二十九日目:あべこべな邂逅2
時は少し遡る。
王都から出発した一台の馬車が、ヴェリートを目指していた。
馬車は未来で美咲が通ったのとほぼ同じルートを通り、商業都市ラーダンを経由してヴェリートへと向かっている。
とはいえ、さすがに何もかも同じというわけではないが。
エルナのような魔法の使い手がいないので、ショートカットもしていないし、美咲がゴブリンの洞窟に向かったのとは違い、馬車は真っ直ぐヴェリートへ進んでいる。
いくら馬車に乗っているとはいえ、エルナの転移魔法によるショートカットなしでは、美咲が体験したようなペースでラーダンに着くことはできない。
こう見えても、ラーダンと王都はそれなりに距離があるのだ。
馬車に乗っているのは、八人の少年少女だった。
しかし、誰もが人間の容姿ではない。
魔族の集団といった方がしっくりするだろう。
彼ら彼女らは、全員が身体を隠せるゆったりとした外套を纏い、深くフードを被っている。
彼らは魔族領に潜入し、魔族を攫った後、ヴェリートに預けて任務の成功を報告するために一度王都へ戻っていたのだ。
今はその帰りで、今度はヴェリートで魔族を引き取り護送する役目を帯びている。
「ラーダンまで、後どれくらいだっけ」
発せられた声は、あどけなかった。
第一声を出したのは、オレンジ色の髪を二つ縛りにした少女だ。
そばかすの浮いた朴訥とした様子の少女で、体格も八人の中で一番小さい。
「三日くらいじゃない?」
答えた声も同じく、多少大人びてはいるもののまだまだ子どもと分かる高い声だった。
こちらは緩くウェーブした乳白色の髪を長く伸ばした少女である。
オレンジ色の髪の少女と違い、大きく膨らんだ胸といい、しっかりと張った尻といい、それでいて引き締まったウエストといい、体型の起伏に富んでいる。
全体的に大人びた印象だが、表情は稚気を残しており、幼さが感じられる。
「長いなぁ。もうすぐ一か月になるよ」
鼻当てのない眼鏡をかけた少年がため息をつく。
この少年の髪は黒かった。
しかし東洋人に似ているというわけではなく、浅黒い肌で印象としては黒人に近い。
髪自体も天然パーマで縮れており、インテリ黒人少年といった面持ちだ。
鋼色の瞳が深い輝きを宿していて、不思議な魅力を放っていた。
「アンナ。リュージェ。セスト」
白色の髪を短く刈り込んだ少年が、三人の名を呼ぶ。
「我慢しなよ。ラーダンに着けば、ヴェリートまですぐなんだから」
三人を戒めた白髪の少年は、神経質そうな細面をしていた。
八人の中で一番体格がいい。
歳も一番上だろう。
「すぐって言ったって、一週間くらいかかるじゃん」
栗色の髪の少女が、呆れた様子で白髪の少年に口出しする。
後頭部で一つに括られた髪が、馬の尻尾のように揺れる。
文字通りのポニーテールだ。
この少女は目鼻立ちがのっぺりとしていて、東洋人ぽかった。
とはいってもあくまで似ているというだけで、当然東洋人ではないのだが。
何せ異世界である。東洋という概念があるかどうかも怪しいものだ。
「途中の山脈を越えられれば一日で着くよ」
御者席の方から、やや低い少年の声が聞こえる。
こちらも八人の中では大人びた声だ。
少なくとも、変声期は終わっている。
御者をしているのは、金髪の青年だった。
髪の長さは長すぎず短過ぎず、どこにでもありそうな特徴のない髪型だ。
「越えられるか! 遭難するわよ!」
金髪の青年に怒鳴ったのは、桃色の髪を長くストレートに伸ばした少女だ。
八人の中では、一番服装が整っている。
皺ひとつない服は、彼女の几帳面さと育ちの良さを示している。
もっとも、この場合の育ちの良さというのは、あくまで現在彼女が身を寄せている家から来るものであるのだが。
「距離的には目と鼻の先なのにねぇ。険し過ぎる山脈が跨ってるせいで、一週間かけなきゃ辿り着けないっていう」
最後の一人は、ややくすんだ青色の髪の少年だった。
オレンジ色の髪の少女に次いで幼い。
そしていわゆる紅顔の美少年であり、やや長めな髪型も相まって中性的な雰囲気がある。
十人が彼を見れば、四人は性別を間違えるかもしれない。そんな感じだ。
服装と髪型が少年のものでそうなので、完全に助走すればもっと間違える人数は増えるだろう。
この八人は、人間でありながら人間ではなかった。
身体は完全に魔族のものだ。
オレンジ色の髪の少女は外套の下に小さい翼を隠しているし、乳白色の髪の少女は手足が同色の甲殻で覆われている。
黒髪の少年は良く見ると髪の毛がひとりでに蠢いているし、白髪の少年は口元から牙が覗いており、身体にも毛皮のような白い毛が生えている。
栗色の髪の少女は人としての耳がなく、代わりに頭に熊の耳が生えている。
金髪の青年は頬から鎖骨、上半身から下半身にかけて金色の鱗に覆われていて、桃色の髪の少女は手足に水かきがついている。
そしてくすんだ青髪の少年は、手が四本あった。
「でも、今までその立地のおかげで助けられてきたのよ」
