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美咲の剣  作者: きりん
三章 生き抜くために
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十二日目:初めての負傷3

 アリシャが言っていた石板は、無造作に馬車の中に放置されていた。

 原始的な黒板のようなもので、チョーク代わりの柔らかい石で書く。布で擦れば簡単に消えるので、経済的だ。

 馬車の床に置かれた石板を囲み、ミーヤと美咲は向かい合って座った。


「それじゃあ、ミーヤ先生による、数字の授業を始めまーす!」


 手を合わせてにっこり笑ったミーヤは、ノリノリである。


「お、お手柔らかにオネガイシマース」


 若干笑顔を引き攣らせながらもミーヤに合わせている辺り、美咲も律儀である。


「まず一ね。一はこう書くの」


 さらさらと石板にミーヤはよく分からない記号を書く。


「で、ニはこう」


 躾けが良かったのか、年齢にしては綺麗な文字でミーヤは美咲には意味不明の記号にしか見えないベルアニア数字を書いていく。


「三がこれ、四はこれ、五はこうして、六はこう書くの! お姉ちゃん、ここまではいい?」


 良くはない。良くはないが、ここでごねると年上としての威厳がなくなりそうだと思った美咲は、つい頷いてしまった。

 にぱっと笑顔を浮かべたミーヤは、書いた文字を全部消した。


「じゃあお姉ちゃん、問題です。一を石板に書いてみて!」


 無邪気なミーヤの微笑みに、美咲の笑顔が引き攣る。


「こ、こうかな……?」


 ベルアニア数字の一は、まだ美咲の記憶に辛うじて残っていた。


「正解! お姉ちゃん、凄い凄い!」


 自分のことのように喜ぶミーヤに引き攣っていた美咲の笑顔も自然なものになる。


「じゃあ、続いてさっき教えた六まで書いてみて!」


 ミーヤ先生は善意で生徒に難題を突き出した。記憶力が試される。

 結論から言うと、美咲は四までは書けたが、五と六を間違えた。


「もう一度復習するね。五はこう、六はこう。お姉ちゃん、今度はちゃんと覚えてね!」


 本人に他意は無いのだろうが、ミーヤの台詞がぐさぐさと美咲に突き刺さる。


(で、出来の悪い生徒でごめんねミーヤちゃん!)


 二度目の暗記の甲斐あって、美咲は一から六までの数字をこの場では書けるようになった。この場では、というところがミソである。積極的に使っていかなければ、時間が経てば経つほど忘れてしまいそうだ。


「次は七から十二までね。一気に書くけど、覚えるのはゆっくりでいいからね!」


 石板にベルアニア数字が次々と書き出されていくが、美咲にはやはり暗号か何かにしか見えない。


(す、数字だけでこんなに難しいなんて……)


 本格的にベルアニア文字を学ぶのは絶対に無理だと美咲は思った。

 一から六までの時と同じように、美咲がある程度暗記するとミーヤによってテストが行われる。

 何度か復習をやり直す羽目になったが、美咲は何とか一から十二までのベルアニア数字を書けるようになった。


「じゃあ次は読みね。一は一って読むの!」


 ミーヤが今まで書いた数字を全て消し、石板にベルアニア数字の一を書き、文字を書く。

 当たり前だが美咲は文字は読めない。

 しかも、ミーヤはベルアニア数字の発音を言ってくれているのだろうが、翻訳のサークレットが容赦なく翻訳してしまうので、日本語の一にしか聞こえない。


「……えっと、読みはサークレットが翻訳してくれるから、他の数字の書き方、教えてくれるかな」


「あ、そっか。ごめんね、お姉ちゃん」


 慌ててミーヤは石板に書いた内容を消した。


「じゃあ次は十三から。規則性があるから、さっきよりも覚えやすいと思うよ」


 さらさらと石板に数字らしき記号が書かれていく。

 それを見ているうちに、美咲はミーヤの言う通り、十三以降の数字は全て一から十二に基いた数字になっていることに気がつく。

 どうやらベルアニア数字は美咲が知る数字とは違い、一から十ではなく一から十二までがひとまとまりになっていて、十三から桁が一つ繰り上がるらしい。

 規則性さえ見つけてしまえば覚えやすいのは確かだが、微妙な違いがややこしい。


(まあ、時間の単位だってずれてるし、異世界なんだから仕方ないのかも……)


