十三日目:三人の女たち3
砂時計を一回ひっくり返した頃に、ペリ丸とペリトンたちは戻ってきた。
美咲とミーヤ、それに隷従の首輪が外れた三人の女性のうち、その場に残っている最年少の少女であるイルマで、ペリ丸とペリトンたちを取り囲む。
とはいっても、ペリトンの群れの方が数が多いので、どちらかというと美咲たちの方が取り囲まれていたりするが。
「どうだった? どうだった?」
わくわくしながら尋ねるミーヤに、ペリ丸とペリトンたちが次々に答える。
「「「ぷう!(周りに危険な魔物はいなかったよ!)」」」
「ぷう!(向こうでタゴサクたちを見つけたよ!)」
「うん! 何言ってるか全然分かんない!」
あっけらかんとした笑顔で言ったミーヤに、期待からか思わず前のめりになっていたイルマがずっこけた。案外愉快な娘である。
「ミ、ミーヤちゃあん!」
涙目で詰め寄るイルマに対して、悪びれもなくミーヤはけろりとしている。ミーヤは案外大物になるかもしれない。
「タゴサクさんのところまで危険はないってペリ丸たちは言ってるよ」
美咲が通訳すると、ミーヤは目を輝かせた。
「お姉ちゃん、ペリ丸が何言ってるか分かるの!? 凄い!」
「ほ、本当ですかぁ?」
興奮して飛び跳ねるミーヤとは対照的に、イルマは不審げだ。
「このサークレットが、言葉は全部翻訳してくれるから。ミーヤちゃんが手懐けた魔物だけみたいだけど」
美咲は己の額に嵌められたサークレットを撫でた。言葉を翻訳してくれることは知っていたが、まさか魔物の鳴き声まで翻訳してくれるとは美咲も思わなかったので、これは嬉しい誤算である。
ミーヤの魔物だけというのは、以前ゲオルベルの群れと戦った時には、ゲオルベルの鳴き声が翻訳されなかったことによる美咲の推測だ。翻訳されなかったのは事実なので、そう間違いでもないだろう。
「そんな貴重なものを持ってるなんて、美咲さんは何者なんですかぁ?」
翻訳サークレットがとてつもない価値を持っていることは常識らしく、イルマは美咲の額で輝いているサークレットを見つめて慄いている。
「……ただの旅人よ」
まだ人となりを良く知らないイルマに安易に事情を明かすわけにもいかず、美咲は苦笑して言葉を濁した。
「絶対嘘ですぅ」
イルマは端から信じていなかったが。
「本来なら、お城の宝物庫に収められていてもおかしくない品ですよぉ。一介の旅人が持っているのは変ですぅ」
(この子、見た目は気弱そうな子だけど、意外と疑り深いな……)
疑惑の視線を送られる美咲は、どう取り繕おうか考える。
でも、嘘をついてそれがばれるたび、彼女の美咲に対する信用度はどんどん低下していくだろう。
そう考えると、正直に言った方がいいかもしれない。
美咲は正直に打ち明けてみることにした。
「実は私は勇者で、魔王を倒すために日々戦っているのよ」
「それも嘘ですぅ。言うつもりがないならもういいですぅ」
冗談と取ったのか、イルマは機嫌を損ねてそっぽを向いてしまった。
(……嘘じゃないんだけどなー)
視線を逸らし、美咲は気まずげに頬をかいた。
最初に誤魔化そうとしたのが良くなかったかもしれない。
でも、安易に他人を巻き込みたくはないし、魔族側の人間がいないとも限らない。種族が違うので一概にはいえないが、魔族でも人間側についているエルナという例があるし、裏切りというのはいつだって起こり得る。
今美咲が信頼しているとはっきり口にできるのは、アリシャとミーヤだけだ。ルアンとルフィミアも同じ括りに入っていたけれども、その二人は生死不明になっている。生きていて欲しいが、可能性は低い。
(でも、万が一っていうこともあるよね……?)
