九日目:生き延びた二人2
宿屋を出た美咲は、ラーダンとは全然違う雰囲気に驚かされる。
「何か凄く、物々しい雰囲気のような気が……」
「最前線に一番近い街だからね。要塞化されてるし、仕方ないわ」
話す間も、美咲とルフィミアは兵士らしき格好の集団とすれ違う。
(傭兵登録っていうのが済んだら、ルアンのお兄さんを探そう。忘れないようにしなきゃ……)
今後の予定を反芻した美咲は、心のメモ帳にしっかりとメモを残した。
「着いたわ。ここが傭兵登録所よ」
足を止めたルフィミアが、建物の看板を指差した。
当然だが、美咲には読めない。
看板にはベルアニア文字の他に、剣を持った兵士らしき人物が二人、剣をぶつけ合っている絵が簡略化されて描かれている。
なので美咲は文字ではなく、絵を見てその建物が傭兵登録所なのだと判断した。
ルフィミアに続いて美咲が中に入ると、ラーダンの冒険者ギルドとは正反対の光景が広がる。
板張りの床や壁が塗装されずにむき出しになっているし、独特な汗の臭いが篭もった臭気や土ぼこりの臭いが漂っていて、それなりの広さはあるものの開放感を感じさせない。
受け付けの人間も男性で、人相が悪く凶悪な面構えでまるで堅気に見えなかった。
(何か、凄く場違いな場所に来た気がする……)
美咲は狼の群れの中に迷い込んだ子羊になったような気持ちになった。
男性は美咲とルフィミアの姿を見ると、訝しげな視線を美咲とルフィミアの間で交互に移動させた。
特にじっくりと見られている気がした美咲が、居心地悪そうに身じろぎする。
「何だ。ここは嬢ちゃんたちみたいな人間が来る場所じゃないぜ。さっさとお家に帰ってミルクでも飲んでな」
いきなり出し抜けにこんなことを言われれば、まともな感性の持ち主なら腹を立てるだろう。
もちろん美咲もそうだが、美咲はそれよりも隣にいるルフィミアの反応を窺った。
それほど付き合いが長いわけではないが、死線をともに潜り抜けたことで信頼の感情は育まれているし、お互いの性格についてもある程度把握している。
(あ、すごい良い笑顔……)
当のルフィミアはというと、眉間に皺を寄せ目を細めて薄く笑みを浮かべている。
明らかに「喧嘩売ってんの?」とでも言いたげな表情だったので、美咲は思わず後退りそうになった。
「傭兵登録よ。魔術師と剣士で登録して頂戴。コンビ組んでるから、同じ部隊に配属されるようにしてね」
にっこりと朗らかに笑ったルフィミアはカウンターに肘を着いて受け付けの男性をねめあげる。
その視線を真正面から受け止めた男性は、面白くなさそうに鼻を鳴らすと、背後の棚から銅版を二つ持ってきてカウンターに置いた。
「あんたらの名前は?」
「私はルフィミア・リータ・ラ・デア・エルスター」
「……エルスターだと? 他国を根城にしているはずの紅蓮の斧が、どうしてこんなところで傭兵なんてしてやがる」
訝しげな表情の男性がルフィミアに詰問する。
ルフィミアは肩を竦めた。
「ギルドから指名で依頼があったのよ。そのためにわざわざベルアニアくんだりまで来たっていうのに、パーティが壊滅して酷い目にあったわ。生き残ったのは私だけ。笑えるでしょ?」
「……あのパーティが壊滅するたぁ、世も末だな。お前も引退して隠居した方がいいんじゃないか」
「戦争が終わった後、生き残ってたらそうするわ」
「ハッ、せいぜい死なねぇようにしろよ」
男と軽口を叩きあったルフィミアは、振り向いて美咲に尋ねる。
「美咲ちゃんのフルネームって何だったかしら?」
「えっと、藤原美咲です」
翻訳されない固有名詞である美咲の本名は、どうやら聞き慣れない発音だったらしく、ルフィミアは困った顔でもう一度尋ねてきた。
「フ……? ごめんなさい、もう一回言ってくれる?」
「藤原、美咲です」
美咲が単語を区切るようにはっきりした発音を意識して自分の名前を伝えると、ルフィミアは何故かオロオロし始めた。
「えーと、どっちが名前? もしかして、私ずっと家名の方を呼んでたのかしら?」
どうやら、ルフィミアは自分の常識に照らし合わせて、自分がとんでもない勘違いをしていたのではないかと思ったようだ。
「いえ、私の国では名前を最後に表記するのが普通だったので、美咲が名前で合ってます」
全然そんなことはないので、美咲は慌てて首を横に振った。
「不思議な響きね。貴族名と位階名は無いの?」
「……何ですかそれ?」
馴染みの無い言葉に美咲がきょとんとした顔をすると、ルフィミアは面倒くさがることもなく、丁寧に美咲に解説してくれた。
「その名の通り、貴族であることを表す名前と、その位を表す名前のことよ。例えば私の場合はラが貴族名で、ベルアニアのではないけれど、父が伯爵位を頂いているから、伯爵家を表すデアが着くの。エルスターは私の家名ね。ちなみにリータっていうのは私が成人する前に名乗っていた名前」
説明を聞いた美咲は納得した。
あいにく美咲にそんなものはない。
「藤原美咲で全部です。昔は他に色々入ることもあったみたいですけど、今は先祖が貴族だろうが平民だろうが、私の国じゃ名字と名前だけですね」
