十三日目:朝の一幕2
昨日話した通り、顔を洗い終えたアリシャは身支度を整え、美咲の腕の包帯を取り替えると出かけてしまった。
腕の怪我は相変わらず痛むが、きちんと手当てしているのでもう耐えられないほどではない。
残された美咲とアリシャも冒険者ギルドに行かなければならないので、手早く準備を済ませる。
鎖帷子を着込み、道具袋を背負い、マントを羽織る。腰の剣帯には、もちろん勇者の剣を差している。
着ている服は、アリシャに買ってもらった耐魔法の加護が篭められた服で、今ではすっかりお気に入りになっている。
ミーヤは古着屋で買ってもらった服の中から、一番動きやすそうな服を選んで着ている。
「準備できた? 忘れ物はない?」
「うん! 大丈夫!」
部屋を出る前に最後の確認をすると、よほど楽しみなのか、ミーヤはにこっと笑って答えた。
「それじゃあ、行こうか」
「しゅっぱーつ!」
階段を下りて一階の酒場を横切り、外に出る。
真っ暗だった外は、少しだけ明るくなって靄がかかったようになっている。
まだまだ早い時間に思えるが、日の出日の入りに合わせて生活するのが当たり前のこの世界ではそうでもない。実際に周りを見回せば、ちらほら人通りが見える。働き出すにはちょうどいい時間なのだ。
街の外に通じる門に向かう者、ほぼ一日中露天が立ち上る大通りに向かう者、美咲がまだ行ったことのない方向に足を進めるものなど、人々の目的地は様々だ。
冒険者ギルドは大通りの一角にある。美咲の記憶では、大通りには様々な露天が立ち並んでいるはずなので、そこでミーヤとの約束通り串焼きを買い、それで朝食も済ませる予定だ。
「まずは腹ごしらえだね」
「串焼き楽しみー」
しっかりとミーヤも約束を覚えていたらしく、今にもよだれを垂らさんばかりに頬が緩んでいる。
そんなミーヤの様子に苦笑しながら、美咲は大通りに出るまでの時間を利用して、一日の予定を詳しく立て始めた。
冒険者ギルドで依頼を見繕ったら、道具屋で薬などの補充だ。美咲には必要なくとも、ミーヤには安物の魔法薬が使えるので、いくらか買い込む必要がある。他にも便利なものがあれば、美咲は手持ちの金で買えるだけ買うつもりだ。以前使った煙幕など、役立ちそうなものは揃えておいて損はない。ミーヤの道具袋も、手に入るとしたらここだろう。
道具屋で買い物を済ませたら、次はパン屋に行く。
依頼によっては長丁場になるかもしれないので、食料も必要だからだ。最低でも、今日の昼食分は用意しておきたい。依頼の達成が夜までずれ込む可能性も考えて、夕食の分も買っておくのがベストだろうか。
そして重要なのが足の確保だ。
以前行った薬草の群生地ならともかく、ゴブリンの洞窟やそれ以外の依頼を受けるなら、移動は馬車を使わないと日帰りでは終わらない。
馬車を借りるのは無理だ。馬車のレンタル代がいくらするのか美咲は知らないし、そもそも美咲もミーヤも馬車の御者はできない。となれば雇うしかないが、金欠だから依頼を受けるのであって、そんな金はない。アリシャに馬車だけ借りて、御者ができる人間を雇うことも考えたが、それも結局は賃金が壁として立ちはだかる。
以前ルアンと行った時のように、他のパーティとの合同クエストなら馬車が用意されるのだが、そんな大掛かりなクエストはある方が珍しい。
