十二日目:初めての負傷2
身体を揺すられる振動で、美咲は目覚めた。
「あれ、お母さん、もう朝なの……?」
美咲は寝ぼけている。
「お姉ちゃん、雨上がったよ!」
ミーヤに声をかけられて、不鮮明だった美咲の意識が急激に覚醒する。
がばっと身を起こした美咲は、きょろきょろと辺りを見回し、自分が置かれた状況を思い出した。
熱を出して寝ていたのだ。
二度目の目覚めの後は、熱冷ましの薬が効いたのか、大分美咲の体調はよくなっている。
相変わらず左腕の傷は痛むものの、熱が引いたおかげで我慢できないほどではない。
アリシャが馬車後部の扉を開けると、青空が見えた。
快晴だ。
「良い感じに霧も晴れたね。これなら出発できそうだ」
馬車から降りたアリシャが、いそいそと馬車の車輪止めを片付けている。
車輪止めを片付けたアリシャは、そのまま御者席に乗り込んだ。
「それじゃ、出発するぞ」
がたがたと音を立て、馬車がゆっくりと動き出す。
動く馬車の中で、ミーヤは心配そうな顔で上半身を起こした美咲の顔を覗き込んだ。
「気分はどう? 頭、まだ痛い?」
「ううん、大分よくなったよ」
にっこりと微笑む美咲の顔色は、明らかに赤かった最初に比べ、よくよく見なければ分からない程度にまで改善されていた。
ゲオルベルに噛まれた左腕も、痛いことには変わりはないが、体調が良いだけで気の持ちようが大分変わってくる。
僅かに残っていた最後の眠気を、美咲は背筋を伸ばして振り払う。
「ミーヤちゃん。御者席に、行こうか」
「うん!」
差し出された美咲の右腕に、ミーヤが飛びついて手を繋ぐ。
御者席に出ると、美咲とミーヤに気づいたアリシャがちらりと振り返って声をかけてきた。馬車が動いているので完全に振り返ることはしない。わき見運転が危険なのは、車も馬車も同じである。
「熱は下がったか?」
「ええ。おかげさまで、大分よくなりました」
「そりゃよかった。雨が降って少し時間を取られちまったが、七レンディアの鐘が鳴る前にはラーダンに戻れそうだよ」
アリシャの説明を聞いてもすぐにはぴんと来ない美咲は、頭の中で日本時間に直す。
(えーと、確か一レンディアが百四十分だから、七レンディアは九百八十分。午後三時が九百分だから、向こうの時間に直すと午後四時二十分か)
繰り上がる単位が微妙にずれているので、地味に計算が面倒くさい。
お昼頃にはラーダンの街に戻っている予定だったので、だいぶずれ込んでいる。
雨はかなり長い間降っていたようだ。
地面は水はけの違いか、濡れてはいても乾きかけているところと、土と交じり合ってぬかるみになっているところがある。ぬかるみに馬車が嵌まれば、最悪立ち往生するかもしれない。
だが御者をするアリシャの腕がいいのか、それともアリシャのワルナークが優秀なのか、馬車はぬかるみを器用に避けて進んでいく。
美咲とミーヤは御者席の後ろの席に座った。
すぐに幌で覆ったのと、アリシャが丹念に拭いたのが功を奏し、濡れていて席に座れない、などということは無かった。
「お姉ちゃん、今どの辺りかな?」
「さあ。アリシャさん、今どの辺りなんでしょう」
ミーヤの質問を、美咲はアリシャに丸投げした。美咲は寝ていたし、そもそも異世界人なので根本的に地理には詳しくない。
「そうだな。あと三レンもすれば薬草の群生地が見えてくるはずだが。危険が少ない割には実入りが良いんで冒険者がクエストでよく世話になる場所だ」
「あ、それ知ってます! 私もやりました!」
話題に出ているその場所が、以前薬草を摘んだ群生地だと気付いた美咲は、思わず声を弾ませた。
「へえ、そうなのかい。人気だから張り出されると大抵すぐはけちまうんだが、運が良かったね」
「群生地では、採り過ぎないように残しておくのがマナーなんだよ。ミーヤ知ってるよ」
共通の話題で盛り上がる美咲とアリシャの輪に、ミーヤも入ってくる。
「ああ。そうだな。全部採っちまうとまた生えてくるまで全く採れなくなるからな。納入する分だけ採るのがルールだ。採り尽くす奴は嫌われる」
アリシャとミーヤの話は興味深く、異世界ならではで、美咲は自然と笑顔になっていた。
