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吉備野  作者: SHOW。
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絡繰り間抜け

 湯船の湿度(しつど)が室内を充満させていて、自然と汗腺(かんせん)(うなが)される。


 木造平屋建ての玄関口の暖簾(のれん)(くぐ)ると、小銭のやり取りをする受付がある。


 その後ろに藍色と紅色で、性別を(へだ)てる新たな暖簾がそれぞれで掲げられている。


 鵜久森(うぐもり)が証拠品を手渡すために向かった場所は地元の銭湯だった。


 灯りはない。吉備野が見渡す限り、従業員(じゅうぎょういん)は誰もいない。


 なのに吉備野と鵜久森が何気なく入れてしまう。

 古き良きといえば聞こえはいいけど、ただただ無用心だ。


「戦闘のあとに銭湯とか面白い……のか?」

「……なに言ってるの。そんなことより早くおいでよ、置いてくよ」


 鵜久森が先を歩いて行く。


「そういえばポチがいないけど」

「先に帰って眠るって。犬って人間よりも、その時間が必要だからね」


 質疑に応じながら鵜久森は、打ち付けた蝶番(ちょうつがい)が作用して開閉する受付の戸口を平然と乗り越え、あまつさえ会計機を(まさぐ)っている。


 側から見ればただの窃盗犯だ。


「おい鵜久森――」

「――よし、セット完了」

「……なんの?」

「まあ見ててよ」


 感慨もないままそっぽを向く鵜久森は、ピアノ演奏の主旋律を叩くように、最後の一打を弾く。


 たちまち吉備野視点の角度からだと、鵜久森が受付台の下へと隠れていくように見える。


 鵜久森の身長を縮んだのか、それともふざけているのか、吉備野は戸惑いながら近付きそこを覗く。


「……なんだこれ? エスカレーター?」

「なに茫然としてるの? 今すぐ飛び降りた方が痛くないよ」


 どういう原理か吉備野には皆目見当もつかないが、受付の人が屹立(きつりつ)していたり、脚立に座って金銭を受け取る閉鎖的な四隅(よすみ)が、そのまま抜け落ちるように降下する。


