九日目:第一次城塞都市攻防戦2
今まで必死になって捌いていた魔族軍の猛攻が衰えた隙を逃さず、自ら突貫し獅子奮迅の働きを見せていた人族連合騎士団の指揮官は、遠くから悠然と歩いてくる一人の魔族に気付き、驚いて足を止めた。
余勢を駆って飛び出しそうになる部下を押し留める。
どうして止めるのかと不満そうにしている部下たちを、人族連合騎士団の指揮官は冷静に宥めた。
「待て。たった一人で我らの前に現れるなど、明らかに何かの罠だ。そうでなければよほどの実力者だろう。どちらにしろこのまま攻めるのは危険だ。様子を見るぞ」
この世界の常識では、魔族語という魔法を使う手段がある以上、一騎当千というのは当然存在すると考えて警戒するのは当たり前だ。
何しろ魔王そのものが、その一騎当千の代名詞だ。実際に魔王と相対した者がいるかどうかは定かではないし、そもそも生きて帰った者がいないのだから相対した者がいるかどうかすら分からないのだが、魔王は一筋縄ではいかない強者であるというのが、人族共通の認識だった。
「……それにしても、でかいな。なんという大きさだ。三ガートはあるぞ」
人間では高身長の部類に入る人族連合軍の指揮官でも、文字通り見上げなければ、その魔族の顔を見ることができない。
巨人染みた体躯の魔族の全身は、赤銅色の鱗に覆われていた。
身体の厚みが尋常ではなく、四肢の一つ一つは人族連合軍指揮官の腰ほどもあり、胴体に至っては、三人分くらいでようやく釣り合うのではないかというくらい分厚い筋肉で覆われている。
首が痛くなるくらい見上げてようやく見て取れる顔は、目が細く、鼻は切れ目のように筋が入り、口が前にせり出していて、まるで蜥蜴のようだった。
だが、蜥蜴と呼ぶには少し過小評価が過ぎるだろう。
口からは鋭い牙が垣間見え、顔を支える首も胴体や四肢に似合う太さで、まるで鬣のように流れる髪を持ったその魔族は、蜥蜴と呼ぶよりも竜と呼んだ方がしっくりくる容貌をしていた。
竜人。彼を表すのに、これほどぴったりな言葉もあるまい。
しかも彼は、彼の大きさに見合うほどの巨大な竜を己の騎獣としていた。
竜である。
この世界において、竜とは魔物でありながら、高い知能を持つ魔族の一員だ。竜たちは本来己の背に他人を乗せることを好まない。
その竜が騎獣として従っていることからも、脅威の大きさが窺えた。
「名のある人族の騎士とお見受けする。我が名は魔将軍ブランディール。一手手合わせ願いたい」
「魔将軍……! 貴様、竜将ブランディールか!」
呻くように叫んだ指揮官に対し、ブランディールと名乗った竜人はうっそりと笑った。
笑った際に、開いた口から細長い下がちろちろと覗く。
「そう呼ぶ者もいることは知っている。だが生憎俺たち魔族に竜はいても竜人という種は存在しなくてな。俺は蜥蜴人だ。正確には蜥蜴魔将、と呼ぶのが正しい」
指揮官にとっては悪夢のようだった。
ブランディールが蜥蜴人であることを、指揮官が知らないわけではない。ただその圧倒的な強さから、人間側に畏怖され竜人と呼ばれ恐れられているだけだ。
嫌悪の情を込め、指揮官は吐き捨てる。
「竜すら従える貴様のような化け物が蜥蜴とは、何の冗談だ……!」
「褒め言葉と受け取っておこう。それで、受けてもらえるか」
「くっ……!」
人族連合軍の指揮官は歯噛みした。
本来ならここは一騎打ちになど乗らず、ブランディールを無視してでも奇襲部隊と連携して魔族軍の左翼を叩くべきである。
この世界の戦争では、魔族軍は横列を敷き、右翼に主力を置いて左翼に弱兵を置くのが常道だった。
何故なら、魔法という遠隔攻撃手段の手数がどうしても限られてしまう人間側に対して、魔族側は全員が実戦に耐え得る一定以上の錬度を備えているからである。
魔族軍の中にはそれこそ一人で一軍を相手にするような化け物もいて、彼らが参加する戦場では、人族側は必ず大敗を喫するのが常であった。
本来なら相手するべき敵ではない。それどころか、一度引いて態勢を整える必要すらあるかもしれない。
何しろ魔将軍である。もし指揮官である彼が一騎打ちで破られるようなことになれば、人族連合騎士団は敗走するだろう。人族連合騎士団などと大層な名で呼ばれてはいるが、その内実は各国の騎士団の寄せ集めでしかないのだ。
大陸に残っている三国の中ではベルアニアが一番の強国で、現在矢面に立っているから、発言権が一番強い。そのベルアニアの騎士である指揮官が纏めているからこそ纏まっているのであって、国によって魔族に対する温度差すら様々であるのだから、頭である指揮官が倒れれば各騎士団の統制は乱れ、散り散りになってしまうだろう。
ここは引くのが最良である。だが。
(強敵を目の前にしておめおめとただ逃げるのでは、騎士の恥……! 一合も交えぬまま引くわけにはいかぬ!)
