十一日目:人攫い2
目を覚ますと、美咲は見覚えの無い場所に幼女と一緒に縄で手足を縛られて転がされていた。
窓から夕日が差し込んでいることから見て、美咲の感覚で数時間、この世界の時間の単位でいうなら、一レンディアは確実に経過している。
当たり前だが、勇者の剣は取り上げられていた。それどころか、ご丁寧にアリシャに買ってもらったばかりの服まで全て脱がされている。
(……良かった、何もされてないみたい。あの子は大丈夫かな)
自分の身体の状態を確認してほっと息を吐いた美咲は、辺りを見回して同じく捕まったであろう花売りの幼女に、芋虫のように這いずって近付く。
捕まる際に抵抗して殴られたのか、唇の端が少し切れて頬が腫れているが、それ以外に目立った外傷は無く、美咲は少し安堵する。
(まあ、まだまだ安心はできないけど……)
「うぇぇ……お家に帰りたいよう」
幼女は声を押し殺して泣いていた。無理もない。
「大丈夫だよ。私が、助けてあげるから」
美咲は少しでも幼女を慰めようと幼女に語りかける。
「ほんとう……?」
潤んだ目で自分を見上げてくる幼女に、美咲は優しく微笑みかけた。
「約束するよ。だから、少し待っててね」
瞳に涙を溜めながらも泣き止んだ幼女が頷くのを確認して、美咲はアリシャに習った魔族語を思い出す。
必要なのは発火の魔法だ。あれはもう二度見たし、一度は自分でも発動させている。
(大丈夫。きっと上手くいく)
深呼吸すると、美咲はそっと魔族語を唇に乗せた。
「ホォイユゥ ツゥオムリィ」
魔族語が紡がれると、美咲の指先に小さな炎が点る。
生まれた火を、美咲は己の手足を縛る縄に燃え移らせた。
「もえちゃうよ……痛くないの?」
手足諸共美咲の戒めを燃やす火を見て、幼女が怯えた声を出した。無理もない。
「うん。痛くないよ。心配しないで」
にっこりと意識して笑顔を浮かべ、美咲は幼女が安心できるように努めた。
魔族語で生み出された火は縄を燃やし、その勢いのまま美咲の肌をも焼いていく。
その火を美咲は落ち着いて手で叩き消した。本来はそうしたところで消えるようなものではないが、見た目だけで実際は美咲の肌を焼いていない魔法の火は、それだけで消えた。
自由の身になった美咲は、続いて幼女の戒めを解く。さすがに現地人である幼女に火は使えないので、美咲は手を使った。
「お姉ちゃん、凄い」
尊敬の眼差しで見上げてくる幼女に少しくすぐったさを感じながら、美咲は幼女の手を握った。
「脱出しよう。こんなところに、長居は無用だよ」
幼女は返事をする代わりに、頷いて繋いだ手を強く握り返した。
■ □ ■
脱出するとはいっても、言葉にするのは簡単だが実際はそうもいかない。
裸で何処とも知れない場所に出るわけにもいかず、美咲はまず己の持ち物を取り戻すことにした。
幸いアリシャによって鍛えられた美咲は、おぼろげながら敵の気配とでも言うべき嫌な感覚を察知することができるようになっており、それが少ない方へ進むことで難を逃れていた。
「あった……」
何度目かの扉を開けた先に、美咲はついに自分の荷物を見つける。
倉庫代わりにしているのか、様々な道具が収められた部屋の一角に、美咲の持ち物は並べられていた。
価値がないと思われて捨てられてしまったのか、幼女が着ていた着たきりの服はない。
美咲は服を着てルアンに貰った鎖帷子を着込み、その上から革の鎧を身につけると、幼女には自分のマントを服の代わりに羽織らせ、前をぴっちりと留めた。当面はこれで何とかするしかない。
