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美咲の剣  作者: きりん
三章 生き抜くために
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十二日目:実戦訓練3

 ゲオルベルという魔物は、美咲の世界でいう狼によく似た魔物だ。

 だが完全に狼そのものというわけでもなく、全体のシルエットは狼に似ているが、顔つきは狼というより鰐に近い。また、肩甲骨付近には翼が退化したかのような突起がある。身体も狼よりも大きく、下手をすると猫科の大型肉食獣を凌駕するほどだ。

 そして、最も恐ろしいのは、そんな形をしていながら、ゲオルベルは群れる魔物だということである。狩りももちろん、群れ単位で協力して行う。元の世界で似たような狩りをするものとして、ライオンがいるが、ゲオルベル一匹がライオン並かそれよりも大きいと知れば、その脅威度を正しく認識できるだろう。

 以前、アリシャはこの魔物を弓による狙撃で倒していた。

 遠くから不意を討ったとはいえ、狼よりも、ライオンよりも巨大なゲオルベルを容易く仕留めたアリシャの腕前は、はぐれという点を差し引いても、それだけで尋常ではないことが伺える。

 結論から言うと。

 美咲はゲオルベルの群れに追いかけられていた。


「私なんか食べたって美味しくないからああああああああ!」


 絶叫しながら疾走する美咲の後ろから、追い立てるように吼えながらゲオルベルが何匹も追いかけてくる。

 木に登ろうにも、今の状況では立ち止まった瞬間に飛び掛られるのが分かっているので、美咲は逃げるしかない。

 追いかけるゲオルベルを引き離すことはできないものの、すぐに追い付かれるような速度でもない、美咲はかなりの速度で走っていた。


「ケェアジィ(風よ)エユゥ、ケェアジィ(風よ)エユゥ!」


 そのからくりの正体が、走る美咲がこまめに口ずさむ魔族語の詠唱だった。

 まだ発音が拙いその魔法はただ風を起こすだけのもので大した威力ではないが、それでも地面の落ち葉を舞い上げて目晦ましをしたり、美咲には追い風、ゲオルベルには向かい風となって、彼我の走力差を埋めるのに成功していた。

 無意識に足場を選んでいるのか、美咲は地面に足を取られて転倒する、というようなことも無く、ゲオルベルから逃げ続ける。

 ゲオルベルたちは久しぶりの獲物がしぶといことに苛立っているようで、諦め悪く盛んに美咲を追い回した。

 美咲にとってはいい迷惑である。

 走りながら美咲は歯軋りした。

 いくら走り続けたとしても、自分の体力がゲオルベルに勝っているとは、美咲自身思えない。必ず限界は訪れる。そうなるまでに、何とか事態を打破しなければならない。

 かといって、美咲はまだ走りながら長文の魔族語をすらすらと口にできるほど魔族語に精通していない。諳んじることができるのは、せいぜい単文節、頑張って二つの文節から成る文章くらいで、その数も少ない。


(探せ、探せ、探せ……! あいつらの足を止める魔法……!)


 必死に美咲は考える。

 総じて火の魔法は駄目だ。美咲がいるのは森。例え美咲が出せるようなへぼい火であっても、こんなところで火を起こせば最悪火事になる。とんでもないことになるだろう。使わないと死ぬところまで追い詰められたなら仕方ないが、あくまで最後の手段である。

 水はどうだ。ウォーターカッターのように高圧で撃ち出すことが出来れば、殺傷力は十分だ。だが、美咲の今の言語力では、それだけの高圧で打ち出すことは難しい。

 風は言うまでもない。今起こしている風が精一杯だ。汎用性が高く、今使っているような妨害や走力増加の他に、跳躍の補助や着地の衝撃を殺すのにも使えるが、風そのものに殺傷力は無いといっていい。


(やっぱり、可能性があるのは土かな……!)


 どの道美咲ではどの属性だろうと大した威力は出ないが、足止めをするならば、風と同じくらい汎用性がありそうである。

 問題は土を使ってどうするかだ。

 美咲がすぐに思いつけたのは、落とし穴を作ることと、土を出っ張らせてゲオルベルの足を取らせ、転ばせることだった。

 落とし穴は、ゲオルベルが出られなくなるような大きさのものを作れれば一番いいが、美咲の実力では不可能といわざるを得ない。一時的に行動不能にはできるかもしれないが、すぐに這い上がってくるだろう。

