二十九日目:そこへ至る25
安易に騒ぎを起こすわけにもいかないため、夜を待って忍び込むことになった。
後先を考えなくていいのなら、何も考えず押し通ればいい。
実際、アリシャ、ミリアン、ブランディール、アズール、ミアネラ、ジェネイロ、ブロン、エルザナ、クロムの九人であれば、楽に衛兵たちを蹴散らし魔族を助け出して脱出することは可能だろう。
何せ、魔将であるブランディールとアズールの二人に、未来に魔将に名を連ねることになるミリアン、同じく未来に魔王となるアリシャ、そして現魔王候補であるミアネラ、ジャネイロ、ブロン、エルザナ、クロムの五人がいる。
実力的にはブランディールとアズールが一番上で、僅差でミリアン、そしてかなり引き離されてアリシャとなる。
別にアリシャが弱いわけではなく、ブランディールとアズールの強さはこの頃から完成されており、ミリアンもほぼ変わらない。
アリシャはまだ実力が低い代わりに大きな伸び代があった。
ミアネラたちの実力については未知数だが、普通の魔族らしく魔族語による魔法行使に特化しているものと考えて良さそうだ。
それは五人の体格からも窺える。
誰も身体を鍛えておらず、基本的に線が細い。
前線で身体を張るような身体ではないのだ。
この傾向は魔族全体にあり、ブランディールなどですら、身体を鍛えるのは最低限で残りは魔法で強化している。
身体を鍛えるよりも、魔法を鍛えて強化率を上げた方が、上昇率が高いのだ。
ミリアンのような、強度が低い強化魔法程度しか使えないというハンデでもなければ、身体を極限まで鍛えようとは思わない。
もっとも、アリシャはミリアンを間近で見ていたし、ほぼ身体一本でここまで強くなったミリアンを尊敬しているし慕ってもいるから、彼女に倣って身体を鍛えるのも行っている。
アリシャの場合は元々体格がよく、桁外れの魔法の才能と、ミリアンに匹敵するほどの身体の才能を合わせ持っていたから、どちらも極めようとしている。
人間ならば二兎を追うもの一兎も得ずなどという結果に終わりそうであるが、姿は人間でも実質的には魔族であるアリシャなら、両方極めるのに十分な時間があるのだ。
数が少なく繁殖もしにくい代わりに、魔族は全体的に長命だ。
人間の二倍三倍の寿命を持つ者もざらにいる。
それは元々の寿命が長いという理由もあるが、それ以上に事故や天災で死ぬことが少ないという理由がある。
人間に対して猛威を振るい、死傷者を多数出してしまう自然現象も、魔族は魔法で何とかしてしまう。
故に、魔族が死ぬ死因ナンバーワンは戦争である。そして意外かもしれないが、次点が寿命だ。
それだけ、他の死因で死ぬ魔族が少ないということでもある。
(月明りがない夜……忍び込むには絶好だな)
アリシャは空を見上げて状態を確認する。曇り空で、月どころか星すらろくに見えない。
元々光源が少ないから夜になれば美咲の世界とは比較にならないくらい真っ暗になるが、月明りや星の光があれば僅かな光を得られていただろう。
しかし、それもないので現在は本当の真っ暗闇である。
アズールが何事か魔族語で呟く。
会話のためにわざと鈍らせたものではなく、魔法行使を行うための正確な発音だ。
瞬間、衛兵の詰め所を包み込むように不可思議な力場が広がった。
「念のため人払いの結界を張っておきましたぞ」
何をしたのか、アズールが自己申告する。
「……高度な魔法行使ですね。さすが、魔将なだけはあります」
ミアネラが冷静にアズールを褒めた。
「見ての通り、ろくに運動はできそうもないおいぼれですからな。得意と呼べるものなど、魔法くらいなものでして」
ほざくアズールだが、現在の姿はごく普通の中年男性姿である。
元の姿なら本人の言う通りとはいえ、この姿で言われると違和感しかない。
「俺たちは念のため外をこのまま見張っておく。結界があるとはいえ魔法が人間に漏れちまってる可能性がある以上、頼り切りにもできねーからな。おい、ミリアン、お前も残れ」
「は? どうして私まで」
「戦力過剰なんだよ。大人数でのこのこ乗り込んだって、建物の中じゃ自由に動ける数は知れてる。それにあいつらにとってはこれも継承争いの一幕に過ぎん」
思わずミリアンは押し黙った。
アリシャは次期魔王候補の一人として、魔王城に連れて来られたのだ。
そのことを、思い出したのである。
「分かったか? あんたの妹分はどうか知らんが、他の五人はつまるところ自分をアピールするために戦わなきゃならん。なら場を用意してやるまでだ」
「なに、本当に危なくなれば儂らが助けに入りますからな。心配は要りませんぞ」
ブランディールとアズールに言われ、ミリアンはため息をつく。
「そういうことなら仕方ないわね。あーあ、私も暴れたかったんだけど」
不満そうな声のミリアンにアズールが笑い、ブランディールがやれやれと肩を竦めた。
そうして、アリシャ、ミアネラ、ジャネイロ、ブロン、エルザナ、クロムの六人が衛兵詰め所内に忍び込んだ。
■ □ ■
自然と、詰め所の中で三手に分かれることになった。
始めは全員一緒に進んでいたのだが、分岐点に差し掛かるごとに別々の道に進んだのである。
ミアネラとジャネイロ、ブロンとエルザナ、そしてクロムとアリシャという組になっている。
