四日目:非常識の洗礼4
当たって欲しくない悪い予感ほどよく当たる。
その事実を、美咲は歯を噛み締めていやというほど実感していた。
自警団の捜索活動によってエルナの死体が発見されたのは、美咲が異変に気付いてから数時間後のことだった。
本人かどうか確認して欲しいと自警団の要請を受け、美咲はエルナの遺体発見場所に赴く。
あまり感情を見せない少女だったが、それでもはっきりと意思の光を感じさせたエルナの目は、いまや本当にただのガラス玉のようで、何も見て取ることができない。
エルナは、それだけでも取り戻そうとしたのか、勇者の剣を抱え込んだまま事切れていた。
「……間違いありません」
震える声で美咲は言葉を紡ぐ。
自警団の団長らしき男性が痛ましげな顔をする。
「辛い思いをさせて申し訳ない」
エルナはうつぶせに倒れ伏しており、その背中には見覚えのある短剣が深々と突き立っている。僅かに服に血が滲んでいるが、そこからの出血はそれほどでもない。むしろ、回りの傷口から流れた血の痕の方が酷い。一度刺した後で、抜かれたのだろう。
突き立っている短剣には見覚えがある。ディナックが持っていたものだ。
「他にも深い刺し傷が数箇所ありますが、致命傷になったのは間違いなくあれでしょうな。奇麗に背後から心臓を一突きされている。状況としては、襲われて何とかその場は撃退するも、盗まれたものを取り戻すために深追いし返り討ちに遭った、といったところか」
険しい顔でエルナの遺体を見ていた団長が美咲に振り返る。
「犯人について、何か心当たりは?」
「……野営地でたまたま一緒になって村まで来た男の人が、あの短剣を持っていました。彼に荷物に入れていた金貨を見られたので、たぶん私の道具袋を盗んだ動機はそれだと思います」
まるで自分のものでないかのような、硬質な声が聞こえる。
それが自身の声なのだと認識するのに、美咲は少しの間を要した。
未だに現実感が追いついてこない。
「何でまたそんな大金を無防備に……。とにかくそのディナックって男が犯人の疑いが強いな。何か手掛かりがあればいいんだが」
「……確か、知人を訪ねに来たと」
記憶を思い返し、そのようなことを本人が言っていたことを、辛うじて思い出す。
視線はその間も、エルナの死体に釘付けだ。
信じられない。昨日まで普通に生きていて、寝る間際にはお休みと挨拶まで交わしたのだ。
「ならすぐにそいつを探させましょう。何か知っているかもしれません。このご時世だから、犯人が分かったところで逃げられた後だったらどうにもできませんが、何もしないよりはマシでしょう」
何故か美咲に対して敬語で接してくる団長の号令で、慌しく他の自警団員が駆け出していく。
突然の出来事で、何もかもが美咲にとって現実感が無かった。
荷物と剣をディナックに盗まれたことも、そのディナックにエルナが殺されたことも、いまだに現実に起こったことだと信じられない。
美咲がいた世界では、窃盗も殺人もしてはいけない犯罪だと皆が知っていたし、そもそもほとんどの人間は、そんなことをする必要がないくらいには満たされた生活をしていた。
でも、この世界はそうじゃない。
死は遥かに身近な存在であり、大金欲しさに殺人を厭わない人間がいる。
そして、それを取り締まる治安機構でさえ、美咲のいた世界と比べれば大きく劣っている。
(違う世界なんだ。何もかも)
一見普通に見えても、その裏は似ても似つかない。
それを学習するためとしては、あまりにも高すぎる授業料を、美咲は支払う形になった。
よりにもよって、仲間の命という形で。
「少しよろしいでしょうか?」
打ちひしがれる美咲は声をかけられて顔を上げた。
険しい顔をした団長が立っていた。
「聞いておきたいのですが……彼女は魔族との混血ですか?」
「あ、はい。本人はそう言っていました」
「そうですか。まあ、あなたに献身的だったようですし構わんでしょう」
よく分からない意図の問答だったが、団長は納得したようで話題を変えた。
「遺体の搬送先ですが、お家はどちらに?」
「……ありません」
「……大変失礼いたしました。では、こちらで埋葬しても?」
美咲は考える。
王子と連絡を取っていたのはエルナだったから、美咲には王子との連絡の取り様がない。
それに出発する前にエルナは自分たちと王子が繋がっていることを誰にも知られるなと言っていたし、自分が死んだらその場で埋葬して済ませろとも言っていた。
(まさか、エルナ本人が言ってた通りになるなんて)
赤く腫れた目で美咲は団長を見る。
団長は背筋を伸ばし、美咲に礼を尽くして返答を待っている。
どうやら美咲のことを、戦争で没落した貴族かそれに順ずる身分の者と思っているらしく、エルナは美咲が所有する奴隷として見られているようだ。
確かにエルナは王子の愛人だったから仕立てのいい服を着ていたし、美咲の制服姿も現代ではどうってことはないが、この世界では充分上等な部類に属する。
ベルアニアでは見たことのない生地で作られている制服を着た美咲は、知らない者が見れば貴族だと思われてもおかしくはない。
容姿が敵対している魔族そのもののエルナが美咲と一緒に旅をしていた理由は、確かに貴族の奴隷だと考えるのが一番自然かもしれない。
そう考え、美咲は話を合わせる。
「お願いします。今は流浪の身ですし、このまま彼女を野晒しにするわけにもいきませんから」
「心中お察しいたします。……調べに行った者が帰ってきたようです。報告を聞きましょう」
戻ってきた自警団員の話では、ディナックが泊まっていた宿屋の部屋は蛻の殻で、村人にディナックを知る人間はいなかったそうだ。
ただ、村人でディナックと同じくらいの歳の女性が一人行方不明になっており、消去法でおそらく知人というのは彼女の可能性が高いということだった。
「くそ、二人で高飛びされたか。報告ご苦労。少女の遺体は俺達で埋葬する。丁重に運び出してくれ」
自警団員がエルナを担架に乗せるために、抱えている剣を遺体から取ろうとするが、よほど強い力で握り締めていたのか、成人男性である自警団員が五人がかりでなければ剣を取ることができなかった。
顔に布を被せられ、エルナが運び出されていく。
勇者の剣を自警団員から受け取った団長が、神妙な顔で勇者の剣を美咲に手渡した。
「彼女が命と引き換えに取り戻した品物です。大事にしてください」
美咲は赤く腫れた目で剣を受け取る。
エルナが取り戻した勇者の剣。
魔王を倒すための、美咲の牙。
(でも、こんなものより、私はエルナに生きていて欲しかった。置いていかないでよ。私一人でこれからどうすればいいの?)