 そういった意味では、土を出っ張らせるのも同じだ。転んだくらいでゲオルベルが狩りをやめるとは思えない。落とし穴と同じく、時間稼ぎは出来てもそれが限界だ。

 となると、魔族語の詠唱の難易度が少ない方が連打できるので、土の出っ張りの方が生き延びる可能性は高そうだ。

 追い風を受けながら疾走していた美咲は、振り返るとゲオルベルのうち、一番前を走って美咲を追いかける一体に狙いを定める。


「タァウトォ(土よ)イユゥ ヂィエタァゥペ(出っ張れ)ェアリ!」


 狙い通りゲオルベルの足元の土が盛り上がり、ゲオルベルは体勢を崩した。転倒には至らないものの、バランスを取り戻すまでの間に美咲は距離を稼ぐことに成功する。


「よし……! いける!」


 自信を深めた美咲は、次々と魔法を放ち、追いかけるゲオルベルから逃げ続ける。何回か繰り返すうちに、うまく引っ掛けるコツも掴んだ。着地を狙えばいいのだ。闇雲に撃ったら上手く飛び越えられてしまうことも多かったが、着地する場所に地点を合わせれば、かなりの速度で走るゲオルベルは割りと簡単にバランスを崩す。

 もちろん、それは同じくらいの速度で走る美咲も同じことだ。むしろ、魔法で無理やり速度を稼いでいる美咲の方が、バランスは取り辛い。地面には普通に木の根が顔を出していたりするので、普通に走ればたちまち足を取られてしまう。それを回避するために、美咲はできるだけ足を地面に接地させないようにしていた。

 具体的には、走る一歩を限界まで大きくし、滞空時間を長くするのだ。そして、その時間を追い風によってさらに増やす。いわば走り幅跳びのジャンプを繰り返すような感じだ。これでも足を取られる危険性を無くすことはできないが、そうでもしないとゲオルベルに追い付かれてしまう。四足で走る獣は総じて皆早いのだ。


「ウォオィケェアジ(追い風よ)ィエユゥ テェアサァウキ(助けて)ィエチ!」


 もう何度目かになる風の魔法を自分にかけて、美咲は走る。


「マァウケェアオィケジ(向かい風よ)ィエユゥ ユゥオシィエタァウキネェ(寄せ付けないで)アオィヂ!」


 同時に、ゲオルベルの群れに強風を叩きつけて少しでも速度を削ぐ。

 この二つに加え、土の魔法まで使っているのだから、動かしている足と同じくらい、いや魔法の助力を得ている分足よりも美咲の口は忙しい。


(やば、声が掠れてきた……!)


 叫び続けて、美咲の声がだんだん枯れてくる。そうなってくると正確に発音するのが難しくなり、魔法の効果が下がってしまう。ただでさえ発音が怪しく、発動させるのがやっとの美咲では致命的だ。美咲は必死に口の中に残る唾液を飲み下した。

 それでも努力の甲斐あって、だんだん森が開けてきた。出口が近いのだ。遠くにアリシャの馬車が見える。アリシャが御者席で、弓を手に手持ち無沙汰にしているのが見える。


「あ、アリシャさん! 助けてくださーい!」


 美咲は恥も外聞もかなぐり捨ててアリシャに助けを求めた。何しろ美咲の背後ではゲオルベルの団体が追いかけてきているのだ。気付いてもらわないと、ゲオルベルの群れをアリシャたちに擦り付けるようなことになりかねない。

 声に気付いたらしいアリシャが立ち上がり、弓を構え矢を番えた。美咲を追ってゲオルベルの群れが森の外に出てくると、どういう射方をしているのか、複数の矢が連なって勢い良く撃ち出される。

 放たれた複数の矢は弓なりに飛び、虚空へと消えていった。


「ちょ、どこ狙ってるんですか!?」


 愕然とした美咲が叫んだ瞬間、上空から降ってきた矢がゲオルベルの群れに雨のように降り注いだ。

 ゲオルベルを正確に射抜いていく矢の雨を、美咲は唖然とした顔で見上げる。

 自然と、走っていた美咲の足は止まっていた。

 たった数秒で、ゲオルベルの群れは壊滅し、動けるのは一際大きな個体一体のみになっている。

 残ったゲオルベルはすっかり戦意を失い、先ほどまでの獰猛さが嘘のようにキャンキャン泣いて虚空に体当たりを繰り返し、逃げようとしていた。

 どうやら何故かは分からないが、アリシャが逃がさないように魔法で結界か何かを張ったのだろう。もしかしたら、一匹残したのもわざとなのかもしれない。


「お疲れさん。あとはそいつを片付ければ終わりだ。一匹だけなら美咲でもやれるだろ」


 いつもと同じ飄々とした様子で、アリシャは美咲をゲオルベルにけしかける。

 逃げられないことをようやく悟ったのか、ゲオルベルが虚空への体当たりを止めて美咲へと首を向けた。

 体中の筋肉を張り詰めさせ、唸り声を上げるゲオルベルは、美咲が何かの拍子に動けばそれだけで飛び掛ってきそうだった。

 心配なのかミーヤがアリシャに文句を言いかけたが、ゲオルベルの注意を引くことを嫌ったアリシャに口を塞がれて小声で諭され、むすっとした顔で押し黙る。その代わりに、ミーヤはアリシャの脛をげしげし蹴って不満の意を露にした。蹴られたアリシャは大して痛くないのか苦笑している。