 まるでカラクリ屋敷の仕掛けにありそうなそれに、鵜久森は所感なく乗り降りている。


「付いてきなよ……吉備野、もしかして怖いの?」

「いや……」

「それなら手持ちの物だけ投げ落としてくれたら、私が全部やっとくけど――」

「――分かったよ、飛び、降りる」


 僅かながらの恐怖心に虚勢を張る。


 吉備野は受付台に助走をつけて駆け上り、先程の威勢を残したまま、鵜久森の隣へと飛び込んでいた。


 正確には鵜久森が華麗に回避して隣に落ちたと言うべきかもしれない。


「いっだっ!」

「……格好つかないね」


 足元で着地する予定が、質量の関係でバランスを崩し、背中から崩れ倒れた。

 幸いにもその元凶が緩衝材(かんしょうざい)になり、吉備野が負傷することはなかったが心は傷んだ。


「その中身に貴重な品もあるかもしれないから気を付けてよ」

「俺じゃなくてそっちの心配かよ」

「まあね。あの落ち方なら吉備野は大丈夫だなって思ってたから、全く心配しなかった」

「え……ああ、そう」


 吉備野はさりげなく頬を()く。

 それから別段話すこともなく、降下し終わるまで吉備野と鵜久森の間にひたすら沈黙の時間が続いた。


 ()えて震動させながら着陸する。

 これは飛行機と同じ原理だ。


 その瞬間、(あらかじ)め仕組まれたかのように、その暗部に無数の白光が差し込んでいる。


 再びバランスを崩していた吉備野は四つん這いのまま、目の前に広がる巌窟(がんくつ)の中心にある人工的な鉄扉(てっさく)凝視(ぎょうし)する。


 同時にあそこが鵜久森が向かっていた本元(ほんもと)、その拠点の入り口だと瞬時に理解する。


 先程までの湿気が影を潜めて、地下のくぐもった冷感に耐性が付与する以前の身体を逆撫(さかなで)している。


 黙々と鉄扉へと歩む鵜久森。

 未知に対する緊張を吐息に捧げながら、ゆっくりと立ち上がる吉備野。

 まだ直接相対して一日も経っていないのに、既に見慣れている背中をまた追う。


 目が眩むような白光が照らす一本道。

 吉備野の先を行く鵜久森が、既に鉄扉を開けて凜然(りんぜん)と踏み入れている。


 吉備野は感情が束縛(そくばく)されつつも、その前進を止まず、(なか)ばその場の勢いで突き抜けようとしていた。


「ぐふあたいっ!」


 吉備野は開扉(かいひ)しているはずの鉄扉の空きに何故か激突して、海老反(えびぞ)るように屈服する。


「いっっっ!」


 何も無い場所で転倒した経験はあったが、何も無い個所に頭突きをしたことは初めてだった。


 仰向けになる。またもスクールバッグに救われて、後頭部を地面へぶつけずには済んでいた。


 そんな吉備野を、ブレザーのポケットに両手を突っ込みながら、かったるしく眺める鵜久森が抑揚も無く、今更な情報を話す。


「あ、忘れてた。ここの扉、一定の術を発動しておかないと入れない仕組みなんだ。

 みんな当たり前のように出入りするから完全に失念してた」

「……そんな大事なこと忘れないでくれ」


 吉備野は額を押さながら恨み節を言う。

 同時に、今日は頭付近に問題が生じてばかりだとも思っていた。


「そうだよね。そのために吉備野が術を使えるように工面した部分もあるのにね」

「鵜久森。俺、どうしたらいいんだ?」


 吉備野が身体を起こすと、胡座(あぐら)を組んで気休めながら訊ねる。

 自身の実力不足は重々承知しているから、鵜久森に頼る他ない。


「うん……今の吉備野なら、本領を発揮出来れば問題ないんだけど、そう都合良くはいかないから私が助力するしかないかな?」


 鵜久森は溜息を吐いてポケットから左手を出すと、吉備野が瞬きをする間に、その左手に拳銃を所持している。


 その拳銃は戦闘時に使用している二丁の回転式拳銃とは異なり、九十二型の自動拳銃を吉備野に目掛けて構えている。


「ちょっ、なんで俺に向けたんだ!」

「大丈夫……だと思うけど、死ぬ気の覚悟でもしといてね」


 軽口を叩きながら鵜久森は容赦なく吉備野に一発を見舞う。

 その薬莢(やっきょう)が吉備野の左眼を貫通する。


 吉備野は射撃による出血多量死を予感する。

 だがそれとは裏腹に、五体の蓄積疲労が改善されて、許容不能なほど有り余る生命力に泥酔(でいすい)してしまいそうになる。


 無論未成年だからお酒を飲んでいる訳じゃないし経験も無いが、もしかしたらこんな気分じゃないかと錯覚して、そう表現する。


「どう? これは術者の能力をかさ増しするだけの支援型の弾なんだけど?」

「いや、おかしくなってるとしか――」


 鵜久森が苦笑しながら狼狽える吉備野を手招きする。

 暗に、もう大丈夫だからと言われているような気がする。吉備野の内心は、なんだかこそばゆい。


「――でもそうすれば、吉備野が何もしていなくても術を発動したと見做(みな)されるから、難なくこっちに来れる筈だよ」

「ああ――」


 (そそのか)された吉備野は素直に従う。

 右手を差し出して、透けた隔壁(かくへき)は存在していないかどうか、周到(しゅうとう)に確かめつつ(くぐ)り抜けていく。


「おお、通れた」

「良かったね、じゃあ行こうか」


 達成感に満ち溢れた吉備野を(ないがし)ろにして、人知れず九十二型の自動拳銃を仕舞うと、左手首を回しながら指をうねらせ、施設の最奥(さいおく)へと直線通路を徐行(じょこう)している。


