94:何に困ってるんですか? 雨宮怜視点
幽霊になってから、日付の感覚が曖昧になっていた。
眠らなくても眠くならないし、何も食べなくてもお腹も空かない。
呼吸も、意識的に行おうと思えば出来るけど、意識しないと止まっていることがほとんどだった。
呼吸も、心臓も、何もかもの機能が停止した体。
最初は違和感が凄かったけど、数日程生活していると、慣れてきた。
私が死んでから、何日経っただろう。
夜が明けた数や日が落ちた数を数えていれば分かるかもしれないけど、それも億劫だった。
何もかも停止した中で、私は屋上で過ごしていた。
そんな中で、私はナギサさんと仲良くなっていった。
というか、私は屋上から出る気が起きず、そこによくナギサさんが遊びに来て、何度か話す内に親しくなっていった。
ナギサさんも死んでからずっと一人だったらしく、話し相手が出来て嬉しいと笑っていた。
どうやら、幽霊というものは生きている人間には見えないらしく、話しかけても無視されることが多かったらしい。
……まぁ、ナギサさんは死んでからずっとこの学校にいたらしいけど、幽霊になってみるまでその存在に気付きもしなかったし、予想はしていた。
「幽霊ってさぁ、成仏とかしないのかな?」
ある日、入学式でやって来た新一年生を見下ろしながら、ナギサさんは言った。
彼女の言葉に、私は「どうでしょうねぇ」と笑って答えを濁す。
「でも……幽霊って、この世に未練を残して死ぬとなる……みたいなこと、よく言うじゃないですか。だから、記憶が全部戻ったら、もしかしたらその未練が分かるかもしれませんよ」
「なるほど……んじゃあ、その未練を解決させればいいわけだ」
「お、憶測ですよ? 真偽は私にも分かりませんし」
私の仮説を頭から信じた様子のナギサさんに、私は慌ててそう否定した。
すると、彼女は「んにゃ」と首を横に振り、快活に笑った。
「可能性はあるっしょ? 何事も挑戦だって! ずっとこうしてるわけにもいかないし、少しでも可能性があるなら試してみるべきじゃない?」
「……ナギサさんはやっぱり……前世の記憶、取り戻したい、ですか?」
なんとなくそう聞いてみると、彼女の目が丸くなった。
しかし、すぐにフッと微笑み「当然!」と答えた。
それに、胸がざわつく。
私は自分の胸を抑え、ゆっくりと続けた。
「でも……もしかしたら、前世で凄く辛いことがあったかも、しれないじゃないですか……辛いことを思い出すくらいなら……ずっとこのままの方が……」
「それでも私は記憶を取り戻したいよ」
ハッキリと言いきるナギサさんに、私は息を呑んだ。
すると、彼女はポケットからスマートフォンを取り出し、その背を私に見せる。
相変わらずそこには、ナギサさんが『かおる』という少女と一緒に撮ったプリクラが貼ってあった。
「これ……一緒に写ってる子。きっと……私にとって、凄く大切な子だと思うんだ。……私が死んで……悲しんでるような気がする」
そう言いながら、ナギサさんは目に悲愴な色を浮かべ、スマホを握り締める。
「……だから……私はこの子のことを思い出したい。私のせいで悲しんでるかもしれないのに、私だけが忘れているなんて出来ないよ」
「……そうなんですか……」
そう答えながら、私は目を逸らす。
……ナギサさんは良いなぁ……自分の死を、悲しんでくれる人がいて。
私には……そんな人……。
「レイちゃんにも、そういう人いるんじゃない?」
投げかけられたその言葉に、私はハッと顔を上げた。
するとそこでは、ナギサさんが微笑を浮かべ、私を見つめていた。
彼女は続ける。
「覚えていないだけで、きっとレイちゃんにもいるはずだよ。貴方のことを大切に思って、その死を悲しんでくれている人」
その言葉に、脳裏に澪ちゃんの顔が過る。
……死ぬ間際に見た彼女の泣き顔が、私の心にゆっくりと傷を付ける。
まるでナイフがゆっくりと刺さっていくような痛みが、私の胸を劈いた。
「……いたら……良いですね」
そんな痛みを堪えながら、私はそれでも笑う。
……本当は分かっている。
私が死んでも、悲しむ人なんていないって。
私一人が死んだところで、世界が変わることは無いんだって。
それを認めるのが怖いから……私は屋上から出られないでいる。
教室に行って、皆が前と変わっていなかったらと思うと、胸が張り裂けそうになる。
私が死んでも、澪ちゃんが前と同じように笑っているのかと思うと、悲しくなる。
気付けば日は沈み、夜になっていた。
どうせまた夜が明けて、朝になる。
これからも、このループは永遠に繰り返されるのだろう。
永遠に止まったままの私を置いて、世界は進んでいく。
なんで幽霊になってしまったんだろう。
私はこんな世界から出て行きたくて、自殺したのに。
成仏できるなら、早くしてしまいたい。
こんな世界、生きる価値など……――。
――コツ、コツ、コツ、コツ。
足音がして、私はハッと顔を上げた。
どれくらい考え事をしていたのだろう。
気付けば夜は明けており、朝になっていた。
私は慌てて立ち上がり、この場所に近付いてくる人を待った。
……誰……!?
わざわざこんな場所に来るなんて……何が狙いなんだろう……。
動揺してもどうにかなるわけでもなく、私はただ、足音の主を待つことしか出来ない。
やがて、その足音は扉の前に立ち、カチャッと音を立ててゆっくりと……扉を開く。
「……あっ……」
その姿を目にした瞬間、私は声を漏らした。
真っ白な……短い髪。
前髪だけ少し長く、左目は眼帯で隠している。
肌も白くて綺麗で、透き通っているように見えた。
まるでこの世界の光を凝縮させたような……真っ白な存在。
私は彼女を見て、生まれて初めて……綺麗だと思った。
それと同時に、彼女も……私と同じだと思った。
何が同じなのかはよく分からないけど……同じ存在だと、感じた。
「……」
私の声に、白い少女は、ゆっくりとこちらを振り返った。
眼帯で隠れていない右目が、真っ直ぐ私を捉える。
黒くて……暗い目が、静かに私を見つめた。
普通なら見えないはずの私を……しっかりと、見つめた。
「あの……もしかして、私のこと見えるんですか!?」
咄嗟に、そんなことを聞いてみる。
ずっと演じていた表向きの性格が、そのまま出てしまったような気がした。
関係無い。私は彼女に近付き、続けた。
「見えてますよね? 私のこと……幽霊が見える方なんですね!」
「あの……聞こえてますかぁ? もしかして、見えるだけ見えて声は聞こえないタイプ?」
「見えてて聴こえるのであれば反応して下さい。私困ってるんです」
「話だけでも聞いて下さい! お願いします!」
考えるより先に、言葉が出てくる。
こんなに人に踏み込むのは、いつぶりのことだろう。
きっと……初めてのこと。
目の前にいる少女と、話したいと思った。
彼女をもっと、知りたいと思った。
彼女に……触れたいと思った。
「……はぁ……」
私の願いが通じたのか否か、少女は小さく溜息をついた。
それからゆっくりと顔を上げて、私を見つめた。
「……何に困ってるんですか?」
それが、初めて聞いた――結城さんの声でした。