しばらく経つと、アリシャが言っていた通り美咲にも見覚えのある風景が見えてきた。
薬草の群生地だ。
以前美咲が摘んでいた時にはルアンが様子を見に来るまで無人だったが、今は数人の冒険者らしき様相の男たちがしゃがみこんで薬草を摘んでいる。
「……なんか、人数多くありません?」
やたらと多い人口密度に、美咲は不思議そうな表情になった。
美咲の疑問に、アリシャが答えを解説する。
「ヴェリートが落ちてラーダンも戦場になる可能性が出てきたからな。薬草の需要が高まって、依頼件数が増えてるんだろう。道具屋、傭兵団、国。冒険者ギルドが卸す先はいくらでもある」
アリシャの説明を聞いた美咲は、物珍しげに馬車上から薬草の採集風景を見下ろした。
「あの人たち、自分で使う分はわざわざ道具屋とかで買うんですかね」
「一応はそれがルールだけど、実際は各個人の良識次第だね。ついでだからって自分の分も摘む奴はいるだろうよ。もちろん、ばれて故意が認められれば冒険者ギルドから罰せられるが」
肩を竦めたアリシャの台詞に、美咲はびくりと肩を震わせた。
自分は大丈夫と分かっていても、罰を受けるという言葉自体が怖くて、美咲はおそるおそるアリシャに尋ねる。
「……どんな罰なんです?」
「軽いものは一定期間依頼を受理してもらえなくなったりだが、重いのだと資格剥奪、なんてのもあるみたいだな。もっとも、これは私も人づてに聞いた話だから、本当かどうかは保障しないよ」
どちらにしろ、何らかのペナルティが課せられるのは確かなのだろう。でなければ、群生地は採り尽くされて今頃消失していてもおかしくない。何かしらの抑止機構はあるはずだ。
群生地を通り過ぎ、馬車は進む。
ここまで来ると、見覚えのある景色も増えてきて、美咲は帰ってきたのだと実感した。
こっそり美咲は腰を浮かせて尻を摩った。
寝ている間は横になっていたので気にならなかったのだが、座っていたらさっそく尻が痛くなってきたのである。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
何気なく馬車の中に戻ろうとした美咲は、ミーヤにきょとんとした顔で呼び止められてぎくりとした。
にやにや笑いながらアリシャがミーヤに言う。
「放っておいてやれ。尻が痛いんだろ」
「……クッション取ってきます」
小さな声で言うと、美咲はそそくさと馬車の中に逃げ込んだ。
恥ずかしかった。
■ □ ■
席に敷いた三段重ねのクッションの上に座りながら、美咲はたそがれていた。
(どうしてこうなった)
アリシャからは生温い視線が注がれている。ミーヤは混じり気無しの善意なのが、かえって辛い。
ついでなので自分の分のクッションの他にアリシャとミーヤの分も持って席に戻った美咲を待っていたのは、ミーヤの「お姉ちゃん、気を使わなくていいよ! お尻痛いんでしょ? 全部使って!」という台詞だったのである。そしてその台詞に、にやにや笑いながらアリシャが乗っかった。ミーヤはともかく、アリシャは間違いなく確信犯である。ギルティ。
結果として、美咲はまさかのクッション三段重ねというふっかふかの席に座ることになった。
自分より幼いミーヤでさえ何も敷かずに座っているというのに、美咲だけクッション三段重ね。
年上として、居た堪れない気持ちだ。
ミーヤの好意であることは分かっているので、断らずにこうして甘んじている。クッション一枚よりもはるかに楽なのも確かなのだ。全く痛みを感じない。
あれほど感じていた揺れも、ほとんどクッションに吸収されてしまっている。快適だ。
クッション三枚分座高も上がっていて、美咲の視線は通常よりもやや高くなっている。普段より遠くまで見えて、なかなか良い景観だ。
街道の向こうは背の低い草が生い茂る草原になっていて、視界を遮るものがない。これなら何か危険な魔物がいてもすぐに分かるだろう。いや、いてもすぐに討伐されてしまうから、結果として寄り付かなくなったのかもしれない。
疑問に思った美咲がアリシャに尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。
