十一日目:美咲の修行6
美咲と相対したアリシャは、まず美咲に自身の体質について再確認させた。
敵を知るにはまず己のことを知らなければならない。
「異世界人特有の魔法キャンセル効果は、自分にかけられた魔法ならそれが敵味方自分のどれからであっても例外なく無効化する。ひとつ例を見せようか」
いつもの調子でさらりと言ったアリシャは、おもむろに美咲の肩に手のひらを置いた。
服越しに感じる、ごつごつとしたアリシャの手のひらの感触を受けて美咲が不思議そうな表情を浮かべてアリシャを見上げると、アリサはニヤリと笑って手を離し、一歩、二歩と美咲から離れる。
「スゥオヘェ フゥオヌウォヌテェアオィメタァ ホォイベェアソレツゥオネロチィエ チィエコォイゥオ ヨェアコォイクゥオルシィ」
「ちょ」
距離を保ったアリシャから不穏な言葉が二重音声で紡がれたことに気付いた美咲は、慌ててアリシャに抗議しようとしたが、発しようとした声は突如足元から吹き上がった火炎に遮られて聞こえなくなった。
火炎はあっという間に美咲を包み込み火柱となると、轟々と音を立てて燃え盛り、完全に美咲の姿を覆い隠した。
中にいる美咲の感覚で三十秒ほど、この世界の基準でいえば一レンの二十分の一という短い間隔で激しく燃え盛った炎は、時間が過ぎるとその効力を無くし、唐突に消え去った。
現れた美咲には火傷どころか服に煤一つすらついていない。
それでも、急に攻撃魔法をかけられたことに、美咲は憤慨した。
「い、いきなり何するんですか!?」
抗議は当然のようにアリシャによって黙殺される。
「こんな風に、美咲の体は基本的に魔法による直接攻撃を一切受け付けない。魔法が至近距離で発動しようが、直撃しようが異世界人には傷一つつけられない。その原理は完全に解明されてはいないが、一つ有力とされている説がある」
「説……ですか?」
話を続けられ、美咲はひとまず自分の怒りは脇に置いておく事にしたらしい。
鸚鵡返しに問い返す美咲は、うんうん唸りながら話の内容を消化しようとしている。
「それは、異世界人と私らこの世界の人間が存在する位相が異なっているからというものだ」
「……それって、つまりどういうことなんでしょうか」
具体的にどういうことかいまいち想像し切れない美咲は、首を捻りつつアリシャに尋ねる。
全く知らない分野の話なので、話を理解するのが大変だ。その代わり、ワクワクするのも確かである。知らない知識を蓄えるというのは、結構楽しい。
「こうして私と美咲はお互いの姿を認識しながら会話しているし、手を握ることもできるが、実際私の目の前に美咲がいるとは限らない、っていうことさ」
「えっと……私、透明人間なんですか?」
頓珍漢な反応を見せる美咲に、アリシャは豪快に声を上げて笑った。
「ある意味近いかもしれないけど、残念ながらそうじゃない。異世界人は肉体的には完全に転移をしているが、概念的にはまだ元の世界に隔離されているっていう方が近い」
「むむむ……」
唸る美咲は完全に話についていけなくなった。
魔法については全くの素人なので仕方ない。
「魂や精神を含めた肉体は完全にこっちに来ているから、物理攻撃や直接肉体に刻む刻印系の魔法は問題なく効果を発揮するが、相手の概念に干渉して事象を引き起こす一般的な魔法は干渉の段階で弾かれちまう」
(えっと、つまり、魔法だけは見えない壁に弾かれてるみたいなもの?)
必死に自分なりに噛み砕いて理解しようとしている美咲に、アリシャは意地悪っぽく笑った。
「けど、これから導き出せる事実もある。概念的に元の世界と繋がっているっていうことは、それを辿れば簡単に美咲を元の世界に送り返せるってことだ」
それは、間違いなく美咲にとって朗報だった。ただ、問題があるとするならば、それは美咲の身体に刻まれている。
「……死出の呪刻さえなければ、ですよね」
美咲の声は暗い。
元々は目的に沿う人物でなければ送還するつもりだったとエルナは言っていた。
魔王の妨害さえ無ければ、美咲はこんな目に遭わずとも済んでいたのに。
それに、エルナが死んでしまった今、呪刻を解除できたとしても、今度は送還してくれる魔法使いを捜さなければならない。
「そうだね。それがネックだ。それさえなければ、私も美咲を元の世界に返してやれるんだけど。もちろん金は取るけどね」
「ふぁ!?」
何気ない口調でぼやくアリシャに、美咲は素っ頓狂な反応をする。
送還してくれる人が見つかった。
ただしまさかの有料であった。
「ちなみにおいくらですか……?」
出来れば自分に払える額であって欲しい。
そう思いながら恐る恐る美咲が尋ねると、アリシャはにやりといたずらっぽくあくどい笑みを浮かべる。
「もちろん、有り金全部だ。元の世界に帰るなら、美咲には無用の長物だろ?」
「それはそうですけど……」
確かにアリシャの言う通り、元の世界に戻る時にはこの世界の金などトラブルの元になるだけだろうが、それでも美咲は釈然としない。
(何だか上手いこと言いくるめられてるような気がする……)
何だか腑に落ちない美咲であった。
