二十九日目:そこへ至る24
ヴェリートは人間の傭兵たちが多く見られた。
それもそのはず、この時から既にヴェリートは人族側の最前線に一番近い街であり、要衝だった。
「最前線の割には、活気付いてんなぁ」
通りを歩きながら、ブランディールが興味深げにあちこち見回している。
ブランディールは蜥蜴魔将だ。
魔王の直属であり、その指揮系統は別系統で軍魔族の上に位置している。
現在は別の場所に出ることの方が多いものの、今後の展開によってはこの街を攻めることになるかもしれないので、今のうちに見れるものは見ておきたいようだ。
実際にその予感は当たっていて、未来においてはブランディールはゴブリンたちを仲間に引き入れてヴェリートを陥落させている。
その時は、今の経験が生きたといえるかもしれない。
「戦場が近いといっても、物流は滞っておりませんからな」
中年男性に化けているアズールがしたり顔で頷く。
髑髏顔の時は不気味なだけだが、こうして人間の姿を取られると、結構ひょうきんな表情を浮かべていることが分かる。
これでは単なる面白いおっさんだ。
そう思わせておきながら裏で何をしているか分からないところがあるので、いまいちアリシャには信用し切れないのだが。
「で、捕まった魔族たちはここのどこにいるんだ?」
「城塞都市だから城があるわけじゃないし、衛兵の詰め所とかじゃないかしら」
アリシャとミリアンは意見を出し合う。
もちろんヴェリート自体に来たのは初めてなので、二人とも地理を知っているわけではないが、魔族の街よりも複雑ということはないだろう。
むしろ、空を飛ぶという選択肢を考えなくて済む分、魔族の街よりも単純なはずだ。
「とりえあず、どこかに腰を落ち着けましょう。このままここにいても、目立つだけだわ」
周りを見回して、自分たちに周囲の目が向けられつつあるのに気付いたミアネラが、移動を提案する。
「そうだね。私もこのまま奇異の目で見られるのはちょっと遠慮したいかな」
ジャネイロも現状に気付き、ひとまず問題を棚上げした。
「人間どもの視線が気に食わん」
「人間なんかに見られていると思うと鳥肌が立ちますわ」
ブロンとエルザナの二人はぶれない。
本当にぶれない。
相変わらず、人間を嫌っているようだ。
「二人はせめて態度くらいは隠しておいた方がいいんじゃない?」
普段は能天気で天真爛漫なクロムもさすがに呆れている様子だ。
一行は目についた飯屋に入る。
「しまった。言葉が分からん」
「私もだわ。失念してた」
注文をしようとして、アリシャとミリアンがようやく気付く。
二人とも、この辺り一帯で使用されているベルアニア語が分からないのだ。
ミリアンはもちろん、アリシャも姿が人間そのものなだけで、生まれも育ちも魔族領であるから、母国語は魔族語だ。人間の間で話されている言葉など分かるはずもない。
「あ、しまったな。俺も知らねえや」
魔族語でもごもごと呟き、ブランディールが頭をかく。
先ほどからの会話も全て魔族語だ。
周りから見れば、自分たちには通じない言葉で会話する団体客である。
怪しいことこの上ない。
「お姫さんたちは知ってるか?」
話を振ってくるブランディールに、ミアネラが考え込む。
「……残念ながら。勉強不足ですね」
やがて、ミアネラは首を横に振った。
「いや、そういう問題じゃないだろう。普通必要になるとは思わないよ」
答えられないのがショックだったか、若干悔しそうなミアネラをジャネイロが気遣う。
「フン。そもそもどうしてオレが人間の言葉など気にしなければいけないのか」
「そうですわ。わたくしたちに人間の言葉など必要ありません。脳が汚れます」
ブロンとエルザナは予想通り高飛車で、人間に対し辛辣だ。
「でも、潜入することが分かってるのに会話の必要性に全く思い至らないのは完全に迂闊だよね……」
「ほっほっほ。そうですな。ここは儂が一つ、手本を見せて進ぜよう」
愉快気に笑い声を立てるのは、死霊魔将アズールだ。
「あ、そういや爺さんは元人間だっけか」
得心したように手を叩くブランディールに、アズールは頷いてみせる。
「そういうことですな。儂に任せれば、人との会話など簡単ですぞ」
自信満々に、アズールは従業員を呼び寄せ注文を取ろうとする。
しかし、困った顔で首を傾げられた。
「何だか戸惑ってないか?」
その様子を見たアリシャが不思議そうに首を傾げる。
「……あー、死霊魔将アズールってアンデッドになって長いの?」
「そうですな。三百年ほどかと」
「だったら同じ言葉でも、結構変化してるんじゃない? 魔族もそうだけど、言葉って結構流動的だし」
ミリアンとアズールの会話を聞いて、アリシャは納得した。
おそらく、アズールの言葉が通じないわけではないが、とても古臭く聞こえるのだろう。
まあ、違和感があるとはいえ通じるだけマシなのに違いはない。
■ □ ■
調査の結果、囚われている魔族は詰め所地下の牢に入れられているらしいことが分かった。
