二十九日目:そこへ至る19
後継者選定の日取り。
その情報をアリシャに伝えたのは、蜥蜴魔将ブランディールだった。
「よう、お姫さま。連絡事項を伝えに来たぜ」
蜥蜴顔の細長い口を笑みの形に歪めるブランディールに、アリシャは渋面を向けた。
「……それは構わないが、そのお姫さまというのは止めてもらえないか。正直背中が痒くなる」
今にも掻きむしりたそうな顔のアリシャに、ブランディールは呵々大笑した。
「はっはっは! 面白いお嬢ちゃんだな! 普通姫君扱いされたら喜ぶもんだぞ!」
一般的な女性ならそうかもしれないが、生憎アリシャは一般的な魔族女性から程遠い。
「それは人によるだろう。私みたいな女が呼ばれても滑稽なだけだ」
「そうかねぇ。案外似合うんじゃないか?」
嫌そうな顔のアリシャを、ブランディールはにやにやと観察している。
(悪意は感じられないが、やりにくい男だ)
ブランディールの態度からアリシャが感じ取れるのは、本当に興味や気楽さ、後はフラットな好意など、概ね良い方面の感情ばかりで、アリシャとしても敵意を維持しにくい。
とはいえ魔王の側近たる魔将である以上、場合によってはアリシャが敵対する可能性は否定できない。
アリシャにとっては、魔王になどなってもなれなくてもどちらでもいいのだ。
というか、余計なことを背負わされる可能性を考えればあまりなりたくない気持ちすらある。
(……それでも)
現状はならなくてもいいなどと、あまり口にできる状況ではない。
既にミアネラ、ジャネイロ、ブロン、エルザナ、クロムの五人とアリシャは対面を果たしている。
そして現魔王直々に後継者に近いと名指しされてしまっているので、今更別に魔王になりたくないとも言い出し辛い状況だ。
それに、アリシャにとってもメリットがないわけでもない。
魔王になるならば、当然アズールへの命令権も手に入る。
そうすれば、アズールに囚われた己の団長とその妻を解放することもできるだろう。
己の恩人にして初恋の男と、アリシャ自身もよく世話になった女だ。
助けられるなら助けたい。
蘇らせることはできないが、眠りを妨げずに再び安息につかせてやるべきだろう。
自我を縛られいいように使役されている今の状況は、あまりにも惨い。
「で、連絡事項って何よ」
アリシャの鍛錬に付き合っていたミリアンが、ブランディールに声をかける。
この場にはミリアンもいるのだ。
激しい組み合いをしていたので、アリシャもミリアンも大きく湯気を噴き出るほど身体を動かしていた。
そんな状態でも、気息を整えゆっくりクールダウンを行っていけば、身体に負荷はそれほど残らない。
これはアリシャもミリアンも同じで、それだけ二人の身体が強靭であることを示している。
もっとも、ミリアンよりもアリシャはまだまだ成長途中な分、身体を労わる必要はあるが。
「ああ、そうだった。あー、そこのメイドたち、ちょい席を用意してくれないか。ついでに何か飲み食いできるようにしてくれ」
ミリアンと組み手をしていたアリシャに付き従うマキリス、エオリナ、ピオリー、テンリメイの四メイドへブランディールが指示を出す。
四人を代表してマキリスがアリシャの意見を窺うように目を向けると、アリシャは頷く。
「では、しばらくお待ちください。ティータイムにいたしましょう」
「おう。場所はここで頼む」
主人の許可を得たマキリスは、同僚三人を伴い準備をしに行った。
「ここって、中庭よ?」
「いいだろ。ガーデンパーティと洒落込もうぜ」
苦笑するミリアンに、ブランディールはニヤニヤ笑う。
ミリアンとブランディールの相性はそれほど悪くはないらしい。
「で、何の鍛錬してたんだ? 魔法か?」
「いや、体術だ」
「……また妙なモンを鍛えるんだな。魔法を鍛えた方が早く強くなれるだろ」
「魔法は当然やってるわよ。でも、この子身体も凄い恵まれてるから、鍛えないのはもったいないわ」
「身体強化魔法で済むことじゃないか?」
「それが使えない状況になったらどうするのよ」
身体強化魔法すら使えない状況ってどんな状況だとブランディールは思ったものの口に出すのは止めた。
ブランディールほどの人間ともなれば、ミリアンの強さを推し量ることも可能だ。
そして目立つならば弱点も察知しやすい。
ミリアンが魔法を使う頻度は少なく、その出来もお粗末だ。
だからこそ、ブランディールには予測がついた。
「ああ、教えられるだけの知識がないのか」
図星を突かれたのか、ミリアンの表情が険しくなる。
そこへ、マキリスたちが白いガーデンテーブルを運んできた。
行われるのは、ティーパーティの準備である。
自然と、ブランディールの話は中断された。
■ □ ■
ブランディールは意外にも茶葉の種類に詳しかった。
一口飲んだだけで産地を言い当ててしまう。
「お。こいつはレトラント地方のだな。美味いぜ」
