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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

謀略の桶狭間 

作者: 大和

  永禄三年(1560年) 五月 駿府・今川氏の館


 「今川様におかれましては、呉々も油断ならさぬよう御伝えに参った次第。」


 男は、そう告げる。


 「其方(そち)に言われずまでも無い!」


 駿河・遠江国を領する今川家当主・今川義元が怒りを(あわら)にした。


 当たり前であろう、自分より下のまして他国の家臣に諌められるなど、素直に聞き入れるはずが無い。


 この頃今川義元は、北を甲斐の武田晴信、東を相模の北条氏康と甲相駿同盟の三国同盟を結んで自国の周囲を固め、(かね)てよりの名目、京に上洛を果たそうとしていた。


 上洛果たす為には、西に進軍、三河国・尾張国を通らねばならない。


 自国の東と北を三国同盟により保持し、西三河の松平氏を服属させた今川義元にとって、上洛を果たす事が目的であったが、同時に西への勢力拡大も狙う。


 義元は、勢力拡大の為、三河を抑え、尾張国の制圧を企む。


 ❪ 尾張国は室町時代に入り、守護を室町幕府管領(むろまちばくふかんれい)斯波(しば)氏が務め統治、その下に斯波氏の家臣であった織田氏が守護代を務めていたが、応仁の乱後に守護代の織田氏が二つの勢力に分かれ力をつけ、斯波氏が隣国今川氏との長い争いに破れる、守護代の下剋上等により斯波氏の勢いが減退するなどして混乱していた。


 尾張守護代の二つ分かれた織田氏【清洲織田氏・大和守家(やまとのかみけ)と岩倉織田氏・伊勢守家(いせのかみけ)】、尾張守護・斯波氏の嫡流であった岩倉織田氏が当初優勢を誇るも、斯波氏の減退を受け徐々に力を失い、代わりに清洲織田氏の元に仕える三家老(清洲三奉行)【因幡守家(いなばのかみけ)藤左衛門家(とうざえもんけ)弾正忠家(だんじょうのじょうけ)】の一つ、織田弾正忠家が急速に台頭を果たし、(1527年)織田信秀が家督を継承した頃には、弾正忠家は主家の清洲織田氏を凌ぐ力をつける。 

 

 織田信秀の死後、織田弾正忠家の一族内部を含め、織田氏の内部抗争が再発するもこの一族内紛を鎮めた若者がいた。


 彼は、主家である尾張守護代・清洲織田氏を討ち、もう一つの尾張守護代・岩倉織田氏を追放、さらに守護・斯波氏をも追放し、その他反抗する織田氏一族を鎮圧、尾張国内統治を成し遂げた人物、織田信長である。 


 駿河・遠江・三河の一部を領する今川義元、尾張を統治したばかりでまだ弱小勢力と見ていた織田信長を討ち、尾張を領するつもりであった。 ❫

 


 「勘助!其方の言いたい事はそれだけか?用無くば下がれ!」


 義元は、口調を強めて目の前の男に話した。


 目の前の男、名を勘助と言う。


 「御気を悪くされた事、申し訳御座いませぬ。上洛の為、京に上られるは誠に目出度き事!(それがし)は、我が(あるじ)名代(みょうだい)として(まか)り越したまで。これ以上は、何も申しませぬ。然れど今川様!京に上洛果たす為、尾張を抑えるが必定!尾張を統治した織田様は中々の若者と聞いておりまする!差し障りなければ、尾張への進軍経路、某が御話致します!某は武田が軍師・山本勘助···」


 「態々(わざわざ)名乗るな勘助!其方の名、聞き飽きた!」


 山本勘助と名乗る男の話を、義元は遮った。


 「勘助!尾張の織田は信長(うつけ)と聞く!信長(うつけ)など義元(わし)の敵に(あら)ず!其方は武田に帰り、晴信殿に伝えぃ!上洛の隙を突き、三国同盟破り、今川(わが)領に攻め入れば容赦致さぬと!」


 義元の怒りはおさまらない。


 「晴信様(おやかたさま)斯様(かよう)な事を致しませぬ。甲(武田)相(北条)駿(今川)同盟は、今川様の御家臣・太原雪斎(たいげんせっさい)様が尽力くださり締結された同盟。太原雪斎様の御力を(ないがし)ろにし、武田が同盟を破るなど無き事!」


 丁重な姿勢を保ちつつ、山本勘助が応えた。


 「もうよい勘助。義元殿も落ち着くのじゃ。雪斎が生きておれば、良き策を用いたであろう。然れど、雪斎はもう亡い。勘助、武田は今川を裏切らぬと申すか?」


 二人の様子を見ていた、義元の母・寿桂尼(じゅけいに)が割って入る。


 「はっ!今川様にはこれまでの恩義の数々、最早、今川家と武田家は主従の関係、晴信様(おやかたさま)は武田家を今川家の家臣と致すと申しておられます。戦となれば、武田が今川家を御救い致すまで!」


