低空飛行
腹拵えのため、スーパーマーケットに入店した吉備野と鵜久森はそれぞれ、軽食を手に取る。
吉備野があんぱんと紙パック牛乳。
鵜久森が胡瓜二本とミネラルウォーター。
「張り込みが何か? キミが原因なのに?」
「好きなだけだ。そっちこそ河童が愛好してそうなチョイスだな」
両手に持っているお互いの軽食に、二人とも失笑して文句を言い合う。
そしてレジを通さず、お金を支払うこともなく、スーパーマーケットの外に出る。
「なんかすごい罪悪感あるんですけど……」
「誰もいないんだからしょうがないでしょ?」
ここ暫く吉備野は鵜久森しか見ていない。
「せめて財布から幾らか置いていったほうが……」
「嫌。私は無闇なお布施はしない主義だし。
そもそもこの店も、そこの銭湯も、道端の若い落ち葉も、キミが生み出したものなんだから、それにお金を払うつもりはないよ。
稼ぎはあっても支出計上が多いから、私がやってることって」
平日の夕刻、本来ならば晩食のための食材を探す地元客で繁盛している筈だ。
しかしここは吉備野が意図せず作り出した、中央町高校周辺を模倣した孤立空間だ。
時間的にはタイムセールを催していてもおかしくない頃合いだが、押し寄せる客はおろか、レジ打ちの店員すら誰一人いない。
食糧、加工品が陳列しているだけの無法地帯と化している。
「そもそもこれ食べられるのか?」
吉備野があんぱんと牛乳を掲げて、疑問を呈する。
「知らないよ。気になるなら今すぐ食べてみれば? 多分だけど大丈夫だと思うよ。この世界にこうして存在している訳だしね」
「そう……」
駐車場を抜けて、用水路沿いの歩行用の細道を鵜久森が吉備野より二歩先行して進む。
水生苔が蔓延り混濁した水流と共に映る二人を眺めながら、吉備野はあんぱんの入っている包装を破り、抵抗しながら一口齧る。
「っ! 鵜久森……さん? これちゃんとパンだ。餡の淑やかな甘味もある」
「それはよかった。私も安心して食べられるよ」
淡々とした口調で鵜久森は、吉備野の勇気ある行動を適宜に称揚する。
咀嚼するたびにパン生地と粒餡が相まって溶け込んでいる。食事には何も支障がない証明になるだろう。
「……図らずも毒味係になってしまった。まあ美味しいからいいけど」
「キミが作ったんだから、それくらいしてよ。
あと、さん付けは辞めて。敬称を付けて話しかけてくる人ってどうあっても他人行儀にしかならないから好きじゃないの」
「そう……かな? 俺的にはその方が格式が高まる気がするけどな」
「まあそれ以上に、私が同業からさん付けをされがちだから、キミぐらい呼び捨てられてもいいかなって思ったのもあるけどね」
「なんか当て付けのような理由だな」
吉備野の苦言をよそに、鵜久森がペットボトルのキャップを回しながら答える。エコロジーに配慮したボトルのせいか、凹み弾ける音が散発している。
「でもそっちだって俺のことをキミって言うだろ? あれも一応敬称に入るんじゃないか?」
「あれは蔑称。気に入らないなら苗字で呼ぶけど?」
「……俺は基本どう呼ばれても構わないけど、その理由は気に食わないから苗字で頼む」
「わかった。じゃあ吉備野……っていう蔑称を使うことにするよ」
冗談かどうか、判別のし難い抑揚で言ってのける。
「蔑称が嫌なんだよ」
「どうでもいいけど敬称と蔑称って紙一重だよね。例えば天才と馬鹿、みたいな関係性。鵜久森と吉備野」
「最後のはマジで余計だ」
吉備野が首を傾げながら、あんぱんの頭頂を千切って、そのまま口腔へと放る。
芥子の実のさりげない食感も健在だ。
そんなことを考えていると、鵜久森が立ち止まって、すぐに振り返る。
「そもそも私と同じ高校の同学年で組も一緒でしょ?」
