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美咲の剣  作者: きりん
六章 守るべきもの
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二十九日目:そこへ至る18

 浴場を飛び出したエルザナを、エルザナのメイドたちが見つけて驚いた顔で駆け寄ってきた。


「エルザナ様! どうなさったのですか!?」


「どうもこうもありませんわ! どうしてアリシャを通しましたの! しかも野蛮人やアリシャのメイドたちまで!」


 ヒステリックに叫ぶエルザナから、びりびりと魔力の波動が漏れる。

 こう見えてもエルザナとて魔王の娘だ。魔族語との親和性は極めて高く、こうして感情が高ぶって声が荒ぶると、魔族語に反応した魔力が励起されるのだ。

 本来ならそれは己の力をコントロールができていないということであり、修正されるべき欠点であるが、エルザナはむしろそれが己の強大な魔力と魔王の適正を示す証と考えて疑わなかった。

 実際、この現象は目に見える力と威圧感を与える現象として、とても分かりやすい。

 とばっちりを恐れたメイドたちはほとんどが口を噤み、エルザナの筆頭メイドが仕方なく口を開く。


「お止めしたのですが、妹様方が無理やり押し入られまして……」


「それを止めるのがあなたたちの役目でしょう!」


 続けてこの役立たず、と怒鳴ろうとして、そこでようやくエルザナは己の頭に血が上っていることを自覚した。

 気付けば、筆頭メイドを初めとしてメイドたちは皆エルザナの怒りを恐れるかのように跪いている。

 誰も、エルザナと目を合わせようともしない。

 思えば浴場ではアリシャも、認めたくはないがミリアンも、しっかりとエルザナに視線を合わせていた。


「……顔をお上げなさい。声を荒げて悪かったわね」


 弾かれたように、筆頭メイドが顔を上げた。

 その表情を見て、エルザナは苦笑する。


「わたくしの筆頭メイドがびくびくしているんじゃありません。別にそこまで怒っていませんわよ」


 嘘だった。

 先ほど浴場で経験させられた屈辱を思えば、エルザナは今でも腸が煮えくり返りそうになる。

 しかしそれをメイドに当たり散らさない程度の分別は備えていた。

 それに、筆頭メイドの彼女とて、貴族としての位はかなり高く、エルザナにとっては幼馴染であり、子ども時代から学友として過ごしたもっとも付き合いの長い親友なのだ。

 ……もっとも、その関係は対等ではなく、常にエルザナが上で彼女が下という身分差の壁が高くそびえていたのだが。

 だからこそ、エルザナにはアリシャとミリアンの関係が少し羨ましく思えた。

 浴場の出来事を冷静になって思い返せば、二人の関係がエルザナにも見えてくる。

 身分の壁を超えた強い絆で、アリシャとミリアンは繋がれている。

 間違いなく、傭兵として働いていた時に築いたものだろう。

 その関係は、アリシャが魔王の娘として認知されても失われなかった。

 ミリアンが身分を恐れずぐいぐいとそのまま突き進んだからだ。

 エルザナの周りに、そんな度胸のある人間は、一人もいなかった。

 ちなみに、エルザナに浴場での件が自分の自業自得だという自覚は薄い。

 確かにエルザナ自身が本来の順番を破ったのは事実だが、それ以上にアリシャは王族専用の浴場に王族以外を連れ込むというとんでもないことをしている。

 己の行動のうしろめたさが吹っ飛んでしまうほど、その行為はエルザナの常識と照らし合わせてあり得ないことだった。

 そしてエルザナの常識は、少々身分差に拘り過ぎている感はあるにせよ、概ね魔族全体の常識とそうかけ離れてはいない。


「今回の作戦は失敗でしたが、わたくしまだまだ諦めませんわよ」


 不穏な発言をする主に筆頭メイドはぎょっとした顔をして、一瞬エルザナに顔を向けた。

 案外エルザナの筆頭メイドを務める彼女は、リアクションが濃い。

 こう見えても対外的には仕事を完璧にこなす敏腕メイドなのだが、付き合いの長いエルザナは知っている。

 彼女の素はこんなものだ。


「あの、エルザナ様? まだ何かお考えなのですか?」


「ええ。というかそもそも、あんな暇つぶしの嫌がらせが私の目的だったなんて思われては困りますわ。……何です、その顔は?」


 思わずきょとんとした顔をしてしまった筆頭メイドに、エルザナは胡乱な目を向ける。


「いえ、何でもありません」


 ふるふると首を横に振る筆頭メイドだったが、泳いだ目が全てを物語っていた。


「あなた! わたくしを何だと思っていますの!?」


 がみがみと筆頭メイドに小言を言い始めるエルザナに平伏しながら、他のメイドたちは己に飛び火しなかったことに、心から胸を撫で下ろしていた。


「おや、エルザナ様ではありませんか」


 しわがれた声が聞こえて、エルザナの表情が一気に仏頂面になる。

 小言を言われていた筆頭メイドがすぐにエルザナを庇うように前に出た。

 少し遅れて、他のメイドたちも筆頭メイドに倣う。

 すぐに、エルザナの前にメイドたちの壁が出来上がった。

 何だかんだ忠誠心は篤いようだ。


「……何の用ですの」


 ちらりと顔を向けたエルザナは、思い切り表情をしかめた。見たくないものを視界に入れてしまったことを、後悔しているような顔だ。

 仏頂面のまま、エルザナは尋ねる。

 エルザナに話しかけた者。

