初代の想像
徒然なるただ雄大な縁豊かの庭園に、吉備野は無情にもうつ伏せていた。土草の匂いが漂っている。
「……ん」
吉備野は混濁としたまま、生きていることを実感する。そして段々と、自身の名前や出身地などを思い出せるくらいまで意識が回復してくる。
「……うっ」
煩わしく双眸を開くとそこは、吉備野が住まう家では到底なかった。
奥行きと由緒が随所に感じられる古家が映されていて、まるでタイムスリップでもしたのかと錯覚するくらいにそこは、現代とは余りにもかけ離れている。
「あれ……確か俺は家に帰ったはずだよな?」
「まだ呆けているのか」
どこからか声が聴こえた。
「……っ!」
「そのままで良いから聴け。何も危害を加えるつもりは毛頭ない。そう急かさず気を沈めよ」
その安穏な口調とは裏腹に、吉備野の頭上から強烈な威圧が放たれている。しかし何故か姿形がない。
「……」
吉備野はすぐに立ち上がり厳戒態勢を敷こうと試みた。けれど身体中の神経がその指令を棄却して、動じることを許可しない。
例えるなら操り人形のようだ。
そうして声の主を謁見することすら叶わぬまま、茫然と古屋を見つめるしかない。
障子が破れているのがやけに気になる。
「まずは状況の説明からだな」
声の主は一呼吸置き、内容を精査している。
因みに吉備野は相変わらずだ。
「ここは吉備野家の発祥地を忠実に再現した心象世界だ。……お前が分かりにくければ、睡眠時の夢とでも解釈すれば問題はないだろう」
「夢……」
吉備野は夢だという実感がまるで湧かないでいたが、自身の心象ではないことだけは、今世では現存すらしていないであろう千年以上前の古家を眺めるだけで理解する。
同時にここが、吉備野家の先祖縁の場所であると吉備野は推測した。そうなると自ずと、その人物の心当たりが生まれる。
「用件はなんだ? というかその前に、誰なのか教えては貰えないのか?」
吉備野は敢えて知らないふりをする。
出来れば当人から名乗りでて欲しかったからだ。
その方が格好が付く。
「……なかなかどうして、お前を含めどの子孫たちも口の利き方がなっていないのか甚だ疑問だな」
「せめて俺に身動きだけでも自由にしてくれよ。その後に文句を言って欲しいんだけどな」
「はあ……もとよりそのつもりだ、焦るでない」
向かい風が頭頂部を掠う。
刹那。木枯らしに巻き込まれたかように、吉備野の身体を回転させながら持ち上がる。
それで先程までの硬直を解いたのかと勘違いする間もなく、万有引力の概念など度外視で空中浮遊した。
大体上空百メートルの高さから、吉備野は流星のように地面へと向かう。
「うああぁぁっ!」
そうして吉備野は一頻りの嗚咽を洩らしながら地面に爆進していくと、おおよそ人類が生存する事が不可能な加速度で落下していった。
だが地上と衝突する寸前、それを悲鳴を漸く理解したかのように停止する。
その後は。両脚から身の安全を保証するみたいに、徐々に着地して、吉備野は事無きを得て生還する。
当然ながら理解が及んではいない。
「……」
暫し放心状態だった吉備野は本能で身体の自由を確認しつつ我を取り戻し、どこに居るかも分からない元凶に対して虚空に悪態をつく。少なからず苛立ちもあったのかもしれない。
「……おい、どういうつもりだこれは?」
「お前らの世代では、高度から振り落として阿鼻叫喚させる奇天烈な遊戯が隆盛しているらしいからな。その再現だ」
気付けば吉備野は振り返る。
発声源から察知したかもしれないし、ただの偶然かもしれない。いずれにせよ吉備野は、半ば確信した上でそうしていた。
でもその直感は、この時ばかりは冴えている。
「……あっ」
「――何を開口だけしておるのだ。お初にお目にかかる、とでも申しておけば心証が良い物だろうに」
そこに存在しているのは、烏帽子を晴天に向け、黒袴の狩衣姿をして、白色の化粧を施した端麗な青年だった。
若年とは思わしくないほど、悠然と優雅に屹立しながら、先程の威圧などなかったかのように吉備野のことを歓迎すると、ゆとりある微笑みを向けている。
「こうして対面するのは初めてだな、なあ、吉備野 兆」
「……名乗った覚えは無いはずだけど?」
返答内容には大雑把な予想はついていたが、遠巻きに質問を仕返した。そして赤子扱いをされないように吉備野は、意図的に語勢を強くしながら対峙する。
「一方的にではあるが、お前の事なら……いや、お前の家族もだな。誰よりも知っているつもりだ」
愛孫達にあんよ上手と言わんばかりの潤んだ虹彩で、吉備野家代々の世継ぎ、それぞれの成長過程を回顧する。
そんなことは露知らない吉備野は、古家の破れた障子を注視した後に、庭隅で虚しく聳えている一本松を流し見ながら無遠慮に訊ねる。
「ここは、あんたの心象で間違い無いな?」
「ああそうだ。平凡な土地なのだが、個人的には気に入っておるんだ」
「……へー」
故事来歴の真意を好む歴史学者なら垂涎物の風景だが、それを愛でる精神的余裕は皆無だ。
吉備野は詰問を継続する。
今度は前振りではなく、核心に迫るものだった。