九日目:生き延びた二人3
ヴェリートにあるパン屋に来た美咲とルフィミアは、すかすかの棚を前にして唸っていた。
ラーダンならパンが山と積まれているはずの棚は、随分と空白が目立っている。
売っているパンの値段はラーダンと同じだが、混ぜ物を多くしているのか、ラーダンのものよりも質が悪そうだ。
「やっぱり戦争の影響でパンも品薄になってるわねぇ」
棚に陳列されている黒パンを眺めて、ルフィミアがため息をつく。
「かといって、ラーダンとは違って露天も無いですしね……」
横で眺める美咲の表情も憂鬱だ。
「スープも質素なのに高いから、パンが一番だと思ったんだけど、これじゃあまり変わらないかも。ごめんね、美咲ちゃん」
謝られた美咲は慌てて首を横に振る。
「いいえ、とんでもないです。大丈夫ですよ、私パンもスープも好きですから」
天使のような台詞に、ルフィミアは美咲を不憫に思った。
ルフィミアの見立てでは、美咲はもとの世界ではそこそこ裕福な暮らしをしていたように思えるのに、貧相な食事でも文句一つ言わない。
体力的な文句はたまに出るが、食事で我が侭を言わないだけでもかなり良い子だとルフィミアは思う。
(私の小さい頃なんか、我が侭三昧だったものねぇ。館の皆にはよく迷惑をかけたものだわ)
自分の幼少期を思い浮かべたルフィミアは、その違い様に苦笑する。
仲間を失ったことはルフィミアも同じだが、ルフィミアが仲間と死別するのは別にエドワードたちが始めてというわけではない。
ベテランと呼ばれるようになるまでに、ルフィミアは何度も出会いと別れと繰り返して生きている。
そういう意味ではある意味仲間の死にある程度耐性がついているルフィミアだが、彼女の目で見ても、美咲の態度は気丈に映った。
クエストを受ける前の美咲は良くも悪くも年相応に振舞っていたが、今の美咲はルアンを喪ったことで心身に急激に負荷が掛かったせいか、あどけなさが削ぎ落とされ、子どもらしい表情がなりを潜めている。
棚に並んだパンはほとんどが質の悪い黒パンで、ラーダンのパン屋で並べられていたそれよりも高い保存が利く堅パンや、高価な白パンは数えるほどしかなく、棚の隅に追いやられている。
選ぶのに迷うほど種類があるわけでもないので、ルフィミアはさっさと黒パンを一つ選び、購入した。
ラーダンのパンと同じ一ペラダの黒パンで、大きさも同じくらいだが、ラーダンのものよりも混ぜ物の量が多い。
(……不味そう。でも仕方ないか)
ため息をついて買った黒パンを包みごと道具袋にしまったルフィミアは、ぼんやりとした表情で棚に並べられたパンを見ている美咲に話しかけた。
「美咲ちゃんはもう買った? 買ったなら出るけど」
「私は大丈夫です」
声に反応して振り向いた美咲は、未練なく陳列棚から離れてルフィミアとともにパン屋を出た。
「それじゃあ、とりあえず座れるところを探しましょうか。美咲ちゃんもそれでいい?」
「はい。構いません」
ルフィミアの方針に特に異議を感じなかった美咲は、律儀に確認をするルフィミアに頷く。
しばらく歩いた美咲とルフィミアは、ヴェリートの中央広場へと辿り着いた。
ヴェリートは四方を分厚い城壁で囲まれた城塞都市なので、中央広場はもっとも各城門から遠い場所と言える。
城門は東西南北に一つずつあり、道なりに行けば中央広場に辿り着くようになっていた。
中央広場の真ん中には大きな噴水があり、住民たちの憩いの場になっているようで、目に付く人々の姿は老若男女様々だ。
相変わらず兵士はいるが、通りとは違い住人たちの方が多くそれほど気にならない。
噴水の縁に腰掛けたルフィミアに習い、美咲もその隣に腰掛ける。
近くに噴水があるせいか、ひんやりとしていて居心地がいい。
美咲が気を緩ませてリラックスしていると、ルフィミアが自分の道具袋を漁り出す。
「それじゃ、さっそくこれを題材にして勉強してみようか」
道具袋からルフィミアが取り出したのは、先ほど傭兵登録所でもらった銅板だった。
銅板自体がまだ作られて間もないのか、酸化して黒ずんでいるようなこともなく、元の銅の色が鮮やかだ。
文字が書かれているのは片面だけで、美咲が裏面を覗き込むと、見慣れた自分の顔が美咲を見つめ返してくる。
(鏡みたい。銅鏡って言うんだっけ?)
