二十九日目:そこへ至る26
なるべく穏便に進もうとしたミアネラとジャネイロの努力の意味は、残念ながらこの二人には理解されなかったらしい。
もちろん、ブロンとエルザナの二人である。
「華麗に、優雅に、美しく、蹂躙するのですわ!」
「そうだ! このオレたちが人間相手にコソコソするなどあり得ん! ただ、圧倒的な力で圧し潰せばいい!」
現れる人間の兵士たちを、魔法で次々に吹き飛ばしていくブロンとエルザナに、自重の二文字はない。
むしろ人間相手に自重するというのは、それだけで自尊心が極めて強い二人にとっては屈辱的な行為に外ならず、到底取れない選択肢だった。
まあ、取れないというより、二人が心情的に取りたくないだけなのだが。
当然、ミアネラやジャネイロだって隠れ潜むようにして進むことに思うところがないわけではなかったが、それでも目的を優先する分別はあった。
しかしそれがブロンとエルザナの二人にはない。
肥大しきった自尊心がそれを許さないのだ。
普通なら、それほどまでに自尊心が膨れ上がる前に、どこかで自尊心だけでは越えられない壁にぶち当たってどうにもならないこともあると学習するのだが、生憎ブロンとエルザナは魔王の子どもであり、実力的にも権力的にもその壁が極めて少なかった。
また、ミアネラやジャネイロのように年上だからこそ魔王や魔将たちの強さをしっかりと理解し、分別を弁えるということもなく、ここまで自尊心を育ててきてしまった。
今までなら、それでも大して困らなかっただろう。
しかし、これからは違う。
当然魔王の後継者として資質を測る場合は自尊心の高さをしっかりと見られるだろうし、そもそも今は人族の領域内に単身忍び込んでいる状態だ。
普通に考えれば、騒ぎなど起こすべきではないということくらい、どんなに学がない人間だろうと考えつく。
もちろんブロンやエルザナもそれを考えなかったわけではないが、そこで育ち過ぎた自尊心が邪魔をする。
魔族であり、しかも魔王の子どもである自分たちが、人間相手に負けるはずがないという、思い込みにも似た自信を抱いてしまう。
しかも、現状ではそれは思い込みと言い切れない程度に合っているのだから始末が悪い。
「ふん。次から次へと、学習しない奴らだ」
「でも、さすがに身の程を弁えてきたようですわよ?」
散発的にブロンとエルザナの行く手を妨害していた人族の衛兵たちは、今では徒党を組んで向かってきていた。
とはいえ、元々が閉鎖空間である詰め所内である。
複数人が立ち回るのには向かず、一度に戦えるのはせいぜい二、三人が限度。
これでは魔法という圧倒的な遠距離攻撃手段を持つ魔族に対して有利に立つことはできない。
「怯むな! いくら魔族とはいえ、いつまでも魔法を使ってはいられんはずだ! ここまで入り込まれて逃がしてみろ、お前たち全員厳罰だ!」
立場が上らしき衛兵が、他の衛兵たちを叱咤する。
いや、叱咤というより理不尽な暴言に等しい。
「フン、愚かな」
「馬鹿な人。さすがは人間ですわね」
確かに、尻を叩いて無理やり戦わせるのは一時的にでも有効だろう。
しかしそれは敵に対する明確な対抗手段があってこそだ。
一方的に衛兵たちがやられる現状において、それは愚策である。
みるみるうちに衛兵たちの戦意が低下していく。
そしてブロムとエルザナは、それを後押ししてやるだけでいい。
「どうぞ逃げたいならご自由に。追いはしませんわよ」
「どうだ。オレたちは優しいだろう?」
魔法で壁に穴を空け、そら逃げろといわんばかりに嘲りながら顎で示す。
生き残った衛兵たちは、顔を見合わせると穴から外に出て一目散に逃げだした。
「こら、どこへ行く! 敵前逃亡は重罪だぞ!」
その場に残ったのは叱咤していた例の衛兵だけだ。
「そら、お仲間は皆逃げてしまったようだぞ?」
「大サービスですわ。あの人間たちのために、敵前逃亡の証拠を隠滅して差し上げましょう」
「く、来るな……!」
背を向けて逃げ出そうとした衛兵に、魔法が叩き込まれた。
背中が吹き飛び焼け焦げた傷跡を晒す死体を乗り越え、ブロンとエルザナは先を目指す。
幸いといっていいのか、今回彼と彼女にとって脅威となる人間は現れなかった。
これからも、しばらく現れることはないだろう。
しかし、忘れてはいけない。
既に人間たちに魔法が漏れている疑いがあり、今回も人間にさらわれた魔族たちを助けるため、この場にいるのだということを。
ブロンとエルザナはそれを承知していたが、それでも自分たちの優位性を確信している。
牢はもうすぐだった。
■ □ ■
兄姉四人に比べアリシャとクロムはどんな潜入方法を取ったかというと、変装だった。
兵士の中で背格好が似た人間を探し、気絶させて適当な場所に隠した後、変身魔法で成り変わる。
