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美咲の剣  作者: きりん
三章 生き抜くために
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十日目:美咲の修行1

 次の日、美咲は期待と不安が入り混じった不思議な気分で目を覚ました。

 身支度を整えると、ちょうどいいタイミングでドアがノックされる。


「誰ですか?」


「私だけど、入っていいかい?」


 扉越しに誰何すると、アリシャの声が聞こえてきた。

 やってきたのはアリシャらしい。


「どうぞ」


 入ってきたアリシャは、武装して勇者の剣を携えている美咲を見て、淡く微笑む。


「準備はもうできてるみたいだね。なら、ちょっと早いけど、朝食前に軽く身体を動かしておこうか。外に行くよ」


「わ、分かりました」


 宿の外に出たアリシャは、そのまま美咲を引き連れて、迷いなくずんずんと道を進んでいく。

 建物が立ち並ぶ路地をしばらく歩くと、不意に視界が開け、広場に出た。

 広場といっても、住民たちの憩いの場になるような整備された広場ではなく、土がむき出しの空き地のような広場だ。

 かなり広く、運動するにはもってこいだろう。


「それじゃあ、ちょっと倒れるまで走ってみて」


 こともなげに言われ、うっかり言われた通りに走り出しそうになった美咲は、突っ込みどころを見つけて慌てて突っ込む。


「ちょっと待ってください。何ですか、倒れるまでって……」


「何って言葉通りの意味だよ。美咲の体力があまりないっていうのは分かってるけど、正確にどれくらいなのかは分からないから、まずそれから調べないと」


「えええええええ……」


 アリシャのスパルタぶりに、美咲はドン引きした。

 口にしている理由はもっともだが、何故それが倒れるまで走らされることにつながるのか、美咲はさっぱり分からない。


「ほらほら、早く走らないとたたっ斬っちゃうよ?」


「はい?」


 思わず聞き返した美咲の目の前で、アリシャが何気なく大剣を構える。

 振り上げられた大剣を見上げ、我に返った美咲は慌てて走り出した。

 その数瞬後に、美咲がいた場所に大剣が振り下ろされる。


「な、な、何するんですかいきなり!」


「喋る暇があったら足を動かす!」


 後ろからの声に突き動かされ、美咲は空き地を爆走した。

 少しでも足を止めると、後ろからアリシャの罵声と大剣が飛んでくるので、美咲は休みたくても我慢して走り続けるしかなかった。


(鬼……! ここに鬼がいる……!)


 半泣きになりながら走り続けるものの、やはりいつまでも走る続けるのは無理があり、美咲は途中で足が縺れて倒れこんだ。


「も、もう無理、走れません」


「口に出せるうちはまだ大丈夫!」


 倒れている美咲の鼻先の地面に、アリシャの大剣が突き刺さる。

 その衝撃で飛んだ土が口に入り、反射的に目をかばっていた美咲はぺっぺっと土を吐き出した。


「な、何するんですか!」


「ほらほら、早く逃げないと次は手が滑っちゃうかもしれないよ?」


 引き抜かれた大剣の刃が自分の方を向くのを見て、美咲は慌てて逃げ出した。


「あ、悪魔、ここに悪魔がいますー!」


「はっはっは、悪魔か、言い得て妙だね!」


「笑い事じゃないですー!」


 力を振り絞って身体に鞭打つ美咲を、アリシャは朗らかに笑いながら追いかける。

 どうやらアリシャは、美咲の反応を面白がって、追いかけることを楽しんでいるようだった。


「こ、今度こそ限界です。逃げたくても逃げれません」


 二度目の転倒を果たした美咲は、ぜえぜえいいながらアリシャを見る。

 一度目と同じように脅しても反応しない美咲を見て、アリシャは唇を尖らせる。


「なんだ、今度こそ本当に限界かい。早すぎるけど、意外と持った方なのかな」


「い、一生分の距離を走った気分です……」


 必死に空気を取り込みながら、美咲はアリシャを恨めしげに見上げた。


「じゃあ、美咲の息が整ったら宿に戻って朝食にしよう」


 くすくすと笑いながら、アリシャは立ち上がった。


「もう立てるかい?」


「無茶、言わないで、ください。まだ、息すら、整ってませんよ」


 苦しくてところどころに息継ぎを入れながら、美咲はアリシャに文句を言う。

 実際立ち上がろうにも、四肢に力が入らず立ち上がれない。


(あ、明日が怖い……。絶対筋肉痛になる……)