銅鏡のことを詳しく知っているわけではなかったが、触れば指紋がはっきりつく銅板は本当にちょっとした鏡のようだったので、美咲はそんな連想をした。
ルフィミアは銅板の内容を読み上げてくれる。
要約すると、あなたを傭兵と認めるので、指定された日時に集合し、戦争に参加して欲しいということだった。
報酬は後日ヴェリート側が支払ってくれるらしい。
希望通り、ルフィミアは後衛で魔術行使に専念、美咲はその護衛ということが認められている。どうやらルフィミアの存在自体が認められる決め手になったようだ。
銅板の内容を大体理解した美咲は、今度はルフィミアに羊皮紙を手渡された。
羊皮紙には美咲には読めない文字がずらずらと書かれている。
「これって……?」
「ベルアニア文字の一覧よ。例えば、これとこれとこれでパンと書くわ」
三つの文字を指差されて美咲は少し混乱した。
(え? パンなら二文字じゃないの?)
だが、良く考えれば美咲は言語を訳してくれるサークレットをしているわけで、言葉と実際の文字が一致しないのは当然である。
その後もルフィミアは親切に文字を教えてくれたが、美咲は途中で根を上げた。
(ダメ、頭がこんがらがる……)
サークレットをしなければ耳に入る言葉と書く文字は一致するだろうが、変わりにまた言葉自体が分からなくなってしまう。
美咲は潔く文字を覚えることを諦めることにした。
どうせあと一ヶ月もしないうちに死ぬか元の世界に帰るかするはずなのだ。
覚える労力に釣り合う対価が得られるとは考えにくい。
「そろそろパンを食べましょうか。美咲ちゃんも慣れないことして疲れたでしょ?」
道具袋に銅板を再びしまい込んだルフィミアに提案され、美咲は承諾する。
ルフィミアは買ったばかりの黒パンを道具袋から取り出すと、眉根を寄せる。
「買う前から分かってはいたけど、やっぱり質が悪いわねぇ」
ため息をつきつつパンをちぎるルフィミアの横で、美咲も道具袋を漁ってパンを取り出した。
続いて美咲はこの世界ではポピュラーな果物であるピエラを一つに、小さな瓶に入ったジャムを道具袋から出し、噴水の縁の上に置く。
パン以外は全て、ルアンと一緒に買ったものだった。
食べようとした美咲は、ピエラとジャムをみたルフィミアが、一瞬物欲しそうな顔をしたことに気がついた。
ルフィミアはすぐに表情を取り繕ったが、美咲はルフィミアの心境を察する。
「……良かったら、ルフィミアさんも食べますか?」
「いいの!?」
ぱあっと表情を輝かせるルフィミアに、美咲はピエラとジャムを差し出す。
「ごめんね、なんか強請っちゃったみたいで」
「気にしないでください。半分こしましょう」
美咲とルフィミアは、ナイフでピエラを半分に分け、一口分のジャムをそれぞれのパンにつけた。
簡素な昼食を終えた二人は、次にルアンの兄に会いに行くことにした。
騎士の詰め所に行ってルアンの兄の屋敷を教えてもらい、尋ねに行く。
生憎ルアンの兄は留守で、美咲たちは会えなかった。
時間がなくなってきたので、そろそろ指定された場所に向かうことにする。
「集合場所って、どこでしたっけ?」
「確か東門前だったはずよ。十台の装甲馬車で戦場に行くみたい」
ルフィミアから話を聞いた美咲は目を丸くする。
ゴブリンの巣討伐クエストで馬車一台だったのに、その十倍だ。