乳白色の髪と手足を同色の甲殻で覆う少女、リュージェが言う。
「人間同士の戦争は、でしょ。魔族は空飛んでくるよ」
縮れた黒髪が一人でにうごめく少年、セストがリュージェに反論した。
「……そのためにも、魔法の取得は急務ね」
栗色の髪に熊の耳の少女が呟く。
「ミルアの言う通りだ。魔族から魔法を学ばないと、人族に勝ち目はない。未来は僕たちの肩にかかってるんだ」
頬から鎖骨、上半身から下半身にかけて金色の鱗に覆われている金髪の青年が、皆を纏め上げようとする。
「とにかく、ヴェリートへ急ごう。ルック、悪いけど引き続き御者を頼むよ」
白髪を短く刈り込み、身体を毛皮のような白い毛で覆い、口元から牙を覗かせる少年が、金髪の青年に声をかける。
「人族の未来は、私たちにかかってるんだよ。ね、ローキス」
外套の下に小さな翼を隠す、オレンジ色の髪を二つ結びにしたそばかす少女、アンナが白髪の少年に笑いかけ、むふんと胸を逸らす。
「私、あの人にがっかりされたくないもの。頑張るわ」
手足に水かきがついた桃色の長髪ストレートな少女、リアが気負った様子を見せる。
「皆、ラーダンが見えてきたよ」
最後の一人、くすんだ青色の髪の、手が四本男の娘であるウルスが、見えてきた外壁門を手で示した。
■ □ ■
ラーダンが近付くと、シェスト、ローキス、ルック、ウルス、アンナ、リュージェ、ミルア、リアの表情は次第に強張っていった。
それまでは皆年齢相応の笑顔を見せていたのに、誰もが緊張を露にしている。
しかし、それでいて誰も中の人間に敵意を抱いていない。
街が近付くと緊張してしまうのは、彼ら彼女らにとって条件反射のようなものだった。
「皆、そろそろ外套を着込んで。フードも深く被るんだ」
八人の中では一番年齢が上のルックが、振り返って皆に告げる。
自身も自分の外套を手に取り、羽織るとフードで顔を隠す。
「手袋忘れてるよ」
元々翼を隠すために外套を羽織っていたアンナが、金髪の青年ルックの手を指摘する。
ルックの手は、腕から甲の部分にかけて髪と同じ金色の鱗で覆われているのだ。
首元から鎖骨にかけてや上半身から下半身にも鱗が生えているが、そちらは服や外套で隠せるので問題ない。
しかし手だけは服から出てしまうので、別途手袋などで覆う必要がある。
「あ、そうだった」
慌てて御者席に置いていた自分の荷物袋を漁ったルックが、黄色の手袋を取り出してつける。
「いつも思うけど、金色の手袋ってどうなの」
「それをいうなら、ピンク色の手袋もどうなのさ」
「何よ。女の子らしくてカワイイでしょ。私の髪の色ともお揃いだし」
同じように、手足に水かきがあるせいで手袋が必須なリアが、お気に入りのピンク色をしたモフモフ手袋をつけてご満悦な表情を浮かべた。
「リアの場合、手袋そのものよりも、あの人にもらったってことの方が重要そうよね。分かるわ」
外套を着込みながら、乳白色の髪と手足を同じ乳白色の甲殻で覆ったリュージェがくすくすと笑う。
「いいわよねリュージェは。ちょうど手のところだけないんだもの」
羨ましそうに、リアがリュージェを睨みつける。
「私としては、どうせなら手まで覆われていた方が良かったんだけどね。戦いの時、腕は守らなくていいのに手は守らなきゃならないから」
リュージェは割と戦闘思考だった。
「別にどうだっていいだろう。隠せるなら関係ない」
外套を纏ってフードを被り、髪を隠したシェストが会話の腰をへし折る。
「……まあ、私たち全員隠さなきゃまともに生きていけないしね。私はこの翼だけだからまだいい方だよ」
アンナが冷えかけた場の空気を何とか元に戻そうとする。
「俺は毎回納得がいかない。これじゃ不審人物じゃないか」
外套とフード、手袋に加え、牙を隠すためマスクまでしたローキスが不満そうに文句を言う。
「仕方ないよ。僕たち一番見かけが目立つし」
羽織った外套の下で所在なさげに二本の腕を彷徨わせながら、ウルスが苦笑する。
もう二本の腕はきっちり外套の袖に通しているのだが、もう二本が余っているのだ。
「まあ私たち、街じゃ全員漏れなく不審人物なのは間違いないから」
アンナと同じく、人と差異が少ないミルアだが、それでも頭に生えた熊の耳が目立つ。
結局外套を着てフードを被るのは必須だ。
「よし。全員着たね?」
最後に金髪に金色の鱗の青年ルックが確認を取ると、残るシェスト、ローキス、ウルス、アンナ、リュージェ、ミルア、リアから肯定の返事が返ってくる。
「結構。それじゃあ、行くよ」
ロックは馬を操り、馬車をラーダンの外壁門へと進ませた。
誰かがごくりと緊張からか唾を飲み込んだ。
あるいはそれは、全員だったかもしれない。
人のコミュニティの中で魔族の身体を持って生まれついてしまった八人は、人に服従する忠誠心と虐げられる恐怖心を併せ持っている。
それでも人族を見限ろうとしない理由は、人族の中にも自分たちを受け入れてくれた理解者がおり、それが自分たちの家族になってくれているという、心に打ち込まれた楔の存在だった。