それが当初の予定だったのだが、少し事情が変わった。
「……この配役は、おかしくないか……?」
「あはは、仕方ないよ。アリシャは簡単だけど、ボクは兵士に化けるには細見過ぎるからねぇ」
「というか、お前が全身変化ができないことの方が、私には意外だった」
「魔王の子どもだって得手不得手くらいあるよ。ボクは変化魔法が元々苦手なんだ。これでも一生懸命練習したんだからねっ」
可愛らしく言い返すクロムを、アリシャはじっとりとした目で睨む。
元々のクロムも、アリシャを除けば一番年下ということもあり、紅顔の美少年風な雰囲気を纏っていた。
しかし、今はある意味それ以上である。
「納得いかないのは、どうして女の私が男の兵士で、男のお前が下働きの娘になっているのかということだ」
「そりゃ、体型が近いのがそれなんだから仕方ないじゃない。幸い、おおよそが合っていれば男女の体型差くらいならボクでもどうにかなるし」
ちなみに今の姿は、アリシャは筋骨隆々な身体を鎧に押し込めている髭を生やした中年の兵士で、クロムが愛嬌のある顔立ちでそばかすがチャームポイントな下働きの娘だった。
クロムが化けている下働きの娘は、美人というよりも表情や態度で可愛らしく見える娘だったのだが、クロムは完全にそれをコピーしていた。
アリシャの方もアリシャの方で、元々素を出さなければ男に近いぶっきらぼうな喋り方なため、さほど話していて違和感がない。
強いていうなら、男に化けてなお一人称を『私』としていることだろうが、美咲の世界で私が大人の男の一人称としてはおかしくないのと同じく、この世界でもこの一人称は男も使うものとして受け入れられているので、特筆するほどでもない。
「ところで、兵士と下働きが行動を共にしてるって、それはそれで変じゃないか」
しばらく歩いたところで、アリシャはクロムに尋ねる。
「別に変じゃないでしょ。知人とか友人とか、兄妹とか恋人とか主と奴隷とか、色んな関係があるんだし」
クロムは物凄く堂々としていた。
魔王の子どもたちは、皆地位があるだけあって立ち居振る舞いが堂々としている。
しかし、アリシャも立ち居振る舞いという点では負けていない。
傭兵という職業柄、舐められたら負けなので威圧するという意味でも立ち居振る舞いは重要だし、やはり姿勢などがきちんとできていないとその程度のコントロールもできないのかと舐められがちになるからだ。
実力だけではやっていくのは難しく、実力に見合った見栄も大切なのだ。
アリシャは密かになるほどと思いながら聞いていたが、最後の言葉を聞いて己の聞き間違いかと思い、反芻して確認した。
やはり、アリシャの聞き間違いではない。
「今明らかにおかしな関係が一つ混ざってなかったか」
尋ねると、クロムは満面の笑顔を浮かべ、口に手を当てた。
「うふふ、ひみつー☆」
男がやればアレな態度も、今のクロムの姿は女の子なので可愛らしく見える。
しかしクロムが男であることを知るアリシャにしてみれば、腹が立つことには変わりない。
「その喋り方イラっとするからやめろ」
変化魔法が苦手という割には、声まで擬態しているクロムの口からは鼻にかかった甘い声が出ている。
どう見ても男の声ではなく、クロムの元の声である、やや高い少年の声と比べてもまだ高い。
同じ女性でも、ハスキーな声の女性などもいるから、それらと比べても高いだろう。
美咲がこの場に居合わせて聞いたのなら、こう呟いただろう。
凄いアニメ声だ、と。
「可愛いでしょ? アリシャも女の子ならこういうのやりたいんじゃないの?」
「女だから皆そうだなどと思うな。それに私には似合わんよ」
歩いてみると、実際あまり声をかけられないし、不審がられることもなかった。
仕事中なら当然見とがめられただろうが、元の二人はこれから非番だったのである。
偶然が重なり、疑われにくい下地ができていたのだ。
非番なら別に一緒にいても不思議ではない。詰め所に非番の兵士がいてもおかしくないし、下働きの娘を連れていても知り合いなのかと思うだけだ。あるいは兄妹、恋人かと思われるかもしれない。
情報収集は、クロムが人懐っこく同じ詰め所の下働きを行う人間や、兵士たちに絡み上手く情報を引き出すことで集めていた。
この話術はさすがにアリシャには真似することができず、感嘆するしかなかった。
「村の人たちが捕まってる場所、分かったよ。三か所に分けられてるらしいけど、残り二つには姉さんと兄さんたちが向かっているはずだし、ボクたちも急ごう」
にっこり笑ったクロムは跳ねるような足取りで進んでいく。
その後を、アリシャも完全に自分とクロムが男女逆転している事実に苦笑しながらついていったのだった。