 それは、干からびた死体がそのまま歩いているような様相をした魔王の腹心の一人、死霊魔将アズールだった。



■ □ ■



 死霊魔将アズールは、この時代でも未来に美咲が相対した時と同じように、底知れない気配を放っていた。

 過去と現在で、実力が全く変わっていない。

 それは成長していないというよりも、過去の時点でとても高いレベルにあるということを指している。

 これはまだ存命で蜥蜴魔将として同格の地位にあるブランディールもそうだし、まだ魔将にはなっていないが、ミリアンも同じだ。

 ただ、ミリアンは他の二人とは違って、まだ伸び代がある。

 だから、過去のミリアンは未来のミリアンに比べれば、僅かに弱い。

 完全にもしもの話になってしまうが、過去のミリアンと未来のミリアンが戦えば、僅差で未来のミリアンが勝つだろう。

 もっとも僅差という表現で分かる通り、差は僅かで勝負の時と運で覆ってしまうかもしれないが。

 ちなみに最後の一人、馬身魔将も実力的には変わっていないはずなのだが、美咲が出会う前にベルアニア第二王子エルディリヒトに殺されるので、美咲が彼の実力を知ることはない。


「特に用というわけではないのですが、姿を見かけましたのでな。どうです、この爺と世間話でもしませんか」


「お断りしますわ」


 好々爺然としたアズールの誘いを、エルザナは一刀両断に却下した。

 何しろ陰謀、謀略といった類が死ぬほど似合いそうな相手である。アンデッドなので既に死んでいるが。

 態度が気さくだろうが何だろうが、既にその時点で何か腹に一物抱えているように、エルザナには思えてならない。

 エルザナ自身に特に策略の類に苦手意識があるわけではなかったが、だからといって油断して安易に懐に入れていい相手ではない。

 もっとも、もし魔王になるのならば、このアズールも自分の直属として扱わなければならないのだが、エルザナにその自覚は薄かった。

 というか、自分が魔王になった暁には、アズールを失脚させるつもりだった。

 魔王の娘として生まれつき魔族語との高い親和性を持って生まれたエルザナは、自分の実力に対する強い自負心があった。

 後継者候補である自分が、魔将とはいえ人間上がりの老人に負けるなどとは思ってもいない。

 驕りといえばそれまでだが、地位と権力、そしてそれらに見合う実力を兼ね備えているのなら、ある意味驕るのは当然だ。

 それに客観的にいうのなら、魔将たちと後継者候補たちの実力差は、圧倒的というわけではない。

 当然戦闘経験の差から戦うなら魔将が勝つことは間違いないが、才能だけでいえば決して後継者候補たちとて劣っているわけではないのだ。

 むしろ、才能でいえば勝っているといえるだろう。

 ただその才能も、戦場に出て磨かなければ開花することはないだろうが。

 いくら訓練を積んでいたところで、実戦経験の有無は大きく差に繋がる。


「まあ、そう言わずに。新しく入った妹君についての話など、どうですかな?」


「喧嘩を売っていますの?」


 その妹に喧嘩を売りに行って見事に返り討ちにあった直後なだけに、能天気な死霊魔将の態度はエルザナの癇に障った。


「めっそうもございません」


 綺麗に一礼して謝罪の意を示したアズールは、そのしゃれこうべのような顔に笑みを刻む。


「しかし、浴場から出てきたところを見れば、妹君と鉢合わせでもしたのでしょう? 今の時間は、妹君が浴場を使っているはずですからな」


 アズールの言葉に、エルザナは浴場で味わった屈辱を思い出さずにはいられなかった。

 嫌がらせをしにきたのはエルザナの方だったはずなのに、気付けば逆にやり込められ、逃げるように浴場を飛び出した自分。

 あまりの腹立たしさに、エルザナはアズールに向けて怒りをぶちまける。


「そうですわ! あの浴場は王族以外禁制の湯。ですのにあの子は、脳まで筋肉でできていそうな牛女や、メイドたちまで入れてましたのよ!」


 本人は否定するかもしれないが、エルザナはアリシャ自体は自分の異母妹としてある程度認めている。

 確かに姿形は淑女とは程遠い。しかし、魔族語との親和性は自分と同格だとエルザナは睨んでいる。

 エルザナも実力を高めるために多少の努力はしてきたから、アリシャも自分と同等、あるいはそれ以上の努力を積み重ねてきたのだろうと予測を立てることもできた。

 とはいえ無意識的に、エルザナはアリシャの才能が自分を上回っている可能性自体を、あり得ないこととして切り捨ててしまっているが。

 高過ぎるプライドの弊害である。


「なるほどなるほど。それはエルザナ様が憤慨されるのも当然ですな」


 相槌を打つアズールに、エルザナは勢い込む。


「そうでしょう!?」


「それで、禁を侵した者たちにはきちんと処罰を与えましたかな?」


 しかし、エルザナの勢いは、アズールの笑みを含んだ問いにたちまち萎んだ。


「おや、何もしておられないと。然るべき時に然るべき罰を与えるのも、上位者の務めですぞ」


「わ、分かっておりますわよ! わたくしはこれで失礼させていただきますわ!」


 話を強引に終わらせて立ち去ろうとするエルザナに、アズールは佇んだまま声をかける。


「ああ、そうそう、後継者選定の日取りが決まりましたぞ。一週間後です」


 驚いたエルザナが振り返った時には、アズールはもうその場にいなかった。


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