 拳を上げたままそこに取り残された吉備野は粛々(しゅくしゅく)とそれを下ろして、銃撃された左眼の目蓋を(さす)る。


 そして平常だと知覚してから鵜久森に倣おうとする。

 しかしそれからすぐ後、謎の声が鼓膜を刺激した。


『随分と遅かったな。そこの冴えない男児との色恋にうつつでも抜かしとったのか?』

「……」


 若年さが伺える高音域のハスキーな声色がこだまする。


 通信機器を使用していて、その内容から吉備野ではなく鵜久森に対して喋り掛けている。


 当人の鵜久森はその声の主の雑談に辟易しながらも受け答える。


「そちらから話し掛けて来るなんて珍しいですね? いつもはチャットにすら応じないのに」

(えき)のない会話をしない主義だからな』

「私の恋愛の話なんて、それこそ益のない出来事の筆頭な気がしますけどね。

 そんなことより。これからそちらへと伺い、お渡ししたい物があるのですが、久々にお会いして宜しいですね?」


 鵜久森は含みのある言い方をする。

 どう答えようとも、既に決定事項だと示唆しているような気が、吉備野にはしていた。


『お前何をほくそ笑んどるんだ。監視映像から丸分かりだからな』

「すみません。まさか鑑定も請け負っている術者が一室を私的占有して、三ヶ月も顔を見せず引き篭もっているとは思わないじゃないですか。

 ねえ、綾瀬(あやせ)先生?」

『おい。さりげなく個人情報を開示するな!』


 鵜久森が綾瀬先生と呼んだ人物が、通信機越しに怒号を浴びせご立腹だ。秘密主義も掲げていたようだ。


 吉備野は唐突なことで尻込みしていたが、鵜久森は意に介さずに飄々(ひょうひょう)と話を進行させていく。


(ちな)みにちゃんと本業の錬金術は行っているんですよね?」

『黙秘する。そんな奴に聴かれたら百害あって一概ない、漏洩(ろうえい)される価値もないわっ』


 どうにも沸点が低い人物のようだと吉備野は思う。

 しかし、綾瀬がそんな奴と指すのは鵜久森ではなさそうだとも眉を(ひそ)める。


「そうですか。じゃあ鑑定のついでに、吉備野と会話をする機会も設けましょうか? きっと綾瀬先生にも気に入って貰えると思いますよ?」

『誰が会うか! 鑑定したい物を転送装置に乗っけたらすぐ帰れ』

「お断りします」


 そのように告げた鵜久森は踵を返すと、不可解に微笑む。良からぬことを企んでいるときの表情だ。


「どうした鵜久森――」


 それはほんの一秒も経過しないうちに、鵜久森は吉備野を引き連れて直線通路を突っ切り、最奥の一室に向けて暴虐の限りを尽くすように蹴り破った。


「――うおおぉ!」


 息つく暇もないとはこの事だろう。

 塵芥(ちりあくた)と化した扉の砂埃(すなぼこり)がたつ。


 それが開いた口や鼻から入り込み()せる。


「えっほっ!」


 咳き込みながら吉備野は、自身に起きた展開を咀嚼(そしゃく)出来ないまま、その一室の中にある、二十個ほど積まれたゴミ袋をまじまじと眺める。


「なんだ、これ?」


 脚元には、其処彼処(そこかしこ)(あふ)れたスナック菓子の袋や空のペットボトルが乱雑(らんざつ)に散らかって、生理的に受け入れることがギリギリ可能な異臭を放っている。


「こんにちは……いえ、久しぶりといった方がいいですね、綾瀬先生」


 何食わぬ顔で鵜久森が挨拶をしている。


 そんな汚部屋に住居中の、上下灰色のスウェットを(まと)、生きた海藻(かいそう)のようにうねる長髪から枝毛(えだげ)が無数に分裂していて、清潔感に(いちじる)しく欠如(けつじょ)する女性、綾瀬が鵜久森に対し目を三角にして忌々(いまいま)しく舌を打つ。


 とてつもない癇癪(かんしゃく)持ちだ。


「帰れと言っただろうが!」


 その一声で吉備野は、通信機器の声主と同一人物だと結び付けた。ノイズがないせいか少し綺麗に聴こえる。


「これでもくらっとけ!」


 綾瀬は手短にある空のペットボトルを投げる。

 無論、鵜久森に命中するはずもなく虚空(こくう)を舞った。


「いきなり投げつけてくるなんて感心しませんね」

「いきなり扉を破壊したお前に言われたくないわ!」


 吉備野は傍聴(ぼうちょう)しながら、それは同感だと胸の内で首肯する。


 その罪状に優劣を付けるなら鵜久森の方が遥かに大罪だ。ただ、鵜久森の自力を前にして制裁を加えるような執行人(しっこうにん)はこの場にいないから、結局野放しになるだろうと吉備野は嘆息を吐く。


 そうこうしているうちに鵜久森が恣意(しい)的この場を掻き乱し、主導権を掌握(しょうあく)している。


「いえ今回は物品も勿論(もちろん)なんですけど、この吉備野の身体も調べて欲しいと思いまして――」

「――は、はあー?」


 吉備野は呆気に取られながら後退する。

 鵜久森の発言を要約すると、吉備野そのものがあの空間の証拠品に分類されていることを案じていた。


 そんなことなど知る由もない綾瀬が、またも鵜久森に激怒して、(まく)し立てながら乱暴な口調で言い放つ。


「この人間(もど)きが。こちとら安寧(あんねい)な日々を(ほっ)しとるんだ。

 それがこんな……関わりあうだけでも(ろく)なもんじゃないわ」

「まあまあ、そう言わずにお願いします」

「……っ」


 鵜久森が適当な懇願(こんがん)すると、綾瀬は威圧的な雰囲気を感受する。

 そして徐に腕を組み、再び舌打つ。

 それは苛立ちからではなく諦念(ていねん)によるものだった。


 もう何を言っても、鵜久森の(てのひら)の上だと匙を投げた。


「……とにかくその破壊した扉を修理しろ。話はそれからだ、外気は不愉快だからな」

「ありがとうございます」

「勘違いするな。その方が益はないが、後で余計な不利益を被らないための合理的な判断だ」


 綾瀬はその流れで吉備野を一瞥(いちべつ)する。


 吉備野が会釈する。しかし綾瀬は鼻息を吐いて、枝毛まみれの長髪を無造作に()(むし)り、それを無視する。


「あだっ!」


 その天罰が下ったのか、スナック菓子の袋を踏み付けて盛大にすっ転んでいた。

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