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美咲の剣  作者: きりん
三章 生き抜くために
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十二日目:美咲とミーヤ1

 時間を告げる鐘の音で美咲は目を覚ました。

 鐘が鳴らされる回数で、今が何時なのか大まかに知ることができる。二回だったので、今の時刻はニレンディアだ。美咲がよく知る日本時刻でいうと、午前四時四十分頃である。

 部屋の中はまだ薄暗く、ずいぶんと早い起床だが、目覚めは中々良い。

 空気自体は身を切るかのように冷たいものの、同じ床につく存在が居るおかげで、風邪を引いて体調を崩すようなこともなく、朝を迎えることができた。


(悪夢も何も見なかったのは、久しぶりだな……)


 久しぶりに気分良く目を覚ました美咲は、隣でくぅくぅと可愛らしい寝息を立てるミーヤ見て淡く微笑む。

 昨日洗ったばかりのミーヤの身体は、子ども特有の甘い香りがした。


(この子の、おかげかもね)


 心が落ち着いているのは、高めの体温のせいもあるかもしれない。

温もりがずっと側にあって、美咲の心を芯まで温めてくれる。

 誰かと一緒に眠ることが、こんなにも安心感をもたらすことを、美咲は知らなかった。

 もし自分に恋人がいて、一緒に寝たら同じような気持ちになるのだろうかと、美咲は埒も無いことを思う。残念ながら、美咲に恋人らしい恋人がいた経験は無いけれど。

 今となっては、それで良かったと美咲は思う。もし恋人がいたら、元の世界に対する郷愁の念はもっと強くなっていただろう。今でさえ、家族や友人たちのことを思い出すだけでどうしようもなくなるくらい胸が苦しくなるのに。帰りたいのに帰れないというのは、辛い。

 物思いにふける美咲の耳に、ドアが叩かれる音が聞こえた。次いで、ここ数日ですっかり聞きなれた女性の声がする。


「美咲、もう起きてるかい? 寝てるんだったらさっさと起きな。今日は朝早く出発するよ」


 アリシャの声だ。

 まだ早朝だというのに、ハキハキとしていて、いつも通りしっかりと張りのある声をしている。

 女性にしては少し低めの、アルトに近い落ち着いた声音。これも、美咲にとっては聞いてて気持ちが良い声だ。

 子どもらしく高いソプラノの声のミーヤと、全く正反対のアリシャの声は、それでもミーヤの声と同じく、美咲にとっては甲乙つけ難い。

 美咲はミーヤを起こさないように注意しながらもぞもぞとベッドから降りる。

 ふわぁとあくびをして背伸びをし、未だ残る眠気の残滓を振り払った。


「すみません、今起きました。すぐ準備しますね」


 ドア越しにアリシャに返事をすると、美咲は手早く着替え、武装を身に着けていく。何度も繰り返した行為なので、美咲の手つきも慣れてきていた。初めの頃のようにもたつくことも無く、誰かの手を借りる必要もない。

 もっとも、それは美咲の防具が軽い皮製のもの主体であるお陰だ。金属製の防具はルアンに貰った鎖帷子くらいしかない。その鎖帷子でさえ、最初の方は手古摺ってルアンに手伝って貰わなければ着れなかった。一人で着れるようになったのは、つい最近で、具体的に言えば修行を始めてからだ。

 もし着用する防具が金属製の板金鎧など、もっと頑丈なものだったら、たとえ手順が分かっていたとしても、一人で着脱するのは難しい。アリシャほどの筋力の持ち主なら簡単かもしれないが、美咲では無理だ。

 自分の身支度を整えた美咲は、少し考えて先ほどの気遣いに反してミーヤを起こしにかかる。幸せそうに眠る姿を見ると起こすのは忍びなかったが、何も知らせずに置いていく方がもっと可愛そうだと思ったのだ。美咲は心を鬼にする心持ちで、ミーヤの身体を揺すった。


「あ……ママ……?」


 うっすらと目を開けたミーヤの口から、そんな台詞が飛び出した。

 反応に困ってしまった美咲だが、ミーヤの方も目が覚めるにつれて自分が何を口走っていたのか理解したらしい。縮こまってしまった。


「……ごめんなさい」


「気にしなくていいよ。……ママの夢見てたの?」


「……うん」


 ベッドから降りたミーヤは、無言で美咲の服の裾を握ると、美咲の足にぎゅっとしがみついた。ミーヤが何を思っているのか、顔を伏せるその姿からは美咲には伺えない。ただ、裾を握り締める手の白さと、しがみつく力の強さから、想像するしかない。

 ミーヤの外見は、美咲の見立てでは小学校の高学年くらいだ。はっきりと年齢を聞いたわけではないから合っているかどうかは分からないが、それほど違っているというわけでもないだろう。身体を綺麗に磨いたミーヤは西洋のビスクドールのような外見をしている。元の世界では西洋人は大人びて見えがちだったから、実年齢はもう少し幼いかもしれない。

 どちらにしろ、それくらいの年齢の少女が、幼くして両親の庇護を無くし、一人で花売りをして生活をしていたのだ。

 ちなみに花売りとは、春売りの隠語でもある。

 美咲は知らないことだし、ミーヤも語ることはないが、もしかしたらミーヤは必要に迫られてそういうこともしていたかもしれない。いくらなんでも年齢的に早すぎると美咲自身思うけれども、ここは異世界だ。美咲の常識が当てはまるとは限らないし、そうでなくとも、あのままでは将来そうせざるを得なくなっていただろう。