勇者の剣を掴み、相変わらずのその軽さに少しホッとしてしまう。
「よし。行こう」
自分自身を奮い立たせるように美咲は呟き、幼女の手を引いて部屋を出る。
そこは三階で、到底飛び降りれるような高さではなかったが、外に面した窓があった。
窓に手をかけると、鍵がかかっておらずあっさりと開く。
(しめた。魔法で着地の衝撃を緩和できれば……)
しばらく考え込んだ美咲は、魔族語を呟く。
「ケェアシィエユゥ ハァウコォイエァリィエユゥ」
多少は発音が良くなっているのか、以前よりは少し強い風が吹いたものの、それでもまだ着地の衝撃を殺し切るには足りない。
「なら──ハァウコォイエァリィエユゥ ハァウコォイエァリィエユゥ ハァウコォイエァリィエユゥ」
質が駄目なら量でとばかりに、美咲が繰り返し呟いていくごとに、風の勢いが増していく。
(──うん。いける)
幼女をしっかりと片腕で抱きしめた美咲は、もう片方の手で窓枠に手をかけ、自分の身体を窓の桟の上に乗せた。
「しっかり捕まっててね」
「うん」
頷いた幼女が目を瞑ってぎゅっと自分の身体にしがみついたのを確認すると、美咲は窓の外に身を躍らせた。
「ハァウコォイエァリィエユゥ ハァウコォイエァリィエユゥ ハァウコォイエァリィエユゥ ──アゥキィエツゥオミチ!」
ぎりぎりまで粘って風の勢いを増やした美咲は、地面に激突する瞬間風のベクトルを操作し、衝撃を殺した。
(いったぁ……)
それでもまだ未熟な美咲の魔法では墜落の勢いを緩和し切れず、思わず涙目になるほどの痛みが美咲を襲ったが、それで済んでいるだけで十分である。
この魔法そのものには殺傷力はないので、幼女も無傷だ。
「大丈夫? 怪我してない?」
「う、うん。お姉ちゃんこそ、へいき?」
「へっちゃらだよ」
窓から飛び降りた瞬間の浮遊感が怖かったのかぶるぶる震えている幼女を元気付けようと、美咲はへらりと笑った。
回りを見回した美咲は、人影が無いことを確認すると、同時に地形の把握に努める。
「出口は、あっちだね」
遠目に門を確認した美咲は、幼女の手を引いて物陰から物陰へとなるべく姿を隠しながら移動する。
当たり前だが、さすがに門には門番が居た。
門自体は開いているものの、これでは通れない。
(どうしようかな……。普通に通ったら見つかっちゃうよね)
幼女の手を引き、物陰に隠れながら美咲は思案する。
美咲は自分の持ち物を確認した。
(これ……使えるかも?)
現在は美咲の道具袋になっているが、元々はエルナの道具袋である袋の中には、盗まれてしまった元々の美咲の道具袋と違い、いくつかの見慣れない道具が入っていた。
その中の一つを取り出して、美咲はよく確認する。
黒い球に短い導火線のような細い糸が伸びたそれは、美咲の目にはどう見ても爆弾か何かにしか見えない。
手で握れる程度の大きさなので威力はそれほどでもなさそうに見えるが、それでも混乱を引き起こすには十分だろう。
「ホォイユゥ ツゥオムリィ」
糸に火をつけた美咲は、門番の目が他所を向いた隙に、それをできるだけ自分たちから遠くに放り投げた。
予想に反して、投げた黒い球は爆発せず、小さく弾けて黒い煙をもくもくと吐き出していく。
「何だ!? 火事か!?」
門番が慌てて煙の方へ近寄っていく。
(煙幕だったんだ。なら、直接投げつけても良かったかも)
まあ、どちらであっても門番がその場を離れた以上、結果オーライである。
門番が居なくなったその隙に、美咲は幼女とともに門を走り抜けた。
■ □ ■