(ど、どうしよう……)


 にらみ合いになっては迂闊に動けず、美咲もまたその相貌に緊張を滲ませて身構える。

 幸い勇者の剣は抜剣したままなので、武器を構えることはできる。

 運動能力は圧倒的にゲオルベルの方が高い。美咲も魔族語を使えば一時的に身体能力の不利を埋めてゲオルベルに迫ることはできるだろうが、それにはどうしても魔族語を口ずさむ時間が必要だ。その時点でゲオルベルは飛び掛ってくるだろう。

 そこまで考えた美咲は、はたと思いついた。


(飛び掛ってくるタイミングが分かってるなら、それを利用すれば……)


 美咲はゲオルベルに注意を払いながら、頭の中で作戦を組み立てていく。

 作戦はシンプルだ。

 ゲオルベルにわざと飛び掛からせて、そこを突く。

 もしゲオルベルが美咲の知る狼と同じ習性を持っているなら、おそらく美咲の喉笛を狙ってくる。何しろ目の前のゲオルベルはライオンを超える巨体だ。喉笛に噛み付かれた日には、窒息死するどころか首の骨を噛み砕かれて即死しかねない。他の部位を狙うよりも容易く仕留められることを、狩りの経験からゲオルベルは知っているはずだ。

 大きな獲物ならばその前に足などの他の部位に噛み付くことを狙っただろうが、幸か不幸か美咲のような人間相手ならば、そんな小細工は必要ない。


(うん、いける)


 確信を得た美咲は、辛うじて保たれている均衡を崩す決意をした。一人で戦うのは怖いが、一人でも戦えるようにならなければこの先どうにもならない。魔王城に同行してくれる仲間はいないのだ。そして、これからも増える可能性は低いだろう。実績の無い少女に命を預けようなどと思えないのは美咲とて理解できるから仕方ない。

 勇者の剣を構え、美咲は一歩踏み出した。間髪入れず、ゲオルベルが飛び掛ってくる。その跳躍は素早く、正しく美咲が瞬きする間には目前にゲオルベルの顔が迫っていた。

 思った以上の速さに美咲の反応が遅れる。作戦では飛び掛るゲオルベルの勢いを利用して下から剣を突き上げ、顎から串刺しにするつもりだったのだが、その機会は失われた。ゲオルベルの飛び掛かりに、美咲は反応仕切れなかったのだ。

 辛うじてゲオルベルと自分の間に剣を差し入れることには成功したが、美咲はゲオルベルに飛び掛かりの勢いと自重を利用して押し倒された。頭から地面叩きつけられ、美咲の視界に火花が散る。地面が草原だったのは幸運だ。たんこぶはできるだろうが、言い換えればそれはたんこぶで済むということでもある。もし岩や木の根に叩きつけられていたら、その時点で美咲は瀕死の重傷を負っていたかもしれない。

 倒れた美咲をゲオルベルは前足で押さえつけ、喉笛に喰らいつこうとしてきた。迫り来る死の顎門を、美咲は辛うじて勇者の剣を盾にすることで回避する。

 勇者の剣の刀身に喰らいついたゲオルベルは、今度は頭を振り回して美咲から勇者の剣をもぎ取ろうとしてくる。美咲は必死に勇者の剣にしがみつく。こんな状態で武器を手放せば、間違いなく死ぬからだ。

 いつまでも均衡状態を保つことは出来ず、やがて美咲は勇者の剣をゲオルベルにもぎ取られた。

 反射的に喉を庇った左腕に、ゲオルベルの牙が食い込む。


「ぎゃあああああ! 痛い、痛い、痛い!」


 経験したことのない激痛に、美咲は絶叫を上げた。

 ゲオルベルが首を振って、腕の肉を食い千切ろうとするたびに、美咲は悲鳴を上げる。


「アリシャさん、助けて!」


 助けを求めた美咲に、アリシャは冷たく告げた。


「自分で何とかしな。最初に言っただろ。本番じゃ誰も助けてくれないぞ。……暴れるな、クソガキが!」


 ミーヤが美咲を助けようと無謀にも馬車から飛び降りようとするのを、アリシャが取り押さえる。


「美咲もいつまでも遊んでないでさっさと倒せ!」


「そんなこといったって……!」


 無事な右手でゲオルベルの頭を押しのけようとしても、非力な美咲ではどうにもならない。

 ゲオルベルの牙はがっちりと美咲の腕に食い込み、肉を食い千切ろうとしている。

 噛みつかれたのが喉笛でなくとも、肉を食い千切られればそれだけで十分美咲にとっては致命傷だ。何しろ美咲は魔法薬が効かない。現代ほど医療が発達してもいないこの世界で、大怪我をすればそれだけで命に関わる。

 もはや美咲の命運は、風前の灯だった。


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