三日目:非常識の洗礼2
夕暮れが近付いてきても、ディナックを同行者に加えた美咲とエルナは街道を歩き続けていた。
一日経っただけでは体力は変わらず、歩いているとすぐに美咲がばてたので、早々に諦めエルナの転移魔法で距離を稼いだ。
「ねえ、野営の準備はしなくていいの?」
尋ねた美咲にエルナが簡潔に答える。
「もうザラ村は目と鼻の先ですから、強行しても問題ありません。早く行って今日の宿を取ってしまいましょう」
「それにこの辺りは野営所がないからな。村に近いから当たり前なんだが」
口元に笑みを湛えたディナックが面白そうに美咲を見る。
「ほら、見えてきたぞ。ザラ村だ」
ディナックが指差した先には、獣避けの柵に囲われた村があった。
柵の内側では家畜なのだろうか、牛とも羊とも似つかない獣が草を食んでいる姿がちらほら見える。
「一応知識としては知っていましたが、本当に長閑ですね」
エルナは実際に目で見たザラ村の様子に目を丸くしている。
まるで自分の故郷であるかのような自慢げな顔で、ディナックが説明する。
「間にラーダンを挟んでいるし、ヴェリードに駐屯してる人族軍がよく持ち応えてくれているからな。治安がいいのさ」
説明をエルナが引き継いだ。
「治安がいいとはいっても、あくまで今の状況にしてはですけど。騎士団のほとんどが、魔族軍との戦いで今は前線に出張っていますから」
話しているうちに宿に着いた。
夫婦で経営している宿屋で、二階が宿泊客の客室になっており、一階は飯屋と酒場を兼ねている。
無事に美咲とエルナで一部屋、ディナックで一部屋取ることができた。
「さて。俺はこれから一杯やりながら飯にするつもりだが、良かったらお前さんたちも来るかね?」
記帳を終えたディナックが振り返って美咲とエルナを見る。
美咲とエルナは顔を見合わせ、エルナが答えた。
「そうしましょうか。たまには飲むのも悪くないですね」
その気になったようで、頬を緩ませるエルナに対し、美咲は控えめに手を上げる。
「あの、私未成年なんですけど……」
「ミセイネン?」
きょとんとした顔でエルナが聞き返す。
意味が通じなかったらしい。
どうやらサークレットにも翻訳できる言葉とできない言葉があるようだ。
「そっちのお嬢ちゃんはたまに不思議な言葉を使うな。どこの国の言葉だ?」
ディナックが興味津々に尋ねてくる。
美咲が答えようとすると、そっとまたエルナが美咲に耳打ちする。
「みだりに情報は漏らさない方がいいですよ。一応美咲が勇者というのは、伏せておくべきことですから」
思いの他真剣なエルナの声音に驚き、美咲はちらりとディナックを見て、聞こえないように尋ね返した。
「どうして?」
「あなたに相応しい実力が、まだ備わっていないからです。勇者として名乗り出ても、民衆があなたのことを勇者だとは認めないでしょう」
むっとした美咲は、眉根を寄せる。
「変なの。勇者として召喚されたのに、勇者だって名乗り出れないなんて」
「仮に認められても、今の戦況だと確実に最前線に送り込まれると思いますよ。魔王に出会わないまま戦死確定の未来がお望みなら、止めはしませんが」
暗に、下手に勇者と知られれば使い潰されるだけだと言われ、美咲は恐ろしくなった。
「……やっぱり言わない」
「それが懸命です」
げんなりした美咲が顔を向けると、腕を組んで待っていたディナックが口を開いた。
「話は終わったかね? なら行こうか」
「あの、繰り返しますけど私まだ未成年……」
酒を飲むことが前提となっていることに、美咲はささやかな抗議をした。
「ミセイネンが何かは分かりませんが、あなたくらいの年齢ならお酒を嗜んでいてもおかしくないですよ」
「そうなんだ……」
美咲は自分とエルナたちの間に、深い文化の壁が聳え立っているのを感じた。
「もしかして、美咲は酒を飲んだことがないのか?」
「あ、はい。友達は親に内緒で飲んだことがあるらしいんですけど」
「それはもったいないな。一杯奢ってやるから是非とも飲んでみろ。美味いぞ」
ディナックと雑談しながら廊下を歩き、一階に下りる。
間仕切りのドアを開けると、喧騒と酒の臭いが美咲の鼻腔を直撃した。
「うわ、凄いお酒の匂いがする」
「酒場ですから当たり前です」
ぽろっとこぼした美咲の呟きを、生真面目なエルナが叩き落した。
ウェイトレスに案内され、三人がけのテーブルに案内される。
三人がけのテーブルには、席の左側に妙な窪みが開いていた。
「乳酒を三つ頼む。あとはベレネ魚の酒蒸しにバルグのポタージュ、ビラネリパンを二つ」