指揮官が持ち合わせていたプライドが最良の判断を下す邪魔をした。
「私は人族連合騎士団指揮官にしてベルアニア騎士団長ロイダール。一騎打ちを受けよう」
ロイダールと名乗った指揮官は、敵手が強大であることを感じ取ったのか興奮する己の愛馬、馬に似た魔物であるワルナークの首筋を撫でて落ち着かせると、騎乗したままゆっくりと前に進み出た。
馬上の騎士と竜上の蜥蜴人が相対する。
片手で手綱を持ち、馬上槍を鎧の金具に引っ掛けて固定し、脇に抱えて構えるロイダールに対し、ブランディールは静かに己の獲物を背の鞘から抜き放った。
「中々の猛者と見える。武人として強敵と戦えることほど、喜ばしいことはない」
巨人のように大きいブランディールの背丈と並ぶ、これまた巨大な大剣だった。
それほど切れ味が良さそうには見えないが、これほどの大きさになると、切れ味の有無など大した問題ではないだろう。
超重量だけで、相手を鎧ごと叩き潰せる。
(……大剣か。奴の体躯と同じく、冗談染みた大きさだな。まともに受ければ無事では済まんか)
口の中が乾くのを感じて、ロイダールは己の馬上槍を抱え直した。
稀少なミスリル銀で鍛えた、苦楽を共にしてきた一般騎士時代からの相棒である。
己の命を預けることに一番適しているとロイダールは硬く信じているが、その思いすらも、目の前の敵の巨大さと、想像される豪腕から繰り出されるであろう超撃を思うと揺らいでしまう。
(一度突進してしまうと方向を変えるのは容易ではない。こちらから仕掛けるのは自殺行為か)
油断なくブランディールを注視しながら、ロイダールは考える。
(騎乗しているのが竜であってもそれは変わらぬはず。後の先を突く。これしかないな)
騎士団長という身分上、馬上試合の経験も豊富だったロイダールは、馬型魔物であるワルナークを使っての戦いにおける利点と欠点をよく知っていた。
言うまでもなく、一番の利点は槍の突きにワルナークと己の体重を加えた猛烈な突撃を行えることにある。
非常に強力な反面、馬上での槍の取り回しは難しく、また槍自体も馬を用いての突進で一番威力が増すように作られているため、組み合っての接近戦には適さない。
また、騎乗している故に馬の扱いにも気を払わねばならず、正しく槍に威力を載せるためには、進入角が限定される上に、一直線に敵へと突き進まねばならなかった。
故に対策は容易である。小刻みに位置を変えているだけで、突撃は容易に封じられる。突撃を成功させるには相手の不意を突くか、相手の行動を先読みして横腹に当てるように突撃するしかない。
自然と後の先が有利だという結論に落ち着くのだ。
(奴とてそれは承知のはず。簡単に突撃をしたりはしまい。かといって組み合いになればこちらが不利か)
槍の一番の強みは何といっても間合いの広さにあるが、ブランディールの大剣もその大きさだけあって間合いという点ではそれほどの差はない。
(焦れるまで逃げ回るしかないな。騎士としては風上にも置けぬ情けない戦い方だが、仕方ない。私は決して負けるわけにはいかんのだ)
ゆっくりと竜を進ませるブランディールに合わせ、ロンダールは後退して慎重に間合いを保った。
消極的な態度に、魔族軍からだけでなく、ロンダール自身が率いる人族連合騎士団の面々からもブーイングが飛んだ。
