十三日目:用意は万全に3
防具屋から出た美咲は、ミーヤに謝る。
「ごめんね。何も買ってあげられなくて」
「服買ってもらったし、笛もあるからミーヤは大丈夫だよ」
幼いミーヤにすら気を使われていることを感じ取り、美咲は落ち込んだ。
(貧乏って、切ない……)
「そんなことより、甘いもの買って! ミーヤ、もうすぐ全部舐め終わるから!」
どうやら、防具屋でミーヤがずっと黙っていたのは、空気を読んでいたのではなくて、飴を舐めるのに集中していたからのようである。
「……そうだね。じゃあ、パン屋に行くがてら、何か甘いもの無いか探そうか」
「うん! ミーヤね、あっちにピエラが売ってるの見たよ!」
ミーヤが美咲の手を引っ張って歩き出す。
ピエラなら美咲も食べたことがあるので、どんなものか知っている。この世界の柑橘系の果実だ。
美咲の知るオレンジなどと同じような味で、瑞々しくて美味しい。
値段も手ごろなので、買い食いしても財布に優しい。
少し歩いた先に見えたのはピエラ売りの屋台で、ピエラが山と積まれていた。
(ちょうどいい。お昼のデザートにするのもいいし、大目に買っておこう)
「四つください」
「あいよ。八ペラダだよ」
店主らしき中年女性に代金を支払い、ピエラを四つ受け取る。
「残りはお昼に食べようね」
ピエラをミーヤに一つ渡し、三つをミーヤの道具袋に仕舞う。
「はーい!」
ぬいぐるみの道具袋にピエラを仕舞ってもらったミーヤは、もう一つのピエラを手に笑顔を浮かべた。
柔らかいピエラの皮は、ミーヤの手でも簡単に剥ける。
小さな手で器用にピエラの革を剥いたミーヤは、一房放り込んで相好を崩した。
「美味しいー」
ぱくぱくとピエラを食べるミーヤを見て、美咲はほっと息をつく。
(口直しになったみたいで良かった)
半分食べ終えたミーヤは、食べるのを止めて食べかけのピエラを見つめると、名残惜しそうにしながらも残りを美咲に差し出してきた。
「全部ミーヤちゃんが食べていいんだよ?」
「……いいの?」
きょとんとした顔をするミーヤに、美咲は微笑みかける。
「勿論だよ。遠慮しないで」
「お姉ちゃん、ありがとう」
顔を綻ばせたミーヤは、残りのピエラをそれは美味しそうに食べた。
美咲はピエラを食べて汚れたミーヤの手を、布で拭いてやる。
ミーヤがピエラを食べ終えてしばらくして、パン屋に着く。
中に入ると、焼きたてのパンの匂いが鼻腔をくすぐった。食欲をそそる匂いだ。
だが、ルアンと一緒に訪れた時より、陳列棚には空白が目立っている。
「パンの数、少ないね」
ぽつりと呟いたミーヤは、値段を見て顔を顰めた。どうやら聞くまでもなく、値上がりもしているようだ。
ルフィミアと訪れた陥落前のヴェリートもそうだったから、間違いなく戦争の影響だろう。
「そうだね。でも、買えるだけまだマシだと思わないと」
何しろ、人族連合軍が負けてラーダンが落ちてしまったら、それどころでは無くなる。美咲の魔王討伐もかなり危うくなるだろう。魔族の進撃は、なんとしてでもこのラーダンで食い止めなければならない。
(そのためにも、強くならなきゃ)
密かに決意を新たにしながら、美咲はさっさと一番安いパンを買い込む。その手つきに躊躇いは無かった。何しろ、迷うほどの数が無い。
パン屋を出て、美咲は砂時計をひっくり返す。
「そろそろ時間かな。ミーヤちゃん、戻ろう」
「はーい」
ミーヤの手を引き、美咲は冒険者ギルドにへ足を向けた。
冒険者ギルドに近付くにつれ、物々しい装備で身を固めた冒険者らしき男女の姿が増えてくる。
兵士とは違い特に制服が定められているわけではないし、同じ冒険者でも受ける依頼の傾向が違うので、その服装や装備はまちまちだ。その雑多さこそが、冒険者の特徴でもある。
そして意外かもしれないが、冒険者には綺麗好きが多い。
金銭的に余裕がある貴族出身者が多いというのもあるし、何しろ冒険者が主に相手をするモンスターは、総じて人間よりも鼻が利く。
そのため、モンスターに己の存在を先に悟られる危険性を少しでも少なくするために、経験の長い冒険者ほど、自然と己の体臭を気にするようになるのだ。
まあそれでも見た目は別な輩も多いので、むさ苦しいことには変わりないのだが。
ギルドに戻ると、まだ依頼を受けた冒険者全員が集まったわけではないようだった。
時間を知る手段が限られているから、この世界の人間は結構時間にルーズだ。一バル程度の遅刻なら平気でやらかすのと同じくらい、早く来過ぎたりもする。
なので、美咲とミーヤが一番槍というわけでもない。
美咲たちより先に来ていた冒険者たちは思い思いに時間を潰しているようだった。
(あ、あの人たちまたやってる)
回りを見回した美咲は、いつぞやのイカサマ賭博をやっていた冒険者グループを見つけ、微妙な気分になってしまった。
同時にルアンのことに意識が行き、しんみりする。
(ルアン、生きてる……よね?)
