114:大嫌いだ
……私の世界から……色が消えた。
叔父さんも私の味方をしてくれなくなり、幽霊との接触すら禁止された。
別にそんなもの無視して幽霊と話しても良かったのだが……あんなことがあると、流石に気が引けた。
だけど、何も言わずに距離を取るのは申し訳なかったから、せめて光輝君には最後のお別れを言うことにした。
「……光輝君」
翌日の帰り道。
周りに人気が無いことを確認し、私は小さな声で、光輝君を呼んだ。
すると、彼はパッと顔を上げ、「神奈お姉ちゃんっ」と無邪気に私の名前を呼んだ。
彼の何も知らない無垢な顔を見ていると、決意が揺らぐ。
もう二度とここには来ないと決めていたのに、その気持ちが傾いて行くのを感じる。
それを必死に堪え、私は続けた。
「光輝君……ここに来るの……今日で最後にしても、良いかな……?」
「……えっ……」
私の言葉に、光輝君の笑顔が硬直する。
信じられないと言いたげな表情を浮かべる彼から目を逸らしながら、私は続けた。
「えっと……家の人に……光輝君と話してることが、知られて……もう……やめろって……」
「……なんでそんなこと言うの……?」
震える声で呟く光輝君に、私は唇を噛みしめる。
本当は……私だってこんなこと言いたくない。
けど、私は……弱いから……。
叔父さんに反抗してまで、ここに通う勇気が無い。
両親を失った私を預かり、部屋にこもっても世話をしてくれて、ギリギリまで私を気遣ってくれていた叔父さんを……これ以上、裏切りたくなかった。
「……本当にごめん」
私はそう謝りながら、踵を返す。
これ以上話していたら、また明日も、ここに来てしまう。
別れの挨拶も、最後の談笑も……何もいらない。
せめて、最後は……嫌な奴でいよう。
光輝君が……私を、恨めるように……。
嘘つきだ、って……嫌な奴だった、って……思えるように。
「……ありがとう! 神奈お姉ちゃん!」
……それなのに……。
「お姉ちゃんと話すの……楽しかった! 俺……神奈お姉ちゃんのこと、絶対忘れないよ!」
なんで君は……いや、君達は……。
「今までありがとう! 神奈お姉ちゃん! 大好きだよ!」
……そんなに、優しいんだ……。
「ッ……」
振り返りそうになる。
足を止めて、彼の言葉に答えたくなる。
しかし、私はそれを必死に堪えて、前に歩く。
振り向いたらダメだ。彼の言葉に答えたらダメだ。
……それからは、どう歩いて来たのかは、よく覚えていない。
気付いた時には、とある公園のベンチに座っていた。
家からは近くもなく、遠くも無い場所にある……少し大きな公園。
もう夕方だからか、人はそこまでいない。
私の視線の先では、光輝君くらいの年齢の子供が五人程、ボールで遊んでいた。
「……」
ぽっかりと、胸に穴が空いたような気分になる。
こんな場所にいても仕方が無いことは分かっているが、家に帰る気にもなれなかった。
どうせ、あの家には……もう、私の居場所など、無いのだから。
「……はぁ……」
小さく溜息をつき、私はベンチから立ち上がる。
家に帰るわけではないが……ここにいても、虚しい気分になるだけだと思ったから。
行く宛ても無く歩いていると、石の階段があるのを見かけた。
「……?」
何の階段だろう……と不思議に考え、私はその階段の方に向かって歩いた。
ゆっくりと、一段ずつ、踏みしめるように。
階段を上り切ると、そこには……湖があった。
「……わぁ……」
小さく声を上げながら、私は湖を見渡す。
夕陽を反射して、水面はキラキラと輝いている。
こういう水場は幽霊が多いイメージがあったが、この辺りには、全く幽霊がいなかった。
私はゆっくりと湖に近付き、小さく溜息をつく。
幽霊が多い、というイメージが強かったからか、なんだか変な感じがする。
現実味が無いというか……まるで、この空間だけ、別の世界に来てしまったと言うか……。
……この湖に飛び込んだら……楽になれるだろうか……。
一瞬、そんな考えが過る。
このまま湖の中に沈んでしまえば……この苦しみからも、虚無感からも、解放されるのだろうか……。
苦しい思いをし続けるくらいなら、いっそ……楽に……。
「ッ……」
いざ足を踏み入れようとしたところで、左目に激しい痛みが走った。
その瞬間に両親のことを思い出し、私は慌てて後ずさる。
すると、何かの段差に躓き、そのまま私は尻餅をついた。
「ッつ……!」
小さく声を漏らしながら、私は尻を擦る。
……やっぱり……私は死ねない……。
どれだけ苦しくても……両親の犠牲を無駄にするわけにはいかない。
……いや、少し違うか。
私には……死ぬ勇気なんて無いんだ。
両親を言い訳にして、生き延びているだけだ。
唯一信じていた人には裏切られ、唯一味方してくれていた人には見放され、唯一私を差別しなかった人に背を向けて……それでもまだ、私は死にたくないと思っている。
楽になりたいくせに……死ぬ勇気が無いんだ。
「……はは……」
乾いた笑いが込み上げる。
私って、ホントに……見苦しいなぁ……。
フラフラと立ち上がり、私は、湖を見つめた。
ゆっくりと息を吸って、そして……――
「……クソがぁぁぁぁぁぁあああああああッ!」
――叫ぶ。
精一杯、心の中に溜まった靄を吐き出すように。
一度息を吐き切るように叫びきった私は、一度息を吸い、続けて叫んだ。
「私を分かってくれない人もッ! 私を差別する人もッ! 私を認めてくれない人もッ! 山谷もッ! 叔父さんもッ! ……私ッ、自身もッ! 皆ッ、皆ッ! 大嫌いだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああッ!」
叫ぶ。
叫びきる。
私の叫びは虚しく響き……湖の中に、吸い込まれていくような気がした。
……大嫌いだ。
何もかも……この世の全てが、大嫌いだ。
でも……それでも私は……息をする。
死ぬことが怖い……意気地なしだから。