1:出会いは突然に
ガタンガタンと揺れる車内で、私は吊り革に掴まり、電車の震動に身を任せた。
二度目になる朝の電車には、相変わらず慣れない。
これから毎日使っていくのでいずれは慣れるものなのかもしれないが、しばらくはこの慣れない感じが続くのだろう。
昨日から、私は高校一年生になった。
入学式を終えて、今日からいよいよ本格的な高校生活が始まる。
普通なら、これから始まる高校生活に思いを馳せ、期待に胸を膨らませるのだろう。
しかし、私の心情は全くの真逆だった。
これから始まる高校生活が、憂鬱でしかなかった。
ただでさえ不安しか無かったが、昨日の入学式で確信した。
私は、この学校に馴染めない。
いや、私が馴染める学校など、この世に存在しないだろう。
それは……この電車の状況を見るだけでも、充分に分かる。
吊り革に捕まっている私を、明らかに奇異なものを見るような目で見る人達。
被害妄想なのではない。何度も自分の妄想だと思いたかったが、実際、奴等は私のことをそういう目で見ている。
しかし、それが仕方のないことであることも、私は理解していた。
普段であれば、イヤホンで音楽でも聴いたりして誤魔化すのだが、昨日愛用のイヤホンを壊してしまったために、それも出来ない。
こうなることは分かっていたはずなのに……私は本当に馬鹿だ。
面倒だから、と新しいものを買うことを怠けた昨日の自分が心底憎い。
今日の帰りに電気屋に寄ることを決めながら、私は小さく嘆息した。
吊り革を強く握り締め、私は目の前にある窓に微かに映る自分の姿を凝視した。
真っ白な髪をショートカットにしており、左目には白い布の眼帯をしている少女。
それが私、結城 神奈の見た目だった。
傍から見れば、重症過ぎる立派な中二病だ。
これで私が生粋の中二病なら笑い話で済むかもしれないが、どちらも自前で、どうしようも無いのだから笑えない。
人より半分狭い視界の隅で、同じ学校の制服を着た女子高生二人が、こちらの方をチラチラと見ながら、何やらヒソヒソと話しているのが見えた。
あんな視線も、陰口も……もう慣れっこだ。
私は小さく嘆息し、持っているスマホに視線を落とした。
掌サイズの四角いネット世界に逃げてから五分程経過し、目的の駅に到着する。
扉が開くなり、私と同じ学校の制服を着た人達がゾロゾロと出て行く。
私は定期券を改札口に翳し、その制服群の中に紛れ込む。
しかし、私のような見た目の人間が一人のモブになれるはずもなく、やはり周りから奇異の目を向けられていた。
こんな中で、ごく普通の高校生活など送れるはずがない。
……憂鬱だ。
学校が近付いてきたので、私はスマートフォンの電源を切り、制服のポケットに突っ込む。
すると、玄関の前には教師が数名立っており、生徒に挨拶をしていた。
挨拶運動……という名目上の、服装検査だ。
明らかに制服を着崩したり、校則を破った者がいれば注意し、その場で正させる。
これに関しては、昨日の入学式で説明を受けた。
ちなみに、この挨拶運動の他にも、月に一回服装検査というものがあるらしい。
どんだけ服装に厳しい学校なんだ、全く……。
「おい、そこの君」
この学校の服装への厳しさに辟易としていた時、呼び止められた。
振り向くとそこには、中年の男性教師が立っていた。
でっぷりと弛んだ腹を揺らしながら、彼はこちらに足早に歩いてきた。
「……私……ですか?」
「あぁ、君だ。何だその恰好は! 髪色も眼帯も校則違反だ!」
男性教師の言葉に、私は頬を引きつらせる。
おいおい……ちゃんと説明してあるんじゃないのか?
