痺れを切らす寛ぎ
完奈備 桃十郎も錬金術の精巧さには舌を巻いていたものの、それはあくまで千年前の黄銅を現代で再現した能力と込められた呪力の奥ゆかしさに惹かれているだけで、利用価値は無いと値踏みした。ただ彼にとっては用無しでも世界の何処かで貴重と評価する者もいるだろうからと押し黙る。
暫しの静寂。
吉備野はこれからどうするべきなのかと鵜久森を横目で見る。鵜久森は何もせずとも大丈夫だと微笑むが、それが少々演技染みてぎこちないせいで、逆に無言の重責が解れていく。
「なあ、鵜久森?」
「はい、なんでしょう?」
讃州山当主が鵜久森に質疑を申し出る。
ある程度予想通りだと所感しながら向き直る。
「この中にある呪力は備野や宇佐の物では無いと、考えて良いのか?」
「はい、複製品とはいえ錬金術。呪力の再現まで熟せない訳でないですが、千年前に纏わる相当な予備含蓄が無いと難しいでしょう」
「ならここにある呪力は……此処に居る吉備野と鵜久森による物という認識で良いね?」
そう訊かれた途端、鵜久森は讃州山当主の思考を賞賛するように淡々と返答する。真贋を的確に見極めたことを僅かに嬉しく思いながら。
「鋭いですね。普通なら吉備野の呪力だけとお考えになると思ったのですがその通りです。呪力を織り混ぜるなんて思考にはなかなか至れませんから、とても柔軟な見解をお持ちですね」
「はぁー……いや、最初は備野の残滓かと思ったが純度が低過ぎる気がしてね。となると必然的に吉備野、君の呪力になるんだが。これが執着した讃州山家の直感かな? 宇佐の気配があった。でも吉備野と宇佐では宇佐が吉備野の呪力に合わせる必要がある、でも双方の時代的にもそれは不可能だ。となると残る代替は鵜久森しかいない。鵜久森が吉備野の呪力を制御しつつ適合させたと、推測した訳だね」
見事な卓見だと、鵜久森は内心で拍手を送る。
付け加えるとどうして鵜久森の呪力を混ぜているかという理由は、吉備野だけだと抽出する際に暴発しかねない未成熟な呪力である為に、内包させ安定して取り込む必要があったから。そしてもう一つは讃州山家の術式は宇佐の模倣に起因していて、讃州山当主の本領を発揮する為の互換性もあるからだ。
「用途は……分かりますよね?」
「ははっ、見縊るなよ鵜久森。この複製品を手渡した理由は、讃州山家の秘術を一時的に行使出来る権利の譲渡。つまり衰えた呪力を補う為の拘束具だ」
「はい。此処ぞという好機にお使い下さい」
すると鵜久森を見据えた後に感嘆を上げながら、讃州山当主は交渉内容を回顧する。
「……なるほどな。結局、讃州山家が欲しがっていた備野と宇佐の呪力の後継品が手に入った。そして配下の者達も最小限の死者に留まれたし、処刑されることも無く、讃州山家が途絶る事もなくなる……か。
若干鵜久森の掌の上で転がされた気もするが、組織から離叛した不利益が殆ど無し……全くやってくれたね。戦闘面もそうだし、鵜久森達も完奈備家も讃州山家も手を組む利潤の方が大きく、組織との明確な敵対関係にも吉備野が生存している限りならない」
この交戦で失ったものもまた一入だ。
けれどそれぞれに純益も齎していた。
凛々と鵜久森は、分かり切った事を訊ねる。
「何か御不満はありますかね?」
「さてね。鵜久森達が帰った後でゆっくりと考えてみるよ。何十日掛かるか分かったもんじゃ無いけどね」
そう言いながら讃州山当主は吉備野が綾瀬に持たされていた複製品の指環を、自身の術式や呪力が干渉しないよう丁重に受け取る。そして既に失敗作の証である凸型の窪みが押し込まれているのを発見し、讃州山当主の初代の記憶が微笑む。
吉備野と備野もとい吉備野 擬が、宇佐による遊び心に二人とも引っかかっていると判明したからだ。
それこそが宇佐の霊格を受け入れる謂わば引き金。
吉備野の場合は知らず知らずに鵜久森を迎えた。
些細な機微には勘付くのに、呪力の事となると鈍感な二人だからこその小さな術式。
「……吉備野?」
「な、なんだ?」
鵜久森が吉備野に下らない話を始めた。
結界のように張り詰めた雰囲気が決壊する。
「ずっと正座してるけど足、痺れてない?」
「うん……いや多分、すぐには歩けないくらいになってるかも?」
「だよね、じゃあそろそろ帰ろうか?」
「ええっ――」
颯爽と正座を崩して起立する鵜久森。吉備野も追随しようとするが、苦渋な表情をしてすぐ自制が働いたらしく、鈍い所作で両足を楽に逃していた。
「――おい、話し合いは?」
「もうとっくに終わってたよ? 私の考えに対して双方の好感触を得られるだけで良いからね――」
遠回しに指環の話はただの返礼だと言っている。
讃州山家から賛同を得られと完奈備家が拒否しない時点で、既に戦争を継続させる理由もなく、この交渉は終了している。
「――……吉備野、疲れたでしょ?」
「……ああ、そりゃあ勿論」
「うん……頑張ってくれたね」
「……別に」
飄々とした口調に平穏が重なり、吉備野の鼓膜に触れる。
痺れた身体が淡い照れを隠してしまう。