十二日目:初めての負傷4
そんなわけで、プルーネを買ったアリシャとミーヤと美咲は、宿に戻る前に冒険者ギルドで依頼品の納品を済ませることにした。
得た報酬は、全部で一レドと三十ペラダ。
戦争中ということもあり、薬の原料の採集は単価が高いが、今回の採集は場所で選んだため、薬の原料ではないからこんなものである。
美咲一人で摘んだので、金額の全てが美咲の懐に入ることになる。
「それじゃ、代金支払いますね」
「別にいいのに。美咲も律儀だねぇ」
「そういうわけにもいきませんよ」
かくして、美咲の手元には十五ペラダが残った。日本円に換算しておおよそ千五百円。小中学生のお小遣いレベルである。
換金を終え、冒険者ギルドを出てミーヤのために串焼きを一つ買うと宿屋に向かう。
宿屋に着くと建物には入らずに、アリシャと美咲は停めてある馬車の中からいつぞやの竈を引っ張りだした。
地面に竈を据え付けながら、美咲はしみじみと言う。
「それにしても携帯式の竈なんて、便利なものがあるんですね」
「まあね。ただ、携帯っていうにはちょっとばかりでかすぎて重過ぎるから、馬車にでも積んで移動するしかないのが欠点だけど」
確かに、と美咲はぼやくアリシャに同意する。
持ち運びする際は解体するからそれほど嵩張りはしないが、それでも鉄製で調理台までついている竈を運ぶ手段は限られる。徒歩は無理だ。ワルナークなどの魔物に括りつけるのも微妙な手段である。馬より力強く体力があるワルナークでも、途中で潰れてしまうかもしれない。
もっとも、美咲はまだこの世界の全てを理解したとは到底言えないので、実はワルナークが力強さに加えてとてつもないタフさを持っている可能性も否定しきれないのだが。
何せ、現にこの竈を載せた馬車を引くアリシャのワルナークは、ぐいぐいと長時間結構な早さで走ることができるのだ。車並の速度とはいっても高速道路で走るような速度は無理だが、それでも速度制限つきの一般道を走る程度の速度は出る。今日の森までの道中でも、美咲の体感では、最高で時速四十キロくらいは出ていたのではないだろうか。ワルナークは馬に似た魔物だが、これでは馬ではなくUMAである。
「よし、じゃあ、作るか。美咲はミーヤと一緒に馬車から野菜と肉を取ってきておくれ。昨日買っておいたんだ」
「分かりました。よし、ミーヤちゃん、行こう」
「はーい」
アリシャの指示に美咲がミーヤを伴って歩き出そうとすると、再びアリシャの声が飛んできた。
「あ、ついでにそこの井戸で馬車の水瓶に水も汲んどいて。今使う分は別にして、水桶に入れといてくれればいいから」
袖まくりしたアリシャに追加で頼まれたので、美咲とミーヤはまず馬車に向かい、水を汲む準備をする。
重い水瓶は持ち運びできなくはないが、なみなみと水をたたえると不可能になることが予想できたので、美咲は水桶だけ持って井戸に向かった。
左腕に負荷をかけ過ぎると傷口が傷むので、美咲は左腕を庇いながら作業をする。
「お姉ちゃん、ミーヤ串焼き食べたい」
声に美咲が振り返れば、ミーヤはしきりに馬車に視線を向けていた。
(そういえば、串焼き買ってたっけ。早くしないと冷めちゃうか)
あれほど食べたがっていたのだ。温かいうちに食べたいだろう。さすがにそれを知っていながら冷めるまで食べるのを許さないほど、美咲は鬼畜ではない。
「ここは私がやっておくから、ミーヤちゃんは食べてきていいよ」
「本当!? ありがとう!」
にぱっと笑ったミーヤは、羽が生えそうな軽い足取りで、馬車へと戻っていく。
美咲は知っている。ミーヤが買った串焼きは、よりにもよって虫の串焼きだったことを。
(考えない考えない考えない……)
虫が苦手な美咲は、脳裏に浮かんだグロ画像を慌てて振り払った。
気を取り直した美咲は、井戸から水桶で水を汲み、水瓶に満たしていく。水桶いっぱいに水を汲んだのだが、それでも一回で水瓶に溜まったのは少しだけだ。それに、怪我のせいで左腕に殆ど力が入らないため、効率がどうしても上がらない。
結局水瓶に水を満たし終えるまで、美咲は井戸と馬車を十回以上往復した。井戸がすぐ傍にあるからいいが、遠く離れていたらこれだけで一仕事だろう。
使い終わった水桶に改めて水を汲み、馬車に戻ってミーヤの様子を伺う。
「あ、お姉ちゃん、終わったの? あと少しで食べ終わるから、待ってて」
「う、うん、ゆっくりでいいからね?」
ミーヤが手に持った食べかけのグラビリオンの串焼きを直視してしまった美咲は、引き攣った笑顔で視線を外した。美咲は何も見ていない。半分だけ残った巨大な芋虫なんて絶対に見ていない。
アリシャに水を汲んだ水桶を渡すと、串焼きを食べ終えたミーヤも戻ってきた。
「これ、どうやって料理するの?」
どうやらさすがのミーヤもプルーネのことは知らないらしい。ベルアニアでは結構珍しい食材のようだ。アリシャが知っていたのは、伊達に傭兵として各地を巡っていなかった、ということだろうか。
「炒めた野菜や肉と一緒にスープで煮るのさ。美味いぞ。ところで、その野菜と肉はどうした」
