二十九日目:そこへ至る17
そのままスタスタと浴場に歩いていくアリシャを追って、最初に動き出したのはミリアンだった。
「アリシャ、私も一緒に入っていい?」
「もちろんだよ、ミリアン姉さん」
脱衣所に入って当たり前のように服を脱ぎだす二人の態度は、メイドたちから見れば不作法極まりなく、一瞬反応が遅れた。
「な、何をしているのですか! エルザナ様が使用中だと申し上げたはずです!」
慌ててエルザナのメイドたちが止めようとするが、仮にも傭兵として今まで生きてきて、力と技、魔法を磨いたアリシャを止めることはできない。
「それは聞いた。でも本来は私たちが使う時間なんだ。それを我儘で使ってるんだから、こっちが遠慮する理由はないよ。私たちは別に一緒でも構わないし」
「こ、こちらは構います! エルザナ様は高貴なお方なのですよ! あなた方野蛮人と一緒にしないでください!」
「知るか。先にルールを破ったのはそっちだろ」
アリシャの声は素っ気ない。
だが、わずかにエルザナと彼女のメイドたちに対する苛立ちの感情が僅かに含まれているのを、ミリアンは敏感に察した。
「ねえ、どうせだからマキリスたちも一緒に入らせようよ」
手早く脱いだ服を脱衣所の籠に突っ込みながら、ミリアンが思いつきをアリシャにぶっこんだ。
「それは名案だね。姉さん、連れてきてくれる?」
薄く笑みを浮かべたアリシャが即座に了承した。
「了解。任せといて」
にやぁっと笑ったミリアンは、唖然としたままのエルザナのメイドたちを放置し、同じく唖然としているマキリス、エオリナ、ピオリー、テンリメイ四人の首根っこを両手でむんずと掴んだ。
片手につき二人。親指と人差し指で一人、薬指と小指でもう一。
凄まじい怪力である。
「え?」
「は?」
「わっ?」
「お?」
信じられないといった表情のマキリスと、あり得ないといった様子で愕然とするエオリナに対し、ピオリーは面白がりテンリメイは興味深げな顔をした。
ピオリーとテンリメイは二人とも最終的に状況を楽しむことにしたようで、表情を輝かせている。
この辺りの反応の違いにも、四人の性格の差が窺える。
「連れてきたわよー」
「ありがとう、ミリアン姉さん」
「お安い御用よ」
パシッと軽快な音を立てて手を叩き合うアリシャとミリアンを、戸惑いながらもマキリスは諫めようとした。
「あの、お考え直しください。メイドと一緒に入浴するなど、高貴なお方のすることではありません」
今もなおアリシャを姫として扱おうとするマキリスに、アリシャは苦笑する。
ドレス姿ならいざ知らず、裸になったアリシャの肉体はミリアンほどではないにせよ硬く分厚い筋肉の鎧で覆われ、その姿は明らかに戦う荒くれ者としてのそれだ。
「こちとら傭兵だよ。生まれがどうだろうと、高貴さなんてものには最初から縁がない。それでも連れてこられたからにはそれなりに振舞おうと思ったけど、それで甘く見られるなら話は別だ」
それ以上に凄まじい体躯を誇っているのがミリアンである。
元々の巨躯に見合う鋼の肉体を備えたミリアンに比べれば、アリシャの身体などまだまだ淑女の範疇でしかない。
何しろ裸になっても目に見える脂肪が見つからないのだ。
唯一の例外は胸だが、そこも大胸筋の上に乳房が乗っている状態で、触ると大胸筋の存在が感じ取れる。
「傭兵はね、甘く見られるのが大っ嫌いなの。そうでないと足元を見られるし、金も出し渋られる。挙句の果てに危険な役目を負わされて尻尾切りよ。冗談じゃないわ」
マキリス、エオリナ、ピオリー、テンリメイの四人を脱衣所の床に放ったミリアンは、にやぁっと人の悪い笑顔を浮かべると、四人に命じた。
「というわけだから、脱げ」
顔色を蒼白にして表情を引きつらせるマキリスと、羞恥心か怒りか顔を真っ赤にするエオリナに対し、ピオリーとテンリメイは顔を見合わせると、諦めたようにふっと笑い合い、やれやれといった様子で大人しく服を脱ぎ始めた。
「む、無理です!」
「そ、そんなことできません!」
拒否するマキリスとテンリメイを、ピオリーとテンリメイは服を脱ぎながら諭す。
「いいじゃん。面白そう。私、こういう破天荒なの嫌いじゃないよ」
「怒られたら、命令されて断れなかったことにすればいい」
なおも拒むマキリスとエオリナに、アリシャが業を煮やした。
「まどろっこしい。ミリアン姉さん、悪いけど脱がせて」
「よっしゃ分かった」
「や、やめてください!」
「お、押さえてるのに服が、服がー!」
マキリスとエオリナから服を引っぺがしたミリアンは、再びむんずと二人の首根っこを掴む。
「それじゃあ、行くか」
「メイドとして働いて長いけど、こういうのはさすがに初めてですよ」
「新鮮。ドキドキする」
「そーでしょそーでしょ。まあ、何かあったら私とアリシャが庇ってあげるから心配しないで」
なおもじたばたするマキリスとエオリナを連れ、アリシャ、ミリアン、ピオリー、テンリメイはエルザナがいる浴場に入った。
エルザナのメイドたちが我に返ったのは、その直後である。
もう遅い。
■ □ ■
エルザナは混乱していた。
自分たちのメイドたちに見張らせ、嫌がらせにわざと時間が被るように入浴を決めたのに、何故かアリシャとミリアンが自分たちのメイドを引きずって乱入してきた。
アリシャのメイドである。エルザナのメイドではない。
(わたくしのメイドたちは何をやっているの……!?)