「話を元に戻すよ。それで、美咲は概念が隔離されちまってるから自分自身を対象とする治癒魔法や強化魔法の効果は得られないが、魔法を使うことそのものは魔族語さえ覚えちまえばできる。これは、魔法っていう概念が個人ではなく、魔族語自体にあるからこそだね。攻撃魔法も強化魔法も、それこそ回復魔法だってそれは同じだ」
「自分には無理でも、他人にならかけられるってことですか?」
知らなかったのか、美咲はアリシャの話を聞いて驚いた顔をする。
魔法無効化能力があるので、今まで美咲には魔法を使うという選択肢自体が頭に浮かばなかった。そもそも魔法自体に馴染みが薄いので、魔法に頼るという発想が薄い。
「そういうこと。ただ、美咲の場合は他人に使うためだけに強化魔法を覚えるより、身体強化も攻撃魔法で代用した方が、攻撃手段も兼ねられて手っ取り早い。幸い直撃しても被害がない体質ならやり様はあるからね」
「攻撃魔法で代用って、できるんですか? そんなこと」
半信半疑の美咲に、アリシャは自信満々に言った。
「できるさ。攻撃魔法は他の魔法に比べて、生まれるエネルギーが桁違いに大きいんだ。そいつを利用する」
そして、美咲を見下ろしてにやりと獲物をいたぶる猫のような目をして笑う。
「一つ、実践してみようか」
嫌な予感がした美咲は即座に踵を返して逃げ出そうとした。
さすがに美咲とて学習している。
今の流れの後は、大抵ろくなことにならない。
「お断りしますぅ!」
「まあそう遠慮するな。リィエタァゥパウアゥユゥ ハァウコォイエァリィエルゥ!」
アリシャがおもむろに唱えたのは、竜巻を巻き起こす魔法だった。
轟、と音を立てて風が渦を巻き、背を向けて逃げ出そうとした美咲を飲み込み、宙へ吹き飛ばした。
渦中に吸い込まれた美咲は空に巻き上げられ、涙目になりながら手足をわたわたと動かしている。
服や髪が風ではためいていることから風を感じていないわけではないようだが、一緒に巻き上げられた地面の砂や小石で怪我をしてもおかしくはないのに、その影響は受けていないようだった。
「きゃああああああ……あれ?」
最初こそ悲鳴を上げた美咲だったが、身体を浮き上がらせるような猛烈な風の勢いを感じはしても、それに伴う痛みを全く感じず、自分の周りだけがまるで台風の目のような状態に置かれていることに目を瞬かせる。
目を丸くして、周りを確認する余裕さえあった。
せいぜい二十メートルほどの高さだろうか。大体七階建てのビルやマンションの最上階と、同じくらいの高さである。
結構怖い。
落ちたら死ぬと分かっているからだろうか、根源的な恐怖を感じる。
「こいつは矢を吹き散らしたり敵の逃走を阻んだり、色々使える魔法だから、覚えておいて損はない。ほら、復唱してみろ。ほら、早くしないと墜落して死んじまうぞ」
「ええええ……、リィエパウアゥ ハァウコォイエァリィエ?」
聞いたばかりの魔法を頭から引っ張り出して口ずさむものの、何も起きない。それどころか、美咲の身体は少しずつ落下を始めた。
「違う、発音がなっちゃいない。もう一度使うから、サークレットを外してしっかり発音を聞いておきなよ」
「わ、分かりました」
美咲が慌ててサークレットを額から外したのを遠目で確認すると、アリシャは再び魔法を唱えた。
「リィエタァゥパウアゥユゥ ハァウコォイエァリィエルゥ」
風が渦を巻き、落下してきた美咲を再び宙に舞い上げた。
何度か言い直した後に美咲はついに魔法の発動に成功する。
「リィエタァゥパウアゥユゥ ハァウコォイエァリィエルゥ」
そよそよと気持ちの良い風が流れ、あっという間にアリシャの竜巻に吹き散らされた。
(……ええと、どう反応すればいいんだろ、これ)
一応発動はした。
効果が現れたのだから、発音自体は正しいのだろう。
しかし、発動はしたが期待していた効果と違うことに、美咲は戸惑う。
「ケェアシィエユゥ」
そのまま成す術もなく落ちてきた美咲を、アリシャが今度は魔族語で風を起こして受け止める。どうやら空中遊泳は終了のようだ。密かに美咲はホッとした。
アリシャがサークレットと額を指差して、つけろとジェスチャーをする。
気付いた美咲がサークレットを身につけると、アリシャが口を開いた。
「こんな風に、ある程度正確に発音できれば魔法が効果を発揮するが、イメージや発音の正確さによって魔法の効果は大小の修正を受ける。美咲はもう少し修練が必要だね」
しょんぼりする美咲を、でももう発動させられるのは十分凄い部類に入るよと、アリシャは珍しく慰める。
「でも、これが本来の用途以外の何に使えるんですか?」
不安げな美咲は、微妙な魔法の効果に戸惑っている。
「跳躍力を上げたり、着地の衝撃を殺したり、走る速度や持久力を改善させたり、アイデア次第で色々できるよ。わざと竜巻にならない程度に発音や文章を調節して追い風にすれば、少ない体力の消費で長い距離を走れる。まあ、練習はいるし、用途によって微調整が必須だけど」
美咲は思わず表情を消してアリシャを見た。
脳裏を過ぎるのは、ルアンやルフィミアたち。
(そうだ。二度とお荷物にはならない。絶対に)
決意を新たにして、美咲はアリシャに教わりながら、拙い魔族語を口ずさんだ。
そよそよと風が吹いた。