十三日目:三人の女たち1
木々の間から、矢を射掛けたであろう人物がふらふらと歩み出てくる。
その人物は、ベクラムでは無かった。
若い女性だ。手には弓を持っている。それが三人。
誰もが美しい娘だった。
「……おなごだと?」
予想だにしていなかったのだろう。
場違いな女たちの登場に、タゴサクの口から訝しげな声が漏れる。
女たちは、無言で弓を構えると、矢を射掛けてきた。
「ケェアジィエユゥ!」
一瞬呆けて対応が遅れたタゴサクに代わり、美咲が魔族語で風を巻き起こして矢を吹き散らし、地面に叩き落とす。
「何故、あのようなか弱いおなごが矢を射掛けられるでござるか!?」
「疑問はもっともですけど、実際に射掛けられてるんですから、まずはそれを何とかしましょうよ!」
「二人とも、また来るよ!」
言い合うタゴサクと美咲に、ミーヤの逼迫した声が飛ぶ。
「確かに、言い合ってる場合ではないでござるな! 細かい詮索は後回しでござる!」
再度飛んできた矢をタゴサクが切り払った。
「美咲殿は戦えるでござるか!?」
「い、一応は!」
「なら拙者が彼奴らの背後に回り込んで退路を断つ故、その間ミーヤ殿を守ってやって欲しいでござる! 出来るでござるか!?」
真剣な表情で自分を見つめてくるタゴサクの視線を受けて、美咲は己の心が奮い立つのを感じた。
「分かりました! 任せてください!」
勇者の剣を抜き、美咲はタゴサクの横に並び立つ。
「お姉ちゃん、ミーヤも戦う!」
美咲は反射的に嗜めようとして、口を噤んだ。
連れて行くと決めたばかりなのだ。
「……じゃあ、私の後ろから援護をお願い。自分の身を守ることを、最優先にね」
「うん! ミーヤ、頑張る! ペリ丸も、頑張ろうね!」
ペリ丸が「任せろ!」とでもいうように勇ましくぷぷーっ! と鳴いた。
「煙幕を張る故、美咲殿はミーヤ殿を連れて馬車まで走るでござる! 拙者はその隙に木立に紛れて回りこむ!」
「はい!」
「ミーヤもやってみる!」
タゴサクが懐から黒い球を取り出し、地面に叩きつける。
衝撃で黒い球が砕けると、中から黒い煙がもくもくと噴出してきた。美咲たちから襲撃者たちの姿が見えなくなるが、それは同時に美咲たちも彼女たちの視線から隠れたことを意味する。
素早くタゴサクが草むらに飛び込み、姿を消す。
「私たちも動こう! ミーヤちゃん、背を低くして走るよ!」
「う、うん!」
めくらめっぽうに矢が飛んでくるものの、視界が遮られているせいか回避せずとも勝手に矢は外れていく。それでも当たれば大怪我は免れないので、すぐ傍を通り過ぎていく矢に美咲は何度も肝を冷やしながら、何とか馬車まで辿り着くことができた。
馬車の裏側に回り込み、矢に対する盾にする。
しばらくして煙が晴れると、美咲たちがいないことに気付いた女たちは、能面のような無表情を崩さずゆっくりと距離を詰めてきた。
(何か……様子が変。それに、あの細腕でどうして弓を扱えるの?)
