二十九日目:そこへ至る20
和やかな時間が続くが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
そもそもブランディールは用があってアリシャに会いに来たのだ。
言うまでもなく、後継者選定の日取りである。
「で、そろそろ本題に入りなさいよ」
ミリアンに急かされ、ブランディールはやおらぽんと手を打った。
「そうだった。思いの他居心地が良かったから忘れるところだったぜ」
「そりゃどうも」
複雑な表情でアリシャがブランディールの賛辞に礼を返す。
「アリシャ。お前も参加する後継者選定の儀についてだ」
僅かに身体を強張らせるアリシャを横目に見ながら、ミリアンはブランディールに向き直る。
「次代の魔王を決めるっていうやつね?」
筋肉隆々の見た目牛女がハイソな茶席で茶を嗜む姿は絵面が凄いが、蜥蜴男がハイソな茶席で茶を嗜む姿も絵面が凄いのであまり問題はない。
一番マシなのがいかにも荒くれものの傭兵といった風貌のアリシャである時点でお察しである。
もっともアリシャの容姿は整っているので、着飾ってしまえば十分誤魔化すことは可能だ。
「まあ正確には、正式に次期魔王を決める儀だがな。今は魔王陛下のご息女たちは皆一様に後継者候補だが、この儀で一人に絞られることになる」
「儀の内容はなんだ?」
尋ねたアリシャに、ブランディールはにやりと笑みを向けた。
「単純だよ。一対一の総当たりだ。勝利数が一番多い奴が後継者に決定する。同数の場合は同数同士でバトルロイヤルになるな」
「日取りはいつなのよ? まさか明日とか言わないわよね」
確認するミリアンに、ブランディールは首を横に振る。
「さすがにそれはない。こっちも準備があるからな。一週間後だ。御前試合という形になる。当然魔王陛下も見に来るぞ」
日取りを聞いたアリシャは、宙を睨んで考え込んだ。
「一週間後か。それなら十分とはいわないが、必要な準備はできるな」
「私も付き合うから、鍛錬もしっかりやりましょ」
「ああ、頼む」
どうやらアリシャは、ミリアンと付きっきりでみっちり準備をするつもりのようだ。
「とまあ、話はこれくらいだ。邪魔したな。茶ァ美味かったぜ。次は当日に会おうや」
必要な説明を終えたブランディールは、席を立って去っていく。
「……嵐みたいな奴だったな」
残されたアリシャがぽつりと呟いた。
「まあ、強かったわね。お互い本気の戦いは私も勝てるか分からないわ」
「それほどか?」
驚くアリシャに、ミリアンは問い返す。
「ブランディールの魔将としての二つ名、知ってる?」
「蜥蜴魔将、だろう?」
答えるアリシャに、ミリアンは首を横に振る。
「それは私たち魔族での、でしょう。人間側で呼ばれている方よ」
いかにも知っていて当然みたいな態度で言われ、アリシャは少しむっとした表情になった。
「いくら姿形が人間そのものだからといって、人間の事情に明るいわけじゃないさ」
「拗ねない拗ねない。人間の間じゃ、あいつ竜魔将って呼ばれてるそうよ」
ぴくりとアリシャが眉を跳ね上げる。
「……蜥蜴と竜じゃ随分と印象が違うな」
「実際、あいつは竜を相棒にしてるって話だしね」
ミリアンの言葉に、アリシャは相槌を打った。
「それは私も聞いたことがある。しかも、ただの竜じゃなく知恵ある古き竜、古竜だっていうじゃないか」
「そのせいか、魔将の中じゃ一番強いなんて言われてるわね」
いうまでもなく、話題に上っている古竜というのはバルトのことだ。未来ではアリシャに完全に押さえられていたが、決してバルトが弱かったわけではなく、むしろ逆でアリシャが強過ぎたのである。
「まあ、本人の強さに加えて、他の魔将並に強い竜がパートナーだと考えれば、その評価も頷けるな」
アリシャもミリアンも、対面すれば相手の強さは大体推し量れる。
立ち居振る舞いやちょっとした仕草で、結構肉体的な強さは見て取れるし、魔法の腕はいくら崩しても魔族語の話し言葉に現れる。発音が綺麗過ぎるのだ。
「もっとも、あなたの潜在能力はそれ以上よ。全部引き出すことができれば、ブランディールには負けない。いいえ。今の魔王だって足元にひれ伏すわ」
持ち上げられたアリシャの頬が赤く染まる。
「それはさすがに言い過ぎじゃないか……?」
「自分の力を過小評価し過ぎなのよ。実際、他人から見れば、それくらいの才能が眠っているということなの。この一週間で、できるだけ多く引き出すわよ」
恥ずかしがるアリシャに、ミリアンは呆れた目を向けた。
「強くなるのは、私自身も望むことだ。異論はない」
「なら、さっそく今日から始めましょ」
驚いたような小さな声が上がった。
アリシャとミリアンが振り向けば、マキリスが慌てて自分の口を押さえている。
どうやら今の声は彼女だったらしい。
「今からですか?」
腹を決めて質問をしたマキリスに、ミリアンは獰猛に笑った。
「当然よ。今は時間が金よりも貴重なのよ。何せ一週間しかないんだからね」
どうやらこれから、アリシャは一週間修行漬けの日々になるらしい。
もっと強くなりたいアリシャとしても、願ったり叶ったりだった。
■ □ ■
正式に後継者選定の儀についての日取りが決まり、後継者候補たちはそれぞれ準備を始めた。
とはいっても、全員が全員鍛錬など己を高める方法を取るとは限らない。
