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美咲の剣  作者: きりん
三章 生き抜くために
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十二日目:初めての負傷7

 夕飯の雑炊を食べ終えると、アリシャを手伝って美咲とミーヤは後片付けを始めた。

 アリシャが馬車から木箱を一つ持ち出してきて、地面に置いた。

 木箱を開けると、中には布の端切れがいっぱい詰まっている。

 どうやら、顔や身体を清めるための布とは違うもののようだ。手触りも粗く、これで身体を擦ったら痛いだろう。


「私は竈を片付けるから、その間に二人は食器を洗ってくれ。布はいくらでもあるから、好きに使って構わない。終わったら適当に干して乾かしといてくれればいい。頼んだよ」


 食器を美咲とミーヤに持たせると、アリシャは竈の火を落とし始める。

 火が消えると水を流して冷やし、水気を布で丹念に拭き取り、仕上げに薄く錆び防止に油を塗る。

 作業をするアリシャから視線を外し、美咲はミーヤと目を見合わせた。


「じゃあ、私たちもやろうか」


「うん!」


 続いて竈の解体を始めたアリシャを残し、美咲とミーヤは水桶と布を何枚か持って井戸に向かう。馬車の水瓶にもまだ水は残っているが、洗い物にはたくさん水を使うので、直接井戸に行った方が早いのだ。

 井戸で水桶に水を溜め、食器をつけてまずは目に見える汚れを落とす。脂を含んでいない汚れならこれだけでも十分だ。

 肉など、食材自体に脂分が含まれている場合は、水だけでは汚れは落ち切らない。その場合は、水で綺麗に洗った後、布で食器を磨いて水洗いで取りきれなかった脂を拭い去る。

 本当は石鹸などを使った方が圧倒的に早いし清潔なのだけれど、この世界では石鹸や洗剤に類するものは希少品なようで、よほど頑固な汚れで無い限りはあっても使わない。水で洗って布で拭いて済ませられるようなものは、全てそれで済ます。

 そうしないのは、油汚れが酷いときなど、ごく一部の時だけである。さすがに揚げ物などの汚れになると、使わざるを得ない。使わないで洗うのは、多分無理だろう。油でギトギトになった食器を布で拭くと布まで油塗れになってしまう。少量の油なら問題ないが、揚げ物など大量の油を使う場合は注意が必要である。

 使い終わった布の汚れは、水で濯いでも簡単には落ちないのだ。

 絞った布から出る水が綺麗になるまで、何度も濯ぎを繰り返す。

 相変わらず左腕の傷口は痛いが、さすがにこの断続的な痛みにも、美咲は慣れてきた。痛くても我慢すれば少し力が入れられるようになってきたし、案外元のように剣を振るえるようになるまで、そう時間は掛からないかもしれない。


「これくらいでいいかな?」


「うん、大丈夫だと思う」


 ミーヤと確認し合った美咲は、手拭用に取り置いていた布切れで手を拭った。

 長時間水に晒したせいで、二人とも手が真っ赤になっている。

 これが酷くなると皸になって酷い目に遭うので、しっかりとケアする必要がある。

 既に左腕にゲオルベルの噛み傷があるのに今さら皸の心配をするのもおかしな話ではあるが、だからといって皸ができることを許容するほど、美咲はマゾではない。


「つぅ」


 うっかり包帯を巻いた上から傷口を触ってしまい、美咲は痛みを感じて思わず呻いた。


「お姉ちゃん、大丈夫!?」


 小さな悲鳴を聞きつけて、慌てた様子でミーヤが振り向く。


「大丈夫。何でもないよ。ちょっと傷口が傷んだだけ」


 苦笑しながら、美咲は心配そうに自分を見上げてくるミーヤに、何でもないことを伝えた。

 痛みすらも、得難い経験だった。

 本当に美咲が何とも思っていないことが伝わったのか、ミーヤがホッと息をついた。


「ひゃっ」


 油断したところに手を背中に入れられ、美咲は思わず悲鳴を上げる。

 何ということはない。ミーヤに悪戯されただけだ。


「やったわね、ミーヤちゃん」


「きゃー」


 両手の平でミーヤの頬を挟んだ美咲に対し、ミーヤは冷たさでびくっとしながらも、喜んだ。何だかんだいって、ミーヤは美咲とのスキンシップを好んでいる。美咲自身もミーヤを構うのは嫌いじゃないので、自然と美咲の顔にも笑顔が浮かぶ。

 食器や雑巾を片付けに馬車に戻ると、アリシャも解体を終えて木箱に竈を詰め直したらしく、ちょうど馬車の前で鉢合わせた。

 さすがに竈が重いからか、竈の木箱は専用に金具と鉄板で補強されており、木箱というよりも鉄の箱といった方がしっくりする。何しろ、木よりも鉄板の面積の方が多いのだ。

 入れ物だけでも補強されている分だけ重みが増しているはずなのに、アリシャは竈入りの箱を軽々と持っている。さすがに片手で担いだりはしていないが、それでも重さで動作がぶれることなく、馬車に乗り込んで竈を片付けた。

 よりよって、既にうずたかく積まれている木箱の一番上に。

 思わず美咲は唖然とした。


(やっぱりアリシャさん、何も考えてない……。振動で崩れたらどうするんだろう。っていうか、被害に遭うのって、中にいることが多い私じゃない?)