座るなりメニューをひと目見たディナックがウェイトレスに注文した。
よっぽど酒が好きらしい。
「では、私は砂鳥の揚げ物とエンデル芋のスープに、ビラネリパンを一つお願いします」
続いてエルナも注文する。
さすがにサークレットも全てを翻訳してくれるわけではないようで、二人が注文したものがどういう料理なのか、美咲にはいまいち想像しきれない。
メニューを見ても写真技術は発達していないらしく、料理の名前らしき字が書いてあるだけだ。
「美咲はどうしますか?」
どうしますかと聞かれても、文字も読めない美咲ではどうしようもない。
オロオロとエルナとメニューを交互に見る美咲を見て、得心したエルナがウェイトレスに向き直る。
「私と同じ物をもう一つ、彼女にお願いします」
「あ、ありがとう! エルナ!」
感極まった美咲は、思わずエルナの両腕を掴んだ。
「なんだ。ミサキは字が読めないのか? 貴族や商人でないなら珍しくもないが。ただの旅人にしては身奇麗過ぎるから、いい所のお嬢さんだと思っていたんだがな」
エルナと美咲のやりとりを見て、ディナックが首を傾げる。
「美咲はこの国出身じゃありませんから。言葉は話せますけど、文字にはまだ不慣れなんです」
言葉に詰まる美咲を、掴まれた手をやんわりと引き抜きながら、事情をぼかしつつ自然な態度でエルナがフォローする。
さっそく三人分の乳酒が、木製のジョッキに注がれて運ばれてきた。
「なるほど。まあ、飲んでくれ。これは俺の奢りだ」
ディナックが乳酒が入ったジョッキを掲げた。
ごく当たり前の態度でエルナもディナックに合わせてジョッキを掲げる。
最後におずおずと美咲が見よう見まねでジョッキを掲げると、三人のジョッキが軽く打ち合わされた。
どうやら乾杯で間違いなかったらしい。
ほっとして美咲は二人に習い、ジョッキを呷った。
アルコールっぽさはあまり感じず、それよりも乳酸菌飲料っぽい酸っぱさを感じる。
現代の乳酸菌飲料ほど甘くはなく、どちらかといえば無糖のヨーグルトの味に近かった。
飲みやすいが、やや冷たいとはいえ常温に近い状態なので味は正直微妙だ。キンキンに冷えていればまた違うかもしれない。
「美味い。やはり乳酒はここが一番だな!」
一気に半分ほどを飲み干したディナックが、口の回りに白い髭をつけて言った。
「確かに美味しいですね。他人に勧めるだけはあります」
ジョッキを置いて感想を述べたエルナが、ディナックを見てハッとした顔で自分の口の回りを拭った。
めいめい喉を潤したところで、料理が運ばれてきた。
どの料理も作りたてのようで、盛大に湯気が立っている。
「お、おおお……!」
久しぶりにちゃんとした料理を前にして、美咲のテンションが急上昇した。
美咲の前に置かれた料理は鳥の唐揚げらしきものにジャガイモに似た芋がゴロゴロ入ったスープ、レーズンらしきものが練り込まれた丸いパンだった。
名前を聞くと全く聞き覚えがなくても、実物を見れば意外に元の世界の料理とあまり変わらないことに美咲は安心した。
美咲としては、真っ青なスープとか真っ黒な鶏肉とか、異世界の料理というとそういういかにもなイメージがあったからだ。
砂鳥の揚げ物を一つフォークで突き刺すと、突き刺したところからじゅわっとピリ辛の肉汁が溢れてくる。口に入れれば、外はカリカリ、中はジューシー、しかもそれがアツアツなのだからたまらない。
「美味しーい!」
ぐぐぐっ、とフォークを持ったまま拳を握り締め、美咲は快哉を上げた。
疲れの残る身体も相まってか、僅かに感じる塩味に癒される。
「確かに美味ですね。牧畜が盛んな村なだけはあります」
エルナも優雅にナイフとフォークを操りながら、舌鼓を打っている。
二人の様子を見たディナックが破顔した。
「そうだろうそうだろう。ここの家畜の肉は王都にも卸されてるんだ。他にも王都に卸されている肉はあるが、間違いなくザラ村の肉が一番美味いぞ」
ディナックは快活に笑い、乳酒を呷る。
美味しい食事を前にして三人とも食が進み、あっという間に食べ終えた。
「そろそろ宿に戻るか」
しばらく雑談した後、ディナックがそういって立ち上がったので、美咲とエルナも立ち上がる。
帰ろうとしているのを察して店員が精算にやってきた。
店員にディナックが話しかける。
「酒は纏めて、料理は別々の会計で頼む」
「乳酒が三つで十八ペラダ、料理はそれぞれ九ペラダ、七ペラダになります」
「え? そんなにするんだ……」
