ」
「そう……? なら言うけど――」
鵜久森が身体ごと吉備野の方へと向けた。
そうして、一瞬躊躇うように俯いたがすぐに持ち直し、その結ばれた唇を開く。
「多分……いや、余程の不測の事態でも発生しない限り、私だけならこの空間世界から脱出することができるの」
「……はい?」
言葉の意味をよく咀嚼できずに、素っ頓狂な疑問符を浮かべた。
鵜久森は心中を察しつつ理論を展開する。
「その方法についてだけど、まずは吉備野の息の根を止めて――」
「――おいいきなり物騒だな。そんなことされると俺が鵜久森に対抗なんて出来ないんだからやめ……」
反射的に異を唱えている最中、いつの間に抜き取ったのか、鵜久森の左手には見慣れた拳銃が握られていて、それを慈しみを込めて愛でている。
他意はなく、傷汚れの確認をしているだけだ。
「……」
しかし人間とはどうしても、銃を意識すると萎縮してしまう生命体なんだと吉備野は痛感する。
そんなことなど構いもせず、鵜久森は噺を続ける。
「吉備野を殺したあとだけど――」
「だ、だから勝手に人を殺すなよ」
吃りながらも大多数が支持する倫理感を振りかざした。
図らずも小物感ある台詞になっているが、吉備野は気が付いていない。
「吉備野が死んじゃったと仮定、にしようか?
そうなったとしても、恐らくこの空間自体は崩壊することは絶対にない。
吉備野が起因だけど、吉備野自身が制御している訳ではないからね。
けれど、どんなに偉大で英才な術者であろうとも、その歪曲はどうしても生じる。
それが謂わば、脱出するための隙間と言えるの。
ましてや、術者が媒介して展開した空間世界なんてそれを晒しまくる状態だろうね、皮肉にも。
自動修正くらいするけど、より敏速に私が脱出するだけの術式を組むことくらい容易だから、それだけなら何も問題はないんだよね、本来なら」
「えと……」
吉備野を遮り、鵜久森は付け加える。
「これは謎の術者を追わない理由にもなるけど、恐らくはある程度の術者ならばこのやり方にも気付く。
そうしたら吉備野の身が脅かされることは必至」
「それって、俺の命が狙われるってことか?」
鵜久森は首肯したのち提案する。
吉備野は恐縮して、聴覚を研ぎ澄ます。
「そう。だから私としては、ここで吉備野を他人と邂逅させるわけにはいかない。だって――」
鵜久森は瞳孔を閉じて唸る。
やがて何を思ったか座席から離れて、駅構内のタイルを数回踏むと踵を返し、吉備野を見下げるようにして相対する。
「――私。ひいては私が所属している組織に団体の総意なんだけど、なるべく『吉備野 兆を生かしたままここから引っ張り出す』みたいな命令がある。だから死なれては困る」
「俺を生かさないといけないから、鵜久森がここから脱出できないって訳か?」
「端的に言えばね。でもなるべくだから、あくまで組織的には別段遵守する必要もないんだけど。だから状態及び状況によっては殺害もやむなしになるかもね」
「……」
不敵に吉備野へと嗜虐的に微笑んだあと鵜久森は、淡々とタイルを伝い、石段へと脚を運んでいた。
その石段の先は駅外の大通りに繋がる。
「お、おい鵜久森、どこに行くんだよ?」
「どこって、必要最低限の噺は済んだから、あとは私の推理が正しいかどうか直接確かめに行くんだけど? それとも、もう少し無駄話がしたかった?」
「……いや、俺からは何も」
「そう、それは少し残念」
後背で両手を組みながら道化のような顔つきの鵜久森を眺めつつ、吉備野も席から立ち上がり歩みを進めた。
「ついてくるんだ?」
「ああ」
「身の安全は保証しかねるかもよ?」
「だろうな」
そんなこと先刻承知だと、吉備野の凜然と簡素に応えた。冗談のつもりだった鵜久森も珍しく、感心による余韻の間隔が生じる。
「いややっぱ怖いけど」
「だろうね」
吉備野が冗談交じりの懇願をすると、少し微笑んだ鵜久森は一足先に石段を降りる。吉備野もそれに順ずる。
そして大通りに差し掛かる頃には、お互いが肩を比べ合うようにして、並列していた。