二十九日目:そこへ至る22
しばらくたわいない雑談をした後、不意にジャネイロが切り出した。
「……ところで、一つ聞いてもいいかな」
今までの様子とは違い、真剣な表情のジャネイロに、アリシャも居住まいを正す。
「何でしょう」
「君は、もし魔王になれたら、どうするつもりだい?」
その問いは、魔王という地位を目指すのならば答えられて然るべきだったが、アリシャは答えることができなかった。
当然だ。
アリシャは成り行きで次期魔王の座を巡る争いに巻き込まれただけで、これといったビジョンを持っているわけではない。
「……分かりません」
「正直だね」
苦笑するジャネイロは、ワインを一口飲んでから口を開く。
「私は、魔王になった者がするべきなのは、人族との和平だと考えている」
「……それは」
意外なジャネイロの言葉に、アリシャは驚く。
「無理でしょ。魔族も人族も血を流し過ぎて憎み合ってる。どっちも今更引ける状態じゃないわ」
傭兵として、多くの戦場に出てきたミリアンが、ジャネイロの言葉を否定する。
「実は同感だ。でも、無理でもやるしかない」
「それは、どうして?」
理由を尋ねたアリシャに、ジャネイロは逆に問い返した。
「アリシャ。絶対数の少ない私たち魔族が、どうして人族との戦争で有利に立てたか分かるかい?」
「……それは、魔族語があるからでしょう」
分かり切った問いに答えるアリシャへ、ジャネイロは首肯する。
「その通りだ。正しく紡ぐだけで万物の法則を歪め、思いのままに事象を再現できてしまう、文字通りの魔法の言葉の存在が、私たち魔族を勝利者へと押し上げている。しかし、魔族語も言葉であることに変わりはない。言葉とは、知識と技術によって模倣できるものなんだ」
ジャネイロの言葉に薄ら寒いものを感じたアリシャは、ジャネイロの懸念をようやく理解した。
「……まさか、この先、魔族語を人間も使い始めると?」
「ほぼ確実に、私はそうなると考える」
「それは、何故です」
問うアリシャに、ジャネイロはワインを飲み干して答えた。
「簡単だよ。今のところ魔族軍は快進撃を続けているが、犠牲が皆無なわけじゃない。もしかしたら、捕虜になっている者だって出ているかもしれない」
「魔族軍に所属しているなら、魔族語の重要性を理解しているはず。そう簡単に知識を明け渡すとは思えませんが」
「従軍経験があるならそうだろうね。でも、平和に暮らしていただけの村人ならそうはいかないだろう」
再びボトルを傾けてワインをグラスに注ぐジャネイロは、酔った様子はないが表情は険しい。
「馬鹿な。領土拡張を続けている現状、元々存在していた魔族の村は前線から離れています。襲われるはずが……」
「でも、実際に村が三つ奇襲をかけられて、村民が数名攫われているんだよ。これについては報告が上がっているから、真実だ」
アリシャの希望的観測を、ジャネイロは首を横に振って否定した。
それでもアリシャは食い下がる。
「いくら村人とはいえ、魔族が人間に遅れを取るとは思えません」
「それが、村に奇襲をかけた連中は、ろくに魔族語を話せず人間の言葉を話す、全員魔族の姿をした人族だったらしいよ」
今度こそ、アリシャは言葉を失う。
「……私と、同じ?」
「そうだね。逆ではあるけれど、ある意味では君も同じといえるだろう。魔族でありながら人族の姿で生まれた君がいるように、人族でありながら魔族の容姿を持って生まれ付いた人間もいるらしい。そいつらが、村人を攫い人族領に逃げたことまでは調べがついている」
なんとなく、アリシャはジャネイロが言いたいことが分かってきたような気がした。
「人間は捕えた魔族から、あらゆる手を尽くして魔族語の知識を搾り取るだろう。人間が魔族語を操れるようになれば、魔族の衰退は避けられない流れになる。その前に、手を打たなければならない」
「……何か、事を起こすつもりなのですか」
「ああ。本当なら父上自身に動いてもらうのが一番確実なんだけれど、生憎病床に臥せっているからね。私たち魔王の子ども四人と、蜥蜴魔将に死霊魔将。この二名を加えた六人。この六人で、人族領に侵入し攫われた村人や捕虜を助け出す。それに、君も加わってもらいたい」
話を聞いていれば、ある程度予測できる要請だった。
普通の魔族よりも、人間の姿をしているアリシャは人族領を歩いていても不自然ではない。
いわば、人族側が仕掛けた侵入作戦を今度は魔族側がやろうというのだ。
「それは、魔王選定の儀にも関わることなのですか」
「正直いうと、何ともいえない。でも、少なくとも私は、魔族の未来を考えるならば、選定の儀よりも優先すべき課題だと考えている。他の皆もそうだといいのだけれどね」
アリシャはため息をつく。
話を聞いてしまった以上、関係ないとは言っていられない。
こんな姿でも、アリシャだって魔族だ。
「……分かりました。ミリアン姉さんを一緒に連れて行っても?」
「構わない。戦力は多いほどいい。何ならメイドたちも連れていって構わないよ」
(……さすがにそれは)
いくら戦闘員非戦闘員の区別が曖昧な魔族といっても、メイドまで駆り出すのはどうなんだと思うアリシャだった。
■ □ ■
人族領へ侵入するためのメンバーは以下の通りだ。