 覚えるのは大変だが、そうと決まっているものに不平不満をこぼしていても仕方が無い。

 美咲は真面目にミーヤが書いてくれたお手本を参考に、手を動かしてベルアニア数字を石板に書いていく。

 一通り書けたら書いたのを消して、同じスペースにまた書くのだ。


(なんか、小学校か幼稚園の頃に戻った気分。……変な感じ)


 不意に、掛け算を暗記していた頃のことを思い出した。

 あれは確か、小学校の二年の頃だったろうか。

 掛け算を覚える苦労に比べれば、これくらいの苦労は許容範囲内である。


「じゃあ、最終テストね。二十三を書いてみて!」


 ミーヤが出す問題に応じて、美咲は覚えたばかりの記憶を探る。

 十三から繰り上がるから、二十三は十二の数字に十一の数字を組み合わせればいいのだ。


「こう、かな」


「正解! じゃあ次は、三十五!」


 再び記憶を探る。

 三十五を分解すると、十二、十二、十一に分けられる。

 この場合は最初にニを表す数字を持ってきて、十二、十一と組み合わせればいい。

 言葉にすると分かりにくいが、数字として書くと至極単純である。


「うん、これも正解。お姉ちゃん、もう完璧だよ!」


 あらかた正解すると、ミーヤが太鼓判を押した。

 ちょうどいいタイミングで、アリシャが御者席から馬車の中に顔を覗かせる。


「そろそろラーダンに着くぞ」


 開かれた扉の向こうには、ラーダンの城壁が見えてきていた。

 帰ってきたのだ。



■ □ ■



 夕焼けに染まるラーダンの街並みは、どこか物悲しさを感じさせた。

 民家の煙突からはどこも炊事の煙が上がっている。ちょうど夕食の時間だから、どの家庭もその支度に追われているのだろう。かきいれ時だからか、飯屋からも同じような煙が上がっている。

 昼間に通りを盛んに賑わしていた屋台の数もまばらになっているし、敷物を敷いて商品を並べていた露天商も店じまいを始めている。

 宿に戻って馬車を繋いだアリシャは、馬車から下車した美咲とアリシャに振り返って尋ねた。


「さて、今日の夕飯は何を食うかな。二人は何か希望があるかい?」


「ミーヤは串焼きがいい!」


「昨日食っただろ。他のにしてくれ」


「えー」


 いの一番に希望を告げたミーヤはすげなくアリシャに断られ、不満そうに頬を膨らませた。


「私は別に何でも……」


 控えめな笑顔で言った美咲は、アリシャにため息をつかれて言葉を詰まらせる。


「悪いけど、決める側としてはそういうのが一番困るんだ。食べたいものがあるなら遠慮せずに言ってくれ」


「いえ、本当に無いんです」


 美咲は弱々しく笑ったが、嘘だった。


(お母さんのご飯、食べたいなぁ)


 民家では今頃家族で食卓を囲んでいる。そう気付いてしまうと、たちまち美咲の心には里心が出来てしまった。


(お米が食べたい。お味噌汁が飲みたい。スープとかも悪くはないけど、和食が恋しい。……変なの。私、別に特別和食が好きなわけじゃなかったのにな)