後々のことを考えると、魔物使いの笛で、騎乗できるような魔物が来ればいいと美咲は思った。練習は必要だろうが、ぐっと旅が楽になるはずだ。
そんなことを考えているうちに、大通りに着いた。
歩いていたのは三レン、つまり三十分くらいのはずだが、その短時間で太陽が地平線の向こうから完全に顔を出し、辺りの暗闇は急速に払われてきている。
気の早い露天商たちはもう商品を並べて商いを始めていて、威勢のいい掛け声を上げていた。
朝食時だからか集客を見込んだ屋台もいくつか出ていて、食べ物のいい匂いに人が群がっている。
美咲はミーヤを連れ、そんな屋台のうち串焼きを焼いている屋台の前に並んだ。
さすがに朝だとお昼や夕飯時ほど長蛇の列は出来ておらず、さほど待たずに美咲たちの番が来る。
「さて、ミーヤちゃん、どれにする? 好きなの選んでいいよ。一人ニ本ずつね」
「うーん、どれにしようかなぁ」
じゅうじゅうと音を立てていい匂いを立ち上らせている串焼きを眺め、ミーヤは真剣に串焼きを選んでいる。
(見えない。巨大な芋虫なんて私には見えない)
その中にさりげなく紛れているグラビリオンの串焼きを、美咲は見なかったことにした。そして美咲が見なかったことにしたかったグラビリオンの串焼きを、ミーヤが指差す。
「決めた! ミーヤ、一つ目はこれにする!」
串焼き屋台の店主が、手早くグラビリオンの串焼きを取り分けた。
「味付けは塩とタレのどっちにするかい?」
串をひっくり返しながら、店主がミーヤに問いかける。
「今日はお塩がいい!」
「毎度あり。他には注文はあるかい?」
もう一本串焼きを選ぶために、ミーヤは再びうんうんと唸り始めた。
ミーヤが悩んでいるうちに、美咲はさっさと自分の分の串焼きを選ぶ。
「私はこれとこれ。塩でお願いします」
「砂鳥とギッシュね。毎度ありー」
店主が美咲が選んだ串焼きを同じように脇に取り分けた。
美咲が注文しているうちに、ミーヤも残りの串焼きをどれにするか決めたらしく、店主に大きな声で話しかける。
「決めた! ミーヤ、もう一本はこれにする!」
そう言って、ミーヤは数ある串焼きのうち、つくねっぽい団子が四つ刺さった串を選ぶ。
「テレーネだね。毎度あり。今包んでやるからちょっと待ってな」
店主が慣れた手つきで取り分けた四つの串を紙に包み、上から塩を振りかけて口を閉じる。
「はい、お待ちどう。全部で三ペラダだ」
「えっ。そんなに安いんですか?」
以前ミーヤが一人で買った串焼きが十本で十ペラダだったので、今度も一本一ペラダだと思っていた美咲は、店主に提示された金額の安さに驚いた。
一ペラダで串焼きが一本買えることから鑑みると、一ペラダは大体日本円で百円から二百円くらいだと美咲は推測している。パンなどの値段も今はともかくヴェリートが落ちる前は大体予想通りだったので、それほど間違ってはいないはずだ。
「本当は四ペラダだが、おまけしてやるよ。その様子を見ると、二人とも無事に済んだみたいだしな。仕方ないとはいえ、小さな女の子が酷い目に遭うって分かってるのに見て見ぬ振りをするのは、気持ちのいいもんじゃねぇ。こう見えても、あんたには感謝してるんだ」
思いも寄らないことを言われ、びっくりした美咲は思わず店主を凝視する。
(そういえば、どこかで見たことあるような……)
記憶を探った美咲はハッとなった。思い出したのだ。
(この人、初めてミーヤちゃんに会った時に串焼き売ってた人だ!)
