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83:何か悩んでること 雨宮怜視点

 高校生になってから、一ヶ月が経った。

 クラスの女子の中ではすっかりグループができており、最早私の入る隙間は無い。

 あれからも結局クラスに馴染むことは出来ず、私はクラスの中で孤立していた。

 家に帰っても一人。学校に行っても独り。そんな日々の中では、何も喋らない日があるのも当たり前だった。

 何日も話さないでいると、声の出し方を忘れることも多々あり、久々に声を出すと裏返ったりすることなどしょっちゅうだった。


 ……今日も、一言も喋らずに終わったな……。

 教室を出て廊下を歩きながら、私は考えた。

 入学当初は何人かから話しかけられたりもしたが、まともな応答が出来ない為に、徐々に私に話しかける人もいなくなっていった。

 たまに業務連絡で話しかけられた時に答えるのと、授業で当てられた時に答えるのと、あとは……何があるっけ……。

 ぼんやりと考えていた時、前から歩いて来た誰かとぶつかった。


「ッ……」


 小さく息を漏らしながら、私は少しよろめく。

 けど、なんとかその場で踏みとどまり、数歩よろめくだけで済む。

 息をつきつつ、今からぶつかった相手に謝らないといけないという事実を思い出し、少しだけ億劫な気持ちになった。


「だ、大丈夫? 怪我は……って、雨宮さんっ!」


 突然名前を呼ばれ、私はハッと顔を上げる。

 そして、目の前にいる人を見て、私は目を丸くした。


「うッ……宇佐美先生ッ……」

「わぁ、やっぱり雨宮さんだ」


 私の言葉に、担任である宇佐美優梨子先生は、そう言って朗らかに微笑んだ。

 若くて美人で、明るくて優しい宇佐美先生は、生徒から絶大な人気を誇っている。

 人とまともに話すことすら出来ない私とは、ある意味対極にいる人だと思う。


 ……この先生は、少し苦手だ。

 悪い人ではないのは分かっているし、むしろ、私なんかにも分け隔てなく接してくれる良い人だ。

 だけど……良い人だからこそ、彼女を見ていると、尚更私の惨めさが浮き彫りになるような気がした。

 ……これ以上は、話していたくないな……。


「えっと……わ、私は……こ、これで……」

「ちょっと待って」


 さっさと切り上げて逃げようとした私の腕を、宇佐美先生は掴む。

 何事かと思って顔を上げると、真剣な眼差しでこちらを見つめる宇佐美先生の姿があった。


「ぅえッ……!?」

「雨宮さん、今から少し話したいことがあるんだけど……時間って大丈夫かしら?」


 私の目を真っ直ぐ見つめながら続ける宇佐美先生に、私は恐る恐る頷くことしか出来なかった。

 すると、彼女は私の手を引き、どこかに案内する。

 先生に案内された場所は、カウンセリングルームと書かれた部屋だった。

 ベージュの絨毯が床に敷かれ、グレーのソファが二つ、木造のテーブルを挟んで対面する形で並んでいる。

 促される形でソファに座った私は、鞄を自分の横に置いて、向かい側のソファに座る宇佐美先生を見つめた。

 先生はソファに座って姿勢を正し、私を見て微笑んだ。


「雨宮さん……突然、こんな場所に連れてきてごめんね?」

「いッ……いぇッ……あの……そのっ……」

「あぁ、えっと、説教とかがしたいわけじゃなくてね? ……何か悩んでることとか、無い?」


 オズオズと尋ねて来る宇佐美先生に、私は言葉に詰まった。

 何も言えずにいると、先生はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべながら、続けて口を開いた。


「言いづらいことなら、無理して言わなくても良いの。でも……何か、悩んでることがあるんじゃないかと思って……私、心配で……」


 そう言いながら、宇佐美先生は両手の指を絡める。

 彼女の言葉に、私は目を伏せる。

 ……悩みごと、か……。

 そう言われると、今まで一人で悶々と悩んでいたことが、沸々と私の心の中に湧き上がる。

 でも……こんなこと、先生に言っても解決しないんじゃないかな……。

 だったら、別に言わなくても……。


「……だ、大丈b」

「私ね、中学生の頃、イジメを受けていたの」


 私の言葉を遮るように、宇佐美先生は言った。

 彼女の言葉に、私はハッと顔を上げた。

 それに、先生は私を見て、フッと優しく微笑んだ。


「中学生の時にお父さんが亡くなって……元々、今よりも弱気な性格だったこともあって……イジメを受けていたの」


 その言葉に、私は顔を上げたまま固まる。

 すると、先生は私を見て、優しく微笑んだ。


「でもね、二年生の時に転校してきた人が、唯一私の味方をしてくれたの。おかげで、色々と助けられて……だから、私はあの人みたいに、雨宮さんの力になりたいの」


 宇佐美先生の言葉に、私は口を噤む。

 彼女が味方になってくれれば、私の悩みは、解決するのだろうか。

 脳内で、彼女が味方になってくれた場合の可能性の世界が、一つ二つと浮かんでいく。

 まるでシャボン玉のように次々と浮かんでは……割れていく。


 気付いてしまった。

 私の悩みは……私自身が変わらなければ、何も解決なんてしないということに。

 先生が味方してくれたとしても、周りが何か変わったとしても、関係無い。

 私のこの情けない貧弱な心が何とかならない限り、私の悩みは、解決などしない。

 するはずがない。


「あ……ありが、とう……ございます……でも……大丈夫、なので……あの……さようならッ!」


 言葉足らずであることは自覚していた。

 だけど、彼女の言葉によって叩きつけられた現実で、私の心はボロボロだった。

 私はすぐに鞄を引っ掴み、逃げるようにカウンセリングルームを後にした。


 ……本当は変わりたいよ。

 でも、変われないんだよ。

 私の心は……先生のように、強くないんだ。

 心に出来た深い傷は、そう簡単には治らない。


 ……いいや、違うか。

 治らないと決めつけて、何もかもから逃げている私が……弱いだけだ。

 そして、今日もまた、その弱さから逃げるだけなんだ。

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