表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
105/124

105:ただいま

 あれから、自分がどう過ごしていたのか、イマイチ覚えていなかった。

 アイに話しかけられたような気がする。それに答えたのか否かも……覚えちゃいない。

 ただ、ぼんやりと生きて……抜け殻のように、日々を消費していた。

 空っぽなままで生きて……気付いたら、退院していた。


 アイをまた独りにすることに抵抗はあったし、罪悪感だって湧いた。

 だけど……どうしようもなかった。

 彼女の為に入院を引き延ばすのも無理だったし……心理カウンセラーの言葉が、未だに私の中でグルグルと渦巻いていた。


 幽霊は、見て見ぬふりをするべきだ。

 だけど……生きている人達は、私に対して普通に接してくれないじゃないか。

 テレビじゃ数多くの人が私の顔を見て気味悪がり、叔父さんやその奥さんだって、口には出さないけれどその目に憐れみの感情が滲んでいる。

 言葉にしなくても、分かる。嫌なくらい、その感情が直接伝わってくる。

 それに比べて、幽霊はごく普通に私と接してくれた。

 記憶が無いからこそ……常識が無いからこそ、私の異常に気付かずに接してくれる。


 ……幽霊に依存したくなるのも……仕方ないじゃないか……。


「……はぁ……」


 車窓から見える、後ろに流れていく景色をぼんやりと眺めながら、私は小さく溜息をついた。

 あのカウンセリングから、もう何度目の溜息だろう。

 多分、軽く三桁くらいにはなっているんじゃないかと思う。

 どれだけ悩んでも答えは出ずに、結局退院してしまった。

 これから、私はどうすることが正解なのだろうか。

 もう、ごく普通の生活なんて無理だろうし……けど、私は普通に生きたい。

 二律背反の願いを抱えてしまっていることに、なんだか自分自身に呆れてしまう。

 また溜息をついていた時、車がとある家の前で止まった。


「……ここは……」

「ホラ、下りるよ」


 車の運転をしていた叔父さんの言葉に、私は扉を開けて、車から降りた。

 扉を閉めて顔を上げると、そこには……昔、私が住んでいた家が、静かに佇んでいた。


「まだ、家に君の荷物とか残ったままだからね……大切なものとか置いてあると思うし、自分で取りに来た方が良いと思ったんだ。……もし辛かったら、何が欲しいかだけ言ってくれれば、後は僕がやるけど……」

「いえ……自分で、取りに行きます」


 叔父さんの言葉に、私はそう答えた。

 ……手に汗が滲むのを感じる。

 彼の言う通り、辛いけれど……これはきっと、乗り越えなければならない壁だと思うから。

 私は汗の滲む手で服の裾を握り締め、大きく深呼吸をした。


「じゃあ……鍵を開けるよ?」


 叔父さんの言葉に、私は小さく頷く。

 すると、彼はポケットから取り出した鍵を、家の扉に差し込んだ。

 恐らく合鍵だろう。

 叔父さんが手首を回すと、カチャリと乾いた音がした。

 ……鍵が開いたらしい。


「さぁ、どうぞ」


 微笑みながら言い、叔父さんは扉を開けた。

 ……懐かしい我が家。

 もう数えきれない程に見て来た家の玄関が、全く別物のように感じた。

 最後に玄関を潜ったのは……旅行に行く前日の、学校から帰った時。

 その日は一学期の終業式があり、翌日からの旅行……そして、約一ヶ月の夏休みを楽しみにしていた。

 ……こんなことになるなんて、思いもしなかった。


「……ふぅ……」


 小さく息をつき、私は玄関に向かって、一歩踏み入った。

 不思議と、足取りは軽かった。

 頭の奥に響く心臓の音が、やけに大きく聞こえる。

 私は込み上げる緊張を抑えながら、ゆっくりと歩いて行った。


「……ただいま」


 玄関を潜った私は、そう小さく呟いた。

 私の声に応えてくれる人は、いない。

 手に汗が滲むのを感じながらも、私はゆっくり歩いて、靴を脱いで廊下に上がる。

 フローリングの床を踏みしめながら、私は廊下を歩き、階段を上って自分の部屋に向かった。


 残暑による、蒸れたような暑さと……慣れ親しんだ我が家の匂い。

 私の部屋は廊下の一番奥にあるため、その過程で……両親が使っていた部屋の前を、通る。

 お母さんの使っていた香水の香りや、お父さんの書斎から漂うインクの香り。

 微弱に残った、慣れ親しんだ香りが、私の鼻孔をくすぐる。


 胸が苦しい。けど、私は頬を伝う冷たい汗を拭いながら、前に進んだ。

 両親の部屋の前を抜けると……私の部屋があった。

 私は汗で湿った手でドアノブを握り締め、捻り……扉を開けた。


「……っはぁ……」


 部屋に入ると、途端に力が抜けた。

 茹だるような暑さも相まり、溶けるように体から力が抜けていく。

 服の胸元をバフバフと扇ぎながらも、私は荷物を準備するべく、部屋を見渡した。


 叔父さん達に迷惑は掛けたくないし、服とか、日用品はあるものを持って行った方が良いと思う。

 後は……お父さんが書いた小説は持って帰りたいな。

 元々小説とかを読む方ではないけど……お父さんの小説は、好きだから。

 それと、お母さんが着てた服も……いつか大きくなった時に、お古として着られるかもしれない。

 それ以外は、今は良いかな……なんて思いつつ、私は視線を窓辺の方に向けた。


「……あっ……」


 つい、声を漏らす。

 そこにあったのは……小学校の入学式の時に撮った、両親との写真だった。

 近くにいた別の子のお母さんに頼んで撮ってもらった、家族三人での画像。

 満面の笑みを浮かべながらピースをする私を挟むように、楽しそうに笑う両親が写っていた。


 ここまで両親を失った悲しみに耐えられたのは……なんだかんだで、両親の顔を見ていなかったからだ。

 記憶の奥底に封印して、この家に来ても、必死に思い出さないようにしていた。

 ……思い出したくなかった。


 でも、やっぱり無理だ。

 どれだけ頑張っても……耐えられそうに無い。

 私は唇を噛みしめ、必死に涙を堪える。

 嗚咽を漏らしそうになるのを、必死に我慢する。

 泣くな。泣いたら……二人が心配する。


 泣き顔なんて見せられない。

 前に進むんだ。

 折角生かして貰ったんだから……お父さんとお母さんの分まで、幸せになるんだ……。


 ……なれるのかな?

 こんな見た目で……幸せになることなんて、出来るのかな……?

 なりたいよ……。


「……幸せに……なりたい……」


 必死に涙を堪えながら、私は小さく呟いた。

 ……きっと、決して叶うことは無いであろう……願いを。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