戦国時代の武将とか、やたらと長い名前だったことが頭に過ぎる。
面倒臭いので美咲はそんな名前は絶対嫌だったが。
「ルフィミア・リータ・ラ・デア・エルスターに藤原美咲だな。よし、出来たぜ」
銅板に何事か書き込むと、男性は銅版二枚を美咲とルフィミアの方へ押し出した。
「これで傭兵登録は完了だ。その傭兵カードは間違っても無くすなよ。そいつが無きゃ戦場に出ても報酬を受け取れない。一応再発行も出来るが、有料だから気をつけろ」
「ありがとう。美咲ちゃん、無くさないようにですって」
受け取ったルフィミアが、一枚を美咲に手渡す。
興味深深に自分の銅版に目を通した美咲は落胆する。
(……まあ、予想はついてたけど)
案の定ベルアニア文字で書かれた銅板の内容を、美咲は全く読み取ることができなかった。
外に出た美咲は、傭兵カードと受け付けの男性が呼んでいた銅板をしげしげと眺める。
ちょうどスマートフォンくらいの大きさで、薄さもその程度だ。
銅板なので結構重いが、それでも気になるほどではない。
無くさないように、とのことなので、美咲は銅板を制服のポケットにしっかりとしまった。
道具袋では、袋ごと盗まれるかもしれないので安心できなかったのだ。
何しろ実際に道具袋を盗まれた前例がある。
同じように傭兵カードをどこかにしまったルフィミアが、美咲に話しかけてくる。
「これで私も美咲ちゃんも、晴れて傭兵ってわけ。集合日時についてはもらった傭兵カードに書いてあるから、遅れないようにね」
「……あの、字が読めないので分からないんですけど」
「あ、そうか。じゃあ後で読み上げるわ。ついでに文字も教えてあげる。短期間じゃ全部は無理だけど、よく使う単語を覚えるだけでも違うものね」
太っ腹なルフィミアに、美咲は頭が下がる思いだった。
■ □ ■
いったん宿に戻った美咲はルフィミアに銅板に書かれていることを要約して教えてもらった。
「集合はお昼ね。今が四レンディアだから、あと一レンドは時間があるわ。お昼用に何か買って、余った時間で美咲ちゃんの勉強しましょうか」
美咲はルフィミアの台詞から、聞きなれない単語抜き出して自分の知識と当てはめる。
(……レンドとかレンディアって、なんだっけ)
「時間の単位がよく分からないんですが……」
困りきった顔の美咲に、美咲が異世界人であることを思い出したルフィミアはどう説明しようか考え込む。
「確か、美咲ちゃんは砂時計を持ってたわよね。あれは一回一レンみたいだけど、美咲ちゃんの世界の時間単位ならどれくらいになるのかしら?」
「えっと、確か一レンが十分だったはずですから、十分だと思います」
「なら、一レンドは百四十分よ。美咲ちゃんの世界には、レンドに当たる単位はある?」
「ありますけど、もっと短いです。六十分で一時間です」
「そんなに短いの? 一バルよりも短いのね。ちなみに一バルはそっちの分で表せば七十分になるわ」
(また、微妙にずれてるよ……)
あまりの計算の面倒くささに美咲は段々うんざりしてきた。
興が乗ってきたのか、ルフィミアが弾んだ声で美咲に尋ねてくる。
「美咲ちゃんがいた世界では、一日は何分何時間なのかしら?」
咄嗟に暗算をした美咲は、出た答えをルフィミアに告げる。
「ええっと、千四百四十分で二十四時間です」
もっと違う答えを予想していたのか、ルフィミアは美咲の答えを聞いて意外そうな顔をした。
「あら。それなら最終的には美咲ちゃんの世界もこっちと変わらないのね。こっちじゃ一日十レンド経った後に、四レンを跨いで次の日になるの。この時間は魔族語の力が急激に強まる時間帯で、魔の時間帯と呼ばれているわ」
ルフィミアの話を聞いて、美咲の顔が青くなる。
「え、それじゃあその魔の時間に魔族と戦闘になっちゃったりしたら……」
「根本的に魔法が効かない美咲ちゃんはともかく、間違いなく私たちは皆殺しにされるわね。魔族は全員が魔族語使いだから、マジックユーザーの絶対数が違うもの」
「それって、すごく危険なんじゃ……」
嫌な予感が頭を過ぎった美咲は、不安そうな顔でルフィミアを見上げる。
そんな美咲を安心させるかのように、ルフィミアは勝気な表情でニッと笑った。
「人間側もそれが分かっているから、魔の時間は基本的に誰も出歩かないし、戦争中はこの時間の夜襲を一番警戒する。それこそ魔将級の大物が出張らない限り、実際には一方的な虐殺にならないから大丈夫よ」
「なるほど。じゃあ、レンディアっていうのは?」
「レンドの変化形よ。例えば美咲ちゃんの世界の時間単位で十二時ちょうどなら、こっちだと五レンディア五レンになるわ」
ようやく理解した美咲は、ルフィミアに礼を言う。
「ありがとうございます。ルフィミアさんのおかげで良く分かりました」
「これくらいじゃ受けた恩の足しにもならないけどね」
苦笑したルフィミアは肩を竦める。
「それじゃ、当初の予定通りまずは昼食を買いに行きましょうか。美咲ちゃんもそれでいい?」
「あ、はい。大丈夫です」
美咲が頷くのを確認すると、ルフィミアはにっこりと笑った。
「なら、早速行きましょう」
ルフィミアに連れられ、美咲は再び宿屋を出た。