団長が遠慮がちに尋ねた。
「これからどうなさるおつもりで?」
しばらく美咲は俯いて黙考する。
案内役のエルナが死んだ以上、引き返した方がいいのは分かっている。
だが、引き返したところで王都に辿り着けるのか。
堪えのない美咲の足では、数時間で根を上げて、辿り着く前に魔物か盗賊にでも襲われて死ぬのが関の山だ。誰か人に言伝を頼もうにも、そのためには理由を説明しなければいけない。どうやって説明する? 他人に事情を説明することは、禁じられている。
仮に辿り着けたとしても、呪刻が美咲を殺すまでの残り日数は大きく削られているだろう。果たして戻ったところで、残された時間で、魔王を倒すことが出来るのか。
何度考えても、前に進む以外の選択肢は取れない。
やがて出た結論は、生きて元の世界に帰るという自分の望みを果たすことだった。そのためには、前に進まなければならない。元より期限は限られているのだ。美咲に前進する以外の選択肢は、無い。
顔を上げた美咲は、はっきりとした口調で団長に告げる。
「ラーダンに向かいます。元々の目的地が、そこでしたので」
「なら、馬車で行った方がいいですな。こんな辺鄙な場所ですから、次に乗合馬車が来るのは一週間後になりますが、徒歩よりは安全です」
一週間。
今の美咲にとって、時間は有限であり、寿命そのものである。
たかが一週間、されど一週間。ただでさえ猶予が三十日しかないのに、一週間もザラ村に拘束されるなど、冗談ではない。
美咲は唇を噛み締め、団長に問いかける。
「もし歩いてラーダンに向かうなら、どれくらいかかりますか?」
「大人なら街道沿いを歩いても四日もあれば着きますが、女子どもの足ならもう二日は余分に見る必要があります。馬車なら急げば二日で踏破できる道程ですし、乗合馬車を待っていた方が安全ですぞ」
ジレンマだった。
時間を無駄にはできないけれど、無謀な賭けに出るには早過ぎる。
呪刻で死ぬのを防ぐために魔王を倒す必要があるのであって、魔王を倒す前に死んでしまっては元も子もないのだ。
とはいえ、一週間ただ乗合馬車を待つだけというのも時間の浪費であることは間違いない。
なら、馬車を入手して先に進むことはできないだろうか?
「あの……急ぎの旅なので、馬車を購入してでも先を急ぎたいのです。もし馬車が余っているなら譲っていただけませんか?」
思い切って団長に問いかけてみると、呆れた顔をされた。
「代金の当てはあるのですか? 馬車一台ともなると、荷馬車でもそれなりの値段がしますぞ」
「……エルナの遺品をお譲りします」
宿屋の女将に預けたままだからまだ中身を確認したわけではないけれど、自分の荷物がそうだったのだから、エルナの荷物だって全て売り払えば纏まった額になるはずだ。
何せ魔王討伐の旅である。本気で討伐しようと思うなら、万全の状態を整えるだろう。
勝手に遺品を処分することは少し気が咎めるけれど、背に腹は変えられない。それに、元はといえば不可抗力な点もあるとはいえ、勝手に美咲を召喚した王子たちが悪いのだ。
「申し訳ないですが、余らせている馬車などありませんので、相応の理由がないと売れませんぞ。どうしてそこまでして先を急ぐ必要があるのですかな?」
団長の返答は芳しいものではなかった。
美咲は黙り込む。
先を急ぐ理由なんて自らに問いかけるまでもない。
魔王を倒すために決まっている。自らの命を呪刻から守るために、美咲は一刻も早く魔王を打ち倒さねばならないのだから。
でもそれはみだりに口にしてはいけないことでもある。
説明できないでいると、団長はそれをマイナスの方向に受け取ったようだった。
「そもそも馬車だけ買っても、あなた一人で御者が務まりますか? 魔物や盗賊に襲われたらどうするのですか? 悪いことは言いませんから、考え直しなさい。先を急ぐより、安全を意識して旅を続けた方がよろしいですぞ」
少したしなめるような強い口調で美咲を諭し、団長は話を終わらせた。
全て正論だ。しかも、美咲の身を案じた上での。反論など、出来ようはずもない。
結局馬車は買えなかった。