「凄い数ですね……」
「戦争だもの。クエストとは訳が違うわ」
驚きを露にする美咲に、ルフィミアは肩を竦めてみせた。
南門前にはすでにたくさんの傭兵たちが集まっていた。
冒険者たちもそうだが、傭兵たちの中には人相が悪い者が多く、ピリピリとした不穏な雰囲気が漂っている。
(何だか、嫌な感じ……)
特に、何故か自分たちだけが目立っているようで、ぶしつけな視線が飛んでくるのを感じ、美咲は身震いした。
時間になると、傭兵たちは次々に装甲馬車へと乗り込んでいく。美咲とルフィミアも彼らに混じり、装甲馬車に乗り込んだ。
馬車の中でも美咲とルフィミアは注目を浴びて、美咲は大いに辟易した。
(どうしてこんなに注目されてるの……?)
しかも、ただ物珍しさから注目されているのではなく、どちらかというとねっとりと絡みつくような視線だ。
身の危険すら感じそうで、美咲はどうも好意的な視線には感じられなかった。
「ルフィミアさん、何か変じゃないですか……?」
不安を感じた美咲は、隣に座るルフィミアに小さな声で問いかける。
「私たちみたいに女だけの傭兵なんて、そういないから。そもそも傭兵には、ゴロツキや野盗崩れの奴も多い。要は女に飢えてるのよ、あいつら。美咲ちゃんも注意して。隙を見せたら襲われるわよ」
思いも寄らなかったことを言われ美咲はその場で固まってしまった。
注意しろと言われても、美咲とルフィミア以外は皆男の傭兵ばかりなうえに、対面に据わる傭兵と膝が触れ合いそうになるくらい馬車の中は狭い。
クエストの時に乗った馬車よりも今回の装甲馬車は大きいはずなのに、美咲には今回の馬車の中はクエストの馬車よりも狭く感じる。
対面に座る男に好色な視線を向けられ、美咲は咄嗟に視線を逸らした。
男が座る視界外から嫌な忍び笑いが聞こえてきて、美咲は唇を噛む。
ルアンがいれば、あんな視線からも守ろうとしてくれたのだろうかと、美咲はそんな感傷を抱いた。
(弱気になるな、私)
怖気付いて、傭兵としてルフィミアとともに志願したことを後悔しそうになる自分の心を、美咲は叱咤する。
美咲に対して、ルフィミアは馬車内でも態度を崩さず実に堂々としており、男たちの視線を跳ね返している。
ルフィミアはいかにも気にしてなさそうな顔で、自然体で過ごしている。
(……すごいな。私も、ルフィミアさんみたいに出来ればいいのに)
態度を真似ようにも、美咲ではどうみてもやせ我慢しているようにしか見えないのが悲しい。
ラーダンと同じような草原地帯を抜け、装甲馬車の一団は荒れ地を通っていく。
草木はまばらで、大地には乾いて罅が入っている箇所すらある。
「荒廃してますね……」
呟きに、ルフィミアが反応する。
「この辺りは、魔族との戦いが頻繁に起こるからね。ほら、遠くには廃村もあるわよ」
格子で補強された窓からは、朽ちた家々が立ち並ぶ様子が良く見えた。
魔族に滅ぼされたのか、それとも巻き添えになるのを恐れて住人が逃げ出したのか、知識に疎い美咲には分からなかったが、久しく住人がいない家は、美咲の目にはとても不可思議なものとして映った。
「そろそろね。美咲ちゃん、降りる準備をしましょう」
ルフィミアに促され、美咲は道具袋を手に席を立った。
不思議なもので、やっと不自由な立場から開放されるかと思うと、美咲の気も晴れてくる。