騎士という人種は、正々堂々というものを好むのである。
ブランディールが声を殺して笑った。
「どうした。怖気付いたか」
「まさか。一騎打ちを申し込んだのは貴様だ。貴様が先手を取るのが筋というものだろう」
ロンダールの返答に、ブランディールは今度こそ声を出して笑った。
ブランディールに先手を取れと言いながら、絶対に組み合いはしないというロンダールの態度に、ロンダールが何を狙っているかを理解したのだ。
「そうだったな。ならば、私も常道に従うのが筋というものか。……いくぞ!」
竜と一体になって、ブランディールが突進を開始する。
(今だ!)
ブランディールを乗せる竜が速度に乗るのと同時に、ロンダールもまた手綱を操ってワルナークを駆る。
すでにこの時点でロンダールはブランディールの突撃線上から外れている。そしてそこから行われたロンダールの突撃は、このまま進むとブランディールの横腹に当たるように行われていた。
「殺った!」
突撃の成功を確信したロンダールは、隠しもせずに喜色を全面に浮かべた。
今から速度を緩めようと馬首を返そうと、今のロンダールとブランディールの距離ならば容易に修正が効く。そして既に己もブランディールも最高速度に乗っているので、今すぐ突撃を中断することは不可能だ。
間違いなく、突撃は当たる。
(私の勝ちだ……! あの竜将を、私が討ち取る……!)
勝利を確信したロンダールが、最後にブランディールの悔しがる様を見てやろうと顔に目を向けた時、ロンダールは己の過ちを悟った。
ブランディールは焦りも恐怖もなく、ただ想像通りだと言わんばかりに哂っていた。
「悪いが、ワルナークとは違って竜は走るだけの能無しではなくてな」
地を走っている竜が翼を広げる。
竜の足が大地を蹴った。
愕然とした表情で、ロンダールは竜を飛翔させて突撃をかわし、大剣を振り上げたブランディールを見つめた。
今更槍は動かせない。そんなことをすれば突撃の威力が殺がれるどころか、空気による抵抗をまともに受けて体勢を崩してしまう。
(もはやそんなことを言っている場合ではない!)
歯を食い縛ってロンダールは槍を掲げた。かわせないのならば、せめて受け止めようとしたのだ。
だがそれは、あまりにも愚かな決断だった。
ロンダール自身が結論を出したのだ。組み打ちはできない、まともに受ければただでは済まないと。
ブランディールはその豪腕でもって、大剣を下のロンダール目掛けて薙ぎ払った。
掲げられた槍はまるで木の枝のようにあっさりと折れ、大剣はそのままロンダールの鎧の右胴に食い込み、冗談のように彼を宙に舞わせた。
そのままロンダールの馬のみがどこかへと駆け去っていく。
槍を犠牲にしたとはいえ、ロンダールの判断は慰めにもならなかった。地に落ちたロンダールの胴体は、右側が鎧ごとまるで女性のように不自然にくびれていた。
既にその手に槍はなく、一撃を受けた鎧は全体に細かくひび割れが入り、破損箇所の右胴部分は鎧の破片と着衣と肉が交じり合った酷い有様だった。
それ以上、ロンダールが立ち上がることは無かった。もちろん、即死である。
己の大剣を天に掲げ、ブランディールは吼えた。
「ベルアニア騎士団長ロンダール、この蜥蜴魔将ブランディールが討ち取ったり!」
情勢が再び逆転した。