閑静な住宅地を走り抜け、美咲はようやく見知った宿屋の前へと辿り着いた。
驚いたことに、美咲たちが囚われていた館の外は、貴族街だった。
慣れない逃避行に美咲は疲労を感じていたし幼女も疲れている様子だったので、ひとまず宿屋で休むことにする。
宿屋の女将にお湯をたらい二つ分用意してくれるように頼み、美咲は代金を支払う。
金銭のやり取りを凝視する少女のもの欲しげな視線に気付いていたので、美咲は幼女にそっと囁いた。
「身体を綺麗にして少し休んだら、お夕飯を食べに行こう。これも何かの縁だし、奢ってあげる」
驚いた顔で美咲を見上げた幼女は、おずおずと美咲の服の裾を握った。
「……いいの? ぶったりしない?」
何故そうなるのかと美咲は不思議に思ったが、今は幼女を安心させる方が先決と考え、しゃがんで幼女と視線を合わせ、にっこりと微笑む。
「もちろん。ほら、行こう?」
美咲が促すと、やがて幼女はこくりと頷いた。
部屋に戻った美咲は、鎧と鎖帷子を脱いで一息つくと、覚束ない手つきで装備の手入れを始める。
やり方は時間の合間を縫ってアリシャが教えてくれた。
幼女が落ち着かなさそうに立ち尽くしているので、美咲は少女に微笑みかけた。
「椅子に座ってていいよ。疲れてるでしょ?」
「……ありがとう」
椅子に腰掛けた幼女は、ほっと息をつくと、きょろきょろと首を巡らせて部屋の中を見回している。
手入れが終わる頃に、女将が部屋にお湯が入ったたらいを従業員とともに運んできた。
「一つはあなたが使っていいよ」
許可を出して美咲が身体を拭くのに使っていた自分の布の予備を渡すと、幼女ははにかんだ笑みを浮かべ、嬉しそうに笑った。
やっぱり、身体が汚れていたのは気になっていたらしい。
すぽーんと幼女が擬音が立ちそうな勢いでマントを取り払うのを見て苦笑しながら、美咲も布を取り出すと、服を脱いでいく。
肌が露になるごとに隠されていた死出の呪刻が目に入るようになり、美咲の気分を降下させる。
ふと視線を感じて振り向くと、幼女がおっかなびっくりといった顔で美咲の身体を見ていた。
「お姉ちゃん……身体、それ、何?」
死出の呪刻を見られていることに気付いた美咲は、反射的に身体を隠そうとして思いとどまる。
年端も行かない幼女に見られたところで、何になるというのか。
「おまじないみたいなもの、かな」
言いながら、美咲は思わず苦笑した。
お呪いというよりは呪いなのだが、あんまり変わらないかもしれないと思ったのだ。
「……痛くないの?」
幼女は心配そうな目を美咲の身体に向けている。
「大丈夫。全然痛くないから」
服を脱いだ美咲は、自分の分のたらいのお湯で布を濡らし、死出の呪刻の上から身体を擦る。
呪刻を刻まれた状態であっても、美咲の身体はいつも通り垢を出す。そのくせ呪刻が薄れることはないのだから、理不尽である。
「んしょ、んしょ」
美咲の横では、幼女が可愛らしい掛け声を上げながら、小さな手を動かして己の身体を擦っている。着たきりの服を着ていた幼女の身体は垢塗れで、擦るたびにぽろぽろと冗談のように垢が取れた。
(石鹸、あればいいのになぁ)
贅沢を言うならお湯に浸かりたいが、望むべくも無いのは美咲とて承知している。だが、これくらい望んでも罰は当たるまいと思う美咲だった。
(エルナの荷物にそれらしいもの、あったかな?)
自分の荷物は盗まれてしまったので確かめる術はないが、エルナの荷物は幸い手元に残っている。美咲はたらいから離れると、部屋の隅に置いてある道具袋をごそごそと漁った。
(これ、そうじゃないかな?)