よくよく考えれば、今美咲がいる大通りは、その時も通った道である。
「……そういうことなら、お言葉に甘えさせていただきます」
店主の好意を受け取ることにした美咲は、銅貨三枚と引き換えに、紙に包まれた串焼き四本を受け取った。
「毎度あり。機会があったらまた買ってくれよ」
ニッと笑った店主に笑顔で手を振って別れ、美咲はミーヤを連れて冒険者ギルドへの道を行く。
「お姉ちゃん、串焼き、串焼き」
ミーヤが完全に美咲が持つ包みから立ち上る、焼きたての串焼きの匂いに心を奪われている様子なので、苦笑した美咲は一本取り出して持たせてやることにした。
(……うわぁ)
包みを開いた美咲は思わず絶句してしまう。
串焼きはそれぞれ砂鳥、ギッシュ、テレーネ、グラビリオンだ。
砂鳥は美咲も以前食べたことがあるので、どんなものかは分かる。肉自体に香辛料のような辛味がある鳥肉で、から揚げがとても美味しかった。
ギッシュはラーダンに着いた日の夜、城門の外で食べた腸詰がギッシュの腸詰だったはずだ。砂鳥のように特殊な味がないせいかソーセージにしては薄味だったが、その代わり脂が濃厚で、焼いている最中にも脂が滴り落ちていい匂いがしていたのを覚えている。こうして串焼きを見た限りでは、肉は豚肉のような、鶏肉のような、微妙な肉だ。
テレーネというのは聞いたことはないが、ひき肉を丸めたそれはつくねを連想させる。
そしてグラビリオンである。
見た目はまんま、巨大芋虫の姿焼きである。上から下まで串刺しになった巨大芋虫が火でこれでもかと炙られている。美咲が知る焼き鳥や焼き豚によく似ていた他の串に対し、グラビリオンの串焼きだけが異彩を放っていた。異様に目立っていた。
「じゃあ、ミーヤちゃん、一本目はこれね」
「わーい! グラビリオンだ! ミーヤね、これ大好き!」
早く不気味な物体を抹殺せんと、美咲は一番にグラビリオンの串焼きをミーヤに渡した。
もろ手を挙げて串焼きを受け取ったミーヤは、無邪気に頭からかぶりつく。
(美味しいの? それが、本当に?)
にこにこと笑顔で咀嚼するミーヤの様子から、美味しいのだということは想像がつくが、美咲はいまいち信じられない。
元の世界でも虫食があったことは知っているし、世界規模でみれば食のうち虫食が馬鹿にできない比率であることは美咲も分かるが、やはり受け入れがたいものは受け入れがたいのだ。
「はい、お姉ちゃん!」
「え゛」
突然ミーヤに食べかけのグラビリオンの串焼きを差し出された美咲は顔を引き攣らせて凍りついた。
「この前も一人で全部食べちゃったし、ミーヤばっかり食べるのも悪いから、おすそ分け! 一口食べていいよ!」
普段なら微笑ましいし嬉しく思うミーヤの気遣いだが、今だけは全力で拒否したい美咲だった。だが好意を無碍にもできない美咲は、笑顔を作りながらグラビリオンの串焼きを受け取る。作り笑顔が引きつっているのはご愛嬌だ。
食い千切られたグラビリオンの断面を直視した美咲の産毛が総毛だった。食べかけのグラビリオンは予想以上にインパクトがあった。
それでもミーヤの気持ちを考えたら食べない選択肢は取れない。
思い切って、美咲はグラビリオンの串焼きを口にした。
(うわあ……うわあ……)
しかめっ面になりそうなのを我慢しながら、美味しそうに食べる演技をするのは美咲としても骨が折れた。
予想に反して、味そのものは悪くない。以外にもグラビリオンはの体液は濃厚なクリームのようで、口の中でまるでケーキのようなとろける甘さを醸し出す。
問題は食感だ。グラビリオンの肉は茹で過ぎた里芋にも似たねっとりとした食感をしており、反対に表面はゴムのような弾力がある。結果皮だけがいつまでも口の中に残った。
皮までほんのりと甘く、噛めば噛むほど皮からも甘さが染み出てくる。美咲が食べたことのあるどれとも似つかない。
苦労して皮を飲み込んだ美咲は、引き攣った笑顔でミーヤに感想を述べた。
「ありがとう。美味しかったよ」
「でしょ! 美味しいよね、芋虫さん!」
心なしか顔色が悪くなった美咲の様子に気付かないミーヤは、笑顔で残りのグラビリオンの串焼きを食べた。
(……口直ししよ)
もぐもぐと口を動かすミーヤの横で、美咲もそっと自分の分の串焼きを取り出して頬張るのだった。