二十九日目:あべこべな邂逅10
ルックたちとは王都に入ってすぐに別れたのだが、アリシャは別れ際の表情が気になってならなかった。
アリシャには、彼らが浮かべていた表情が、喜びよりも恐怖の方が強そうに見えたのだ。
任務に失敗しているのだからその咎を恐れているのかもしれないが、それだけにしては怯え方が尋常ではなかった。
「これからどうするんだ? 日が暮れちまうぞ」
「どうするって、とりあえず地理の把握でしょ? いつここを攻めるか分からないけど、その時に地図があるのとないのとじゃ雲泥の差よ」
ブランディールとミリアンが、魔族の一因として侵略についての話し合いをしている。
敵対種族のおひざ元でするような話ではないが、人避けの魔法を展開しているので、そもそも魔法が使えない人間はこの場に入ってこれない。
ちなみにミリアンはともかくブランディールは魔将として実際に戦争に深く関わることもあり得る立場で、軍よりも上位の命令系統に属しているためこの話し合いに意味がないわけではない。
「とりあえず、宿を取ろう」
「わたくし、人間が経営する宿になど泊まりたくはありませんわよ。汚らわしい」
「同感だ。魔族の中でも高貴な身分であるオレたちが何故人間の宿を借りねばならん」
「ホホホホ。では野宿しますかな?」
我儘を言い始めたエルザナとブロンは、アズールの一言で押し黙った。
「冗談じゃありませんわ! このわたくしを野宿させる気ですの!?」
「論外だ! 最上級の寝床を用意しろ! 今すぐにだ!」
「生憎、今はお二人がこき使える人材はございませんぞ。必要なら誠意を込めて頼んでくれませんとなぁ」
アズールは本来今にも死にそうなという既に死体になっていそうな干からびた爺のくせに、二人を煽る表情は物凄く活き活きとしている。
性格が悪い。
まあ対するブロンとエルザナもだいぶ性格は悪いので、性格が悪い者同士いがみ合っているだけという状況は平和なのかもしれないが。
一応ブロンとエルザナの二人はアリシャに何かあれば魔王になる可能性は残っているので、もしそうなるようなことがあれば心象が悪くなっているとろくなことにならない。
それにアズールが気付いていないとは思えないので、アズールは二人が魔王になることはないと踏んでいるようだった。
実際、潜在能力が最も大きいのはアリシャで、未来でもアリシャは魔王になっているから、アズールの読みは当たっていたといえる。
「三人ともいがみ合うのはそれくらいにしておきなさい。今は人間の姿をしているのだから、人間らしく振舞わないと怪しまれるわ」
ミアネラがアズール、ブロン、エルザナの三人を窘める。
「まあでも、人間が経営する宿だろうが何だろうが、あまり安い宿には泊まりたくないね。それなりのグレードの宿に泊まりたいな」
ジャネイロの言葉にミアネラは呆れた表情を浮かべ、その語言いにくそうに同意する。
「……まあ、私も安宿になんて泊まったことはないからそれは同感だけれど」
結局はミアネラも根がお嬢様なので、そもそもの生活水準が高いのが当たり前であり、贅沢は日常だった。
それに慣れてしまっているので、いきなり合わせようとしてもボロが出て不自然に見えてしまうだろう。
アリシャとミリアンなら傭兵団時代に粗末な寝床も慣れているので平気だが、そうでない者にはきつそうだ。
ブランディールとアズールについてはアリシャにはあまり判断がつかない。
立場的にはミアネラたちと同じように特別な権力を持つ魔将であるから、普段から高級宿を利用しているかもしれないが、初めから魔王の子供という特権階級として生まれたミアネラたちと違い、魔将というものは世襲ではないし魔王が任命する以上任命された者にはそれ以前の身分が存在する。
明らかに戦士らしい風格のブランディールも、元人間のアズールも強さに裏打ちされた迫力や威圧感、不気味さ風格というようなものはあっても、高貴な者らしい洗練さはない。
「この際、人間の宿でもいいからとにかく一度腰を落ち着けようよ。ずっと人間の姿のままでいるのも窮屈だし、一回くつろぎたい」
クロムの発言が決め手となり、一行は動き出す。
このまま無為に時間を過ごしていても仕方ないので、結局は今すぐ引き返すのでなければ、宿を取るしかないのだ。
もっとも、今引き返したところで、ブランディールがバルトを呼び寄せない限り野宿は避けられないだろうから、どちらにしろ泊まる以外に選択肢はない。
「とにかく行こう。高級宿があれば、それにするから」
いつまでも話し合っていても埒が明かないし、このまま動かずに過ごして後から宿を探して満員で泊まれない、などということになっては最悪なので、アリシャはさっさと宿を探すことに決めた。
「ねー、もう変装解いていい?」
「駄目よ。宿に着いたら人払いの結界を張ってあげるから、それまで待ちなさい」
「ホホホホ。宿は人が来るのが普通ですからな。人払いよりは認識阻害系の方がいいですぞ」
ねだるクロムを窘めるミアネラを見て、アズールがからからと笑った。
