二十九日目:そこへ至る23
バルトの飛行速度は速い。
あっという間に空の旅は終わり、アリシャたちは国境付近へと到着した。
未来で美咲を乗せた状態で飛行に時間がかかり、しかも墜落したのは、バルト自身が傷付いていたのと、美咲の魔法無効化能力で飛行の補助が切れていたからである。
万全な状態で、魔法も使えるならこんなものだ。
(魔族の姿をした人族か……)
感慨を抱くアリシャに、ミリアンがにやりと笑って尋ねてくる。
「何を考えているか、当ててみましょうか?」
「大したことじゃないさ」
アリシャは肩を竦めて答えた。
本当に、大したことじゃない。少なくとも、アリシャ自身はそう認識している。
国境に着いたと聞いて、アリシャ以外の魔王候補たち、特にブロンとエルザナが騒ぎ始める。
「静粛に。ここを越えたらもうそこは人族領ですからな」
アリシャは静かにするのは当然だと思ったし、ミリアンも異論はない。
マキリスは例え不満があったとしても時と場合を弁えているし、ジャネイロは最初からどちらかといえば落ちついていて静かな方だ。
クロムはおしゃべりで賑やかだが、それでも空気は読む。
「さっさと人に化けろ。目立って仕方ねえだろうが」
牛女姿なままのミリアンに、ブランディールが眉をひそめる。
「私、そんな魔法使えないんだけど」
ミリアンは憮然とした表情を浮かべた。
恵まれた体格と怪力を誇り、魔族として全く異質な戦い方を好むミリアンは、魔族なら当たり前に備えている魔法の才能というものにあまり恵まれていない。
皆無というわけではないものの、それでも使える魔法の数はたかが知れているし、精度もそう高くない。
人間化の魔法など、習得しているはずもなかった。
「ならこれを使え」
ブランディールがミリアに向けて、アイテムを一つ投げて寄越す。
「何これ?」
それを片手で掴み取ったミリアンは、まじまじと見つめた。
ミリアンにブランディールは渡したアイテムが何かを説明する。
「人化の指輪っていうマジックアイテムだ。人に化けることができる。魔王陛下に貸していただいた貴重品だから無くすなよ」
どうやら、普段は魔王城の宝物庫に眠っていてもおかしくない品らしい。
自然と、全員の視線が指輪を受け取ったミリアンに集中する。
「……へえ。便利なものもあるのねえ」
指輪をつけると、ミリアンは 赤毛のポニーテールにくりくりとよく動く眼が特徴的な、二十代前半くらいの見た目な美女に変身した。
若々しく溌剌とした雰囲気の姿だ。
ミリアンが普段見せる溌剌とした表情によく似合う。
牛顔でもなくなったが、胸だけは相変わらず大きい。何故なのか。
髪の毛を引っ張ってみたり、顔を撫でてみたりして、ミリアンは百面相をしている。
どうやら自分の姿が珍しくて新鮮に感じるようだ。
「自分でいうのもなんだけど、私は化ける必要がないな」
アリシャはため息をつく。
最初から人間の姿であるアリシャは、一行の中で唯一姿を偽る必要がない。
一般的に見てごく普通の女性とはいえないが、それでも傭兵としてはあり触れた姿だ。
美人という点を除けば。
世辞などではなく、普通にアリシャは美人だ。
「……少し抵抗を感じますが、仕方ありませんね」
アリシャの姉兄の中で、一番に決断したのはミアネラだった。
さすがは長姉。
真面目な性格でしっかりしている。
自らが率先することで後続を続きやすくする狙いもあるのだろう。
「騒ぎを起こすのも面倒だしね」
同じことを思ったのか、長男であるジャネイロもミアネラに続いて変身する。
二人とも、嫌味にならない程度に華美で貴族的な様相だ。
「何故俺が人間になど化けなければならんのだ!」
「わたくしが人間に!? 冗談じゃありませんわ!」
逆に憤懣やるかたない表情で駄々をこねまくったのが、ブロンとエルザナの貴族的コンビである。
二人とも人間のことが大嫌いなので、その自分たち自身が人間になるというのは、我慢できないほど嫌なことのようだ。
とはいえ、魔族の姿は目立ち過ぎるので、否応なく変身するしかないのだが。
「ブロン兄さんも、エルザナ姉さんも、話が進まないから諦めなよ……」
苦笑するクロムが変身する。
紅顔の美少年になった。
ある意味では、想像通りかもしれない。
舌打ちとともに、ブロンとエルザナが変身する。
どちらもいかにもな王子と王女姿になった。
人間と魔族の姿という違いはあるが、よく二人の特徴を捉えた姿だとアリシャは思う。
「よし、じゃあ俺も」
ブランディールは人間の姿になっても印象が爬虫類顔だった。
「……あんまり変わってないわね」
人間形態の姿を見たミリアンが目を丸くする。
「アンタほどじゃないが、俺もこういう魔法はあまり得意じゃなくてね」
どうやらブランディールの魔法は強化魔法と攻撃魔法が主流らしい。
「儂は得意ですぞ。ホレこの通り」
逆にアズールは特徴のない中年男性姿に化けていた。
■ □ ■
無事人族領に侵入したアリシャたちだったが、また一つ問題があった。
人間に化けてもなお目立ち過ぎるのである。
アリシャ、ミリアン、ブランディール、アズールの四人はいい。