「えっ? いや嘘だ。クラスメートの顔か名前、どちらかは流石にわかる。学校にあまりこない子の中にも鵜久森なんて名前はなかったし」
「正確には、これからそうなる予定なんだけどね」
鵜久森がそう言うと、再びその健脚が用水路をなぞって歩きだしていく。
「転校生ってことか。三年生のこの時期って珍しいな」
「そうだね、大変だよ」
他人事のように素っ気なく鵜久森は答える。
それと、胡瓜が折れた無骨な音が合わなくて、吉備野は苦笑し、それを紛らわすように牛乳を飲む。
「そういえば鵜久森……は、拳銃を単純所持していたり、超人的な身体能力をしてたり、ここが普通の場所じゃないって、俺よりも先に気付いていたり、一体何者なんだ?」
「私のこと? 私は主に、現代人の一般常識から逸脱している現象を察知して解決すること。
または、それを悪用する組織及び団体や一族の壊滅。簡単に説明するとこんなところかな?」
「なんかよくわからないけど、つまりは今の俺みたいな状況から救い出してくれるってことでいいのか?」
すると鵜久森はその名分を嘲笑う。
「そんな生易しい存在じゃないよ。私が所属する組織に不都合だと判断されたら、どんなに善人でも聖人でもこれで葬る。勿論それが吉備野、キミだとしてもね」
「……俺も」
鵜久森が取り出した拳銃を吉備野にちらつかせながら言う。それを見てさりげなく後退りしている。
「今の段階じゃ手荒なことはしないから。それに貴重な情報源で創造者を、みすみす失うのは好ましくない」
「ならいいけど……」
そうして、用水路沿いの細道を抜ける。
その頃には共に軽食を終えて、鵜久森がペットボトルを絞り纏めて、拳銃と共にポケットへ仕舞い両手が空く中、吉備野は袋と折り畳んだ紙パックを掴んだまま、どう始末したものかと悩んでいる。
そして最寄駅の大通りに出ると、鵜久森が思案に耽っている。
「どうした?」
「これは……ちょっとまずいかもしれない」
「それは、どういうことだよ?」
「際限がどこまでか、わからないの」
吉備野が眉間に皺を寄せて硬直していると鵜久森が補足説明をする。
「つまり。この世界がここら一帯の区域で限られているのか、都市なのか、地方なのか、列島なのか、地球なのか、はたまた太陽系か、それすら取り込む宇宙か、まるでわからない。
術の展開範囲がどこまでか調べて、そこから虱潰しで術者及び元凶を叩くのが非効率だけど常套手段だから、これは困る」
「元凶ならここにいるんじゃないのか?」
吉備野は自身を指差す。
度々文句を言われたせいか、その行動には迷いがない。
「だから面倒なの。張本人が眼の前にいるのに、この術式の基点じゃないし自覚もない。
でもその残滓は感受できるから無関係では決して無い。
寧ろ残滓からこの世界は発展している。私がわざわざこんな効率最悪なことをしているのはそんな想定外な事態のせい。ほんと猛省して欲しいくらいだよ」
「えっと、ごめん?」
疑問形で謝罪とも言えない謝罪をしながら、吉備野は少し頭の角度を下げる。
「謝られても何も解決しないからしないで」
「どっちなんだよ」
吉備野に呆れている様子の鵜久森は、それから暫く独り言を呟いている。
無知の吉備野が横槍を入れる隙などありはしなかった。
鵜久森の視界から外れない範囲内で仕方なく辺りを散策していると、加熱ゴミ用の箱を見つけ、そこにあんぱんの袋と折り畳んだ紙パックを入れる。
吉備野は電車ではなく徒歩通学なのであまり所縁はないのだが、遠方から中央町高校に通う生徒がこの大通りを利用しているのを幾度か目にしてきていた。
そういえば人生で一度も、電車を利用したことがないことに吉備野は気が付いた。