クモの糸のような可能性に縋りながらも、それがいかに切れやすいものであるか美咲は良く知っていた。
何しろ、ルアンもルフィミアも、みずから囮となって絶望的な状況下に残ったのだ。
普通に考えたら、生存なんて有り得ない。
それを理解していながらも、諦め切れないのが、美咲の未熟さであり、若さだった。
何気なく馬車を振り返ったミーヤが、美咲の袖を引っ張った。
「どうしたの?」
我に返った美咲が振り返ると、ミーヤが首をかしげて疑問を口にした。
「お姉ちゃん、馬車、このまま置いていったら魔物に襲われちゃうかも」
「え? もう御者もいないし、私たちも誰もいなくなるから、食べ物さえ残さなければ大丈夫じゃない? まさか魔物が食べ物以外の荷物を盗むとは思えないし」
「でも、ワルナークがいるよ。ワルナークに何かあったら、馬車が動かなくなっちゃうよ」
「あ……」
すっかり馬型の魔物、ワルナークのことを失念していた美咲は、ミーヤの指摘に初めて気付かされて考え込んだ。
確かにミーヤの言う通り、ワルナークを残しておくのは危ないかもしれない。
誰もいない間にワルナークを食い荒らして去るならまだしも、食事の最中に鉢合わせでもしたら大変だ。
「だからね、ミーヤが新しい魔物を手懐けて、見張りに残しておいてあげる!」
「ちょ、そういうことはタゴサクさんがいる時に──」
制止は間に合わず、ミーヤは魔物使いの笛を吹き鳴らした。
ざざざと辺りの草むらが激しく動き、ペリ丸が「ぷぷぷぷぷ!」と警戒するような鳴き声を発した。
のっそりと草むらから現れた魔物を見て、美咲は口をあんぐりと開けてしまった。
「……クマだ」
美咲が呟いた通り、それは見れば見るほどクマだった。ただ、美咲が知る地球上のどのクマよりも大きいが。元の世界でホッキョクグマと並ぶ地上最大の大きさのクマといわれるヒグマと比べてみても、一回りは大きいのではないだろうか。
前足の太さと鉤爪の凶悪さは、美咲など一撃で殴り殺されそうなほどである。
「すっごーい! これなら安心して任せられるね!」
一人でミーヤが大はしゃぎしているが、ペリ丸と同じように、この魔物もミーヤに従ってくれるのだろうか。
「ねえ、魔物さん、ミーヤとお友達になって!」
「クマクマクマクマ(いいよ。でもその代わりに何か食べ物ちょうだい)」
「ねえ、お姉ちゃん、魔物さんなんて言ってるの?」
「えっと……いいけど食べ物が欲しいって言ってるよ」
「食べ物……あ、ピエラがあるよ!」
ミーヤがぬいぐるみ型の道具袋から残しておいたピエラを出し、魔物に向かって差し出した。
差し出されたピエラを、魔物はあっさりと平らげるときょとんと首を傾げて見つめた。
「クマ? クマクマ(これだけ? もっと欲しいよ)」
「うー。ミーヤには何言ってるか分からないよ」
「もっと欲しいって」
「え? もっと? 何かあったかなぁ」
美咲が魔物の要求を伝えると、ミーヤはぬいぐるみを漁り始めた。
「あ、昼食に食べたパンの残りがあったよ!」
ミーヤは残しておいたパンを魔物に差し出す。
うまうまとパンを平らげた魔物は、つぶらな瞳でミーヤを見た。
「クマクマ(今はこれだけでいいや。何をすればいい?)」
慣れた美咲が、ミーヤが何か言うより前に魔物の言葉を翻訳する。
「何をすればいいか聞いてるよ」
新しい魔物を手懐けることに成功したミーヤがぱあっと顔を輝かせた。
「じゃあ先に名前をつけてあげる! 今日からお前はマク太郎ね!」
相変わらずのミーヤのネーミングセンスに、美咲は半笑いになった。
翻訳されてこれとは、元の名前はどれほどのものなのだろうか。
「えっとね、あの馬車のワルーナクを守って欲しいの!」
「クマ!(分かった!)」
のしのしと馬車に歩いていった魔物は、ワルナークの目の前にでんと居座った。