いや、もちろんそれも取っているのではあるが、それだけに注力するのではなく、他人を蹴落とす悪だくみに頭を巡らせるものもいる。
純粋に、己を高めることに心血を注いでいるのは、長女であり魔王の第一子でもあるミアネラだ。
彼女はもっとも後継者に近い者が自分ではないことを知らされても、それでアリシャをどうこうしようなどとは微塵も思わなかった。
ただ、実力でアリシャを上回っていないと魔王に判断されてしまった、己の不甲斐なさを思うだけで。
とはいえ、焦りがないわけではない。
ミアネラが魔王になるためには、アリシャに勝つことが絶対条件だ。
しかし、ミアネラは現段階でアリシャがどのくらい強いのか分からない。
自分とアリシャの間に、どのくらいの差があるのかも分からないのだ。
「……行って、みましょうか」
華美なものを好む弟妹たちとは違い、ミアネラはどちらかというと質実剛健さを好む武人気質だ。
外見はたおやかで気品ある美しい女性だし、ミリアンやアリシャのように魔法なしで近接戦闘に長けているわけではないが、魔法さえあればそれなりの戦いができる。
選定の儀では肉体的な意味でも精神的な意味でも試されるとミアネラは考えていて、まずは自分とアリシャの違いを、戦うことで両面から推し量ろうとしている。
「シャワーを使うわ。準備して」
ミアネラの声に、どこからともなくメイドたちが部屋に入ってくる。
彼女たちは、ミアネラ付きのメイドたちだ。
上級貴族の子女が多いが、中には中級や下級貴族の子女もちらほら混じっている。
己のメイドを、ミアネラは魔法の才能で選別していた。
魔族として、魔族語との親和性が高い、すなわち魔法の才能がある者を手元に置く。
それは権威的なものを強める意味でも、己の守りを固める意味でも有用な選択である。
当然選ばれなかった者、特に下級貴族出身者に取って替えられた上級貴族出身者は不満を抱くが、ミアネラが己の決断を翻すことはない。
そして、実力以外の方法での入れ替わりを、決してミアネラは許さなかった。
足を引っ張ろうとする者は身分に関わらず減給から解雇まで厳しく処分してきたし、実力同士によるぶつかり合い以外の決着を、ミアネラは認めない。
決定に不服ならば実力を示せばいいというのが、ミアネラの考え方である。
そのミアネラにとって、アリシャの印象というのはそれほど悪くなかった。
ミアネラにとって魔王候補に一番近いということは、つまり自分よりも強いということと同義だったし、強さを信条とするミアネラは、それだけでアリシャに対して一定の敬意を抱き、認めた。
「……本当は、切磋琢磨できる関係になれれば一番なのだけれど、現実は難しいわね」
メイドたちが準備をする中、ミアネラはぽつりとつぶやく。
支度が完了し、ミアネラはメイドたちを引き連れシャワーを浴びに浴場へ向かった。
しかし、浴場には先客がいた。
正確には、ちょうど出てきたところだった。
「……あ」
目が合って、小さく声を漏らしたのはどちらだったか。
「そういえば予約が入っていたけど、私の前はあなただったのね」
「はい。鍛錬の汗を流すために、使わせていただきました」
先客の正体は、アリシャだ。
鍛えられた身体を惜しげもなく晒している。
周りでは、マキリス、エオリナ、ピオリー、テンリメイの四名が、甲斐甲斐しくバスタオルで身体を拭いたり、後片付けをしていた。
「堅苦しくしなくていいわ。母親が違うとはいえ、私たちは姉妹なんだから」
そう言われても、アリシャの方はそう簡単に気を抜くことはできない。
同じこの浴場で、過去にエルザナの嫌がらせを受けたこともそうだし、同じことをミアネラにもされるのではないかと危惧したこともある。
だが、他にも原因があった。
「あー、良いお湯だったわ」
がらりと戸を開け、浴場からミリアンが裸で出てきたのだ。
マキリス、エルザナが露骨に焦り始め、ピオリー、テンリメイはあちゃーと頭に手を当てる。
「あなた、確かミリアンって言ったわよね?」
「へ? ええ、そうだけど」
友好的な笑顔でミアネラに話しかけられ、ミリアンはたじろぐ。
「アリシャと比べて、どのくらい強いの?」
質問の意味は分かるが意図が分からないミリアンは、アリシャを見る。
当然アリシャも分かるはずがないので、無言で首を横に振った。
次にミリアンはミアネラのメイドたちに顔を向けた。
「……ミアネラ様は、実力主義な方ですので」
ミアネラの筆頭メイドが澄ました表情で端的に説明する。
「今ならまだ私の方が強いわよ。この子才能オバケだから、この先はどうか分からないけど」
「アリシャより強いの!? 素晴らしいわ!」
「えっ」
何故か物凄く嬉しそうな表情になったミアネラに、ミリアンは若干引いた。
「この後時間はあるかしら! 是非二人と手合わせをしたいわ!」
表情を輝かせて頼み込んだミアネラに、アリシャとミリアンは顔を見合わせ、代表してミリアンが口を開く。
「……私たち、今日の鍛錬を終えて風呂に入ったばかりなんだけど」
「私もこれから入るところよ! 問題ないわ!」
確かに嘘は言っていない。
ミアネラはこれから入浴だ。
「どうしようアリシャ。この人会話が通じてない気がする」
「……えっと、明日はどうですか? 今日はもう遅いですし」
「堅苦しくしなくていいのに」
敬語を崩さないアリシャに、ミアネラは不満そうな顔をする。
あなたの言動に引いているんです、とはいえないアリシャだった。