そんなはずはないと分かっていながらも、美咲は一縷の希望を捨てきれない。
ルアンだけではない。ルフィミアだって、どこかで生きているはずだ。そう思わずにはいられなかった。可能性は極めて低いとしても。
ちらほらと美咲たちと同じ依頼を受けたらしい冒険者たちが集まってきているが、出発にはもう少しかかりそうである。
その間に、美咲はミーヤと今後の予定について詳しく詰めることにした。
「ゴブリンの洞窟に着いたら、まずは安全を確保して、魔物使いの笛の性能の確認とミーヤちゃんの魔物の確保をするよ」
「うん! どんな魔物さんがいるのかなぁ……」
この世界の人間であるミーヤにとっては魔物は恐ろしい生き物のはずだが、それでもその魔物を仲間にできるということに、ミーヤは期待を抑えきれないようだ。もちろん不安も感じているだろうが、それでも期待の方が大きいのだろう。ミーヤだって、戦力になりたいのだ。自分が姉と慕う美咲の手助けをしたい。そう思っていた。
「ある程度ミーヤちゃんの自衛に目処がついたら、ゴブリンの洞窟に行って、生存者を探すよ。ぐるっと中を一周して見つからなかったら、この地図を書き写して提出して、依頼達成」
美咲が自分の道具袋から、ゴブリンのグモに描いてもらった地図を取り出してミーヤに見せる。
細かいところまで詳細に記された地図を見て、ミーヤが目を丸くした。
「凄い。でもミーヤ、この字は読めないよ。なんて書いてあるの?」
「当時の見張りの位置とか巡回経路とかだから、ある程度は無視しちゃっていいと思う。もう洞窟の中にゴブリンは残ってないはずだし」
今は、洞窟を住処としていたゴブリンたちは、魔族と一緒にヴェリートにいるはずである。
魔族がラーダンを狙う以上、いずれはあのゴブリンマジシャンとも再び相対することになるのだろう。
(ごめん、グモ。ベルゼさんとの戦いは避けられそうにないよ)
状況的にも、美咲の心情的にもだ。
直接手を下したのが彼でないにせよ、ゴブリンたちを指揮したのが彼である以上、ルアンの仇であることに違いはない。
殺し殺されの関係である以上お互い様ではあるが、そうと分かっていても割り切れないのが人の情。
それは美咲とて例外ではない。
考えたくも無いことだが、もし仮に誰かにミーヤが殺されでもしたら、美咲は絶対にその下手人を許さないだろう。
そして同じことがゴブリンにも言えるのだ。
グモの存在と、異世界人であるが故の無知さからゴブリンは倒すべき敵だという意識が薄い美咲は、無力化するだけならまだしも、殺し合いは気が進まない。
自分の手を汚してまで恨みを買うのは嫌だという現代人らしい身勝手な考えと、ゴブリン側の事情も理解しているが故の思考である。
「じゃあ、結構簡単に終わりそうだね」
ミーヤの声に、美咲は現実に引き戻された。
思考の渦に飲み込まれていた己に気付き、美咲は頭を振って鬱屈した思いを振り払う。
(落ち込んでる場合じゃない。今は、私にできる目の前のことに集中しないと)
どの道魔王を殺すことだけは美咲の中で確定している。だから、いずれ美咲の手が汚れることも、予定された未来だ。その時が来れば、たとえ気が進まなくともやらなければならない。そうしなければ、元の世界に帰ったところで美咲はすぐに死んでしまうのだから。
「かもしれないけど、油断はしちゃ駄目よ。探索済みとはいえ、魔物の住処だった場所なんだから」
「はーい」
美咲の小言に、ミーヤは素直に返事をした。
魔物に対する危険認識は、日本で暮らして平和ボケしていた美咲よりも、この世界で生まれたミーヤの方がよほどしっかりしている。
こう見えても、元から油断などしていなかった。
そもそも、ミーヤ自身が現在自分が置かれている状況を、幸運が重なったものなのだということを忘れてはいない。
ヴェリートから逃げ延びて母親と逸れた後、生きてラーダンに辿り着いたのは奇跡だったし、しばらく乞食同然の暮らしを強いられたとはいえ、こうして美咲に拾われたこともまた、奇跡だ。
逃避行の最中魔物に食い殺されていてもおかしくなかったし、拾ったのが悪人だったならば、今頃は人買いに奴隷として売り飛ばされていただろう。そうなれば行き着く先は奴隷市場である。
だから、ミーヤは美咲にとても感謝していた。
生きて帰れるか分からない美咲の旅に同行すると決めたのは、美咲と別れるのが不安なのもあるが、恩返しをしたいからでもあった。ミーヤとて気恥ずかしいので、よほどのことが無い限りそれを口に出すつもりは毛頭ないが。
やがて、時間になり担当のギルド職員が集合をかけた。
「ゴブリンの洞窟再調査クエストを受けたパーティの代表者は集まってください。出発前ミーティングを行います」