心なしかワルナークが怯えているような気もするが、あれなら他の魔物に襲われる心配は無さそうだ。何しろ、立ち上がれば四ガートを超える巨体である。つまり四メートルだ。体重は軽く一トンを超えるだろう。
「あれ、なんだか雰囲気が……ぎゃー!?」
そっぽを向いていたイルマが我に返ったように辺りを見回して、でんとそびえるマク太郎を見て腰を抜かした。
「マ、ママ、マクレーア!?」
どうやらこの世界では、このクマのような魔物のことをマクレーアと呼ぶらしい。
「クマー(なんか、煩いなぁ)」
マク太郎が顔を向けて、迷惑そうにイルマを睨んでいる。
蛇に睨まれた蛙のようにイルマが固まった。
「クマ(あ、静かになった)」
黙りこんだイルマを見て、マク太郎はどこか満足そうに鳴くと、ごろごろと辺りを転がり始めた。
どうやら退屈になって遊び始めたようだ。
「ふえええ。怖いよぅ」
ぶるぶると子鹿のように震えながら、イルマが泣き言を漏らした。
■ □ ■
それからイルマに事情を説明し、連絡用にペリ丸にペリトンを一匹つけてもらって馬車をマク太郎に任せ、美咲はミーヤとイルマを連れて洞窟の入り口へと向かう。
洞窟の入り口に着くと、足音を聞きつけて振り返ったタゴサクとセザリー、テナが、やってきた美咲、ミーヤ、イルマを見て目を丸くした。
「何かあったでござるか?」
真っ先に声をかけてきたタゴサクに、美咲は馬車を離れた理由を打ち明ける。
「なんだかきな臭くなってきたので、分かれて行動するのは危険だと思いまして。万が一を考えて、タティマさんたちと合流した方がいいと思うんです」
話を聞いたタゴサクはむむむと唸った。
「それは、もっともでござるな。確かに、ただの洞窟の調査にしては妙な気がすると拙者も思っているでござるよ。しかし、問題はタティマらと連絡を取る方法を、拙者らが持ち合わせていないことでござるな。待つしかないでござる」
「そうですか……なら仕方ないですね」
美咲は芳しくない返事に落胆したが、ある意味予想通りでもあったので、素早く気持ちを切り替えて別の質問をした。
「ところで、セザリーさんたちは弓を引けたんですか?」
「おお、美咲殿、それについては朗報でござる。見るでござるよ!」
タゴサクが合図を出すと、セザリーが緊張を顔に滲ませて弓を構えた。
そこで初めて、美咲はセザリーとテナが弓を抱えていることに気がつく。どうやら、無事弓を拾えたらしい。美咲たちが来るまで、使えるか確かめていたようだ。
セザリーが歯を食いしばり、力を篭める。
見た目ではそれほど筋肉がついているとは思えなかったセザリーの腕に異常な量の筋肉の筋が浮き上がり、膨張する。
矢を番えずに、セザリーはあっさりと弓の弦を限界まで引いた。
一部始終を、美咲は呆然として見つめる。
華奢な体格のセザリーに、そんなアリシャみたいな筋力があるとは思えなかった。
「……私も触ってみてもいいですか?」
「いいわよ。はい」
セザリーに許可を求めると、美咲は弓を手渡された。
木でできた簡素な弓だが、触ってみると不思議と手のひらに吸い付くような不思議な手触りをしている。
「……あれ?」
記憶にあるアリシャの見よう見まねで弓を引こうとした美咲は、伝わってきた固い手ごたえに首を傾げた。
結構な力を篭めているつもりなのに、ほとんど弦が動かない。
「むむむ」
ムキになった美咲は、全力を篭めて弓を引いた。
「凄い! 美咲さん、私の半分も引けるなんて!」
手を叩いてセザリーが自分のことのように喜んだが、美咲は逆に微妙な気分になった。
美咲だってこの数日それなりに鍛えてきたつもりなのに、全力を出して、特に鍛えているようには見えないセザリーの半分の力しか出せないのだ。
「私もできるよ! 見て」
さらには、テナですら手持ちの弓をあっさりと限界まで引いてみせた。
確かめてみたら、それはセザリーが持つ弓よりも硬かった。
テナは弓をイルマに手渡した。
「イルマもやってみなよ! ほら!」
「わ、私もですかぁ?」
