104:前に進まないといけない
「とよしま……あいり……?」
聞きなれない単語に、私はついそう聞き返す。
それから、私は首を傾げて、続けた。
「誰ですか? それ」
私の言葉に、彰浩さんは少しだけ目を丸くする。
それからその目を逸らし、少しして、ポケットから何かを取り出した。
「君の病室の……過去の住人だよ」
そんな言葉と共に、ポケットから出したそれを、テーブルの上に置く。
顔を近づけて見てみると、それは、私の病室にいるアイだった。
「アイ……!」
「君のカウンセリングをやるにあたって、少し調べたんだ。……昨年まで、今の君の病室を使っていた少女だ」
その言葉に、私は顔を上げる。
すると、彰浩さんは腕を組み、ゆっくりと続けた。
「彼女は生まれつき心臓の病を患っていてね……必死に闘病していたが、昨年……亡くなったよ」
亡くなった。その単語に、私は言葉を失った。
写真から察するに、彼女は私なんかよりもずっと幼い子供だ。
それなのに、生まれつき病気を持っていて……闘病生活の末に、病死……。
でも、じゃあ……アイは何なの?
この愛里という少女がアイなのだとしたら、なんで今、私の病室にいるんだ?
「……もしかしたら君は……幽霊が見えるんじゃないかい?」
彰浩さんの言葉に、私は「え?」と聞き返しながら、顔を上げた。
すると、彰浩さんは腕を組み直し、私を見て続けた。
「あまりこういう非科学的な話はしない主義だけど……そうとしか思えない。君が豊島愛里の存在を知ることは不可能だし、消去法で考えれば、それしか答えは無いんじゃないかな」
「でも……幽霊なんて……」
そう呟いた時、ズキッ……と左目が痛んだ。
……幽霊なんて、今まで存在すら認知してなかったと言うのに……。
なんで急に、見えるようになったんだ?
……この目のせいか……?
ズキズキと左目が疼き、私の脈動に合わせて痛みが増す。
つい左目を押さえて俯くと、彰浩さんは指を組んで続けた。
「確証があるわけじゃないが……精神的な問題には見えない。精神的な疾患で見えているよりは、幽霊が見えていると考えた方が、まだ辻褄が合う」
「……彰浩さんは……そういうの、信じるんですか?」
なんとなく、そう聞いてみた。
なんていうか、こういう医療系の人間は、幽霊なんて非科学的な物は全く信じないイメージがあったから。
彼は、私の言葉に「そうだね」と呟いた。
「別に、すごく信じているわけじゃないし、どちらかと言えば信じていない部類かもしれないな」
「じゃあ、幽霊なんて……」
「でも、あり得ない話ではないし……現実として、君には豊島愛里が見えている」
彰浩さんの言葉に、私は小さく唇を噛む。
……彼の言うとおりだ。
幽霊なんて信じられないが、実際に、私の前にアイは現れた。
今まで豊島愛里の存在など見聞きしたこともないし、知り得るはずもない。
信じたくは無いが、幽霊が見えていると考えた方が良いかもしれない。
「……なんで、幽霊なんて……」
「……そんなこと、僕に聞かれても困るよ」
その言葉に、私は「そうですよね」と呟いた。
……幽霊が見える能力なんて、あっても何の意味も無い。
幽霊が見えても、お父さんとお母さんがここにいなかったら、会えないのに。
こんな能力が手に入るくらいなら、いっそ両親を蘇生して欲しいくらいだ。
「……このことは、あまり言いふらさない方が良い」
小さく、彰浩さんは言った。
彼の言葉に、私は「え?」と聞き返す。
すると、彼は少し前のめりになりながら続けた。
「君はまだ小さいからわからないかもしれないけど、この世の中、幽霊なんて信じる人の方が少ない」
「それは……まぁ……」
「話せば分かってくれる人もいるかもしれないけど、分かってくれない人の方が多い。今回みたいに、頭がおかしくなったって思われる」
その言葉に、私は唇を噛みしめた。
……彼の言葉には、説得力があった。
現にこうして、心が病んだと思われて心理カウンセラーを呼ばれている。
ここで幽霊が見えるんです~と言っても、きっと違う心理カウンセラーを呼ばれるのが目に見えている。
でも……。
「……アイのことを……一人にしたくないです」
ポツリと、私は呟いた。
それに、彼は「おい……」と、どこか呆れたように呟く。
私は顔を上げ、彼の目を見て続けた。
「私が、頭おかしくなったって思われるのは、別に良いです。それよりも、アイを一人にしたくないんです」
「……僕は、完全に君の境遇を理解することは出来ないし……その気持ちを否定することはしない。けど……ずっと、彼女の存在に縛られているわけにもいかないだろう?」
「……どういう意味ですか……?」
彰浩さんの言葉に、私はつい、そう聞き返した。
すると、彼はどこか言いづらそうな表情をしつつも、続けた。
「偉そうなことを言える立場じゃないけど……いつかは、現実と向き合って……前に進まないといけないと思うんだ」
その言葉に、心臓の裏を撫でられるような感触を覚えた。
……分かっている……。
そんなこと……誰よりも分かっている……ッ!
「……私はッ……!」
「確かに、君にとっては辛いことかもしれない! でも、幽霊を使って現実逃避なんてせずに、しっかりと現状に向き合うんだ! 前に進むんだよ!」
その言葉に、私は歯を噛みしめ、言葉を詰まらせることしか出来なかった。
……残念ながら、彼の言うことが、正論であることは分かっていたから。
彼の言うことは正しくて、どれだけ辛くても、いつかはそうしなければならないことも分かっている。
でも……前に進む方法が、分からないんだ。
こんな見た目になって……両親すらいない私には……未来に進む方法が分からないんだ。