ぞろぞろと冒険者たちがギルド職員の下に集まっていく。
「私たちも行こうか」
当然のようにミーヤの手を取った美咲に、ミーヤは戸惑った顔をする。
「ミーヤもついていっていいの?」
「二人きりだし、離れると危ないよ。一緒に行こう」
「……うん!」
やはりミーヤも不安だったのか、ホッとした顔になると、しっかりと美咲の手を握り返した。
集まった人数は、美咲とミーヤを含めて八人だった。
美咲たちと同行する依頼人を除けば、五人。つまり、全部で六パーティがこのクエストに参加していることになる。
前回もそうだったが、今回もかなりの大所帯だ。前回が悲惨な結果に終わってしまったので、今回は上手く行けばいいと美咲は思う。
見たところ、顔ぶれにミーヤ以外美咲が見知っている人間は少ない。辛うじて、一人はもしかしたらどこかで面識があるかもしれない、という程度である。そもそも美咲にはアリシャとミーヤの他に知り合いらしい知り合いがろくにいないので当然なのだが。
強いて言うなら、毎日利用している宿屋の女将とは顔見知りと言えるだろう。女将がクエストに参加するわけもないので、だからどうしたという話である。
「洞窟への到着時刻は五レンディアを予定しています。道中魔物の襲撃がありましたら、各自自己判断で撃退してください。この場合の襲撃でも討伐報酬は加算されますが、金額はパーティの合計数で分配されますのでご了承ください。到着後は休憩を取りますので、食事などはその間に済ませてください。調査の結果に関わらず、八レンディアには帰途に着きますので、ラーダンに戻ってくるのは真夜中になる予定です」
(むむむ……)
説明を頭の中で分かりやすく変換して噛み砕いた美咲は、意外とシビアなスケジュールに少し不安になった。
日本時間に直すと、五レンディアが大体お昼の十二時前。八レンディアが夕方の六時頃だ。季節によってはとっくに暗くなっている時間である。
この世界にも四季があるかどうかは知らないが、やや寒めな気候であるにもかかわらず、六時でもまだ真っ暗にはならないのは、異世界らしく美咲の知らない法則でも働いているのかもしれない。
話を終えたギルド職員に、別の職員が寄ってきて耳打ちする。
そのギルド職員に頷きを返すと、説明をしていたクエスト責任者のギルド職員は告げた。
「洞窟に着いたら、再度各自でミーティングを行ってください。それでは馬車も到着しましたので、冒険者の皆様は忘れ物が無いことをご確認の上、馬車に乗り込んでください。全員が乗り込み次第、出発いたします」
案内に従い、ぞろぞろと冒険者たちが外に移動していく。
「私たちは乗り込む前に、もう一度道具の確認をしておこうか」
「うん!」
美咲とミーヤは念には念を入れて、装備の最終点検を行う。
「まずは武器! 私は勇者の剣。ミーヤちゃんは魔物使いの笛。武器よーし!」
「よーし!」
腰に吊るした勇者の剣を触って確認する美咲の真似をして、ミーヤが魔物使いの笛を左腰に差し、触って確認する。
「次は防具! 私は加護付きの服に鎖帷子と外套、ミーヤちゃんは普通の服に外套! 防具よーし!」
「よーし!」
元気に声を張り上げているが、良くはない。美咲はともかく、ミーヤの防具が服だけなのは問題だ。分かっていてもどうしようもない。
「最後は道具! 私は薬草飴に傷薬にお昼のパン、他色々! ミーヤちゃんは煙幕玉に魔法薬にお昼のパン、他色々! 道具よーし!」
「よーし!」
アリシャの馬車には色々至れり尽くせりで道具が揃っていたが、美咲とミーヤが持ち運べる道具の量は意外に少ない。
エルナの形見でもある道具袋には色々入っているが、美咲にはそもそも役に立たないものや、今回は使わないものもたくさん含まれているため、そういうものはまとめて予めアリシャの馬車に置いてきた。
あの馬車は頑丈だし、鍵もかかるので、下手な金庫に預けるよりも安心できる。
「忘れ物は無さそうだね。じゃあ、私たちも行こうか」
「うん!」
美咲とミーヤは目を合わせて頷くと、先に行った冒険者たちの後をついて行き、馬車に乗り込む。
さすがに全員を一台の馬車で賄うのは無理なので、馬車は一パーティにつき一つ用意されていた。
これだけでも、今回のクエストの重大さが分かるというものだ。
何しろ馬車というものは高価だ。買うのはもちろん、借りるだけでも相応の金が要る。
自前で購入できるのは、貴族か商人、そしてアリシャのような凄腕の傭兵や冒険者くらいだ。普通の旅人が買うのは不可能と言っていい。
パーティと同じ数の馬車に、同数の御者。いったいどれほどの金額が支払われていることだろう。考えるのが少し怖い美咲だった。
一台一台馬車が冒険者を乗せてラーダンを出て行く。
やがて、美咲とミーヤを乗せた馬車も動き出した。