美咲とミーヤは顔を見合わせると「やべっ」という顔をした。どうやら美咲は水を汲んだことで、ミーヤは串焼きを食べたことで満足して二人して忘れていたらしい。
「取ってきます。いくよミーヤちゃん」
「はーい」
そそくさとアリシャから逃げ出した二人は、馬車の中に戻る。
「さあ、ミーヤちゃん、お肉とお野菜を探そう」
「うん、競争だね!」
いつぞやのようなやり取りを交わすと、美咲とミーヤは木箱を漁り始める。アリシャの馬車には木箱がいっぱい、しかも乱雑に積んであるので、確認がいちいち面倒くさいのがたまに瑕だった。アリシャは大雑把な性格のようで、目的の木箱を探した後、元に戻すということをしないのだ。なので以前見つけたものが今も同じ場所にあるとは限らない。
それでも何度も探したことがある経験が生きているのか、美咲は比較的早いうちに肉が入った木箱を見つけることができた。魔法でもかかっているのか、木箱に触れるとひんやりと冷たい。
魔法を問答無用で無効化解除してしまう美咲は一瞬どきりとしたが、少し待っても木箱の温度が上がることは無かった。どうやら、木箱に魔法がかかっているわけではなく、木箱に入っている肉に魔法がかけられているらしい。
「お姉ちゃん、ちょっと来てくれる?」
「はいはい、何かな?」
肉入りの木箱を引っ張り出していた美咲は、ミーヤに呼ばれて作業を中断して出向く。
「あの辺りにありそうなんだけど、ミーヤじゃ高くて手が届かないの。取れる?」
ミーヤの視線を辿り、美咲はああ、と得心する。その一角には特に木箱が集中して積まれていて、背の低いミーヤでは取れない場所にあった。
「取れるよ。ちょっと待ってね」
木箱が必要以上に高く積まれていると、崩れそうで危なっかしいので、美咲はついでに適度に木箱の山を崩すことにした。
何個か積まれた木箱を山から下ろし、それをミーヤに確認させる。
それを何度か繰り返すと、山はそこそこの高さに落ち着き、ミーヤも野菜の木箱を無事発見することができた。
野菜の木箱を触ってみると、肉のように保冷はされていないようだ。
美咲は肉と野菜の木箱のうちどちらをミーヤに持たせようか考える。
木箱そのものの重さは同じだが、重さ自体は肉の方が重い。もっとも、肉はかさがある分、入っている量は野菜の方が多く、総合的な重量はあまり変わらなさそうだった。
そして、これが水分を飛ばした干し肉や干し野菜だったらもっと軽かっただろうが、生肉と生野菜だったので、水分を含んでおりその分重い。
「えっと……結構重そうなんだけど、ミーヤちゃんどっちか持てる?」
「持てるよ。ミーヤもう子どもじゃないもの」
どこからどう見てもまだ子どもにしか見えないミーヤがそう言って小さな胸を張った。自信満々にミーヤは木箱を持ち上げようとしたが、案の定持ち上がらない。しばらく中腰のまま硬直したミーヤは、やがてずりずりと野菜の木箱を馬車の後部出口に引き摺り始めた。
「ほら、ミーヤでも持てるでしょ!」
「……申し訳ないんだけど、さすがにそれは持ってるとは言えないんじゃないかなぁ」
持ち上がらなかった事実をあからさまに無かったことにしようとするミーヤに苦笑しつつ、美咲はやんわりとミーヤを押し止めた。気になるものがあったのだ。
崩した木箱の影に隠れて、台車があったのである。金属製の板に同じく金属製の取っ手と車輪がついた台車で、それなりに重いもののその分つくりはしっかりしていそうだ。
正直言って、台車の存在は有り難かった。
何しろ、美咲は左腕を怪我している身だ。水を運ぶだけでも普段とは勝手が違うし、左腕に力を入れると、ただでさえ痛い傷口が余計に傷む。
怪我を庇いながら木箱を持ち運ぶのは、正直美咲としても遠慮したい。
「これ使おう。きっとそのまま運ぶよりかは楽だよ」
ミーヤに声をかけて、美咲は台車を持ち上げ、馬車の外に下ろす。
台車だけでも結構重く、うっかり左腕に負荷をかけてしまった美咲は痛みに呻きそうになるのを堪え、なんでもない様子を装う。側にいるミーヤを心配させるわけにはいかない。
畳まれていた台車の取っ手を持ち上げると、カチリという音がして取っ手が固定された。どうやら台車の作りは世界が違ってもそれほど違わないようだ。もっとも、元の世界の台車について、美咲が詳しく知るわけではなかったが。
続いて美咲は木箱を台車に積み込む。美咲が負傷していることを知っているミーヤが手伝いたそうに美咲の作業を見ているが、まだミーヤは木箱を抱えて持てるほど筋力が発達していないので、手伝わせるのは難しい。
木箱を積み終わった美咲が外から手招きをすると、ミーヤは弾かれたように馬車から飛び降りた。
「ミーヤちゃん、一緒に押していこうか」
「うん!」
ぱあっと顔を輝かせて、ミーヤは台車の取っ手を掴む。幼いミーヤでは少々背丈が足りず、鉄棒に手をかけているような姿勢になるが、まあ問題はないだろう。
そう判断した美咲は、ミーヤと二人で台車を押しながらアリシャの元へと向かった。