「いざという時の対処は私がします。あなたは補助をお願い」
「分かったよ、姉さん」
二人同時に、魔法を紡ぐ。
使うのは、索敵魔法だ。
索敵魔法と一口にいっても、使って即敵を探知できるような便利な魔法があるわけではない。
いや、もしかしたら今後魔族を研究していけば、そういう魔法も未来には生まれているかもしれないが少なくとも今この場には存在しない。
そして美咲が召喚された当時にもなかったことを考えると、今後も可能性は薄いだろう。
ジャネイロの使った魔法で、空中に一対の目が召喚された。
魔法的な意味でも、物質的な意味でも目である。眼球だ。
この眼球が映し出す視界を自分の視界に接続することで、ジャネイロは遠くの場所の景色を見ることができる。
目単体であるから、二つの目が同じ場所にある必要はなく、別々の場所を映し出すことも可能だ。
欠点は、実体があるので敵にも肉眼で確認されてしまう点か。
より長く魔法を持続させるためには、物陰に隠すなど見つかりにくいように工夫を凝らさなければならない。
魔法で姿を隠せばいいと思うかもしれないが、これもまた不可能だ。
目を見えなくするにはいくつか方法があり、実体を無くす、不可視化するヴェールのようなもので覆う、相手の注意を逸らすなどがあるものの、どれも本来の目的である監視という役目を果たせなくなる。
あくまで目は物体であるから、実体を無くしてしまっては視界そのものが消える。
不可視化させるヴェールは目を覆ってしまうので、敵に見えなくなる代わりに目もヴェールに遮られて何も見えなくなる。
相手の注意を逸らす魔法なら視界は問題なく取れるが、魔法に気付かれればそこに何かあると言っているようなものなのでやはり意味がない。
だが考え方自体は間違っていない。
要は、気付かれにくい場所に配置すればいいのだ。
今回、ジャネイロは通路の天井に目を配置した。
自分たちしかいないことが分かり切っている場所で、意味もなく天井を確認するという行動はあまり取られない。
そもそも元来頭上というのは人間にとって死角であり、意識が向きにくいものだ。
顔を上げるという動作がどうしても必要であり、どうしても視界外になってしまうため、気付きにくい。
「姉さん、人間が来るよ」
「分かったわ」
案の定、通路にやってきた兵士たちは天井の目で見られていることに全く気付いていない。
「ニィエマァウリ」
ミアネラが使ったのは眠りをもたらす魔法だ。
一般的な使い方としては適度に効果を抑えて安眠に用いたりする方法があるものの、今回は敵の無力化が目的なので容赦はしない。
深い眠りに落ちた兵士たちがその場に崩れ落ちた。
「どうする? 殺す?」
「今の状態で騒ぎを起こしたくない。記憶を弄って適当な部屋にでも放り込んで、不可視魔法で隠しましょう」
あっさりと殺害を口にするジャネイロは不穏だが、ミアネラがやろうとしていることも中々えげつない。
ミアネラは魔法で兵士たちの記憶を消し、偽の記憶を植え付けると、近くの部屋の扉を開いて兵士たちを入れ、不可視魔法で姿を消させた。
これで不可視魔法が効果切れで解かれない限り、彼らが見つかる確率は限りなく低くなった。
仮に発見されたとしても、兵士たちの認識は疲れてこの部屋で居眠りしてしまったという風に辻褄合わせが成され、ミアネラたちが忍び込んだことは露見しない。
ちなみに扉には鍵が掛かっていたが、当然のように魔法で解除されている。
魔法的な対策が施されていない限り、魔法の前に鍵などあってないようなものだ。
「で、このまま闇雲に進むのかい?」
「非効率的だわ。見取り図を探すか、適当な人間から聞き出すとしましょう」
「さっきの人間たちを使えばよかったんじゃないか?」
「複数は面倒よ。できれば一人の時を狙いたいわ」
「あー、確かにいくら強くとも敵の数が多いと大変だね。特にここは狭いし」
その後、適当な兵士から詰め所の情報を引き出したミアネラとジャネイロは、兵士の記憶を消して他と同じように部屋に放り込み不可視化させると、判明した目的地へと向かった。
「それにしても、まさか牢が複数あるなんてね」
「幸い、対処できる範囲内で良かったわ。三か所なら私とあなた、ブロンとエルザナ、クロムとアリシャで全部回れるもの」
「私としては、その二つが心配なんだけどね」
「そうね。ブロンとエルザナは性格に問題ありだし、クロムは実力は私たちに一歩届かない。アリシャもお父様に候補者として見込まれるくらいだから強いのだろうけど、どれくらいかっていうと結局未知数なのよね」
「姉さんは、自分が魔王に相応しいと思うかい?」
「思うわよ。でなければとっくに降りている。でもそれは、魔族をより良い指導者に率いさせるため。私よりも相応しい人が見つかれば、喜んで座を譲り、その下で力を振るわせてもらうわ」
「何がなんでも、自分が魔王になりたいとは思わないのかい?」
「なりたいかなりたくないかではなくて、なるかならないかで考えなさい。魔王になることで、魔族の命運を背負うことになる。もっとも相応しい人物が継ぐべきよ。だから相応しいならなるし、相応しくないと分かったのならなるべきではないわ」
そうして、二人は牢に辿り着いた。