 その時の痛みを想像し、美咲は恨めしげにアリシャを見上げた。

 アリシャは楽しそうに鼻歌を歌っていて、美咲が見た限りではとてもリラックスしているように見える。

 少し息が整って呼吸が楽になった美咲は、よろよろと震える小鹿のような足取りで立ち上がった。

 美咲の足は、走り通したせいでふくらはぎがぱんぱんになっている。


「それじゃ、行こうか」


 立ち上がった美咲を見て歩き出したアリシャを、何とか美咲は追いかけようとするが、すぐに限界を悟り声をかける。


「も、もうちょっとゆっくり歩いてください」


 振り返って美咲の様子を見たアリシャは、必死に美咲が歩いているのを見ると、無言で微笑んで速度を緩めた。


「さて。どこで食べようか。何かリクエストでもある?」


「何でもいいので、座って食べたいです」


 まだ微妙に生まれたての小鹿状態が続いている美咲は、切実だった。


「あはは。じゃあ、この前行った店にしようか」


 アリシャは快活に笑い、以前夕食を食べた店に美咲を先導する。

 その光景は、まるで母鹿が立ち上がろうとする小鹿を見つめる様を髣髴とさせた……かもしれない。



■ □ ■



 朝食が終わり、美咲は満ち足りた表情で飯屋を出た。


「朝っぱらからよく食べたね……」


 広場に戻るまでの道すがら、隣でアリシャが呆れた顔をしているが、美咲は自分のお腹を撫でて満足そうにしている。


「運動しましたから。身体を動かしたらその分食欲が増すのは当然だと思います」


 美咲の台詞には、若干アリシャへの嫌味が含まれていた。

 倒れるまで走らされれば無理もない。

 だがアリシャは反省するどころか、意地悪に笑って「そうか。なら次は食欲も失せるくらい追い込んだ方がいいかな」などと口にした。

 さすがの美咲もそれには半泣きで、「止めてください」と泣きついた。


「まあ冗談はともかく、食欲があるのは身体が強くなりたがってる証拠だ。食べられるならどんどん食べた方がいいよ。しっかり運動していれば、その分早く筋肉がつくから。私もそうしてここまでなったのさ。まあ、私の場合は元々の体格に恵まれてたのもあったけどね」


 確かにアリシャは成人男性と比べても身長が高いし、全体的な骨格ががっしりしているように美咲には見える。

 胸板も分厚く、肩周りや腕の筋肉も目で分かるほど発達している。これらの部分が発達しているのは、大剣を振るうアリシャの戦い方で一番酷使する部分だからかもしれない。

 特にアドバイスをするアリシャの二の腕はまるで武器屋で売っているメイスのような太さで、身長二メートル級のオーガですら素手で絞め落とせるんじゃないかと美咲は思った。

 だからといって下半身は貧相かといえばもちろんそんなことはなく、腰周りや太もも、脹脛などにもしっかり筋肉がついていて、綺麗な逆三角形を描いている。

 それでいて、全体的なシルエットでは女性的なポイントが失われていないのが凄まじい。

 元々が大きかったのか、大胸筋が発達してもアリシャの胸ははっきりと女性の胸と分かるボリュームと形を保っているし、腰も寸胴にはならず、モデルなどのように極端ではないものの、薄っすらとラインが分かる程度には括れている。

 傭兵としてだけでなく、純粋に女性としても、アリシャは十分に優れていた。


(それに比べて、私はどうなんだろう)


 美咲は下を向いて自分の身体を見下ろす。つま先まではっきりと見える。

 率直に言って胸はない。「すとーん」とか「ぺったーん」とか不愉快な擬音語が似合ってしまうほどの大平原で、Aカップブラどころか、スポーツブラですら間に合ってしまう有様である。

 腰周りはお世辞にもはっきりと括れているとはあまり言えず、限りなく寸胴に近いし、ただでさえコンプレックスだった足は、召喚されてから酷使してばかりだったから、最近さらに太くなってしまった気がしてならない。

 さらに致命的なのは、早熟だったので今後成長する見込みがほとんどない、ということだ。


「羨ましいなぁ。格好良くて強くて、その上美人だなんて」


 美咲はアリシャが照れたりして「そんなことないよ」とかそういう反応をしてくるんじゃないかと思っていたのだが、当のアリシャは当然のことを言われたかのようにさらっと流した。


「ずるい。アリシャさんばっかり。私も今よりもっと美少女だったら良かったのに」


 不満げに口をへの字にひん曲げる美咲に、アリシャは苦笑を漏らした。


「今でも魅力的に見えるけど? 十分可愛らしいよ」


 褒められて、美咲の機嫌は上昇するどころかますます下降した。


「下手に包み隠さずに子どもっぽいってはっきり言ってください。自分でも良く分かってますから」


 今度こそ、アリシャは手で口を覆ってくすくすと笑った。


「あんまり見目が良すぎてもいいことはないよ。人攫いに目を付けられやすいし、騒動にも巻き込まれやすい。自衛できる力か後ろ盾がなければ、ろくな目に遭わないと思うよ。現に私だって、傭兵団に拾われるまでは身体を売って生活せざるを得なかったわけだしね」