 美咲の返答を聞いて困った顔をするアリシャに、元気を取り戻したミーヤが盛んに手を挙げて主張する。


「はいはいはい! ミーヤは串焼きがいいと思います!」


「お前は黙ってろ」


「ひどい! アリシャのけちんぼ!」


 アリシャにすげなくあしらわれたミーヤは盛大にむくれた。

 うっとおしいのかアリシャはぞんざいにミーヤを引き剥がすが、ミーヤはいくら引き剥がされてもめげず、その度にアリシャにまとわりついている。

 引き剥がすのを諦めたアリシャは、微動だにせずミーヤに腰の辺りをぽかぽか殴られながら美咲に尋ねた。


「本当に何にもないのかい? ここラーダンなら、大抵の食べ物は揃ってるから、多少珍しいものでもあるはずだよ?」


「えっと……じゃあ、お米はありませんか?」


 まあまあまあと口をへの字に曲げるミーヤを宥めてアリシャから引き剥がした美咲は、アリシャがそこまで言うならと、だめ元で聞いてみることにした。


「コメ? コメってどんなのだい?」


「やっぱり、無いんですね……」


 予想はしていても、存在しないと分かるとやっぱり悲しい。がっくり項垂れた美咲を、アリシャは慌てて慰めた。


「まてまて、早まるな。実物が無かったとしても、似たようなものがある可能性は十分にある。コメがどんなものか教えてくれ」


「えっと、こう、白くて、小さい粒の穀物なんですけど、水で炊き上げて食べるんです。田んぼに植えた稲から取れるんですよ」


「……プルーネのことかな。この辺りじゃ栽培してないけど、商人が定期的に売りに来るから供給はある。露店を覗いてみよう。残ってるといいんだが」


「お姉ちゃん、ミーヤ串焼き食べたい!」


 いくら頼んでもアリシャを説得するのは無理だと悟ったミーヤは、標的を美咲に変更した。そして基本的にミーヤに甘い美咲は、絆されてアリシャを説得しようとする。


「ミーヤちゃんもこんなに食べたがってるんですし、ミーヤちゃんの分の一本だけ、とかでも駄目ですか?」


「……仕方ないね。残ってたら買ってやるよ」


 美咲の頼みを断りきれなかったアリシャはため息をついた。


「わあ、ありがとうございます! 良かったね、ミーヤちゃん!」


「串焼き食べれるの!? わーい!」


 もう一度、アリシャがため息をついた。

 歩き出した三人は、まばらになった露天で運よくアリシャのいうプルーネというものを発見することができた。


「……これが、米ですか?」


 呆然として呟いた美咲に、アリシャが訂正を入れる。


「コメじゃなくて、プルーネ。まだ店が出てたとは幸運だね。この辺りじゃ食べ物としては一般的じゃないから、運がいい」


 形は確かに美咲の知る米そっくりだが、プルーネという穀物は、限りなく黒に近い紫色をしていた。


「店主、三人分くれるか」


「へい、まいど。一レドと二十ペラダになります」


「高いな。三人分なんだから、もう少し安くならないかい?」


「なら、五ペラダ負けましょう。これ以上は勘弁しておくんなさい。こっちも生活かかってますんで」


「ありがとう。店主、感謝する」


「こちらこそ。今後ともご贔屓に」


 美咲とミーヤが見ている中、アリシャと露天商の間で商談が纏まり、代金を支払ったアリシャがプルーネが詰まった袋を受け取った。

 量は炊いたら二合になるかならないか、といったところだろうか。


(これで一レドと二十ペラダ……。一万二千円もするの!?)


 思わぬ出費をアリシャに強いてしまったことに気付き、美咲は慌てた。


「す、すみません! 代金支払います!」


 慌てて財布代わりの巾着を取り出そうとした美咲は、アリシャにそっと手を止められる。


「いいっていいって。何でもいいって言ったのは私だ。それに、美咲に支払うだけの金の当てはあるのかい?」


「うっ」


 痛いところを突かれ、美咲は口ごもった。

 結局ヴェリートでもラーダンに戻ってからもろくに金を稼いでいないので、美咲の懐は素寒貧に近い。


「だ、大丈夫です! 森で採集はちゃんとしてきましたから、冒険者ギルドで報酬が貰えるはずですし、それで支払います!」


 話を聞いたアリシャは渋面になった。


「採集の報酬は安いよ。プルーネの代金支払ったら、ほとんど利益がなくなっちまうけどいいのかい?」


「いいんです! また稼ぎますから!」


 良くはないが美咲はやせ我慢をする。

 誰かに頼りっぱなしはもう、嫌なのだ。


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