二十九日目:そこへ至る15
夜。
魔王の子どもたちのうち、ブロンとエルザナの二人がワインを手に歓談をしていた。
「まったく、父上にも困ったものだ。外で子どもを作るばかりか、それを王位継承争いにまで持ち込んでくるとは」
なみなみとワインが入ったワイングラスを優雅に傾け、匂いを楽しみながらブロンが嘆息する。
「オレたちと同列に扱わなければならないなんて、メイドたちが気の毒だ。彼女たちも、誇り高い魔族の子女だからな」
魔王の子どもであり、顔立ちも端正であるブロンは、家柄も本人の容姿にも優れメイドたちにとても人気があった。
アリシャやミリアンに言わせれば鼻につくプライドの高さも、メイドたちからすれば振るう権力の大きさと自信の表れだということを示し、とても魅力的に映るのだ。
外から来たアリシャとミリアンからすると「どうかしている」としか思えないが、閉鎖された環境で育てばこうなるのは仕方ない。
「お兄様のメイドたちは家柄が良い子たちばかりですものね。たった四人だけとはいえ、お父様はあの女にもメイドをつけるなんて何を考えているのでしょう」
ぼやいたエルザナはあくまで優雅さを崩さずに、ワインを飲んだ。
白い首筋が艶めかしく動き、赤い液体が胃に流し込まれる。
「そればかりか、あの女の連れまで大きな顔で魔王城を歩き回っているそうじゃないか。まったくもって度し難い」
ブロンが口にする不満の対象は、もちろんミリアンのことだ。
ミリアンは魔王城でも普段の態度を崩さず、権力など知るかとばかりにいつも通り振舞っている。
元々権力で押さえつけられるのを好まない性格に加え、我を押し通すに足る実力を有していることから、ミリアンに苦言を呈する者はいても実力行使で改めさせようとする者は出ない。
当然気位が高い貴族出身のメイドなどからは蛇蝎のごとく嫌われているが、そうでない下働きの女中や下男などからは案外慕われている。
それはミリアン本人が気さくで親しみやすい性格であり、頼み事なども気軽に引き受けてくれる人の好さを見せているからだ。
当然引き受けるのはミリアン自身にできることだけだが、なまじ身体能力特化ハイスペック魔族であるが故に、その身体能力を使えば大抵の雑事は片付けてしまえる。
特に下働きの女中や下男の仕事など肉体労働がほとんどなので、それを気前よく手伝ってくれるミリアンが、慕われないわけがないのだ。
しかしそんなからくりは、当然ブロンとエルザナには理解されない。
「何かの間違いであの女が本当に魔王になるようなことになれば、魔族の恥ですわ。何なんですのあの姿は。魔族らしさの欠片もない。人間そのものにしか見えませんわ」
エルザナの口はつらつらと不満を述べるのを止めず、話題はミリアンから再びアリシャ自身へと戻る。
やはりというべきか、アリシャの容姿にもエルザナはケチをつけた。
どこからどう見ても人間にしか見えないアリシャは、魔族の中では酷く異質だ。
ブロンとエルザナも人型で、ある程度人間に近い姿だが、それでもしっかりと魔族の特徴を魔王と母である妃から引き継いでいる。
「きっと母親が下賤な血を引く魔族だったのさ。魔王の血脈が、そんな穢れた血筋と混じり合ってしまったなど、恥意外の何物でもない」
意味ありげにブロンは笑う。
どうやらブロンは事態を動かす方法について、考えがあるようだ。
興味を抱いたエルザナが微笑み返して続きを促す。
「というと?」
もったいぶった態度を取るブロンは、答える前に空になった己のグラスにワインを注ぎ直した。
エルザナも飲み終わるのを待ち、彼女のグラスにもワインを注ぎ直す。
「女一人、不幸な事故で消えても何の不思議もない。そうだろ?」
「あら、それはいい考えですわね」
ブロンとエルザナは、何も知らないアリシャとミリアンを嘲笑いながら、ワインを楽しむ。
「……なるほどねぇ」
部屋の外では、二人を訪ねにきたジャネイロが偶然ブロンとエルザナの話を立ち聞きしていた。
この話を魔王に話せば、二人は次期魔王の座から大きく遠ざかることになるだろう。
何よりも力を重視する魔王は、このような謀略、絡め手の類を好まない。
とはいえ、ジャネイロに告げ口する気はなかった。
「まあ、僕は何も聞かなかった。そういうことで良さそうだね」
二人の企みが成功して、降って沸いた義妹が消えるのなら良し。そうでなくとも、弟と妹が継承争いから脱落するのなら悪くない。
ジャネイロは立ち聞きした悪だくみについて、見て見ぬ振りを決め込むことにした。
そして。
「……皆、変な気を起こさなければいいけれど」
一人、何も知らないミネイラが不安げな表情で気を揉んでいた。
もちろんミネイラとて何も思わないわけではないが、感情のままに動くのは良い結果をもたらさないと判断し、彼女は何もしないことを決めた。
だが、弟妹たちがどう動くかは分からない。
「クロムはともかく、問題は他の三人ね……」
静かに、魔王城の夜は更けていく。