困惑している間に彼は私の格好を見て、改めて私の顔を見た。
「あの……これには事情が……」
「言い訳は聞かない。髪は染めているのか? とりあえず色を落とすなり黒染めするなりしなさい」
「だ、だから……!」
「それから、この眼帯は何だ。今すぐ外しなさい」
そう言って、男性教師は私の眼帯を掴んだ。
しまった、と思った時には私の眼帯は外され、隠していた左目が露わになる。
咄嗟に手を当てる形で顔の左半分は隠すが、男性教師には見られてしまった。
一瞬ではあるが、私の目を見た男性教師は、その顔を驚愕に染め上げていた。
「な……君、それは……」
「何しているんですか!」
男性教師が驚いているのを見て、ようやく異常に気付いた女性教師がこちらに駆け寄って来る。
彼女は顔を隠す私と、男性教師が持っている眼帯を交互に見て、サッと顔を青ざめさせた。
すぐさま彼女は男性教師の元に駆け寄り、私の眼帯をひったくる。
それから私を庇うように立ち、自然に私に眼帯を渡してくれた。
「大丈夫? 教室まで行ける?」
「……」
女性教師の言葉に、私は答えられない。
体がガクガクと震え、呼吸すらままならなくなる。
過呼吸になりそうになっていると、女性教師は無言で私の背中を押し、どこかに誘導する。
片手が顔を隠すことで使えないため、女性教師に助けて貰いながら、靴を履き替える。
靴を履き替えている最中に、別の教師が男性教師に何かを説明しているのが見えた。
しかし、私の場所からは何を話しているのかは、サッパリ聞こえなかった。
それから女性教師に連れられ、保健室に行った。
カーテンで囲まれたベッドの上で掛け布団に包まり、眼帯を着けることで、一応はひと安心する。
未だに止まぬ鼓動と荒くなった呼吸の音を聴きながら、私は左目に着けた眼帯を指でなぞり、嘆息する。
……最悪だ……。
上手くやっていける自信など無かったが、これでは完全に台無しだ。
これからあの教師には腫れ物のように扱われるだろうし、もしあの騒動を同じクラスの人が見ていたら……そこまで考えて、ゾクッと背筋に寒気が走った。
オマケに、もし私の左目をあの男性教師以外に見られていたら……。
「結城さん、大丈夫?」
すると、保健室の先生がそう声を掛けてきた。
彼女の言葉に、私は顔を上げた。
今は、誰かに視線を向けられることも辛かったので、カーテン越しに声を掛けてもらったことは有難い。
「は、はい……なんとか……」
「そう……二時間目からは、授業に参加出来そう?」
「……そこまでは……何とも……」
私はそう言いながら、体を包み込んでいる掛け布団を握り締めた。
しかし、これ以上授業を休むわけにもいかない。
折角入れて貰ったのだから、ちゃんと授業を受けなければ。
そうは思うのだが、体が動かなかった。
一人俯いていると、カーテン越しに、チャリッ……と、金属音が聴こえた。
「一応、屋上の鍵を置いておくわね。保健室の横にある階段を一番上まで上っていくと、扉があるわ。本当は立ち入り禁止なんだけど……外の風に当たったら、スッキリすると思うから」
「……」
先生の言葉に、私は掛け布団の中からゆっくりと這い出る。
……学校の屋上……か……。
確かに、先生の言うことにも一理あるかもしれない。
風に当たったら、少しはスッキリするか。
中庭とかを選択しなかった辺り、先生は分かっている。
……今の私は、他の人に見られることが怖いから。
とは言え、ここまでされて授業に出ないのも、申し訳ない。
屋上に出て風に当たったら、授業に出よう。
私はそんなことを考えて、鞄を持ち、掛け布団を整えてベッドから出た。
先生は机で何かの作業をしており、私には見向きもしなかった。
その間に私は別の机の上にある鍵を取り、保健室を出た。
授業中だからか、校内は静けさに包まれていた。
そもそも入学式の翌日の一時間目など、ちゃんとした授業はまだか……と、今更ながら考える。
私は階段を上り、屋上に出る扉の前に立つ。
「ふぅ……」
小さく息をつき、私は屋上の扉にある鍵穴に鍵を差し込んだ。
カチャリ、と音を立てて、鍵が開く。
ゆっくりと扉を開き、私は屋上に踏み込んだ。
「……あっ……」
すると、声がした。
顔を上げるとそこには……少女が一人立っていた。
春風に黒髪を靡かせながら、こちらを見つめる少女。
陶器のように透き通った白い肌に、作り物かと思うくらい整った、綺麗な顔立ち。
あぁ、しまった……人に会いたくなくて、ここに来たというのに……。
でも、施錠されていた屋上に、なんで人がいるんだろう?
グルグルと巡る思考の中で、私は視線を落とした。そこで気付く。
少女の膝から下が……無いことに……。
……あぁ……マジか……。
私は引き返そうとした体を止め、溜息をつく。
……私には、秘密がある。
人間には、誰しも、秘密の一つや二つ抱えているものだと思う。
心の奥底にある、繊細なガラス細工のような存在。
そこに誰かが触れれば、その人間を壊しかねない秘密。
私の心の中には、二つのガラス細工がある。
その内の一つ。……誰にも言えない、大きな秘密。
私には、幽霊が見えます。