あわあわ言いながらも、イルマですら軽がると引いてみせるのだから、笑えない。
「さすがに、これはちょっとショックかも……」
打ちひしがれる美咲を、タゴサクが苦笑して慰める。
「気を落とすなでござるよ。どうやら、彼女たちのこの異常な怪力は、隷従の首輪による副産物のようでござる」
「副産物、ですか?」
鸚鵡返しに聞き返した美咲に、タゴサクは美咲と離れている間に判明したことを語った。
「彼女たちの肉体は、意図的に肉体の制限機能が取り払われているでござる。いわば、常時火事場の馬鹿力が発揮できるということでござるな。さらにその馬鹿力に耐え得るように肉体そのものも強化されているでござる。洗脳は解けても調整された身体は元に戻らないということでござろう。彼女らは戦闘奴隷として調整されていたようでござる。美しい容姿故、もちろんそういう目的での調整もされているでござろうな。無論、拙者も直接確認したわけではござらんが」
「……酷い」
言葉を濁して詳しい描写を避けたタゴサクの言葉の裏に隠された事実を敏感に感じ取った美咲は、厳しい表情でぽつりと呟きを漏らす。
身体を勝手に改造するなんてとんでもない話だ。尊厳を踏みにじられている。
美咲にとっても他人事ではない。美咲の全身にだって、死出の呪刻というとんでもない刺青が刻み込まれているのだから。術者である魔王を殺せば効果は消えるらしいが、刺青である以上、どうしたって痕は残る。元の世界に帰れたとしても、美咲は一生、傷跡と向き合って生きていかなければならないのだ。
「悪いことばかりでもないのよ。おかげで、こうしてあなたの役に立てるんだもの。事情は聞かせてもらったわ」
セザリーの言葉は美咲にとって思いも寄らぬものだった。
思わずタゴサクを振り返る美咲に、タゴサクは気まずそうに頭をかいた。
「済まぬでござる。話してしまったでござるよ」
「いえ、それはいいんですけど……信じるんですか? 荒唐無稽な話なのに」
遠慮がちに問いかける美咲に、セザリーは儚げに笑いかけた。
「信じるしかないのよ。例えそれが嘘でも、私たちの身体が元に戻らないことには変わりない。それに、こうなってしまった以上、ラーダンに戻っても元の生活は送れない。差別の目にも晒されるでしょう。ならせめて、この力を有意義なことに使いたいの」
弓を片手に、テナも真っ直ぐな瞳で美咲を見つめた。
「私もセザリーと同じ。済んだことでくよくよしてたって仕方ないからね。なら、特別な力を身につけたんだって前向きに考えることにしたの。……そうでも思わないと、やってられないし」
軽い口調はそのままだが、表情は真剣だ。
きっと二人とも、考えた末に出した答えなのだろう。
「……そんな大事なことを、二人だけで決めちゃうなんてずるいですぅ」
一人だけ美咲たちと一緒にいたイルマが不満そうに頬を膨らませた。
「じゃあ、イルマはどうする? 帰る?」
尋ねるテナに、イルマはため息をついて首を横に振る。
「目覚めてから、ずっと身体が変な感じはしてたんですぅ。これがそういうことなら、もう普通の生活なんて無理ですぅ」
太股をもじもじと擦り合わせながら言うイルマを見て頷くと、セザリーは美咲に向き直る。
「そういうわけですので、これからよろしくお願いしますね、勇者様」
「……こちらこそ。ありがとう、仲間になってくれて」
途中で死んでもおかしくないような危険な旅の仲間に、三人もなってくれた。
そのことに喜びで泣きそうになりながら、美咲は笑った。
「魔王を倒して全てが終わったら、あなたたちのことは私たちが責任を持って、ラーダンまで送り届けます。だからそれまで、少しだけ、私に力を貸してください」
虫の良い話であることは自覚している。
それでも彼女たちの協力無しには魔王を倒すことは不可能だ。
だからせめて精一杯の誠意と感謝を篭めた美咲の言葉に、セザリー、テナ、イルマの三人は、微笑みながら頷いたのだった。