■ □ ■
朝起きて、アリシャがまずすることといえばミリアンとの組手だ。
寝起きで反応が鈍い身体に活を入れ、ミリアンの攻撃を捌く。
早朝という時間帯でも普段通りギアを上げていくミリアンに対し、アリシャの反応は鈍い。
何とかミリアンの攻撃についていっているものの、その表情に余裕は見られない。
「ほらほら、足元がお留守よ!」
顔から胸にかけて散々狙われてからの、虚をつく足払いでアリシャは大きく体勢を崩す。
咄嗟に手をついて無様に転ぶのだけは避けたが、そのままミリアンに服の袖を掴まれた。
ミリアンの筋肉が盛り上がり、はちきれんばかりに膨張する。
アリシャの身体が地面から離れ、大きく浮いた。
「こら、放せ!」
ようやくミリアンの意図に気付いたアリシャは暴れるが、まだまだ身体の使い方が未熟なアリシャでは、振り解くことはかなわない。
「放して欲しいなら力ずくでやってみな!」
「え、ちょっと待って、腕、腕極まってるんだけど!」
「極めてるのよ!」
無慈悲な宣言とともに、アリシャはミリアンによって腕を極めながら投げられた。
確実に腕が折れたような異音と痛みが腕に走り、続いて身体が地面に叩きつけられた痛みと衝撃で、アリシャは身体をくの字に折り曲げて咳き込む。
「……姉さん、骨、折れた」
「大丈夫。見た目繋がってりゃいけるいける」
「どこが大丈夫なの!?」
思わず女らしい素を覗かせながら、アリシャはミリアンに抗議をする。
「それに、魔法で治せばいいでしょ」
「そうなんだけど……釈然としない」
あっけらかんとした態度のミリアンに、アリシャは不機嫌になりながら折れた腕を魔法で癒した。
そして再びぶつかる、アリシャとミリアン。
激突とも言っていい速度で組み合った二人は、そこから力比べだとばかりに力み合い、両腕に力を篭める。
すぐにミリアンが踏みしめる床が足を中心に陥没し、続いてアリシャが踏みしめる部分の床が同じように陥没する。
最初の数秒こそ拮抗しているように見えた二人の力比べは、すぐにミリアンがアリシャを押し始めた。
現時点でもアリシャは女性にしては恵まれた体格をしているが、それでもミリアンほどではないし、未来のアリシャ自身と比べても劣っている。
アリシャは自分が押し切られることを予感し、すぐに力を抜いてミリアンのバランスを崩させることを試みたが、ミリアンからかかってくる力が、絶妙なタイミングで弱まったことを感じり愕然とする。
「こんなことまで予測済みなの!?」
「力比べで負けた奴のすることなんて大抵皆同じなのよ!」
逆にそのまま引っ張られたアリシャは、咄嗟に力を込めて抵抗するも、上体が流れて隙を晒してしまう。
アリシャの顎目掛けて、ミリアンの丸太のような膝が迫ってくる。
同時に横目に反対側のこめかみ目掛けて肘打ちが繰り出されるのを見た。
両方くらえば、首が一回転してしまうんじゃないかと思わせる同時攻撃である。
顎への攻撃は脳を揺らされる危険性があるし、こめかみへの攻撃は問答無用で意識を刈り取られかねない。
こういう避けられない同時攻撃に対処する場合は、より深刻な被害を受けそうな方からガードするべきだが、どちらも受けたくない場合はどうすればいいのか。
「コォインロユゥオカァウコユアゥケェ!」
答えは、身体能力を強化した上でどちらもガードする、だ。
魔法を使わなければ両方ガードしたところで、筋力差からその両方を撃ち抜かれかねないが、魔法で不足分の筋力を補えば問題ない。
がっちりと膝と肘を受け取めたアリシャに、ミリアンが目を丸くした。
「おお、やるじゃない!」
「私だって、いつもいつも姉さんに好きばかり」
「でも、あと一歩かな?」
「ふぎゃ!」
アリシャの啖呵は最後まで言わせてもらえず、ミリアンが繰り出した頭突きによって強制的に中断させられた。
ミリアンは人型の牛のような形態の魔族で、頭に角を生やしている。
角の部分を突き立てられなかっただけ温情だろう。
頭突きを喰らったことで眼前で火花が散ったような錯覚を覚えたアリシャは一瞬前後不覚に陥り、ミリアンの行動を見逃してしまう。
(まずいまずいまずい!)
焦燥感が頭を満たし、本能は覚醒を促すが、それまでの時間がアリシャには絶望的なまでに長く感じる。
案の定、アリシャが立ち直った時には既にミリアンの拳がアリシャの眼前に迫っていた。
それでも諦めず、アリシャは顔を左右に振ることで直撃だけは避けようとする。
その結果、鼻っ柱を叩き折られることこそ避けられたものの、ミリアンの拳はアリシャの左頬に叩き込まれることとなった。
殴られた反動で大きく弧を描いて飛んだアリシャが、べちゃっと床に落下した。
それきりアリシャは動かない。ミリアンの完全勝利である。
「いよっし! 今回も私の勝ち!」
はらはらと様子を見守っていたマキリス、エオリナ、ピオリー、テンリメイの四人にミリアンがブイサインをする。
当然彼女たちからはブーイングが飛んだ。