走る最中に女たちを見た美咲は、襲撃者の正体に戸惑いの表情を浮かべた。
アリシャが弓を扱うのを見たことがあるし、アリシャは馬車の中に普通に置いているので、美咲も実際に引いたことはなくとも弓自体には触れたことがある。
この世界に限ったことかもしれないが、弓を射るという行為にはかなりの力が要る。体格に恵まれているわけでもない彼女たちが軽々と扱っているのには、いくらそういうことに鈍い美咲でも違和感を覚える。
美咲に言えた義理ではないが、美咲の場合は武器が特別なのだ。同じような武器が、そうごろごろしているとも思えない。
(考えている場合じゃないか。今はこの場を切り抜けることに集中しないと)
緊張で乾いてきた喉を、腰につけた水袋を呷ることで潤す。革の臭いが染み付いたお世辞にも美味しいとはいえない水だが、喉の状態は魔法の精度に直結するから仕方ない。
(そういえば、薬草飴買ってたっけ。あれも舐めたいな。……さすがに無理か)
道具屋で買った薬草飴の存在を思い出したが、道具袋から探して取り出すのには時間がかかる。その間相手が待ってくれるわけがないので、美咲は泣く泣く諦めた。
女たちの背後の草むらから、音も無くタゴサクが姿を現した。どうやら回り込みは成功したようだ。
タゴサクは女たちの一人に飛び掛ると、瞬く間に無力化してしまった。傍で見ていた美咲から見ても、何がどうなったのか全く分からない。それほどタゴサクの動きは素早く、淀みなかった。
残る二人はタゴサクに気付き、仲間をやられたというのに無表情を崩さず、あまつさえ至近距離だというのに矢を番えようとした。当然、タゴサクによって手から弓を叩き落される。
一応タゴサクも相手が女ということで配慮しているのか、手首を斬り飛ばしたりはしなかった。あくまで無力化に止めたようだ。それができるほど、彼我力量差があるのだろう。
「ペリ丸、やっちゃえ!」
残る一人にミーヤがペリ丸をけしかける。
猛然と走り出したペリ丸は、力強く地を蹴ると空中で身を丸め、白い弾丸となって体当たりを敢行した。
体当たりを食らった女は呻いて弓を取り落とし、蹲ったところでタゴサクに当身を食らわされくず折れた。
「……あれ?」
一人だけ役に立っていない美咲は、もう戦闘が終了したことに気付き所在無げに立ち尽くす。
「強い! ペリ丸凄い!」
思わぬペリ丸の活躍に、狂喜乱舞してミーヤがペリ丸に飛びついた。すりすりと頬擦りするミーヤを、ペリ丸は「どうだ!」とばかりに鼻をひくひくと動かして見つめた。
「美咲殿、ミーヤ殿、こっちへ来るでござるよ」
女たちの三人中二人を容易く気絶させたタゴサクが、神妙な声で二人を呼んだ。
思わず顔を見合わせた美咲とミーヤは、何かがあったのかと思い早足でタゴサクの下へ向かう。その後をペリ丸が追いかけた。
「ペリ丸、おいで」
気付いたミーヤが両手を広げると、ペリ丸はミーヤの懐にジャンプして飛び込み、器用に丸まった。
「か、可愛い……」
白いふわふわの毛玉と化したペリ丸に思わず目を奪われた美咲の顔を見て、ミーヤが満面の笑顔を浮かべる。
「だよね! ペリ丸、可愛いよね!」
思いがけず白いアニマルに心を癒されながら、タゴサクの傍に辿り着いた美咲は、タゴサクの強張った顔に気がついた。
「何かあったんですか?」
「これを見るでござる」
タゴサクが指差したのは、女たちの首に嵌められた、黒い革製の首輪だった。
「……ファッションではないですよね」
思わず唖然とした美咲の口から現代語が漏れる。本来なら伝わらないそれは、美咲が身に着けている翻訳サークレットによって、類似するこの世界の言葉に置き換えられてタゴサクに伝わった。
「ただの装飾なら悪趣味なだけで済んだでござるが、生憎違うでござる。これは隷従の首輪でござるな」
「隷従の首輪……!? 何ですか、それ」
明らかにやばそうな名称を聞いて、美咲はまじまじと女たちの首に嵌められた黒い首輪を見つめた。鉄製でがっちりとした作りの首輪は美しい女たちにはいかにも不釣合いで、倒錯的な趣味を伺わせる。もちろん女たち本人の趣味ではないだろう。おそらく、彼女たちに首輪を嵌めた者がいるはずだ。