蓋付きの小さな陶器を見つけた美咲は、中に入った白い物体を見つけ、匂いを嗅いでみた。美咲の知る石鹸とは材料や製法が違うのか、さわやかな花の匂いに紛れかすかな獣臭がするが、気にならない程度だ。
陶器ごと取出し、石鹸らしきものを布で包んで濡らし、泡立ててみる。
もこもこと泡が立ったのを見て、美咲は確信した。
(やっぱりこれ、石鹸だ)
たらいのお湯で手を漱いだ美咲は、幼女が身体を擦っていた手を止めてきょとんとした顔で見ているのにも構わず、再び道具袋を漁り始める。
(石鹸があるなら、もしかしたらリンスっぽいものもあるかも)
何しろ、石鹸で髪を洗ったら、きちんとケアをしないと髪が痛んでしまう。既にこの世界に来た頃に比べれば、美咲の髪の状態は長さも質も比べるべくもないが、それでも年頃の少女として、美咲は自分の髪を痛むのに任せておくのは嫌だった。
今更髪に拘ってなんになるという、諦めにも似た思いはもちろんある。それでも美咲はこういうところで、元の世界への郷愁に縋ってしまう。帰りたいのに帰れないという鬱憤を、転移前と転移後の生活水準をなるべく近付けようと努力することで晴らそうする。
故郷を想うがための、美咲の代償行為だった。
手で持てるサイズの小瓶を見つけ、美咲は蓋を開けて匂いをかいでみる。
石鹸と同じ、香料らしき花の匂いがした。
手に少しつけてみると、美咲がよく知るコンディショナーに似た、特有のぬるぬるとした感触がある。
(……あった)
美咲が見つけたのは、エルナが使用していた髪油だった。
小瓶を手にたらいの傍に戻ると、そこではたと気付く。
本格的に身体や髪を洗うには、たらいでは圧倒的にお湯の量が足りない。
かといって、追加でお湯をたくさん頼めるような金も無い。
やるせない思いを抱え、美咲は泣く泣く擦るだけで諦めた。
横では幼女が不思議そうな顔で美咲の行動の一部始終を見ている。
振り向いた美咲は、幼女の身体をにらみ付けた。
「でも、これを放っておくのはさすがに無いわ!」
「ど、どうしたの?」
たらいを引き摺りながら近寄ってくる美咲に、幼女の腰が引け気味になった。
幸い一人だけなら今のお湯の量でも何とかなりそうだったので、この際美咲は幼女を徹底的に洗ってやろうと考えたのだ。
一度助けた以上、美咲にはもう幼女を放り出すという選択肢は無かった。
詳しい事情はまだ聞いていないが、この状態では幼女の両親が近くにいるとも考えにくい。戦災孤児かと思った美咲の想像はあながち外れてはいないだろう。
もちろん危険な場所には連れて行けないし、魔王討伐の旅に同行させるなど論外だが、せめて信頼できる人に預けられる目処がつくまでは、自分が面倒を見るつもりだった。
「身体、洗うの手伝ってあげる。きちんと磨かないと、病気になっちゃうわ」
「なにこれ、凄い! ふわふわしてる!」
石鹸を泡立てた布で幼女の身体を擦ると少女は驚いた声を上げ、身を捩った。
「くすぐったいよ、お姉ちゃん」
自分の経験から力を入れ過ぎると痛いので意識して優しく擦ったのだが、もう少し力を入れてもいいかもしれない。
美咲は自分のたらいのお湯も使って、幼女の身体を頭からつま先まで磨き上げていく。
まるで幼い妹の面倒を見ている気分だった。
もし自分に妹がいたら、構い倒して嫌がられてたかもしれないと、美咲は幼女への自分の過保護ぶりを自覚して苦笑した。
水気を拭き取り、髪油で幼女の髪のケアも終えた美咲は、改めて少女に話しかけた。
「私、美咲っていうの。お姉さんにあなたのお名前を教えてくれないかな?」
目線を合わせてにっこり微笑む美咲に、幼女は気を許したらしい。
「ミーヤだよ。助けてくれて、ありがとう」
無垢なミーヤの笑顔は、苦難の連続でささくれ立っていた美咲の心を癒してくれた。
この子を守りたいと、美咲は心から思った。