 御者ができるのがアリシャしかいないから、移動中は基本アリシャは出ずっぱりだし、幼いミーヤもなんだかんだいって外が好きなようで、中よりも外の座席にいることが多い。

 一番中にいる可能性が高いのが、馬車や馬に慣れずに、すぐ尻を痛める美咲なのだ。美咲自身思うが、情けない事実である。あと恥ずかしい。

 アリシャが振り向き、美咲に向けて手を伸ばした。


「ほら、寄越しな。ついでに片付けてやるよ。それとも自分でやりたいかい?」


 思わず言われた通りに渡そうとした美咲は、寸でのところで踏み止まる。もしかしたら命に関わるかもしれないのだから、注意をしておくに越したことは無いはずだ。それがどんなに、一見して間抜けに思えるようなことでも。


「いえ、私がやります」


「お、おう。そうか、そんなにやりたいのか……」


 きっぱりと真剣な表情で断った美咲を見て、アリシャは呆気に取られた顔をしたが、深く詮索はせずに、飼い葉桶に飼い葉を積み、肉が入った木箱を持って外に出て行き、ワルナークに餌をやり始めた。


「お姉ちゃんがやるならミーヤもやるー」


 やり取りを見ていたミーヤが走り寄ってきて、手伝いを申し出る。

 微笑んだ美咲は、しゃがんでミーヤと目線を合わせた。


「ありがとう。じゃあ、ミーヤちゃん、一緒にやろうか」


「うん!」


 ミーヤには軽くて乱暴に扱っても大丈夫な雑巾を渡し、美咲は食器を抱えた。さすがにまだ小さいミーヤに三人分だけとはいえど、食器を持たせるわけには行かない。

 まあ、椀も匙も木製だから落としても割れるとは思えないし、重くもないのだが、その代わり結構かさばるのだ。割れないとはいえ、いちいち拾い集めるのも面倒である。

 食器を木箱の中に仕舞っていく途中、美咲は周りの木箱を見回した。

 無造作に置かれた木箱の積み方は適当で、かなりのデッドスペースを生んでいる。整理して綺麗に積み直せば、もう少し馬車の中が広くなるはずだ。

 美咲はついでに馬車の中の木箱の整理もしてしまうつもりだった。

 うずたかく詰まれた木箱の一番上に、一際目立つ竈の木箱が鎮座している。あれが一番危ない。多分頭に直撃したら死ぬ。死因が魔王との戦いでもモンスターとの戦いでもなく、木箱が頭にぶつかったからだなんてことになったら、美咲は死んでも死に切れない。

 最後の一枚になった食器を元あった木箱に戻し、続いて雑巾を片付けることにする。


「お姉ちゃん、これ、どこに干せばいいのかな?」


 雑巾を持ったミーヤに質問された美咲は、答えられずに眉根を寄せた。


(うーん。アリシャさんはどこでもいいって言ってたけど、アリシャさんはいつもどこに干してるんだろ。どうせなら同じ場所がいいよね。その方が分かりやすいし)


「ちょっと待ってて。聞いてみる」


 しばらく考えて決めた美咲は、ミーヤに答えると馬車の中から前方のドアを開け、御者席に出る。

 アリシャはワルナークに餌をやりながら、ブラッシングしてやっていた。

 外に出てきた美咲に気付き、ワルナークがちらりと視線を向けて尻尾を一振りする。

 ワルナークの様子で美咲に気付いたアリシャが、振り向いて美咲に声をかけた。


「終わったかい?」


「あと少しです。雑巾、いつもはどの辺りに干してるんですか? どうせなら、同じ場所で干しておいた方がいいかと思いまして」


 美咲が食器を拭いた後の布を手に持って見せると、アリシャはすぐに答える。


「ああ、馬車の中に物干し竿があるから、普段は中で適当な場所に物干し竿をかけて干してるよ」


「外では干さないんですか? その方が乾くと思いますけど……」


「そりゃ外の方が乾くけど、街中で干すと無くなるよ。盗まれるからね」


 異世界事情は思ったよりも物騒らしい。洗ってあるとはいえ使用済みの雑巾まで盗っていく輩がいると知り、美咲は若干引いた。

 それでも、そういう理由なら中に干した方が良さそうだ。

 盗まれると分かっているなら、外に干すメリットは無い。


「じゃあ、中に干しますね」


「そうしとくれ。頼んだよ」


 馬車の中に戻り、物干し竿を探す。


「あ、これかな」


 馬車の隅に長い木の棒が転がっているのを見つけ、美咲は手に取った。

 辺りを見回して、物干し竿がかけられそうなところを探す。

 ちょうどいいでっぱりが壁の両端にあったので、そこに物干し竿をかけた。


「じゃあ、干すねー」


 固定された物干し竿に、ミーヤが雑巾を干していく。

 美咲はその間に木箱の整理だ。

 重いものが入った箱を一番下にして、バランスを取って両端に積み直す。

 怪我した腕を庇いながらなので多少ペースは落ちるとはいえ、これくらいなら出来る。


「よし。終わり」


 結構な労働だが、鍛えたおかげで美咲にはまだまだ余力がある。以前の美咲なら疲れきっていただろう。

 左腕の怪我を無視することは出来ないものの、無理を通すことは難しくない。

 成長を実感した美咲は、少し悦に浸った。

 そうこうしているうちに、ミーヤも雑巾を干し終わる。


「お姉ちゃん、終わったよ!」


「お疲れ様。じゃあ、アリシャさんに報告しよう」


 再び外に出て、アリシャに作業が終わった旨を伝える。


「ご苦労さん。今日はもう宿に戻って好きにしてていいぞ」


 自由時間を告げられ、美咲とミーヤは喜び合った。


「あんまり夜更かしするなよ」


 かしましく騒ぎながら建物の中に入っていく二人に、アリシャが馬車の戸締りをしながら声を殺して笑った。


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