実家からもそれほど離れている訳じゃないのに、こんなに身近でも稀有なことがあるものだと感心する。
そうして吉備野は鵜久森の元へと戻ろうとすると、禍々しい発射装置のような武具を黙々と組み立てている鵜久森の涼しい表情がそこにあった。
「……」
「なに、やっているんだ?」
そのインチキ科学者の発明品みたいに異質で理解不能なそれを、未知との遭遇を果たしたように眺める。
「えっ? ああ、実は今から太陽まで石ころを吹っ飛ばそうかなってと思い立って——」
「——どうしたらそんな思考になるんだ、飛躍しすぎだろ……いや、そもそも石ころを太陽まで飛ばせるものなのか?」
吉備野は微細の期待を込めながら鵜久森に訊ねる。
武具を摩りながら、鵜久森はそれに戯けて答えた。
「流石に無理だね。この私の組める微弱な術式じゃあ限度があるから、せいぜい富士の樹海辺りじゃないかな」
「それでも十分凄いけど」
「でも本当に太陽まで飛ばした人はいるって聞いたよ。それが着弾して、観測者たちから太陽フレアの一つに誤解されてたって同業者が言ってたから」
「……やってること無茶苦茶だし、何がしたかったのかもわかんねえな」
そうこうしているうちに、鵜久森は準備を着々と進めていく。念の為に吉備野はその背後で行く末を見守る。
「そういえばこれは何の為にやっているんだ?」
「さっき説明した吉備野の展開範囲の確認。取り敢えず地方の境目かどうかまでは調べられる筈だから。
正直あんまり必要性はないし、私もこれ三回目とかで、期待しないでくれると助かる。
因みに他の二回は模擬戦という名の遊びと、訓練という名の遊び」
「……両方遊びなのはともかく、石ころの行方はわかるのか?」
「そこに私の術を施しているから大丈夫。範囲内だとそのまま何事もなく到達して、範囲外だと途中で消失することが伝わるようになってるから」
鵜久森は座標の調整をしている。
やがて、一息吐いてから発射するための引き金を引こうとする。
「いくよ? 念のためそこから動かないでね」
「お、おう」
大通りの真ん中で、奇天烈な武具を真剣な眼差しで囲むその異様な光景は、この世界にはある意味適していたのかもしれない。
鵜久森が武具の引き金を引く。
そうして勢いよく放射された石ころは低弾道で、瞬く間に視界から消えてゆく。
吉備野からの視点だと、最早何が起こったのかどうかも不明な程に、それは比喩的に音速の速さで飛び去って行った。
「もう打ったのか?」
「……っ!」
「鵜久森?」
鵜久森の様子が明らかにその異変を伝えていた。
堪らず吉備野が訊ねる。
「どうした何があった?」
「……」
鵜久森はすぐに答えない。
吉備野をそっちのけで、事態を整理しているようだった。そして苦し紛れに閉ざされた口を開く。
「この事象の中に……いやまさかそんな……」
「えっ?」
吉備野は訳もわからず疑問符を浮かべる。
鵜久森のその思考回路は混線していて、辛うじて吉備野が近辺に居る事だけは把握することが出来た。
「吉備野、落ち着いて聴いて」
「あ、ああ」
吉備野はその言葉を素直に受け入れて、張り詰めるように背筋を伸ばす。
とにかく鵜久森は吉備野にも、その事情を理解させるため簡潔にその異常事態を述べる。
「この世界に私達以外の術者が存在している」
「……え、いや、この世界って誰も居ないんじゃ?」
「そのはずだったんだけど誰か居る。いまさっき突然、術式の干渉を受けて破壊されたから人為的なのは間違いない。
ここに平然と生きていられるってことは、術者と見てまず間違い無いだろうね」
「……」
吉備野は鵜久森のそんな台詞に思わず、息を呑む。
緊迫が鬩ぎ合い、そうして鵜久森は最悪の筋書きすらも想定していた。