103:私も独りだから
「目には……異常はありませんね」
「……」
私の右目の瞼を指でグイッと開けて、ライトで照らしながら医者は言う。
迷子の少女がいると言ってから、すぐに看護師は医者を呼び、こうして検診が始まった。
しかし、どうやら私の右目に異常は無いらしく、医者は難しい顔をする。
「……本当に、そこに女の子が見えているのかい?」
「は、はい……見えてます、けど……」
私の言葉に、医者は少し考える素振りを見せる。
しかし、結局答えは出ず、翌日に持ち越しとなった。
ひとまず目に異常は無さそうなので、精神的な病の可能性があるらしい。
そのため、明日は精神科の先生とのカウンセリングがあるらしい。
医者の人達がいなくなると、少女は「よっこらせ」と私のベッドに乗った。
それから私のお腹の上にちょこんと座り、こちらを見上げてきた。
「……貴方は……一体何者なの……?」
私はそう聞きながら、少女の頭を撫でる。
やはり掌が擦り抜けるので、頭の上に手が当たるような距離で手を止め、撫でるように空中で手を動かす。
そんな私の素振りに、少女は気持ちよさそうに目を細めながら「分かんない」と答えた。
「……分からない……?」
「目が覚めたら、こうなってたの。寝ちゃうまで何してたのか、全然分かんない」
「なっ、何か一つくらい分かることないの? 自分の名前とか……」
私の言葉に、少女は少し考えるように間を置いてから、フルフルと首を横に振った。
それに、私は「そっか」と呟いた。
すると、少女は目を伏せながら、「あのね」と続けた。
「私……こうなってから、ずっと一人だったの。わけわかんなくて、誰に話しかけても、反応とか無くって……だから、お姉ちゃんが答えてくれて、すごく嬉しかったの! 寂しかったから……やっとお喋り出来る! って……」
「……そうなんだ……」
「でも、お姉ちゃんの迷惑になるなら、もう話しかけるのやめる。お姉ちゃんに迷惑掛けたくないし……独りぼっちには……慣れてるから……ッ!?」
暗い声で言う少女を、私は優しく抱きしめた。
抱きしめようとしても、私の体は擦り抜けるけれど。
だから、彼女の体に少し触れるくらいの場所で手を止め、何かを抱きしめるような形で体の動きを止めた。
その体勢のまま、私は口を開いた。
「迷惑なんかじゃないよ」
「……でも……」
「私も独りだから。……貴方の気持ち、分かるよ」
私の言葉に、少女は大きな目に涙を浮かべる。
まん丸い大きな目が徐々に涙で潤み、大粒の涙が頬を伝う。
その涙を拭おうと指を差し出しても、その指は頬を擦り抜けるだけ。
だから、涙を拭えない分、私は目いっぱい少女の体を抱きしめた。
触れられない分……彼女の心を、包み込むように。
「……私は、結城神奈。好きなように呼んで良いよ」
「……じゃあ、神奈お姉ちゃん」
涙で潤んだ目で言う少女の言葉に、私は「うん」と笑い返す。
それから、少女の体を離し、私は顎に手を当てて続けた。
「貴方の呼び方はどうしようか……」
「何でもいーよ。お姉ちゃんが呼びやすい名前で」
その言葉に、私は顎に手を当てて「んー」と呟いた。
何か……折角なら、名前っぽい名前が良いなぁ……。
私は少女を見つめながら、真剣に考える。
人の目には見えない……目には……見えない……。
「……じゃあ、目に見えない存在ってことで、目を英語にして……アイ、なんてどう?」
「……! アイ! 良い!」
嬉しそうに言う少女……もとい、アイの反応に、私は自分の頬が緩むのが分かった。
少し安直だったかな、なんて考えるけど、私の付けた名前でここまで喜んでもらえるなんて嬉しいものだ。
それから私とアイは、夜が更けるまでの間たくさんお喋りをした。
途中看護師が食事を置きに来たが、気にせずに語らった。
狂人だとか、頭がおかしくなったとか、そんな風に思われても関係無い。
今の私には、そんな風に思われたところで失うものなの無い。
だったら、手元にある大切な物を守りたいと思った。
夜になったら、アイとベッドに並んで眠った。
触れられないけれど、彼女は確かにそこにいた。
透ける彼女の手を握りながら、私は彼女と眠った。
握ったその手は、両親の手のように温かく感じた。
触れられる誰かよりも……私を阻害する誰かよりも、彼女の存在は暖かかった。
「それじゃあ、ここで静かにしていてね」
翌朝。
私は、アイをベッドの影になる隅の方に腰かけさせて、そう言った。
向こうにアイが見えないことは分かっているが、話しかけられても反応出来ないので、静かにしておいてもらった方が良いと思ったのだ。
私の言葉に、アイはペタッとその場に座って「ん」と頷いた。
それからベッドに座って、ぼんやりと過ごして時間を過ごしていると、看護師が私を呼びに来た。
彼女に付いて少し歩いて行くと、とある部屋の前に辿り着いた。
扉を開けて貰い中に入ると、そこには……一人のお兄さんがいた。
「結城神奈さん……で、良いのかな?」
「……はぁ……」
小さく返事をすると、お兄さんは座っていたソファから立ち上がり、私を見て優しく微笑んだ。
「初めまして、結城さん。本日カウンセリングをさせて頂きます、佐藤 彰浩です。本日はよろしくお願いします」
「……お願いします……」
挨拶をしつつ、私は、対面になるソファに腰かけた。
すると、彼は少しだけ苦笑気味の表情を浮かべ、座っていたソファに座る。
「……結城さんのことは、色々と聞かせてもらったよ。……まだ幼いのに、すごく……僕でも耐えられないような、波乱万丈な生涯を送っているね」
「……」
彰浩さんの言葉に、私はフイッと視線を逸らす。
そんな慰め、今まで何百万と投げかけられてきた。
どれだけ慰められても、自分が惨めになるだけで、何も変わらない。
だから……やめてくれ。
「……私から話すことは……何も無いです」
小さく、私は呟いた。
すると、彰浩さんは「そんなこと言わないで……少しだけでも、話してくれませんか?」と、半笑いで聞いて来る。
それに、私は目を逸らしながら、続けた。
「貴方と話しても、両親も左目も髪も……何も戻って来ません」
「それは……でも、僕は……ッ!」
「幻が見えているならそれでも良いです! アイと話している時が一番楽しいので!」
「……アイ……?」
私が必死に叫ぶと、彰浩さんはキョトンとした表情でそう聞き返してきた。
それに、アイのことを説明しようとした時、彼はゆっくりと続けた。
「もしかして、その子……五歳くらいの……幼い女の子かい?」
「え、えぇ……それくらい、ですけど……」
「髪を二つ結びにしていて……可愛らしい感じの……」
「な、なんで分かるんですか……?」
アイの見た目を着々と当てていく彰浩さんに、私は咄嗟にそう聞き返した。
すると、彼はしばし考え込むような間を置いてから、ゆっくりと続けた。
「もしかして、それは……豊島 愛里という少女ではないか……?」