外に出た傭兵たちは、のろのろとした動きで歩いていく。
美咲とルフィミアは彼らの後ろを歩き、傭兵たちと一緒に整列する。整列といっても、全体で見るとかなりいい加減な整列ではあるが。。
「注目せよ!」
傭兵たちに向けて、軍人らしい格好をした男が号令をかけた。
どうやら正規の軍人らしく、休めの姿勢で立つ姿を見ても、他の傭兵たちのようなだらしのなさがない。
金髪を短く刈り上げた髪型の男で、日に焼けた肌と強靭な肉体を持つ偉丈夫だ。
騎士鎧を着込んでおり、腰には剣を吊り下げ、巨大な盾を地面に突き立てて置いていた。
「私はヴェルアニア騎士、ベルナド・ラ・ダム・ロッド・グァバである! これより君たち傭兵は、私の指揮下に入ることになる! 我々が今戦争において求められている役割は、人類勝利の一助となることである! 諸君らには心して戦ってもらいたい!」
男の声が朗々と響く。
声質が良く、深みのある良い声だ。
低く張りがあり、渋みのある深い声で、それでいて一挙手一投足からは、教養に裏打ちされた確かな知性を感じさせる。
小さな声で、ルフィミアが美咲に囁いた。
「ルアン君の家名も、確かグァバだったはずよ」
驚いた美咲は、小さく息を飲んでルフィミアを見上げる。
正式にルアンやその家族に対して家名を尋ねたことがなかったから、よく考えたら美咲はルアンの家名を知らない。
よく見れば、確かにベルナドという名前の騎士の顔立ちには、ルアンと共通点があった。兄弟ならば、似ていても不思議ではない。
戦争に出ているとは聞いていたが、まさか美咲が所属する傭兵部隊の指揮官だとは知らず、美咲は驚いた。
(でも、良かった……。これでルアンのことを伝えられる)
まだ本人に伝えたわけでもないのに、一つ肩の荷が下りたような気がして、美咲はホッとする。
首を巡らせて、美咲やルフィミアを睥睨したベルナドは、傭兵たちが自分の話を聞いていることを確認して満足そうに頷き、再び口を開いた。
「これより作戦行動を説明する! 現在、ヴェリート近郊の最終防衛線では、我がベルアニア騎士団を中核とする各国連合騎士団が魔族軍と激戦を繰り広げている! 我々は別働隊として魔族軍の側面に回りこみ、これを強襲、最終的には連合騎士団と連携して半包囲に持ち込む! なお、今回は強力な援軍として、ルフィミア・リータ・ラ・デア・エルスター殿が参戦している! 諸君らの中には知っている者も多いかもしれないが、彼女は冒険者としても名を馳せている、強力な魔法の使い手である! 今回は彼女を中核として、魔法使いたちによる先制魔法砲撃及び、支援魔法砲撃を行う! 巻き添えにならないよう、諸君らはくれぐれも注意せよ!」
ベルナドが口を閉じるのとほぼ同時に、ベルナドの従士らしき歳若い青年が、魔術師たちとその護衛役を一箇所に集めていく。
美咲とルフィミアもその中に含まれた。
「さて、と。やっと暴れられるわね」
ルフィミアが好戦的な笑みを浮かべる。
ようやく全力を出せる時が来て、ルフィミアは上機嫌だ。
突撃する傭兵たちの後ろに美咲たち護衛組が並び、さらにその後ろにルフィミアたち魔術師が並ぶ。
腰に吊るした騎士剣を引き抜き、ベルナドが号令を上げた。
「進軍せよ!」
騎士剣が振り下ろされる。
ゆっくりと、傭兵たちは前進を開始した。