アリシャ、ミリアン。
ミアネラ、ジェネイロ、ブロン、エルザナ、クロム。
ブランディール、アズール。
見事に目立つ面子ばかりだ。
完全に人の姿をしているのはアリシャだけだし、人員の身分も凄い。
もし仮に、このメンバーが全滅でもしたら、それだけで魔族の実力者がごっそりいなくなってしまう。
もっとも実力的には一騎当千の強さを持つ者ばかりなので、多少の人間など歯牙にもかけないのは間違いない。
というか、この九人だけで人族軍を相手取ることもできなくはないだろう。
量に秀でた人族に比べ、質の高さに特徴がある魔族の中でも、極めて質がいい人員が揃っている。
さすがに誰もメイドを連れていくような選択はしなかった。
物見遊山の旅ではないので当然だ。
「で、どうやって人族領まで行くのよ」
尋ねるミリアンに、ブランディールがにやりと笑う。
「コイツに運んでもらうのさ。来い、バルト!」
一行の頭上に影が差した。
「呼ンダカ、ぶらんでぃーる」
ブランディールの指笛でやってきたのは、巨大な一匹の竜だった。
「紹介しよう。コイツは俺の友人でバルトっていうんだ。こう見えても、古竜なんだぜ」
「古竜トイッテモ、最近ヨウヤク分類サレルヨウニナッタバカリダケドナ」
上機嫌にバルトの鼻先を撫でるブランディールは、まるで少年のように笑っている。
バルトも目を細め、機嫌が良さそうだ。
「これが、あなたのもう一つの力なのね……」
「まあ、そういうことだ。一人と一匹で俺たちは一騎だからな」
巨体を見上げるミアネラに、ブランディールはにやりと笑った。
「いつ見てもほれぼれするね。触ってもいいかい」
バルトを見つめていたジャネイロが、若干興奮した面持ちでブランディールに許可を願う。
「俺は構わんが、バルトに聞いてくれ」
ブランディールがバルトにそのまま振ったので、ジャネイロが目を爛々と輝かせてバルトに詰め寄る。
「……逆鱗ハ撫デルナヨ」
勢いに負けたバルトが許すと、ジャネイロは破顔した。
「そんな命知らずなことはしないさ」
魔族語を呟いてふわりと宙に浮かんだジャネイロが、バルトの顎先をくすぐる。
それを見て取ったバルトは、無言で蹲り顎先がちょうどいい高さに来るよう調整した。
「おや、ありがとう。気を使ってくれたのかい」
微笑むジャネイロに対し、バルトは視線を逸らす。
「……ソウイウワケジャナイ」
何が気に入らないのか、その様子を見てブロンが顔をしかめた。
「ふん。大蜥蜴の一匹や二匹、オレだって簡単に従えてみせるさ」
ぎろりとバルトがブロンを睨みつける。
「口ヲ慎メ小僧。誰ガ大蜥蜴ダ」
なり立てとはいえバルトは古竜だ。
寿命が長い魔族と比べてもなお長命であり、バルトにしてみればブロンなど小童もいいところである。
ため息をついたブランディールが、ブロンに忠告する。
「本気で魔王になりたいんだったら、その性格は矯正しておけよ」
「余計なお世話だ!」
どうしてそんなことを言われるのか理解できないといった表情で、ブロンは憤慨した。
「ホッホッホ。前途多難ですな」
しゃれこうべのような顔をカタカタと揺らし、アズールが笑う。
「下品ですこと。こんな奴らが魔将だなんて、お父様の気が知れませんわ」
基本的にブロンと似たような思考形態のエルザナが、ブランディールとアズールをねめつけた。
もし自分が魔王になったら、二人から魔将の座を取り上げようとエルザナは考えている。
もっと貴族的な、物腰が相応しい者にこれらの称号を与えるべきだとエルザナは思うのだ。
どうせ人間が魔族に敵うわけないのだから、実力など二の次でいい。
エルザナは本気でそう考えている。
「ああん? そりゃ、どういう意味だ」
「我々は魔王陛下直々に指名されておるのですぞ。お父上の決定に異を唱えるには早すぎではございませんかな?」
不機嫌さを露にするブランディールとは対照的に、アズールの底は読めない。
「喧嘩してる場合じゃないよ。今は他に考えることあるんじゃない?」
諫めようとしたクロムだったが、ブロンとエルザナの二人に一喝される。
「お前は黙ってろ!」
「クロムは黙っていなさい!」
ミリアンは呆れた表情でブロンとエルザナを見つめ、クロムに向き直る。
「仲悪いわねアンタたち。大丈夫なのこれで」
「普段からこうってわけじゃないんだよ?」
困ったような笑顔でクロムは弁解するが、説得力がない。
「……そろそろ、出かけた方がいいんじゃないか?」
「そうね、行きましょう。ブランディールさん、お願いできますか?」
アリシャの言葉にミアネラは頷き、ブランディールを促す。
「よしきた。バルト、準備はいいか?」
「アア。イツデモイイゾ」
一行はバルトの背に乗り込む。
古竜の巨体が空に浮かび、ゆっくりと景色が流れ出す。
背にアリシャたちを乗せ、バルトはその場から飛び去った。
目指す目的地は、人族領と魔族領の境界である最前線近くだ。
しばらくは、バルトの背に揺られることになる。
(魔族の姿をした人間、か……。私とどう違うのだろうな)
少しだけ、ほんの少しだけ。
己の姿に思うところがあるアリシャは、同じような境遇であろうことが予測できる彼らのことが、気になるのだった。