「普段なら、定期的に騎士団が巡回に出て討伐してたんだけどね。戦争が起きてからはそっちにかかりきりになって、冒険者ギルドに委託してるみたいだよ。今朝も張り紙があっただろ」
あっただろ、といわれても美咲は返答に困る。
「私、文字読めないので分かりませんでした」
「……ああ、そうだったね」
駄目な子を見るような目で、美咲はアリシャに生暖かい視線を注がれた。不本意である。
王城で貰った翻訳のサークレットは、言葉は何語だろうと日本語に変換して美咲に伝えてくれるし、美咲が話す言葉も自動的に相手が一番良く知る言葉に変換してくれる。
だが、それはあくまで言葉だけなので、文字は美咲が努力して学ぶしかない。そして猶予はあと十六日。
ただでさえ魔法を使うための魔族語を覚えるだけでも精一杯だというのに、その上ベルアニア文字まで覚えるなど、どう頑張っても不可能である。
魔王を殺せず死出の呪刻が発動してしまえば美咲は死んでしまうし、倒して呪刻を消してしまえば、美咲は元の世界に帰るつもりでいる。
本来の術者であるエルナは死んでしまったが、アリシャも送還術自体は使えるらしいので、美咲はアリシャを頼るつもりであった。
アリシャのことだから、何かしらの対価を要求してくるだろうが、本当に帰れるのなら、美咲にとってはどんな貴重品もこの世界で得たものであれば無用の長物である。何であろうと支払うつもりだった。
懸念はミーヤのことだけだ。ミーヤを置いて帰るのは心苦しい。かといって、連れて帰っても今度はミーヤが異邦人になるだけだ。それを幸せとは呼べないだろう。美咲はアリシャを慕っているが、アリシャがいるからといってこの世界に骨を埋めたいとは思えない。それはミーヤも同じはずだ。
「文字を覚える気は無いのかい? 数字の計算はできるんだろ? ならベルアニア文字でも数字くらい読み書き出来るようになれば、大分違うと思うけどねえ」
「そりゃ覚えられるなら覚えたいですけど、教師がいませんよ……」
そう言って美咲がため息をついたところで、話を聞いていたミーヤが手を挙げた。
「はい! はい! ミーヤ知ってるよ!」
ミーヤに振り向いたアリシャが目を丸くする。彼女がそんなひょうきんな表情をするのは珍しい。
「驚いた。ミーヤは計算ができるのか」
「うん! ママがお店の手伝いするようになったらそのうち必要になるから、って教えてくれたの!」
さりげなく新事実がミーヤの口から語られた。
「あれ、ミーヤちゃんのお家って何してる家だったの?」
美咲の質問に、ミーヤはえへんと胸を張って答える。
「お店だよ! 雑貨屋さん! 街の人向けに、日用品を売ってたの! お店はママが継いでて、パパは街の兵士さんだったんだよ!」
「そうなんだ……」
語るミーヤは元気だ。元気だからこそ、美咲は言葉が詰まって何も言えなくなる。ミーヤが両親と住んでいたのは、ヴェリートだ。そしてヴェリートは今、魔族に占領されている。
(……取り戻してあげなきゃ)
ひっそりと美咲は唇をかみ締めた。きっと帰りたいはずだ。帰りたいのに帰れない辛さは、美咲だってよく知っている。
どの道、ヴェリートを占領しているであろう魔族には、美咲も思うところがあったのだ。
それに、あの蜥蜴顔の魔族の男。
あいつなら、きっとルフィミアの消息を知っているはず。
生きている可能性が低いのは分かっているけれど、せめて最期くらいは知りたい。そして出来れば、仇を討ちたい。
ルフィミアと一緒に居た時、美咲は弱いからこそ見逃された。あれから、どれくらい強くなれただろうか。まだ三日しか経っていない。でも、ぐずぐずしてはいられないのだ。美咲に残された時間は少ない。無理をしてでも強くならなければと、美咲が思うくらいには。
「ならちょうどいい。ミーヤ、美咲にベルアニア数字を教えてやれ。馬車の中に石板があるから、それを使え」
「え、いいの? やったぁ! ミーヤ、頑張るよ!」
ミーヤは喜色満面の笑みを浮かべると、美咲の手を引っ張った。
「お姉ちゃん、行こう。ミーヤが教えてあげる!」
「……うん。なら、お願いしようかな」
張り切っているミーヤのやる気を削ぐこともあるまい。
そう思った美咲は、にこりと微笑んで腰を上げた。