アズールはどこにでもいるような中年男性の姿だし、他の三人は人間の傭兵にしか見えない。
しかし、残りの五人が問題だった。
立ち居振る舞いを含め、あまりに貴族的過ぎる。
ミアネラ、ジャネイロ、クロムはまだ比較的マシな方だったが、ブロンとエルザナは特にひどい。
どこぞの夜会にでも行くのかという格好だ。
エルザナは肩が大きく露出した踝まで覆う赤いドレス姿で、イヤリングやネックレスなど、装飾品も多い。
ブロンは白タイツに裾を絞った半ズボン、フリルたっぷりのジャケットと、どこの王子様だと突っ込みたくなる格好だ。
二人が一番アレなので、ミアネラたちの格好は相対的にマシに見えている。
上品だが華美ではない商家の娘程度に見られるようミアネラは違和感を抑えているし、ジャネイロも育ちが良さそうな文学青年の体である。
クロムは普通に人間の一般人が着るような一般的な格好だ。まあ、紅顔の美少年なのでちょっと逆に違和感があったりもするが、些細なことである。
どう見ても貴族にしか見えない二人と、そこそこ裕福そうな二人、良く分からないのが一人。そして傭兵らしい姿が四人。
(……護衛の傭兵と依頼人という関係で、いけるか? ……いや、せめて乗り物が要るな。巡礼でもないのに貴族が歩いて旅をするのは違和感が強過ぎる。奇異に映って目立ってもいいことはない)
考え込んだアリシャはため息をつく。
自分と人化したミリアンだけならどうとでもなりそうなだけに、予想外な事態に直面し気が重くなる。
「ところで、具体的に攫われた捕虜はどこに捕まってるの?」
ミリアンの疑問にアズールが答える。
「儂が調べた限りでは、ここから少し歩いた先にあるヴェリートという城塞都市に捕まっているらしいですぞ」
アズールの姿は現在人間の中年男性なので、口調がちょっとアンバランスかもしれない。
「一応説明しておくが、人族側の東部戦線で一番前線に近い位置だな。何度か攻めてるが、抵抗が激しくて中々落ちねえ。背後に貿易都市があるから包囲も長期間は維持しにくいしな」
さらにブランディールが補足を入れる。
軍事関係の話に興味が沸いたようで、エルザナが話に食いついた。
「それはどうしてですの?」
ブランディールがアリシャに目をやる。
まるで説明してやってくれと言わんばかりに顎をしゃくられたので、アリシャは軽くため息をつく。
確かに、傭兵であるアリシャとミリアンは戦争の情勢にも敏感で詳しいので、説明はできる。
アリシャとミリアンはあまり東部戦線の戦場では傭兵として戦った経験が少なく、あくまで傭兵として一般常識程度だが。
傭兵団が活動していたのは、主に北部戦線や内地での治安維持などである。
魔族には魔法があるので、実は人族との戦争よりも、賊などに身をやつした魔族を狩る方が、要求される実力水準が高い。
かつて所属していた傭兵団は、状況に応じて依頼の種類を切り替えるタイプだった。
もっとも今はその傭兵団もなく団員は散り散りになり、団長とその妻はアズールに殺されてアンデッドとして使役され、操り人形と化しているが。
彼らを解放することが、アリシャが魔王になる目的といっていい。
魔族のためなどという耳に聞こえの良い理由は、建前や後付けに過ぎない。
そもそも、アリシャは姿が既に魔族という枠から外れているので、魔族としての帰属意識は持っているものの、自覚が薄い。
「包囲陣形は一度展開したら解くのが難しいんだ。だから貿易都市から増援が出てそれに合わせて城塞都市にも打って出られたら、逆にこっちが不利になる」
逆にミリアンは己が魔族だと自覚しているし、魔族のコミュニティへの帰属意識もあるが、一般的な魔族とは言い難いので、個人主義の感が強い。
「城塞都市を落とすなら貿易都市から横槍が入る前に電撃戦でケリをつけるべきだけど、それをするには城塞都市自身の守りが堅すぎるのよね。守りに入られたら落とすのは骨が折れるわよ」
故に、アリシャに引き継いで説明するミリアンの声には、他人事感が大いに含まれていた。
依頼として引き受けるならそれなりに真摯に取り組むが、そうでないなら割とどうでもいいというのが、ミリアンの本音である。
「私が個人的に集めた情報によると、近いうちにヴェリートから別の場所に移されるそうよ。それより前に、助け出したいところね」
ミアネラはミアネラで、魔王の娘であり長姉でもあるという己の立場を利用して、彼女独自の情報網を形成している。
魔族軍にもいくらか繋がりがあり、そこから情報を仕入れることができた。
「とりあえず、忍び込む方法を考えるべきじゃないかな」
このままでいても埒が明かないので、ジャネイロが話を本題に戻す。
「ええい、何故このオレがそんなコソコソと……」
どうやらプライドの高いブロンは隠れるという行為自体が気に入らないらしい。
よく見るとエルザナも不満そうだ。
「ブロン兄さんのことは置いておいて、人間に化けてるんだから堂々と入ればいいんじゃない?」
クロムの言が決め手となって、一行は普通にヴェリートに入ることとなった。