 または、浚われて人買いに売り飛ばされるか。どちらにしろ、ろくな未来は待っていなかったに違いない。

 過剰にミーヤが美咲に懐くのは、そのことをミーヤ自身が薄々悟っていたからかもしれない。


「もういいかい?」


「あっ、はい」


 律儀に待っていたアリシャに問われ、美咲は名残惜しさを感じながらミーヤを引き離す。ミーヤはもっとストレートに甘えたりなさそうな顔をし、人差し指を咥えた。

 それでも我侭を言って嫌われたくないと思っていたのか、素直に美咲から離れ、着替え始める。


「とりあえず顔でも洗ってきな。そうしたら朝飯を食って、それから今日の話をしよう」


 相対したアリシャは、美咲の顔を見るなりそう言って美咲に道を譲った。

 不思議に思った美咲が目を擦ると、でっかい目やにがついていた。


(……うわ、恥ずかしい)


 乙女にあるまじき大きさの目やにがぼろぼろと取れたことに、美咲は羞恥で顔を赤くした。

 宿屋にはろくな鏡が無く、水鏡くらいしか自分で姿を確認する方法が無いので、指摘されるまで気付かなかったのである。

 この分では肌も荒れているかもしれない。確認するのが怖い美咲だった。

 ミーヤが着替えを終えるのを確認し、美咲は手を差し伸べる。


「ほら、顔を洗いに一緒に行こ?」


 差し伸べられた手と美咲の顔を交互に見つめるミーヤに、美咲は微笑んだ。

 安心したようにミーヤも笑い、美咲の手に小さな自分の手を預けた。

 ミーヤの手を引いて、美咲は宿の階段を下りる。

 目指す井戸は宿屋の裏手にある。

 宿屋の勝手口を開けて外に出ると、ようやく白み始めた空の向こうで、太陽が地平線の向こうから顔を覗かせたところだった。

 勝手口の近くには井戸がある。敷地内にあるその井戸は宿屋の従業員とその宿泊客専用の井戸だ。ラーダンの住人や旅人が共同で使う井戸はラーダンには複数設置されているが、どれも点在する宿屋からは距離があるので、敷地内に井戸があるというのは便利だった。

 ちなみに井戸水は無料だが、井戸水を沸かしたお湯は有料だったりする。魔法を使うか、自分で水を汲み、薪などの燃料や設備を自前で用意して自分で沸かす分には構わないが、従業員に頼んで沸かしてもらうのには手間賃を取られる。従業員は魔法を使えないので仕方ない。お湯を沸かす薪だってタダではない。

 アリシャが言うに、専用の井戸を持つ宿屋は珍しいそうだ。そのせいか、アリシャおすすめのこの宿は他と比べて少々一泊の値段が高い。

 毎朝長い距離を往復して井戸水を汲む必要がないことを考えると、多少高かろうがその利便性は計り知れない。元が非力な美咲ではなおさらそうだ。

 今更宿を変えるなどとは考えられない美咲であった。

 ポンプなどという便利なものはないので、井戸水を汲むのには結構力が要る。以前の美咲では、水を汲んだ桶を引き上げるのは不可能なほどだった。今はアリシャの特訓の甲斐あって、一人で引き上げることが可能だ。

 汲み上げた井戸水で、ミーヤと一緒に顔を洗う。

 さっぱりした顔を持ってきていた手持ちの綺麗な布で拭うと、ミーヤは服の裾で顔を拭おうとしていた。


「待ちなさい。そんな拭き方したら服が汚れちゃうわよ。ほら、拭いてあげるからじっとしてて」


 美咲はミーヤを止めると、布をミーヤの顔に当てた。ミーヤは顔を上向け、美咲に身体を預けている。時折目を細めていて、気持ち良さそうだ。

 優しく、ことさらに優しい手つきを意識して、美咲は布でミーヤの顔についた水滴を拭っていく。

 擽ったかったのか、途中でミーヤの口元がむずむずと動いた。

 反射的に上がりかけたミーヤの腕は、しかし、ミーヤ自身の意思によってそれ以上は動かず、ゆっくりと下ろされる。

 その態度に、美咲はミーヤの幼い見た目に似合わぬ精神的な成熟を垣間見た。

 本当にミーヤが小学校高学年くらいだったとしたら、ちょうど友達同士でグループを作り始める次期だ。場合によってはもっと早いかもしれない。親よりも友達関係を重視するようになり、子どもながらその中で人間関係というものを学び始める。

 その大切な次期に、一人でしかいられないというのは、相当なストレスだっただろう。高校生になって、ある程度心に余裕ができた美咲でさえ、何も分からないこの世界で一人になった時は、不安でたまらなかったのだ。それより幼いミーヤならば、何をかいわんや、である。


「はい終わり。よく我慢できたね。偉いよ」


 じっとしていたミーヤは、美咲に褒められてにぱっと笑った。

 足にしがみついて離れないミーヤの頭を、美咲は遠慮がちに撫でた。ミーヤが嫌がらないことを察し、やがてその手つきから遠慮が消えて、美咲はミーヤの頭を撫で回した。

 なんだかんだいって、美咲もミーヤを猫可愛がりして構い倒している。ミーヤの存在は、美咲の精神安定に一役買っていた。ミーヤがいなければ、今頃美咲はルアンやルフィミアとの別れのショックから抜けきれず、もっと不安定な精神状態だっただろう。アリシャの手を焼かせていたかもしれない。

 ミーヤの存在は、まるでアニマルセラピーのような効果を美咲にもたらしていた。

 そして同時に、ミーヤにとってもまた、美咲は頼るべき者として、母代わりのような存在となっていた。

 ある意味これも、共依存の一種と言えるかもしれない。

 お互いが、守るべき対象と、頼るべき相手を見出したのだ。


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