■ □ ■
シェスト、ローキス、ルック、ウルス、アンナ、リュージェ、ミルア、リアの八人は、報告のために王城に来ていた。
「……なるほど。つまり、お前たちは失敗したということだな」
重い声が降ってくる。
ベルアニア国王の声だ。
「も、申し訳ございません」
八人を代表してルックが謝罪を述べる。
「失敗したで済むと思っているのか」
「人類存亡に関わる任務だったのだぞ」
「どんな手を使ってでも魔族どもから魔法を奪わねば、我ら人族に勝利はない。分かっているのか?」
居並ぶ貴族たちからは、ルックたちを弾劾する声が次々に上がる。
ルックたちは弁解もできず、ただ小さくなって耐えることしかできない。
「静まれ」
声が上がると、貴族たちの囀りはピタリと収まった。
感情がこもっていない無機質な眼差しが、ルックたちに向けられる。
「報告によれば、傭兵に助けられたそうだな」
「は、はい」
「使えそうか」
「……直接の戦闘は見ていませんが、立ち居振る舞いだけでもかなりの手練れと見受けられました」
「手段は問わぬ。引き込め」
「……承知いたしました」
跪いた姿勢のまま深々と頭を下げるルックたちの頭上で、マントを翻す音がした。
玉座に座っていたベルアニア国王が立ち上がったのだ。
「下がって良い」
靴音が響き、扉が閉じられる音がする。
知らず息を詰めていたルックは、長々とため息を吐き出した。
横を見れば、ルックにとって一番心を許せる仲間たちが顔面蒼白になって震えている。
ルック自身も似たような表情になっている。
「……行こう」
立ち上がり、ルックは仲間たちを促す。
仲間たちがついてくるのを確認して、玉座の間から退出しようと歩き出した。
残っていた貴族たちが、囁き声で会話しているのが聞こえる。
「汚れた混血風情が……」
「見ろあの耳、あの手足を。まるで魔族じゃないか。どうしてあんな輩が王城に出入りできるのか……」
「そりゃ、例のプロジェクトの成果だからだろう。まあ、結局任務に失敗した辺り使えるかどうか怪しいがね」
「さっさと処分されんもんかね。わが物顔で王城を歩かれていると虫唾が走る」
ずずっと、ルックの背後で鼻を啜る音が聞こえた。
「泣くな、アンナ、ミルア」
硬い声で、ルックはその音を出した張本人であるアンナとミルアを窘める。
「だって、だって」
「私たちだって、人間のために頑張ったのに」
二人は悔しさと悲しさで泣いていた。
「僕たちが失敗したのが悪いんだ。仕方ない。拷問室に閉じ込められなかっただけマシだった」
ルックの言葉に滲み出ていたのは諦観と恐怖だ。
「それよりも、どうするんだこれから」
シェストがルックに次の任務について尋ねる。
「あの人たちを連れて来いっていうのが次の命令だったよな。まだ王都にいればいいが」
ローキスは早く動きたそうだった。
王都から出て行ってしまう可能性を危惧しているのだろう。
そうなれば見つかるまでベルアニア中を探し回らなければならない。
「一日で進める距離などたかが知れているし、今出てもすぐ夜になる。今夜は宿を取っているはずだ。一つ一つ当たってみよう」
八人の中では最年長のルックがリーダー的な存在で、いつも方針を決めている。
今回も、否定的な意見は出なかった。
「アリシャさん、協力してくれるかな」
「きっと大丈夫よ。あの人だって人間だもの」
「それに貴族じゃないし、私たちの姿を見ても驚いたり、嫌悪したりしなかったし」
ウルス、リュージェ、リアの三人の会話にルックは口を出した。
「理解者がいるだけ、僕たちは恵まれてる」
無言だが、七人全員が肯定の思いを抱いていた。
そこへ、誰かを見つけてリアが駆けだしていく。
「お父様!」
「リア。心配だから来てしまったよ」
「もう、家で待っていてくれて良かったのに」
笑顔でリアが抱き着いたのは、壮年の男性だった。
若いころはさぞかし美男子で通っていただろう、グレーの髪や髭が似合う柔和な微笑みが印象的な男だ。
彼はリアの保護者だった。
「君たちを顔を見せるといい。皆、心配で迎えに来ているよ」
「姉さん!」
ローキスが走り出し、小柄な人影に歩み寄る。
「お帰りなさい、ローキス」
彼女はローキスの保護者であり、義姉だった。
大柄で筋肉質のローキスとは対照的に、小さくて細い。
むしろ兄と妹に見られそうだ。
しかしその瞳には子どもには見えない落ち着いた輝きが宿っている。
他の面々も、自分の保護者との再会を果たし喜んでいた。
「お帰りなさい、ルック」
「……義母さん、ただいま」
ルックも、己の保護者との再会を喜ぶ。
当然、実の母ではないが、ルックにとっては血の繋がり以上の絆があると信じられる女性だ。
「また、任務なの?」
「うん。でも、この王都で済みそうな内容だから、一度顔を出せると思う」
「そう。じゃあいつでもいらっしゃい。ルックの好きなものを作って待ってるから」
刷り込まれた人間への忠誠と、己の保護者たちへの思慕。
それが、人間を恐怖するルックたちが、それでも人間に従う理由だった。