 しみじみとアリシャに言われ、美咲は黙り込む。

 実感が篭った口調で言われると、妙にリアリティがあった。

 アリシャの主張も確かにその通りである。

 美人には美人の悩みがあり、その逆も然りである。

 隣の青く見える芝生を眺めても仕方ない。それよりも、己の芝生を一生懸命手入れするべきなのだ。 


「……何してるんですか?」


 ふと気がつくともう広場についていて、アリシャがおもむろに自分の大剣を鞘ごと美咲の背中に括り付けていた。


「何って修行だよ。ちょっとした重り代わりにね」


 手を離すよー、とあっけらかんに言うアリシャの顔はとても楽しそうだ。


「ちょ、ちょっと、待って……きゃあ!」


 手が離れたとたんに背中にかかる大剣の重量を支えきれなくなった美咲は、後ろにひっくり返った。

 慌てて起き上がろうとするが、大剣が重過ぎて、起き上がるどころか身体を横に倒すことすらできない。

 しばらく手足をばたつかせたあと、美咲はしくしくと泣きながらアリシャに助けを求めた。


「起き上がれません……起こしてください」


「駄目。一人でやってみな」


 美咲の懇願はあっさりと却下された。

 それどころか、アリシャはもがく美咲を見て失礼な感想を漏らす。


「なんか、虫にいたよね。背中から落ちたらこんな風に手足をばたつかせるだけで起き上がれないの」


「む、虫と一緒にしないでください。というか助けてください」


「却下」


 あっさりと断られた美咲は、一瞬アリシャを恨めしげに見詰めたあと、再び手足をばたつかせる作業に戻る。

 そのうちに身体を勢いよく振ることを覚えた美咲は、遠心力をうまく使って寝返りを打てないか試し始めた。

 何回目かのチャレンジのあと、何とかうつぶせになることに成功した美咲は、すぐ次の問題にぶち当たった。

 背中に背負った大剣が重くて立ち上がれないのである。

 腕に力を篭めても大剣の重量が加わった身体は頑として動かず、美咲の顔は力むあまり真っ赤になる。


(お、重い……)


 それどころか、大剣に身体を圧迫され続けているせいで、美咲はだんだん息苦しくなってきた。


「ほら、早く起き上がらないと日が暮れちまうよ。早く起きて」


 急かすアリシャの顔は真剣だが、目だけが弓なりに笑っていた。よく見ると、こらえきれずに時折口元がひくひくとしている。


(面白がってる……。絶対に面白がってる!)


 ここにきて、美咲の反骨心に火が点いた。

 再び身体を振って仰向けになると、寝返りをうってアリシャの傍へところころ転がっていく。


「お?」


 うつぶせになった美咲は、面白そうに声を上げたアリシャの足を掴むと、力を篭めて引っ張る。

 あわよくばアリシャを引き倒してしまおうという目論見だったのだが、美咲の当ては外れた。

 美咲は全力で引っ張っているというのに、アリシャの身体はぴくりとも動かないのである。


(ぜ、全然動かない!)


 まるで重い鉄の塊を引っ張っているかのような感じで、いくら力を篭めてもアリシャはびくともしない。

 そのうち美咲はアリシャに足でやんわりと振り払われ、ころりと転がる。

 またしても仰向けになってしまい、じたばたし始めた美咲に、アリシャは笑いながら言った。


「残念でした。力が足りないよ」


「上手くいくと思ったのに……」


 手を止めて半べそをかく美咲に、アリシャがにやりと笑う。


「喋ってないで手を動かす。早く起き上がらないと無駄に時間が過ぎてくよ」


「わ、分かってます……」


 唇を尖らせた美咲は、再び試行錯誤する作業へ戻った。

 仰向けのまま立ち上がるのはほぼ不可能なので、もう一度うつぶせになる。


(ぐえ。やっぱり苦しい……)


 大剣の重量が背中にかかるので、仰向けでいるよりも負担は大きいが、こちらの方が起き上がれる可能性は高いので仕方ない。

 手の力だけでは起き上がれないのは先ほど嫌というほど思い知ったので、今回は足も使ってみる。


(あ、いけるかも)


 力の入れ方が良かったのだろうか。意外にも、割とあっさり腰を浮かすことができてしまい、美咲は驚いた。

 だが、腰を浮かすことはできても、そこから先へ進まない。

 上体を起こすことができないのである。


(……まあ、そう上手くはいかないよね)


 一瞬遠い目をした美咲は、潔く諦めて次の方法を模索する。


(そうだ。何かに掴まれば上手くいくかも)


 閃いた美咲は、咄嗟に掴まれそうなものを探した。

 あいにく近くに掴まれそうなものは無かったが、アリシャが立っている。

 美咲は再びアリシャの傍に転がっていった。


「お。今度は何をする気かな?」


 興味深そうな顔のアリシャの足にまず手をかけ、そこから踏ん張って下半身を起こしていく。

 腰が浮き上がったところで、美咲はまるで崖を上るかのように、アリシャの足にかけた手を上へと移動させていく。

 もちろん手の力だけでそんなことをするのは、今の美咲には不可能に近いので、同時に足を使って重心がアリシャと離れ過ぎないように意識する。


「で、できた……!」


 びっしょり汗をかきながらもついに立つことに成功した美咲は、喜び勇んでアリシャの顔を見た。


「おめでとう。やればできるじゃないか」


 アリシャはにっこり笑って美咲を祝福する。

 思わず顔を輝かせた美咲は、続くアリシャの台詞で凍りついた。


「それじゃあ、また手を離してみようか」


「え?」


 やんわりと掴んだ手を解かれ、美咲の上体が傾く。


「ちょ」


 美咲は再び転倒した。


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