湯の中に深く身を沈めて肌を隠しながら、エルザナは心の中で己のメイドたちに悪態をつく。
はっきり言って自業自得以外の何物でもないのだが、エルザナにその自覚はないしあったとしても反省する気もない。
それほど、エルザナのプライドは高いのだ。ブロンとためを張るレベルである。
「今はわたくしが使用しているのよ! 出ていきなさい、無礼者!」
「無礼者はどちらだ。私が使うはずだった時間に割り込んできたのはそっちだろ」
エルザナに返ってきたのは、アリシャのぶっきらぼうな一言。
「あ、姉に向かって何て口を利くの! この恩知らず!」
「はて、恩とは何を指すのかな。私には全く身に覚えはないが」
「あなたが魔王城に住まうのを認めてあげたでしょう!」
「初耳だな。あなたには魔王陛下の決定に逆らう権力があるのか」
アリシャの皮肉に、エルザナはうっと言葉に詰まった。
当然だが、そんな権力はさすがにあるわけがない。
「い、妹として姉の命令には従うべきです!」
苦し紛れの反論も、アリシャを苦笑させるだけだ。
「妹といっても、顔を合わせたのはつい先日が初めてだしな。それで姉面されてはかなわんよ」
ミリアンが親指でビシッと自分自身を指差す。
「それに、もう姉貴分はここに頼れるのがいるからねぇ」
ドヤ顔である。
「自分で言うことですか、全く……」
呆れ顔でマキリスが深くため息をついた。
浴場の隅で、目立たないように縮こまっている。
「同感です。あの方は破天荒過ぎます……」
同じく目立たないようにマキリスと身を寄せ合いながら、エオリナはため息をついた。
「まあまあ」
「ここ、本来なら私たちメイドは入れないお風呂。楽しもう」
ピオリーとテンリメイは開き直ったか、もはや堂々と振舞い、身体を洗い始めている。
それでも隅の洗い場を使っている辺り、言葉とは裏腹に少しビビっているようだ。
「そ、そういえばここって王族専用の……さすがにまずいのでは」
マキリスが焦った声を上げる。
「う、打ち首……!」
ひぅっと、エオリナが悲鳴を上げかけて堪えたような中途半端な声を上げる。
「さすがにそれはないっしょ」
「大丈夫。二人とも気にしてない」
ぶんぶんと手を横に振るピオリーとテンリメイに、エルザナから声が上がった。
「私は気にしていますわよ!」
ピオリーとテンリメイが首を竦める。
どうやら聞こえていたらしい。
「自分から入ってきておいて、他人のメイドに文句言ってるんじゃないわよ」
横から口出しするミリアンに、エルザナの眦が釣り上がる。
「あなたもです! ここは王族専用ですわよ!」
「そんなの私に関係ないしぃー」
ヘラヘラと笑うミリアンの態度は、まるでエルザナを挑発し馬鹿にしているようだ。
いや、ようだではなく、実際に馬鹿にしている。
「ふ、不敬罪でしょっ引きますわよ!?」
伝家の宝刀を抜いたエルザナだったが、ミリアンをそれで黙らせることはできない。
「これでしょっ引かれるなら私は魔王城に足を踏み込む前にしょっ引かれてるわね」
うんうんと深く頷くアリシャに、思わずエルザナは突っ込まずにはいられない。
「あなた一体ここに来る前に何をやらかしましたの!?」
答えず、ミリアンはエルザナに近付き脇の下に手を入れ乳房をむんずと掴む。
「ていうかアンタ、ほっそいわねぇ。ちゃんと食べてるの?」
「お、大きなお世話ですわ! 乙女には減量が必要なのです!」
ムニムニと乳房を揉まれたエルザナは悲鳴を上げた。
「乙女……? そんなマドモアゼルみたいな見た目で?」
「実年齢と外見は無関係です! 魔族なら当たり前でしょう!」
ミリアンの言動はもはやセクハラをする親父である。
くすくすとアリシャが軽やかに笑い声を上げた。
「あなたもそんな反応をするんだな」
醜態を晒していたことに気付いたエルザナの顔色が真っ赤になった。
「あ、逃げた」
浴槽から上がり、早足で立ち去ろうとしたエルザナは、途中ですっころんで頭をぶつけた。
無言で蹲って頭を押さえている。
「く、屈辱ですわ……」
「どうみても自爆よね、今の」
「ああ、自爆だな」
思わずミリアンとアリシャも素に戻って顔を見合わせた。