17:私だけの問題じゃないから
「……え……」
如月さんの言葉に、私は掠れた声を発しながら固まる。
分かりきっていたことだし、ある程度は予測していた。
しかし、改めて言葉にして表されると、想像以上にショックが大きかった。
……ん? ショック?
なんで、ショックなんだ?
私がショックを受ける理由なんて、無いじゃないか。
そもそも幽霊に関わるつもりは無かったし、レイを見捨てることへの罪悪感から、彼女の記憶を取り戻す手伝いをすることを決めた。
しかし、代わりが出来るなら、少なくともレイを見捨てることにはならない。
むしろ如月さんの方が、私なんかよりも確実に、レイの記憶を取り戻してくれるに違い無い。
だったら、全て如月さんに任せれば良い。
私がこれ以上、レイと関わる必要なんて……。
「……結城さん?」
固まる私の顔を覗き込みながら、如月さんは私の名前を呼ぶ。
いつの間にか、かなり近い距離にいたらしい。
私はハッと我に返り、如月さんを見つめた。
「えぁ……私は……」
「……良いよね? 私が代わりにやっても」
そんなことを言いながら、如月さんはさらに顔を近付けてくる。
咄嗟に後ずさると、近くにあった机に腰がぶつかる。
何とか避けようと、後ろ手に机に触れて横に移動しようとした時、如月さんが机の縁を手で掴み、顔を近付けてくる。
息の掛かる、ほぼゼロの距離。
逃げたくても、如月さんの腕があって逃げられない。
「わ……私は……」
近い距離に動揺しつつ、私は目を逸らす。
こんなに近い距離で顔を見られると……動悸が……。
……あ、ちょっと待って。
心臓がバクバクと音を立てて、呼吸が荒くなる。
私は咄嗟に如月さんの体を突き飛ばし、逃げるように数歩よろめく。
しかし、過呼吸が酷くなり、そのまま床にへたり込んだ。
「ハァッ……ハァッ……カヒュッ……ハッ……」
喉から搾り出る呼吸の音を聴きながら、私は必死に深呼吸を試みる。
しかし、息を吸おうとしても、すぐに呼吸が乱れてしまう。
胸が締め付けられるように痛み、涙が零れる。
ヤバい……呼吸が……。
「結城さん!?」
すると、すぐに如月さんが私の傍に駆け寄る。
彼女は片手で私の手を握り、もう片方の手で私の背中を擦った。
優しく背中を擦られる度に、少しずつ胸の痛みが緩和されていく。
徐々に呼吸が治まり、動悸も落ち着いていく。
「……大丈夫?」
「ハァ……ハァ……うん、なんとか……」
心配そうに尋ねる如月さんに、私は小さく頷いて答える。
……久しぶりに……この発作だ……。
治ったと思っていたのに……人に顔を見られることには、慣れたと思っていたのに……。
あんなに近くでジッと見られてしまうと、やっぱりダメだ。
私は胸と眼帯に手を当てて、深呼吸を繰り返す。
「と、とりあえず保健室行こう。休んだ方が良いよ」
「大丈夫! ホントに……慣れてるから……」
私はそう言いながら、フラフラと立ち上がる。
まだ少し頭がぼんやりとするけど、一時期は頻繁に起こっていたし、今更どうってことない。
机に手をついて体を支え、私は続ける。
「ごめん……私、人に顔を見られることが苦手で……大分慣れた方なんだけど、長い時間ジッと見られたりすると、ちょっとね」
「……そうなんだ」
私の説明に、如月さんは小さくそう言った。
彼女は少し考えるような間を置いて、目を伏せた。
「……は……くせに……」
そして、小さく何かを呟いた。
「えっ? 何か言った?」
「ううん、何も。……私、結城さんのこと、何も知らないなぁ……って思って」
「……私のこと?」
つい聞き返すと、如月さんは「うん」と頷き、小さくはにかむ。
「ホラ。今も、顔を見られることが苦手とか……知らなかったし」
「……まぁ、言わなかったからね……」
「でしょう? ……会ったばかりだから仕方無いけど……私、もっと結城さんのこと知りたいな……って、思って」
そう言いながら、如月さんは私の手を取る。
驚いて咄嗟に彼女の顔を見ると、私のことを気遣ってくれているのか、俯いて目を合わせないようにしていた。
ソッと私の指に自分の指を絡め、優しく握り、彼女は続けた。
「だから私は……もっと結城さんと話す時間が欲しい。結城さんのことを知る、時間が欲しいの」
「……如月さん……」
「だから……幽霊さんのことは、私に任せて欲しい。空いた時間を、私に使って欲しい」
目を合わせずに紡がれた言葉に、私は何も言えなくなる。
……私だって、如月さんと仲良くなりたいよ。
初めて、私なんかにこんなこと言ってくれる人に出会ったから。
彼女を大切にしたいと思うし、私のことを知って欲しいとも思うし、私だって彼女のことを知りたいと思う。
迷う必要なんて無い。
二つ返事で承諾出来る話のはず。
私がこの話を断る理由なんて無い。
自分の胸に手を当て、その手を握り締める。
なんでこんなに、胸が痛いんだろう。
なんでこんなに、胸が苦しいんだろう。
なんでこんなに、胸が締め付けられるんだろう。
「結城さん?」
「……これは……私だけの問題じゃないから……」
掠れた声で、私は言葉を紡ぐ。
顔を上げて、私は続けた。
「これは、私とレイの問題だから……レイにも話を聞かないと……分からない……」
辛うじて、そんな言葉を続ける。
徐々に尻すぼみになり、最後は弱々しい口調になっていた。
でも、まだ終わりじゃない。
私は一度小さく深呼吸をして、続けた。
「だから……今から、レイに会ってくれないかな?」