しかも、近いうちに王都への護送が始まるそうだ。
王都は美咲が召喚された城があり、当時の美咲が足を引っ張っていたとはいえ、ラーダンに着くまでにエルナがテレポートを繰り返して距離を稼ぐ必要があった。
結局エルナはザラ村で死んでしまったのだが、その後はアリシャの馬車に同乗したから、やはりそれなりに距離があるのは間違いない。
「王都に運ばれるのは面倒だな。人族領の奥深くまで入り込んだらさすがに戻って来れるか分からない」
顎を撫でつつ、ブランディールは一人ごちる。
どうも、人間の姿だと顎が短いので少し気になるらしい。
割とどうでもいい悩みである。
「アリシャだけなら楽勝だろうけど、私たちはねー。うっかり元に戻る姿を誰かに見られるだけでも大騒ぎだわ」
今でこそ赤毛のポニーテール美女に変化しているミリアンだが、その正体は牛女である。頭の辺り赤い体毛があるという点以外は全く共通点がない。
美醜という点でも変化した姿と元の姿を比べるのはナンセンスであり、そもそも元の顔が牛顔という時点で比べるとかそういう次元の話ではない。
変化の影響か、ミリアンの姿は元の姿より一回り小さくなっているが、それでようやくアリシャと同サイズなのだから、元がどれだけ巨体なのか良く分かる。
似たような体格でもアリシャとミリアンは違う雰囲気の美女だ。
アリシャが髪を短く整えていているのに対し、ミリアンは長く伸ばしてポニーテールに結んでいる。
まあ、ミリアンの場合は元からそうしようと思ってそうしたわけではなく、人化した際に勝手にそんな髪型になっただけなのだが。
ミリアン本人は特にこだわりはなく、わざわざ手をかけて変えたりする必要性を感じていない。
「魔法で姿を変えるっていうのも、長期間の滞在にゃ適さないからなぁ。お前さんに貸した人化の指輪ならつけている限りほぼ永続的に効果があるから話は別だが」
ブランディールがミリアンを見る。
魔法が苦手なミリアンに、ブランディールは貴重品である人化の指輪を渡している。
彼女が変身しているのは指輪によるものだ。
「へえ、そんなにいいものなのコレ?」
ミリアンは己の指にはまった指輪をまじまじと眺めた。
「当たり前だ。本来なら宝物庫に厳重に保管されるような代物だぞ。今回の件で特別に魔王陛下からお借りしてるんだ。間違っても無くすなよ」
先ほどから、ブランディールは指輪のことを気にしている。
貴重品というのは本当らしい。
もし無くされたらという不安があるのだろう。
そう簡単に無くすかとミリアンもいいたいが、お互い出会ったばかりといってもいい間柄なので、信用し切れないのは仕方ない。
「問題は、どうやって目的を遂げるかということですな」
ほっほっほとアズールが笑い声を上げる。
中年の姿だが、妙に年寄り臭い。
本当の姿は骨と皮くらいしか残っていないミイラみたいな姿なので、今の姿の方がはるかにマシに見える。
ちなみにアズールの場合、通常の魔法とはまた別の方法で人間に化けているらしい。
まあ早い話が、死体の頭蓋骨を用いる、未来で貴族の青年に化けていた時と同じ手法である。
取る手段がえげつないのはこの頃から変わっていないようだ。
まあ、アリシャとミリアンが所属していた傭兵団の団長とその妻を殺して使役している時点でその点はお察しである。
「おそらく警備がいるでしょうし、それらを掻い潜って侵入する必要があるわね」
ミアネラは真面目に考え込んでいる。
ブランディールは案外思慮深いところもあるものの基本的には脳筋だし、ミリアンも同じく脳筋である。
アリシャは文武両道であるが、今はどちらも発展途上で魔王になった後の彼女ほどではない。
「あまり騒ぎは起こしたくないね。面倒だ」
なので、このメンバーで頭を使うのは、自ずとミアネラとジャネイロ二人の役目で固まってきていた。
一番適任なのはアズールなのだが、彼は積極的に動くつもりはないらしい。
「フン。立ち塞がる人間は血祭に上げればいいのだ」
ブロンが後先考えないことを言っている。
そんなことをすれば即刻騒ぎになって潜入どころではなくなること確実だ。
「お兄様に賛成ですわ。人間の分際で思い上がった者たちに、現実を叩きつけてやりますわ」
しかしエルザナも同意した。
二人はかなり過激な思想を持っており、人間を嫌う排斥派の中心人物でもあるため、まあ言動は予測できる。
それ故に現実に即した行動よりも、己の感情に従って行動する嫌いはあるが。
「それやってどうなるのさ。兄さんと姉さんがすっきりするだけじゃん」
好奇心旺盛で能天気なクロムも呆れている。
クロムが抱く人間への感情は、良くも悪くもフラットらしい。
興味がないと言い換えてもいいだろう。
歩いていると、衛兵の詰め所が見えてきた。
ここに、魔族が囚われているはずだ。
(……さて、どうするかな。忍び込むか、殴り込むか)
何が正しいか考えて、最良の手段を選択しなければならない。
下手を打って騒ぎを起こし、さらに救出に失敗したら話にならない。
詰め所を前に、アリシャは考え込んだ。