 意気込んで応える、山本勘助。


 「雪斎、坊主の身で酒を飲み過ぎたが故に死を急いだ。死を急ぐに惜しき男····、然れど、死した者を嘆いてもどうにもならぬ!勘助!今川家は晴信殿の父君・信虎殿追放に尽力致した、武田の諏訪侵攻により自害した諏訪頼重殿の忘れ形見、寅王もあずかっておる!晴信殿には十分な貸しよ!」


 これまで武田家に尽力した義元、山本勘助を睨んで話した。


 「今川様あっての武田家に御座います!為れば此度、今川義元様には上洛果たして頂くが本望!某がその道、導きまする!」


 山本勘助は再度、義元に助言を促した。


 「くどい!其方の話など聞く耳持たん!」


 山本勘助を邪険する、義元。


 「義元殿、大概に致せ!勘助は武田の名代として罷り越した身。武田は今川に味方する十分な証がある。勘助の話、聞いてみようではないか?」


 怒る義元を母・寿桂尼が鎮めた。


 「母上·····、仕方無し、母上の手前、其方の話を聞こう、申してみよ!」


 折れた義元が、勘助に問う。


 「然れば申し上げます!織田軍は今川様の尾張への守り、鳴海城・大高城を攻めてきましょう。織田方は鳴海城に対し、大高城周りに多く砦を築いておりまする。為れば大高城を囮とし織田方に攻めさせ油断誘い、鳴海城に兵を集結、織田の背後を突くのです。沓掛城(くつかけじょう)からの先、東浦街道、大高道を進むは危なのう御座います!鎌倉街道を進み、鳴海城に向かうが得策!呉々も大高道を進まれますな!大高道の時より、狭い道のり、窪みが兵を分散させ、奇襲の餌食となりましょう!(おだ)は、弱小と言え油断できぬ信長(おとこ)。今川様程の御方、謝った判断は下すはずが御座いませぬ!」


 勘助は、己の策を述べると共に遠回しに嫌味をつけ、丁寧に述べた。


 そう、義元が勘助(じぶん)の話に乗るはずが無い、あえて義元を僻地(おけはざま)へ誘う策、義元の家臣であった勘助(じぶん)の兄と父は、義元に忠義厚く尽くすも今川と北条の戦で、兄は捨て駒、父は自害に追い込まれた。


 勘助はその仇討つ為、義元に迫真の演技を見せつける。


 「勘助!義元(わし)信長(うつけ)に討たれるとでも申すか!?あい、わかった!これより上洛を果たす!先ずは沓掛城に入り、西への進軍は大高道を進む!今川が誇る勢力(ちから)、織田の信長(うつけ)に見せてくれようぞ!」


 いきり立った義元、勘助の忠告を無視、今川の誇る力を見せつけてくれると豪語しその場を離れた。


 「勘助、御主、(わざ)と義元殿を怒らせたのではあるまいな!?」


 寿桂尼が勘助に問う。


 「滅相も御座いませぬ!今川様の上洛を無事果たして頂くが、某の本望に御座います!」


 丁寧に応える勘助、その口元は少し歪んで見えた······。



  

  永禄三年(1560年) 五月十九日 桶狭間の戦い


 今川義元の軍勢は沓掛城を出立、西へ大高道を通り阿野・大脇と進軍、桶狭間と呼ばれた辺りで近崎道に入り、“おけはざま山”に着陣。


 尾張の織田信長、清洲城を出陣する際、敦盛(あつもり)(幸若舞(こうまかまい))を舞ったという。


 『 人間五十年 化天(げてん)のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度(ひとたび)(しょう)をうけ 滅せぬもののあるべきか 』


  中島砦を南下し、桶狭間手前の生山(はいやま)を経て潜んでいた織田勢、雷雨味方につけ、“おけはざま山”駆け上り、織田方の砦(丸根、鷲津砦)を今川勢が落としたとの報せに油断していた今川義元本陣に強襲。


 今川義元、織田信長に討たれる。


 






 


 

 

 閲覧頂きありがとうございます。


 桶狭間の戦いが起こった背景に潜む武田の軍師。


 武田の軍師が、己の仇を討つべく、今川義元を桶狭間に誘い、陥れるというif物語でした。


 北信の雄 ~武田信玄を二度負かした男~ “村上義清”という武将の物語も書いていますので、読んで頂けると幸いです。


 ありがとうございました。



 

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