「……よく分かりましたね」
驚いた様子のマキリスに、ブランディールは若干得意げだ。
「元々茶は嫌いじゃない。それに、魔将なんてものをやってると、魔王陛下の命令で毎日西へ東へ二転三転だ。任務を果たしてそのままとんぼ返りってのもつまらんし、行くたびに茶をしてたら自然と詳しくなっちまったのさ」
「はー、なるほど。案外飲み姿も様になってるわねぇ」
「そうか? ありがとよ」
「そういえば、お前……いや、ブランディールさんは出身地はどこなんだ?」
言いかけてから、一度言葉を切って言い直したアリシャに、ブランディールは思い切り茶を噴き出して咳き込んだ。
「アンタ、大丈夫?」
呆れた様子のミリアンが声をかける。
いきなり茶を噴き出されたアリシャは澄まして茶のカップを傾けている。
「姫さん、さん付けは止めてくれ」
「お前も私の気持ちが少しは分かっただろう?」
どうやらアリシャはわざとブランディールをさん付けで呼んだらしい。
「あー、俺が悪かったよ。だから止めてくれ。むず痒い」
「ではブランディールと呼ぼう。その代わり私のことはアリシャと」
蜥蜴顔を歪ませ、ブランディールは笑った。
「分かったよ嬢ちゃん」
「分かってないじゃないかブランディール君」
笑顔でアリシャとブランディールはガンを飛ばし合う。
「何がしたいのよアンタら」
呆れ顔で、ミリアンはマキリスが用意した茶菓子をつまんだ。
「あ、これ美味し」
「口に合ったようで良かったです」
マキリスの表情が僅かに緩む。
「急に準備させちゃって悪かったわねぇ。大変だったでしょ?」
「いえ、いつでも要求に答えられるよう準備しておくのが、メイドの務めですから」
「で、そこの吸血鬼ちゃんは無言なわけ?」
「……ちゃ、ちゃんは止めてください」
「アンタ何歳よ」
「四十七歳ですけど、それが何か」
「私の半分もないじゃない。私にとっては孫みたいな年齢ね。ちゃんで十分だわ」
「私たちは全員エオリナと似たような年齢だから、私たちも孫みたいなものなのかな?」
うずうずして我慢できなさそうな様子だったピオリーが、会話に加わってくる。
元々が話好きで物怖じしない性格のピオリーだ。
本当は会話に加わりたくてたまらなかったのだろう。
「そうねぇ。特にあんたは小さいし、そんな感じよねぇ」
ぴょこんと飛び出してきたピオリーに、ミリアンは笑って彼女の頭を撫でた。
ピオリーがくすぐったそうに首を竦める。
「こら、ピオリー。その言葉遣いは駄目よ。失礼だわ。……申し訳ございません」
アリシャの筆頭メイドとして他のメイドを監督する責任と権限があるマキリスが、ピオリーに注意をするものの、ミリアンが手をひらひらと振ってそれを止めた。
「構わないわよ。私はアリシャの姉貴分ってだけであんたたちの主人なわけじゃないし」
「ご厚意に……甘えさせて……いただきます……」
ふわーっとやってきたテンリメイが、空になった皿を下げて新たな茶菓子を置いてまたふわーっと去っていった。
「……あの子はあの子で、独特な子ね」
「テンリメイが言うには、幽鬼ってああいう不思議な子が多いそうです。その時は自分でいうのかとちょっと呆れましたけど。でも、良い子ですよ」
「……褒めないで……恥ずかしい」
マキリスと並んで定位置に戻ったテンリメイが、ぽっと頬を染める。
(ああ、うん。不思議ちゃんだわ)
苦笑したミリアンは改めてメイドたちを見回す。
和鬼マキリス。
吸血鬼エオリナ。
小鬼ピオリー。
幽鬼テンリメイ。
どれもマイナーな少数種族で、一番メジャーなのがエオリナの種族である吸血鬼だ。
エオリナは本来ならエルザナのメイドになっていてもおかしくないくらい家格の高い貴族だったが、吸血鬼だという事実が足を引っ張り左遷と相成った。
別にアリシャも魔王の娘ということには変わりないのだから正確にいえば左遷ではないのだろうが、周囲や当人の認識は左遷も同然だったろう。
「あ、あいつら俺たちを差し置いて茶菓子のおかわりなんてしてやがる。いくぞアリシャ。──おい、俺も混ぜろ!」
「お前は何がしたかったんだ!」
さんざん呼び方でアリシャをからかった末にあっさり呼び捨てにして走っていったブランディールを、アリシャはどっと徒労感を抱えて追いかける。
「おー、お疲れ。名前の論議は決着着いた?」
二人を座ったまま出迎えるミリアンに、ブランディールは答えながら席に着く。
「おう、着いた着いた。ていうか俺にもくれ。それ新しくメイドが運んできた奴だろ」
「……何か釈然としないんだが」
今更話題を蒸し返す気にもならず、同じように席に着くアリシャだったが、何ともいえない表情をしている。
「お茶をどうぞ」
「ああ、すまない。ありがとう」
マキリスがアリシャのカップに茶を注いでいく。
琥珀色に満たされたカップから、良い香りが立ち上った。