店員の言葉に反応して美咲が慌てて道具袋から金貨ばかりが入った袋を取り出し、中から七枚を抜き出してテーブルに置いた。
ディナックと店員が目を剥く。
「あれ?」
絶句している二人を見て、美咲が首を傾げてきょとんとする。
エルナが頭痛を感じているかのように、眉を顰めて米神を押さえた。
「……早くそれを仕舞ってください。ペラダは金貨ではなく、銅貨です」
「えっ!?」
慌てて美咲が金貨をかき集めて袋に戻し、道具袋から銅貨の袋を取り出して七枚を改めて置いた。
「おいおい。いくらなんでもたかが料理一食分で金貨はないだろ。金銭感覚ぶっ飛んでるなぁ、嬢ちゃん」
さすがのディナックも苦笑いしているようだ。
「な、七ペラダ確かに頂戴いたしました」
店員が美咲の道具袋に目が釘付けになったまま精算を終える。
微妙な雰囲気のまま、三人は宿に戻った。
■ □ ■
宿では、ディナックが一人部屋で、美咲はエルナと同室だった。
ディナックと別れ部屋に戻った途端、エルナが美咲の前で仁王立ちする。
「……ごめんなさい」
自覚があった美咲は、何か言われる前に自分から謝った。
「本当にごめん。私が迂闊だった。知らないとしても、払う前にエルナに尋ねれば済むことだったのに」
しばらく険しい顔をしていたエルナは、しょんぼりしている美咲から視線を外し、ため息をつくと表情を和らげる。
「事前に説明を忘れていた私も悪いですし、反省しているのなら、今回は大目に見ます。次からは気をつけてくださいね。こういうことが元で盗賊に付け狙われることもありますから」
神妙に頷く美咲の横で、エルナは自分の道具袋を漁り始める。
「辛気臭い話はこれくらいにしましょう。私はこれから声を王宮に飛ばして王子殿下に定時報告をします。勇者も鎧を脱いで寛いでいてください」
「ん、分かった」
頷いて、美咲は自分の武装を解いていく。
革の鎧を脱いで、手足の防具も脱いで三つを一まとめに纏め、剣は自分のベッドの脇に立てかけておく。
高校の制服姿に戻った美咲がエルナの方を見ると、エルナが体をくねらせていた。
「……エルナがおかしくなった」
思わず凝視してしまう。
「フェルディナント様、あなたの愛に応えるためならばこのエルナ、どんな困難でも乗り越えてみせます!」
唖然としている美咲に気付かず、エルナは顔を真っ赤にさせて歯の浮くような台詞を虚空に向かって吐いている。
「ああ、そういえば、エルナって王子の愛人なんだっけ」
定時報告と称して恋人との逢瀬を楽しんでいるエルナを見つめていると、邪魔する気も起きなくなる。
報告を終えたらしいエルナが美咲の視線に気付き振り向いた。
二人の間で何ともいえない雰囲気が漂う。
「……あー、王子様は何て?」
「……慣れない旅の労を労わってくださいました。後は一刻も早く、魔王を倒し世界に平和をもたらすようにと」
そう言われた時のことを思い出したのか、にへら、とエルナの顔が再び崩れた。
何だか見ていて居たたまれなくなってきた美咲は、話題を変えようと試みる。
「勇者じゃなくて、名前で呼んでよ。ディナックさんがいた時みたいにさ」
「……第三者がいる時はともかく、私たちだけの時くらいは公私の区別はつけるべきだと思いますが」
「んー、そうじゃなくてさ。私たちだけだからこそ、もっと砕けて欲しいんだけど。それにどこで誰が聞いているか分からないんだし、勇者って軽々しく口にするべきじゃないと思うんだ」
しばらく俯いて考え込んだエルナは、真剣な表情で顔を上げた。
「そうですね。確かにその意見は一理あります。では、私も勇者のことは名前で呼びましょう」
美咲はにっこり笑い、握手を求めてエルナに手を差し出す。
「ありがとう。無理言ってごめんね? 改めてこれからよろしく、エルナ」
手と顔を交互に見たエルナは、おずおずと美咲の手を握った。
「こちらこそよろしくお願いします。みみみみみ美咲」
気まずい沈黙が二人を包み込んだ。
噴出しそうになるのを美咲は堪える。
「どうしてそこでどもるかな」
「……プライベートで他人と親しくするのには慣れていないんです」
エルナは顔を赤くして気まずげに目を逸らす。
なにこの可愛い生き物、と美咲は思った。
「と、とにかくもう寝ましょう。明日も早いんですから」
取り繕うようなエルナの台詞に素直に応じて、美咲も制服を脱ぎ、貰った荷物に入っていた寝巻きに着替え、布団に潜り込む。
「お休み、エルナ」
「は、早く寝てください」
「ふふ」
現実世界にいた頃に比べると時間はまだ早かったが、それでも疲れていたせいかあっという間に美咲は眠りに落ちた。