「文字通り、嵌められた者を支配下に置く効果を持つ首輪でござる。首輪を外せば効果は解けるでござるが、大抵は簡単には外せないようになっているでござる。鍵付きだったり、金属製だったりするだけで、解除は途端に難解になるでござるから。幸いこの首輪は革製でござるが、物理的に外すのが簡単なものには、大抵外そうとしている者に対して攻撃する魔法がかかっているでござる。こうなると、手のつけようがないでござる。もう異世界人でもない限り、外すのは不可能でござるよ」
美咲は思わず唾を飲み込んだ。
普通なら、この場で女たちを解放することはほぼ不可能なのだろう。だが、美咲ならば。
(……異世界人、いるよ、ここに)
何たる偶然の産物か、異世界人が今、この場にいるのだ。
「申し訳ないですがタゴサクさん。ナイフか何か、持っていませんか?」
「小刀なら持っているでござるが……何に使うでござる」
「貸してください」
丁寧でありながらも有無を言わせぬ美咲の口調に、気圧された様子でタゴサクは美咲に懐に忍ばせていた小刀を手渡した。
白木の鞘の、質素な作りの小刀だが、抜き放つと硬質の片刃がきらめいた。業物なのかもしれない。
美咲は女の一人の傍にしゃがみ込むと、おもむろに首に嵌められた首輪に手を伸ばす。
「何をしているでござるか美咲殿! 外そうとしたら攻撃魔法が発動すると言ったでござろう! 危ないでござるよ!」
慌てて制止しようとしたタゴサクの袖をミーヤが引っ張る。
「な、何をするでござる」
まさかミーヤに止められるとは思っていなかったのだろう。タゴサクが困惑した声を上げた。
「お姉ちゃんなら、大丈夫だよ」
何かを予想しているかのようなミーヤの落ち着いた口調に、タゴサクは美咲とミーヤを見比べて目を白黒させた。
「ど、どういうことでござるか……?」
その間にも、美咲は首輪を引っ張って首と首輪の間に僅かな隙間があることを確認すると、女を傷付けないように細心の注意を払いながら、小刀をその隙間に差し入れた。
刃を首輪に当て、横に引いて切断する。
その瞬間、首輪から人魂のような黒い炎が出てきて膨張しかけたが、美咲はそれを無造作に空いていた左手で握り潰した。それだけで、黒い炎は勢いをみるみる失い、呆気なく掻き消えていた。
一部始終を、タゴサクは目を見開き、口をあんぐりと開けて見つめていた。まさに絶句して言葉が出ない、といった様子だ。
(今、美咲殿は何をしたでござる……?)
確かに攻撃魔法が発動したのをタゴサクは見た。あれは、高位の火魔法だ。膨張した黒い炎が、辺り一体を焼き尽くす広範囲殲滅魔法。首輪をつけられていた女たちも無事では済まないが、解除を試みられたということは、既に女を確保されているということであるから、女と首輪という証拠ごと解除者を抹殺して知らぬ振りを決め込むのが、おそらく女に首輪を嵌めた者の目論見だったのだろう。
そしてそれは成功しかけていた。解除者が美咲でなければ、辺りは灰燼と化していたはずだ。
美咲は無言で、もう一人の首輪も外す。再び現れた黒い炎を、美咲はぞんざいに手で叩き落して踏み消した。三つ目は美咲も慣れてきたのか、無造作に蚊でも潰すかのように叩き潰した。
効力を失ってただの壊れた革の首輪になった隷従の首輪三つを拾い集め、美咲はタゴサクに向き直る。
「これ、証拠になりますよね?」
「あ、ああ。魔族語に詳しい者なら魔法の痕跡を辿れば術者を突き止めることは可能でござるし、おなごたちの証言を聞けばもっと詳しい話も聞けるはずでござるから、十分証拠になるでござる」
「じゃあ、タゴサクさんが持っていてください。私、そういうのには詳しくなくて、よく分からないですから」
ぽんと隷従の首輪の成れの果てを三本手渡され、タゴサクは驚いて思わずそれをお手玉してしまった。
魔法が働いて、あの黒い炎が再び出てくるのではないかと思ってしまったのだ。
もちろんそんなことはない。
「美咲殿。お主は、何者でござるか」
「タゴサクさん自身がいってたじゃないですか。あの首輪を外せるのは異世界人だけだって。だから、異世界人ですよ」
厳しい目で自分を見つめるタゴサクに、開き直った美咲は穏やかに笑った。